M02. 揺れ動く青春

 今回の目的地である萬志ばんし学院中学は、街のシンボルである萬代橋ばんだいばしを渡った先の商業エリアの近くにあった。

 目の前に停まった路線バスから、オープンスクールの参加者と思しき親子連れが次々降りてくる。どうやら、駅からここまでの距離をわざわざ歩いてきたのは茉里佳達だけだったらしい。


「ママ、バス乗ってもよかったんじゃないの?」

「んー? まりちゃんに少しでもこの街をナマで味わってほしいから」


 マスクの下でにまりと笑って、母は「行こっ」と茉里佳を促した。校門の前では、学校の教員らしき人達が愛想よく来校者を迎え、パンフレットを手渡している。既に中一の自分が小学生の子達に混ざってオープンスクールの場に居ていいのか少し不安だったが、教員達はおかしな顔一つせず茉里佳のことも歓待してくれた。

 母と一緒にぺこりとお辞儀して、茉里佳もパンフを受け取った。表紙には、茉里佳の知らない女の子が、お洒落な制服姿に笑顔を浮かべて写っていた。ショートヘアに笑窪えくぼの目立つ、可愛い女の子だった。


「昔はエイトミリオンの子もたくさんこの学校に居たんだけどねー」

「今は違うの?」

「今はホラ、専用の学校に行くことになってるから。時代だよ、時代」


 そういえば、と茉里佳は前に聞いた話を思い出した。

 全国各地に拠点を構えるエイトミリオンのメンバー達は、研究生として採用されると同時に、各劇場の近くにある系列校への転校を義務付けられる。プライベートの流出や異性との接触に気を取られることなく、アイドルとしての修練に励めるように……というのが一つ目の理由。もう一つの理由は、2020年代半ばから急速に普及した文化との兼ね合いで、プロとアマチュアの居場所を明確に分けるためだという。

 この二つ目の理由は茉里佳にも十分関係のあるものだった。なぜなら――


「ホラホラ、まりちゃん。ちょうどアイドル部のミニライブ始まるよっ」

「うんっ」


 茉里佳もまた、その言葉の響きに憧れてステージに立つことを選んだ一人。この春に入学した東京の中学でアイドル部に名を連ねる、スクールアイドルの一員だったからだ。

 ……そう、だったのだが……。


「ここの子達は、まりちゃんに優しくしてくれたらいいね」


 中庭パティオの特設ステージを囲む大勢の見学者達に混じって、ミニライブの開演を待つさなか、母は優しく自然な口調で茉里佳にそう言ってきた。うん、と条件反射で一回頷いてから、茉里佳はふるふると小さく首を横に振った。


「今の部のみんなだって、別にイジワルなわけじゃないよ」


 その言葉を受けて、母の優しい口元がどんなふうに笑ったのかは、今はマスクに隠されて見えなかった。

 じきに音響装置スピーカーから賑やかなメロディが溢れ出し、揃いの衣装を纏った女の子達が十人ばかり、足取りも軽やかにステージに躍り出てくる。

 母や周囲の人達と一緒にぱちぱちと拍手をしながら、茉里佳は身を乗り出すようにしてステージに見入った。ここには熱心なアイドルオタクなど一人もいない。ゆえに、MIXもなければサイリウムもない。スクールアイドルならではの素朴なこの空気が、茉里佳は一周回って好きだった。

 パフォーマンスされているのはごく一般的な秋葉原エイトミリオンのヒット曲だった。エイトミリオンの運営法人が公式大会のメインスポンサーを務めていることもあって、中学でも高校でも、スクールアイドルのパフォーマンスはほとんどがエイトミリオンのコピー曲だ。


「あ、あの人」


 センターで笑顔を飛ばすショートヘアの女の子の姿を見て、茉里佳ははっと声を上げた。チャーミングな魅力で仲間を率いる彼女は、紛れもなく、パンフレットの表紙を飾っているあの女子生徒だった。


「あの子、サトリちゃんっていうんだって。全国中学生大会インターミドルでサヤ姉さんの娘さんといい勝負したらしいよー」

「えっ、なんでママ詳しいの?」

「意外と地獄耳なのだ、わたしは」


 えへんと胸を張る母を横目に、茉里佳は食い入るようにステージを眺める。

 センターの彼女だけではなく、そこではメンバーの誰もが目をきらきらと輝かせ、楽しそうに歌い踊っていた。

 幼い頃からプロの現場を見てきた茉里佳には、彼女達の技量がプロアイドルと比べてどの程度なのかは自然に察せてしまう。だが、彼女達はそんなことが気にならないくらいの熱気を纏っていた。まだまだダンスのぎこちない子もいれば、声がしっかり出ていない子もいるが、スクールアイドルを全力で楽しみたいという彼女達の思いが瞳を通じて伝わってくるようだった。

 一曲目、二曲目と観ているうちに、茉里佳は、あのサトリちゃんというセンターの子が他の皆の魅力を引き立てているのだということに気付いた。この場でプロレベルの技量を持っているのは恐らく彼女だけだろう。だが、彼女は自分が目立つのみならず、皆を引っ張り、実力以上の輝きを引き出させることに一役買っている。

 彼女が中心に居るからこそ、きっと他の皆はこんなにきらきらと輝けるのだ。


「……いいなぁ。わたしも、あんなセンターになりたい」


 茉里佳は思わずそう呟いていた。

 惨敗に終わった中学生大会の地区予選の後、チームメイトから浴びせられた言葉の数々がふと茉里佳の脳裏をよぎる。


『みんな言ってんだよね、茉里佳とは一緒に歌いたくないって』

『そんなに目立ちたいならさぁ、さっさとプロになっちゃえば?』

『あなたみたいなが普通のアイドル部に入ってくるの、ぶっちゃけ困るんだけど』

『あたしも親が七姉妹セブン・シスターズだったらなー』


 彼女達の言葉に茉里佳は何も言い返さなかった。彼女達を恨むことも、母達の前で彼女達を悪く言うこともしなかった。

 彼女達も一生懸命なのは、数ヶ月といえどレッスンを共にした茉里佳には、いやというほど伝わっていたから。

 ……だから、教科書が消えたり、携帯ミラホが水に沈められたり、茉里佳のステージ衣装だけがボロボロになったりしたのも、きっと誰が悪いわけでもないのだ。

 彼女達一人一人ではなく、あのアイドル部という「場」が、茉里佳の存在を受け入れなかった――ただそれだけの不幸な事故として、茉里佳は今回の件を捉えていた。

 一方で、あっけらかんとした調子をわざと作って「転校しちゃおっか」と言ってくれる母の優しさに、あえて異を唱える理由も、茉里佳にはなかった。


「ありがとうございました! この後、一日体験入部もやってるので、よかったら来てくださいねっ」


 パフォーマンスを終え、センターの子が壇上から呼びかけてくる。

 笑窪の可愛い彼女と目が合ったとき、茉里佳はもう苦い記憶を忘れ、この後の体験入部に胸を弾ませていた。

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