M04. 春の来るところ
母に手を引かれて再び
ZARAやH&Mなどのブランド名が並ぶその入口を見れば、否が応でもピンときた。ここは、そう、母の青春時代の本拠地だった場所だ。
「ここが、劇場があったところ?」
「うんっ。建物は何度かリニューアルしてるはずだけどね」
母はるんるんと歩調を弾ませ、茉里佳の手を引いたまま、人の波に飲まれるようにしてビルの中へと入った。若い女の子達や男女連れが行き交う一階、二階、三階を通り抜け、エスカレーターで四階まで上がると、茉里佳の目に、白地に赤の鮮やかな壁面の文字が映った。
「新潟エイトミリオン初代劇場……記念館」
「よかった、まだあった。まりちゃんまりちゃん、来て来てっ」
たたっ、と、いち早く入口に駆け寄り、母が茉里佳を手招きする。
「じゃぁん、わたしだよー」
西洋の城門を思わせる、赤い柵に囲まれた入口の両横に、往年のメンバーと思しき等身大パネルが何人も立っている。その中の一人は紛れもなく若かりし日の母だった。黒地に
「すごぉい。ほんとにここで公演やってたの?」
記念館の入口は自由解放になっていた。茉里佳はたちまち母を追い越し、短い通路を曲がって展示室へと入った。壁面には様々なイベントでのメンバー達の素顔を捉えた写真が所狭しと並べられ、大画面には昔の新潟エイトミリオンのヒット曲のMVが流れている。
歴代の衣装が飾られたショーケースや、当時のメンバー達の寄せ書きを残した大きな黒板もあった。幸運にも他の客はおらず、茉里佳はこの小さな空間を存分に独り占めすることができた。
「こんな狭いところにお客さん入ったら大変じゃない?」
「昔はどこの劇場もこのくらいだったのー。開演前には、お客さんは外の階段までびっしり並んでてね」
「えぇぇ。他のお店の人、困るじゃん」
「そういうものなんだって。あっ、ホラ、見て見て」
母が指差した一角には、「新潟と新潟エイトミリオンの歩み」と題した、年表にイベントごとの写真を散りばめた展示があった。
2015年。秋葉原エイトミリオンの日本海側初の姉妹グループとして、新潟エイトミリオンが発足――。茉里佳の生まれるずっと前の出来事が、四人のアイドルが並んだ写真の上に書かれている。その中の一人は、まだ笑顔もぎこちない越谷ユカその人だった。
「……最初にこの街に降り立った四人は、みーんな、よそ者だったんだよ」
「えっ?」
写真を覗き込む茉里佳の隣で、母は、昔を懐かしむような穏やかなトーンで言った。
「ドラフトで一緒に選ばれた子も、わたし達を選んでくれた先輩達も、誰一人この街の人じゃなかった。それでも、この街に根を下ろして、この街のアイドルになるんだぞって気持ちで頑張って……少しずつ、街の人達と心を通わせていったの」
「……ママ達、すごい」
母の経歴を知識として知ってはいたが、いざ改めて聞かされると、それは本当に凄いことだったのだと実感できた。茉里佳が思わず母の顔を見ると、往年のアイドルは、ふふっと笑って小さく首を横に振った。
「すごいのは、わたし達じゃなくて、この街の人達だよ。『希望が住む街』――その希望っていうのは、わたし達のことじゃなくて、この街の皆の温かさのことなんだって思うの」
母が指で示した次の写真には、新潟エイトミリオン一期生のお披露目イベントの光景が映っていた。レインコートを着て野外のステージを囲む、大勢の人、人、人。若い人もいれば親子連れもいる。この街のアイドルの到来を大声で歓迎する人達の熱量が、たった一枚の写真を通じて茉里佳の心にも伝わってくるようだった。
「最初はよそ者でもいいんだよ。あなたがその場所に人生を捧げられるなら、きっとこの街の皆はあなたを受け入れてくれる。……ママが青春を過ごしたこの街は、そんな街だよ」
「……うん」
それを伝えるために母が自分をこの場に連れてきたのだということは、茉里佳にももうはっきりわかっていた。
先程のアイドル部の女の子達の笑顔が、茉里佳の閉じた
この街はそんなに冷たくないと、母の瞳は語っているのだ。
「わたし……」
ここのアイドル部で頑張ってみようかな、と、茉里佳が思ったそのとき。
「――俺、ここに来るたび泣けてくるんだけど、年かねえ」
「ここで泣くより公演見て泣けってば。十三期生もいい子が揃ってるんさ」
入口の方から男性の話し声と足音が聞こえてきたので、茉里佳は思わず言葉を飲み込んだ。
その隣で母がすっと入口へ振り向く。途端、母と男性達は揃って声を発した。
「あらっ」
「おや」
なんだろう、と思って茉里佳も振り返ると、展示室に入ってきたのは、スーツを着こなした二人の中年男性だった。母よりも一回り歳上だろうか。一人はすらっと細く、もう一人は対照的に恰幅のいい体型をしている。
「こんにちは、越谷さん。奇遇ですね」
細身の男性が口元を
「ここでお二人にお会いできるなんて。今日はお仕事帰りですか?」
「ええ。明日は新潟エイトミリオン結成の日ですからね、久々にここに来たくなりまして」
「コイツ、ここに来たら泣くって言うんさ。いい年したオヤジが。……そちらは娘さん?」
茉里佳が母の一歩後ろに隠れていると、太い男性が、その警戒を解くように快活な笑顔で笑いかけてきた。
「ハイ、娘の茉里佳です。わたしに似てカワイイでしょ」
「いやぁ、ユカちゃんの百倍はカワイイさ。……待てよ、まりかちゃんってことは……ああ、茉莉姉の茉に里英さんの里?」
「なんでわかるんですか!?」
「この丸山を舐めてもらっちゃ困るんさ」
はははと胸を張る太い男性の横で、細身の男性が苦笑いしている。
茉里佳が母のスカートを引いて「だれ?」と聞くと、母はにまりと笑って、「ママ達のふるーいお友達かな」と答えた。
「でも、越谷さんを
「あの時はホラ、この子が小さかったですから。ホントはすっごい出たかったんですけどねー。……そっちは相変わらずお忙しいですか?」
「ええ、お陰様で……。『雪女』が市役所を辞めて市議になってしまったので、後釜を務めるのに毎日必死です」
「コイツ、今は地域魅力創造部の課長だっけね」
「わぁ。おめでとうございます!」
大人の会話だなぁ、と思いながら、茉里佳は母と男性達のやりとりを見上げていた。母の目は、メンバー達の写真を前に昔を語っていた時と同じ、アイドルの目に戻っているように見えた。
「そうそう、先日、青森の地方創生フォーラムで
「えっ! 元気そうでした!?」
「もちろん。越谷さんと同じで、いつまでも変わらないですね、あの方も。本当に魔法が掛かっているかのようだ」
「それ、ラインで言っときます。瀬賀さんが美魔女って言ってたよーって」
「あはは。……娘さんも、やっぱり芸能界に?」
そこで細身の男性が茉里佳を見てきた。息つく間もなく母が声を弾ませる。
「スクールアイドルで修行ですっ。ね、まりちゃん」
「うん、あの、ハイ」
条件反射で母に頷いてから、茉里佳は男性を見上げて頷き直した。すると、太い男性のほうが「おっ」とすかさず反応してきた。
「今話題の『七光』かぁ。エイトミリオンの二世世代が群雄割拠の時代だけろも、まりかちゃんもお母さんみたいに爆発的に名を上げるかねえ。二つ名は何がいっかな」
「え、二つ名……?」
茉里佳がきょとんとオウム返しすると、彼は何やら太い指を立てた。
「
茉里佳はぱちくりと目を
「お前は何でも知ってんな」
「アイドルと名の付くもので俺の知らないことはないっけね」
男性達の掛け合いに割り込むように、母が「ハイハーイ」と手を上げる。
「『超絶カワイイのマリカ』がいい! あ、それか、『ヘコタレナイのマリカ』で!」
「……ダメだこりゃ。ユカちゃんはやっぱユカちゃんだわ」
「えー、何それ、ひどい! あ、わかった、『努力は必ず報われるのマリカ』! 完璧でしょ」
「だっけ、二つ名っていうのはそういうんじゃないって」
当の茉里佳を置き去りにして母達が騒いでいると、細身の男性がふと、苦笑から真面目な顔に転じて言った。
「親の名前など関係ない。ステージに持ち込めるのは自分の身一つだけ――と、二代目キャプテンがここに居ればきっとそう言うでしょうね」
彼の言葉に、茉里佳だけでなく、母も太い男性もハッと息を呑んだ。
嘘か本当か、この男性達に萬代橋のたもとでスカウトされたという、母のかけがえのない仲間の一人。彼女の親がこの街の名士であったという話は、茉里佳も聞いて知っている。
時に重荷ともなるその名を背負い、彼女が自分自身の翼で羽ばたいてきたことも。
「親の七光と戦った最初のエイトミリオンメンバー……か」
「……そうだね。ミナミちゃんがミナミちゃんだったように……まりちゃんは、まりちゃんなんだよ」
母が茉里佳の肩に手を置いて述べた言葉に、なぜかこみ上げる熱いものを飲み込み、茉里佳は「うん」と頷いた。
「……今回は、どのくらい
「残念だけど、明日には帰っちゃいます。でも、また来るもんね、まりちゃん」
母に促されて、茉里佳は再び男性達を見上げる。
「ぜひまたいらして下さい、茉里佳さん。この街は、いつでもあなたを待っています」
細身の男性が穏やかな笑みとともに言った。茉里佳は彼らの目を見て、ハイ、と元気に答えた。
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