M05. 共に歌おう

 長く続いた残暑が終わりを告げ、コシヒカリの収穫シーズンが始まる頃、茉里佳は再び母の第二の故郷の地を踏んでいた。生まれ育った東京にしばしの別れを告げ、オレンジ色のトランクケース一杯に新しい夢を詰め込んで。

 今度はお客さんとしてではない。若き日の母達と同じ覚悟を秘め、この街の雛鳥になりに来たのだ。


『親の七光様がいなくなってくれるなら、あたし達もせいせいするわ』

『何言ってんの、これからはライバルだよっ』


 東京の中学を去る最後の日、茉里佳が言葉を弾ませてそう言い返すと、チームメイト達は微妙な顔になって言葉に詰まっていた。

 彼女達がどこまで本気で自分を嫌っていたのか、それを考えても仕方がないと茉里佳は思っていた。それよりも、彼女達の努力や情熱が本物であることを知っているからこそ、いつか全国の舞台で彼女達と相まみえる日を楽しみに思いたかった。


『……まあ、あなたのことチヤホヤしてくれる街で、せいぜい頑張ったらいいんじゃないの』

『うん、思いっきりチヤホヤされてくるっ。じゃあ、全国中学生大会インターミドルで会おうね!』


 このやりとりを後から人に話すと、誰もが決まって茉里佳のことを寛大だとか楽観的だとか言って呆れたが――

 元チームメイトの彼女達と笑顔で別れることは、茉里佳にとってはヘンでも何でもなかった。

 だって、誰かを悪く思ったり、運命を呪ったりすることは、母は決して自分に教えなかったのだ。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「皆さん、こんにちは! わたし達、萬志ばんし学院中学アイドル部――」


 センターに立つ彩鳥さとりの号令に続けて、茉里佳も仲間達とともに声を揃える。ステージを囲む大勢のお客さん達の、心の奥深くにまで響くように。


「『LITTLEリトル IBISアイビス』です!」


 たちまち沸き上がる拍手と歓声が、隊列の端で見得を切る茉里佳の心臓をも揺らした。

 転校から一ヶ月足らずで茉里佳も立つことになった、萬志学院中学文化祭の特設ステージ。高等部の文化祭のオマケのようなイベントではあるが、街の人々は温かい目線で茉里佳達を見上げてくれていた。

 中高生や親子連れに混ざって、スクールアイドルの熱心なマニアと思しき人達や、報道陣らしきカメラの姿も見える。先の全国中学生大会インターミドルで上位に食い込んだ彩鳥さとりへの注目度に加え、がここに入ったという噂を聞きつけた好奇の目は決して少なくないらしく、カメラのフラッシュの何割かは明らかに端っこの茉里佳に向けられていた。

 どこで画像を手に入れたのやら、茉里佳の顔写真を入れた応援グッズをこれ見よがしに掲げてくれる人達の姿まである。


「スゴイなー、まりちゃん」

「やっぱりスターなんだ」


 セットリストの合間の衣装替えで裏に引っ込んだ際、同じ一年生のユナやナミから羨望の眼差しを向けられ、茉里佳は顔を熱くしながらもふるふると首を横に振った。


「これからだよ。『越谷ユカの娘』じゃなくて、『越谷茉里佳』がスゴイって思わせてあげなきゃ!」

「そうだよ、まりちゃん。ユカさんの名前に負けるなっ」


 二年生の舞流まいるが笑顔を向けてきた。着替えを終えてステージに出る間際、フォーメーションの近い彼女が、茉里佳の耳元にそっとささやく。


「わたしも、お姉ちゃんの名前に負けないっけ」


 うん、と強く頷きあって、茉里佳は彼女達と並んでステージに躍り出る。

 この街の全ての少女が憧れるプロアイドル、新潟エイトミリオンの往年の朱鷺トキ衣装。白地に赤のそのシルエットを模した、手作り感満載のコスチュームに身を包み、茉里佳は躍動とともにマイクに声を吹き込んだ。

 新入りだから、一年だから、端っこだから、よそ者だから――だから目立たないように控えめに歌おうなんて、そんな器用なすべは誰からも受け継いでいない。

 だから茉里佳は全力で歌い、全力で踊った。ユナもナミも、チカもユメも、舞流も、彩鳥さえも食ってやらんばかりの勢いで。

 きっと大丈夫だ。この街は、自分の全力を受け止めてくれるはず――。

 それが間違いでないことを証明するかのように、お客さん達は、割れんばかりの拍手と歓声で茉里佳達のパフォーマンスを讃えてくれた。



「やるじゃん、まりちゃん」


 終演後の舞台裏で、キャプテンの彩鳥が直々に声を掛けてくれた。ショートヘアにたっぷりの汗を吸わせ、笑窪えくぼの目立つその笑顔を茉里佳ひとりに向けて。


「これでわたしも、安心してここを巣立てるんさ」


 この文化祭を最後に、彩鳥が中学アイドル部での活動を終えることは、既に皆が知るところだった。だからこそ、残される部員達は、今日のこの日のパフォーマンスに一層全力を注ぎ込んでいたのだ。

 新潟の流星と称される彼女が、安心してに旅立てるように。


「でも、やっぱり出会ったばかりでお別れは寂しいですっ。またこの街に戻ってきますよね?」

「もちろん。今よりずっと強くなって。高校では天下を取ってやるっけ、覚悟しててよ」


 いつしか他のチームメイト達も集まり、皆で彩鳥を取り囲んでいた。目に涙をためている子も多い。別れを惜しむ皆の表情が、彩鳥がいかに皆に愛されたキャプテンであったかを物語っていた。


「……彩鳥さんは、将来は新潟エイトミリオンに入るんですか?」


 茉里佳が尋ねると、彼女はコンマ数秒考えるような素振りを見せてから、ううん、と笑顔のまま言った。


「プロになるなら、チーム・ドライブを目指すよ。全国を回って新潟の魅力を伝えたいっけね」

「素敵っ。なれますよ、彩鳥さんなら」

「嬉しいな。将来のトップアイドルからお墨付き貰っちゃった」


 くすりと微笑む彩鳥の周りで、皆も涙混じりに笑った。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「いぇーい。楽しかった? まりちゃん」


 しっかり文化祭を観に来ていた母は、制服に着替えて部室を出た茉里佳をハイタッチで出迎えてくれた。茉里佳にとってサプライズだったのは、母の後ろからひょこりと顔を出した、もう一人の往年のアイドルの姿だった。


「えっ!? リカさん!」

「えへへ、よそ者参上」


 かつて姫と謳われた可憐なその顔に、悪戯っぽい笑みを浮かべ、彼女は言う。


「まりちゃんがこんな雪国に住むっていうから、変わった子もいるなーって。ハンパな覚悟なら東京に連れ戻してあげなきゃって思って駆け付けちゃった」

「ちょっと、リカちゃん」

「まあでも、大丈夫、大丈夫。ちょっと寒くてちょっとイナカなだけで、ここは立派に人間の住める街だから」

「だから、あなたはもう!」


 母にびしりと突っ込みを入れられた彼女は、くすくすと楽しそうに笑って、茉里佳の目を覗き込んできた。


「なーんて。どう、まりちゃん、やってけそう?」


 新潟の冬は厳しいけど大丈夫か――とか、そんな次元の話をしているのではないことは、茉里佳にもわかる。


「やってけそう、っていうか、やってみますっ。この街の皆が、力をくれるような気がするから」


 ステージの上で味わったばかりのその思いを込めて、茉里佳は答えた。

 この街で頑張ってみよう。母やリカ達にどこまで追いつけるかはわからないが、自分は自分の全力で。


「うん、上出来、上出来。アイドルは偶像だからね。誰かが求めてくれるなら、どこでだって輝けるんだよ」


 母と共にこの街で青春を過ごした彼女は、なんだか重たい意味が込められていそうな一言を述べて、にまりと笑うのだった。


「リカちゃん、なんかカッコいいこと言うためだけに東京から出てきた?」

「まさかぁ。たまには皆に会いたいなーって。ねぇ、プチ同窓会しよ。ミナミんちにアポなしで押しかけちゃおう」

「だから、あの子はアメリカだって」

「えぇー。じゃあモエカとヒナタ呼んでよぉ」

「自分で声掛けなさいー。急にはメーワクだと思うけど」


 きゃいきゃいと言い合う母達の姿を見て、茉里佳は思っていた。

 この街で、自分もこんな素敵な仲間を作ろう。二十年後か三十年後か、いくつになってもこうして一緒に騒げるような、そんなかけがえのない仲間を。


「まりちゃーん」


 廊下の向こうから新たなチームメイト達が呼んでいる。茉里佳は母達に断って、足取りも軽く廊下を走り出した。


「……ガンバレ、越谷茉里佳」


 何があっても決してへこたれることのなかった、伝説の朱鷺アイドルの優しい声が、走る茉里佳の背中をふわりと押すようだった。



 この翌年、越谷茉里佳は中学二年生にして全国中学生大会インターミドル個人戦を破竹の勢いで勝ち上がり、春日かすが瑠璃るり金城かねしろ莉子りこ薩摩さつま芳乃よしのら強者達に次ぐベスト4として大いに名を上げることになる。

 そして、天下に名高き「七光」の一人、「飛翔ひしょうのマリカ」の二つ名とともに、中学、高校のスクールアイドル界を大いに盛り上げる存在となっていくのだが――

 それはまた、別の物語。いつか母達の活躍と同じ本に収められる、彼女の未来の物語である。



(Extra Album:誇りのトキ 完)

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