『Extra Album:誇りのトキ』

M01. 美しきあの街

 最後のトンネルを抜けると美しい街が近付くという。その歌詞を茉里佳まりかはどこか遠い世界の出来事のように思って育ってきた。新幹線リニアの静かな振動に身を委ね、トンネルの壁しか見えない車窓に目を向けていると、母譲りの小顔の頬が知らぬ間にぷくっと膨らんでいるのに気付いた。


「ずーっとトンネルばっかでつまんない。ねえママ、どれが最後のトンネル?」


 隣に座る母のロングスカートをくいくいと指でつまんで、茉里佳が尋ねると、マスクで口元を覆った母はくすりと笑って手元の本から顔を上げた。


「声大きいよ、まりちゃん。……もうすぐじゃない?」

「ほんと? ねえねえ、トンネル抜けたらまず何が見えるのっ」

「えぇ、ママの頃とは違うからわかんないよ。あの歌に出てくるのは、ずっと昔の、ママが若かった頃の電車だもん」


 茉里佳にその歌を教えてくれた当人である母は、マスク越しにもわかるほどの笑みを浮かべ、楽しそうに述懐するのだった。


「あの頃はまだリニアじゃなかったから、テレビとかのお仕事で東京に通うのに片道二時間以上も掛かってね。楽しかったけど、大変だったなあ」

「二時間!? すごいっ。でもでも、それなら東京に住んじゃえばいいじゃん?」

「そういうわけにいかないよ。わたし達は、あの街のアイドルだったんだから」


 そう言ってから、母は出し抜けにすっと窓の外を指差した。茉里佳が反射的に振り向くと、車窓にはぱっと明るい青空が広がっていた。


「わっ、いい天気。東京は曇ってたのに」

「夏の新潟は意外と晴れの日多いんだよー。リエさんも晴れ女だったしね」


 それからリニアに揺られること更に二十分ばかり。高架の駅に車両が滑り込むやいなや、茉里佳は荷物を肩に引っ掛け、母の手を引いてスキップでホームに躍り出た。

 この春に加入したばかりの、新潟エイトミリオン第十三期研究生達が、ホームの大画面サイネージの中から眩い笑顔で来訪者を出迎えている。

 2038年夏。中学一年生の越谷こしがや茉里佳まりかが、母の第二の故郷に初めて降り立った瞬間だった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「すっかり変わったなー、この辺も。……あっ、バスセンターのカレー屋さんまだある! まりちゃんまりちゃん、カレー食べていこっ」


 駅から街に出ると、今度は母が茉里佳の手を引っ張る番だった。陽光に照らされた開放的なテラスの一角、母が手で示したその先では、何やらフードコート的なお店の前にちょっとした人だかりが出来ていた。


「そば屋さんって書いてるよ?」

「違うんだって。ここはカレー食べるとこなの。はっはぁ、まりちゃん、さてはモグリだな?」


 微塵の迷いも感じさせない足取りでその店の列に並び、母はマスク越しににやりと笑って言った。

 初めて来たのにモグリも何も……。母の変なノリに苦笑しながも、まあ、カレーは好きだからいいかと茉里佳はひとまず納得した。

 茉里佳の耳元に顔を近付け、母は小声を弾ませる。


「昔はエイトミリオンの劇場もこの近くにあってね。ファッションビルの中に入ってたの。ほら、ママの頃はまだ人数も少なかったから」

「えっ、普通のビルの中に劇場があったの?」

「そうそう。それは秋葉原アキバさかえも全部そうだったんだけどね。あの頃はそういうコンセプトだったんだよ。街の片隅で頑張ってまーす的な」

「ふぅん。なんか、距離が近くて楽しそう」

「おぉ、わかってるねー、まりちゃん。さすがはユカ二世っ」


 母が上機嫌で頭を撫でてきたところで、周りのお客さん達がちらちらと振り返ってきたので、茉里佳は慌てて顔をうつむかせた。母と違って自分の顔など誰にも知られていないはずだが、それでもなんだか恥ずかしい気がしたのだ。

 ややあって列が進み、やっと店内に入ることができた。昔は立ち食いだったという店の中は、いかにも今風な作りにリニューアルされ、小さなテーブルを囲む老若男女の人達の活気に溢れていた。


「いただきまぁす」


 母と茉里佳が頼んだ「ミニサイズ」のカレーは、それでも普通のお店のレギュラーサイズくらいのボリュームだった。


「わっ、普通にカラい」


 見た目の黄色さから甘口を想像していた茉里佳は、一口目で度肝を抜かれた。テーブルの向かいで母がふふんと笑い、自分の手柄のように胸を張る。


「これこれ。この味がねー、地元民にはたまらないワケですよ」

「ママ、地元民じゃないじゃん」

「なにを言うか。わたしの心はいつでもこの街とともにあるのだよ、お嬢ちゃん」


 母がこの街に住んでいた期間は十年もない、と聞いているが……。

 今に限ったことではなく、この街について語るときの母の目を見れば、きっと年数以上の思い入れがあるのは間違いなかった。


「……きっと、まりちゃんも、好きになってくれると思うな」


 スプーンを動かす手をふと止めて、母は茉里佳の目を見てきた。この街に住むとも住まないとも決まっていない茉里佳の心が、どきり、と鼓動に震えた。

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