M03. 青空を信じて

「わっわっ、越谷こしがやユカさん!? うっわぁ、本物ら!」


 アイドル部の部室スタジオに茉里佳達が足を踏み入れるやいなや、待っていたのは部員達からの熱烈な歓迎だった。

 ステージ衣装のままの女の子達が次から次へと茉里佳の母の周りに集まり、握手を求めている。母はマスクを外し、笑顔で皆に対応していた。その隣に立つ茉里佳にも、口々に部員達が声をかけてくる。


「カワイイ! お母さんとソックリなんさね」

「今いくつ? えっ、中一?」

「東京から来たん? その服もオシャレ!」


 いつもなら、母と同じように元気に笑って「ありがとう!」と返せそうな茉里佳だったが、この時ばかりは予想以上の歓待ぶりに面食らってしまった。聞けば、こうなることを見越して、母が事前に学校側と話し、一般のオープンスクールの子達とは体験入部の時間をずらしてもらっていたらしい。

 つまり、今この場は、茉里佳だけの貸し切りということ……。

 なんだか申し訳ないな、と思った矢先、母はとんとんと茉里佳の肩をつついてきた。


「ママは先生方とお話してくるから。……皆さん、まりちゃんをよろしくね」


 この街のスーパースターの言葉に、部員達が「はぁい」と声を揃える。

 母が小さく手を振って出ていった後、部員達は誰からともなく茉里佳の手をくいくい引いて、スタジオの中心へといざなってくれた。大勢の部員達に囲まれ、自然に茉里佳の背筋は伸びる。


「まりちゃんっていうの? わたし、二年の海潮うしお舞流まいる。こっちがチカちゃんでこっちがユメちゃん」

「茉里佳です。越谷茉里佳っ」


 母と同じ名字を名乗った瞬間、彼女達の目がひときわ輝いたように見えた。それはちょうど、東京の中学のアイドル部で茉里佳が自己紹介した時とは真逆の反応だった。


「まりかちゃん、転校してくるん?」

「えっと、まだ決めてるわけじゃないんです」

「もし来るならゼッタイ、ウチに入ってほしいなっ。今はスクールアイドルやってるん?」

「ハイ、でも、こないだは地区大会で負けちゃって」

「えぇー、まりかちゃんが居るのに!?」


 部員達の言葉の渦に揉みくちゃにされながら、茉里佳は気付いた。先程のセンターの子……弾ける魅力で皆を引っ張っていたあのサトリちゃんという子が、この場に居ないことに。


「あの。センターの人は?」

「ああ、お姉ちゃんは、他の先輩達と高校のほうのステージに行っちゃった」


 舞流と名乗った二年生が茉里佳の問いに答えてくれた。情報量の多い台詞だった。


「お姉さんなんですかっ」

「うん、彩鳥さとりお姉ちゃん。ウチのアイドル部きってのエースで、頼れるキャプテンなんさ」


 姉と同じショートボブの彼女が続けて語ってくれたところによると、センターの彩鳥さとりは萬志学院の高等部でも将来を嘱望しょくぼうされており、中高の垣根を越えて高校アイドル部のステージに立つこともよくあるらしい。


「先輩達が抜けたらわたし達がアイドル部を支えていかなきゃ、って言ってたんだけど、まりかちゃんが入ってきたら、一瞬でゴボウ抜きにされちゃうね」


 そんなことを言いながら舞流は明るく笑った。周りの皆もうんうんと頷いている。嫌味でも何でもなく、そうなることを本当に好ましく思っていそうな彼女達の笑顔に、茉里佳は一瞬どういう表情で応えればいいのかわからなかった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 それから、皆と一緒にエイトミリオンの曲を軽く通したり、携帯ミラホで記念写真を撮ったりして、茉里佳は笑顔で手を振り合って彼女達と別れた。

 合流した母が「楽しかった?」と聞いてくるので、茉里佳は全力で頷く。

 彩鳥や他の三年生達が居なかったのは心残りだったが、二年と一年の子達に混ぜてもらって、大好きなエイトミリオンの曲を歌い踊るのは楽しい体験だった。東京のアイドル部での活動がつまらないわけではなかったが、あちらとこちらを比べてみると、皆の目の輝きがやはり違っているように思えた。


「でも……」


 萬代橋のそばの緑地を母と並んで歩くさなか、茉里佳はふと口から出かけた迷いを喉の奥に押し込めた。母は「なぁに?」と問うてきたが、なんでもない、と茉里佳が答えると、あっけらかんと他の話題に移ってくれた。


「あの辺りで昔、MV撮ったんだよ。懐かしいなー。その年の新潟は雪が少なかったらしいんだけど、撮影の日だけイイ感じに雪が降ってくれて」

「へぇっ。きっと街がママ達を歓迎してたんだね」

「おぉ!? いいこと言うねー、まりちゃん! これは親の教育がいいからだな?」


 ハイテンションな母の手がぱんぱんと茉里佳の背中を叩いてくる。緑地のベンチに座っていた、中学生か高校生らしき女の子達が、なんだろうという目で二人のほうを見てきた。

 それを見て、また何かエピソードを思い出したように、母が言う。


「そうそう、ミナミちゃんはこの辺で市役所の人にスカウトされたんだって」

「え? なんで市役所の人がスカウトするの?」

「あれ? 違ったかな。なんでだろうね? あれって小説の作り話だったかな……。あぁ、早く日本に戻ってこないかなー、ミナミちゃーん」


 母は誤魔化すように空に向かって声を伸ばした。母とともに青春を駆け抜けた仲間の一人が、今は海外で活躍しているという話は、茉里佳も前から聞いて知っていた。

 この街の内外から夢を抱いて集まった若鳥達。彼女達がどんなに街から歓迎されていたのかは、先程のアイドル部員達の、我が母への信奉ぶりを見てもわかる。この地から羽ばたいた新潟エイトミリオンの一期生達は、今なお当地のスターでありレジェンドなのだ。

 ……しかし、自分は……。


「……ママ。わたしね」


 遠く日本海へ繋がる空を見上げ、茉里佳はそっと言葉を発した。


「さっきの体験入部、すっごく楽しかった。あの部の人達となら……今より上手くやってける気がする」

「よかった。モテモテだったもんね、まりちゃん」

「……でもね、ほんとにいいのかな、って思うの。だって、二年の舞流さんも、他の皆も、みーんな、入部したらわたしが次のセンターだって言うんだもん」


 彼女達の言葉が冗談やご機嫌取りではないことは、茉里佳には空気で察せられていた。

 本当に自分が転校して、アイドル部に入ったとしたら。

 彩鳥ら三年生が卒業する来年以降、あの部の皆は本気で自分をセンターに据えるつもりなのだろう。「あの」越谷ユカの実の娘、「伝説の」新潟エイトミリオン一期生の後継者……。そういう肩書を生まれながらに持っている自分が、この街でどんな扱いを受けることになるのかは、先程の僅かな時間だけで十分なほどに分かってしまっていた。


「……そんなの、元々居た人達に悪いよ。わたし、この街の生まれでもないのに」


 この街で生まれ、この街の言葉を話す彼女達を押しのけて、よそ者の自分がセンターに立つ。それを好ましく思わない人もきっといるだろう。舞流達だって、今はチヤホヤしてくれたとはいえ、いつまでも同じ気持ちのままで居られるとは限らないのだ。


 その道に真剣であればあるほど。誇りを持っていればいるほど――


『みんな言ってんだよね、茉里佳とは一緒に歌いたくないって』

『あたしも親が七姉妹セブン・シスターズだったらなー』


 ――どんなに優しい子でも、どんなに素敵な夢を持った子でも、人は時として残酷にもなる。


「わたし、イヤだよ。あんなに優しくて、あんなに前向きにアイドルやってる人達が、わたしのせいでヘンなことになっちゃうのは」


 茉里佳にはそれが怖くてならなかった。

 東京のアイドル部の子達も、決して一人一人がイジワルだったわけではないのだ。自分というがそこに混ざってしまったことで、ひたむきに頑張っていた皆の空気がおかしくなってしまったのだ。

 彩鳥が引っ張り、舞流達が受け継ごうとしている萬志学院中学のアイドル部が、自分のためにそんなことになってしまったら……。

 気付かない内に足を止めて、茉里佳がそんなことを考えてうつむいていると。


「もう、まりちゃんはネガティブだなー。誰に似たのかな?」


 ぱっと、母が茉里佳の手を取ってきた。


「オッケー、万代ばんだいに戻ろっ」

「えっ?」

「まりちゃんに一番見せたかったもの、見せてあげる。……まだあればいいけど」


 そう言って、途端に早足で歩き出した母に、茉里佳は何だか分からないままに付いていくことしかできなかった。

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