Track 04. 天と地

『さあ、準決勝第二試合、判定の瞬間です! 決勝戦への切符を手にするのは、博多の七光ななひかり桜花おうかのヨシノ」か、元子役アイドル「灼熱のユイ」か! 判定は――審査員票、会場票、データリンク票、いずれも火群ほむら結依ゆいの勝利! 「ELEMENTSエレメンツ」火群結依、決勝進出決定――!』


 ハイテンションなアナウンスが鼓膜を震わせ、弾けるような歓声が満員の客席から木霊こだまする。頬を上気させ、カメラ目線で笑顔を見せる結依の姿に、和希かずきは思わずぐっと拳を握っていた。

 戦いに敗れた薩摩さつま芳乃よしのが肩を震わせてステージを後にし、結依は客席に向かって手を振りながら出場者席に戻っていく。いよいよ、残すは決勝戦のみ――。


「あの子、遂にここまで来たわね」


 和希の隣で、北村きたむらが筋肉質の腕を組んで言った。和希はトーナメント表の映し出された大画面を見上げ、彼に答える。


「ここまでは指宿すっきーのシナリオ通りだろ。問題はこっからだ」


 春日かすが瑠璃るりの欠場には助けられたかもしれないが、結依の実力なら、ここまで勝ち上がるのは想定の範囲内。

 最初こそ、浮遊フィールドの存在を目の当たりにして戦意喪失しかけたかに見えた結依だったが、僅かな間に立て直し、一回戦から三回戦まで危なげない勝利を積み重ねている。そう、ここまではいいのだ。問題はこの後……。

 ある意味、この後の決勝戦こそが、今夜の結依にとって最初で最後の本当の戦い。大人達の描いたシナリオを覆し、強敵、指宿いぶすきひとみを打ち破ることができるか。全ては結依の技術スキルと心、そして和希じぶんの書いたオリジナル曲にかかっている。


「……大丈夫ですよ。ユイちゃんは勝ってくれます」


 横から言ってきたのは網野あみのあいりだった。部長の千葉ちば華子はなこも、各々の戦いを終えたみなとマリナと逆瀬川さかせがわ怜音レオンも、このベンチエリアに集い、結依の最後の戦いを見届けようとしている。


「そうよ。ユイちゃんに勝っていいのはあたしだけなんだからね」

「マリナ先輩の夢物語はともかくとして」


 息巻くマリナをさらりとあしらい、怜音が真剣な目で言った。


「指宿瞳の力は確かに本物だが、ユイちゃんには幼い頃からテレビの世界で戦ってきた経験がある。紙一重の戦いでは、きっとその差が勝負を分けるはず……」

「……そうだよね。わたしも信じてる。ユイちゃんは負けないって」


 華子までもが結依の勝利を疑わないコメントを重ねたので、和希はついつい口を挟みたくなった。


「やめとこうぜ、先輩達。そういうの、負けフラグって言うんだよ」


 戦う前から味方に散々持ち上げられるのなんて、これから負けますと言っているようなもの。彼の頭に刻まれた作劇のセオリーが告げている。誰かがここで調和を図らねばならないと。


「今夜の物語の主人公は、あくまで指宿瞳あちらさんなんだからさ」

「だけど……ユイちゃんなら」


 華子が構わず言葉を被せてきたところで、ふいにスタジオの照明が落ち、客席内とステージ上の大画面が一際明るく輝いた。

 画面に「School Idol New Stars」のロゴが流れた後、青みがかった街中の映像とともに始まるのは、落ち着いた男の声によるナレーション。


『今から三年前――。九州・博多のとある芸能専門学校に、一人のが視察に訪れた。我が国初のアイドル出身国会議員にして、当時三度目の入閣を果たしたばかりであった、内閣府芸能担当大臣、指宿いぶすきリノである――』


 専門学校のビルを垂直移動ティルトで見上げ、カットが建物内に切り替わる。和希はフンと鼻を鳴らして画面を睨んだ。

 静まり返った観客達が熱心に見入るそれは、指宿リノ自身の出演による再現VTR――。


『一通りの視察を終え、指宿が学校を後にしようとした時、受付で一人の少女の姿が目に留まった。少女は中学のセーラー服を着て、受付の担当者に、何かを必死に訴えていた――』


 少女の背中がVTRに映る。顔を正面から映さないカメラワークだが、これもまた指宿瞳本人であることは一瞬で察せられた。


『「この学校に入れてください。わたし、声優になりたいんです」』

『「こないだも言うたばってん、月謝ば払えんのにレッスンなんか受けさせられんとよ」』

『「お金は出世払いで返します。わたし、必ず一流になってみせます。だから――」』


『目に涙を溜めて受付に食い下がる少女の姿に、指宿は何かを感じて足を止めた――』


『「あの子は何?」』

『「近くの養護施設の子らしいんですが……当校ウチで学びたいと言って聞かないんです。とはいえ、ウチも慈善事業ではありませんので、身寄りもなくお金も払えない子を受け入れるわけには……」』

『「そう」』


『指宿は少女に歩み寄り、声を掛けた――』


『「あなた、声優になりたいの?」』

『「……はい」』

『「どうして?」』

『「……アニメとか、好きだから」』

『「違うわね。?」』

『「……違う世界に行きたいから。違う自分になれたら、誰かが愛してくれるかもしれないから……」』


『少女の濡れた瞳が指宿を見上げてきた。瞬間、女王の勘が告げていた。――』


『「大臣。次の視察の時間が――」』

『「遅らせなさい。わたしが総理から仰せつかった仕事は、芸能立国たる我が国の未来を輝かせることよ」』


『「あなた、名前は?」』

『「香川かがわひとみ……」』

『「いい名前ね。――あなたは今日から指宿いぶすきひとみよ」』

『「えっ……?」』

『「声だけなんて勿体無いわ。あなたはアイドルになりなさい。わたしがあなたを、にしてあげる」』


 女王の言葉に少女がハッと目を見開くところで、初めてカメラは少女の顔を映した。

 

『その日から三年。神に翼を与えられた少女は、今宵、スクールアイドルの若き新星達の頂点に立つことはできるのか――』


 画面に映るのは、「Venus+ヴィーナスプラス」の水色のステージ衣装に身を包み、指宿リノからマイクを手渡される指宿瞳の姿。

 あまりに白々しい演出に、和希は舌打ちを隠せなかった。

 それから、画面には申し訳程度に結依の子役アイドル時代の映像も映し出され、「二人の運命の少女がここに相見える」などと適当な煽り文句のナレーションが続いた。

 テレビの企画である以上、脚本ホンがあるのは当たり前だが、それにしても……。

 結依と指宿瞳が決勝で激突することが最初から仕組まれていたかのような淀みない演出には、失笑を禁じ得ない。

 流石に、春日瑠璃と薩摩芳乃の分くらいはVTRを用意してあったのだろうが、いずれにせよ、大人達の中では、今夜のドラマの結末はもう決まっているのだ。


『スクールアイドル・ニュースターズ、遂に決勝戦です! 激戦を制し、ラストバトルに駒を進めたのはこの二人! 燃える炎を纏う灼熱のアイドル、「ELEMENTS」火群結依! そして、銀河の重力を宿す愛の女神、「Venus+ヴィーナスプラス」指宿瞳! 新人スクールアイドルの最強を決する戦いの火蓋が今、切って落とされます!』


 画面の表示が二人のプロフィール写真の並びに切り替わり、会場の盛り上がりが最高潮に達する中、結依と瞳がそれぞれステージに上がる。

 汗にきらめく長髪を炎の如く揺らめかせ、燃える両眼で敵を見据える火群結依と、超然たる視線で彼女を見つめ返す指宿瞳。二人の間にびりびりと張り詰める空気の鋭さが、和希の肌までも刺してくるようだ。

 準決勝までと異なり、決勝はスクールアイドルの団体戦と同じ三セット勝負。結依には、この時のために準備を整えてきた必殺のセットリストがある――。


「……勝てるよな、ユイ」


 無意識の内に呟いた言葉に、一瞬遅れて意識が追いつく。先程の発言と矛盾するその呟きは北村や華子達の耳にも届いたはずだが、茶々を入れてくる者など一人も居なかった。

 握った拳に汗が滲む。「手に汗握る」という文字通りの表現の意味を、今更ながら実感する。


『決勝戦、三番勝負! 先攻は「Venus+ヴィーナスプラス」指宿瞳!』


 周囲の観客の熱狂が暑苦しく鼓膜を打つ。準決勝と同じ裾長の衣装を纏い、マイクを手にした指宿瞳が、上手かみてから静かにステージの中心に歩み出てくる。

 客席のあちこちから彼女の名を呼ぶ声が上がる中、瞳は穏やかな笑みを浮かべて会場全体を見渡していた。

 和希はそんな彼女の様子に眉をひそめた。妙だ。持ち時間のカウントはもう始まっているのに、一向に音楽の鳴り始める気配がない。それに、今回はあの浮遊フィールドは使わないのか……?


「何だ……?」


 客席も僅かにざわめいている。まさか音響機器の故障ということもないだろうに――と、和希が敵の真意を測りかねていた、その時。

 瞳はやっと右手のマイクを口元に持ち上げ、すう、と息を吸い込んだ。

 そして、彼女は歌い始める。腕の振り一つ無く、ただその場に直立したままで。


「ココロの響きをListeningリスニング――あなたの想いが知りたい――」


 無伴奏アカペラだと……?


「アタマの――奥まで――聴かせてね――」


 ビブラートを利かせた美声を響かせ、瞳はオリジナル曲と思しき歌詞を紡いでいく。

 客席はしいんと静まり返っていた。恐らく半分は瞳の歌声に心を奪われて。もう半分は、大音響の中で天を駆けていた先程までの彼女のパフォーマンスとの、あまりのギャップに呆気に取られて。

 まさかとは思うが、彼女は結依を挑発しているのだろうか。春の大会の予選、結依が最後に見せたアカペラのパフォーマンスになぞらえて。純粋な歌唱力でも自分の方が上であると……?

 やがて瞳は一曲を歌い終え、客席に向かって小さくお辞儀をした。最後までステップの一つも踏まないまま――。


「馬鹿にしてくれるなよ……!」


 和希は奥歯を噛み締めた。確かに瞳の歌は上手い。だが、ダンスも音響も無しの生歌だけで勝てると思っているのなら、結依を舐めているにも程がある。

 敵がどんなつもりかは知らないが、結依は、神奈川の歌姫ディーヴァと呼ばれる成田なりた梨央りおを二回戦で破っている。歌唱力の高さだけで勝てるほど、「灼熱のユイ」の炎はぬるくない!


「蹴散らせ、ユイ!」


 その声が届いたわけでもないだろうが、下手しもてに立つ結依の目がかっと灼熱の色に見開かれるのを、和希は確かに見た。

 後攻のパフォーマンスが始まる。きらめく星々のように溢れ出すメロディに乗り、結依がステージの床を蹴る。軽快なステップ、躍動感に満ちた振り付け。観客がすぐさまその曲に気付き、テンション高く掛け声ミックスを打ち始める。

 このトーナメント用の手札にただ一曲だけ組み込んだ、秋葉原エイトミリオンのコピー曲。三番勝負とわかっていた決勝戦の一曲目にこの曲を持ってきたことには、ちゃんと意味がある。

 これは、結依が初めて秋葉原の劇場で聴いたという曲。幼き日の彼女が初めてアイドルの衝撃に心を震わせた、全ての始まりの一曲――!

 恋の予感を重力の渦にたとえたその歌詞を、燃えるような結依の歌声が共感シンパシーたっぷりに歌い上げる。大画面に映る結依の笑顔に、和希は彼女の勝利を信じて拳を握る。

 負けフラグが何だ。大人達のシナリオが何だ。そんな常識を覆すために結依おまえはここに来たんだろう。

 見せてやれ。無限の重力で観客の心を惹き付けるのは、指宿瞳アイツの専売特許じゃないことを!


「二人の星間せいかんグラビティ――君の引力に呼ばれ――何百光年が今ゼロになる――!」


 サビに入り、結依が纏う烈火は一際激しく燃え上がる。音楽の神ミネルヴァが起こす風に乗せ、灼熱の渦が舞台ステージから客席へ殺到する!


「二人の星間グラビティ――無数の光引き連れ――君の待ってるあの惑星ほしへ――!」


 歌唱を終え、ステージの中心でびしりと見得を切った結依に、滝のような拍手喝采が降りかかる。


『判定は――審査員票、会場票、データリンク票、ともに火群結依の勝利!』

「っしゃっ!」


 和希は反射的に声を上げていた。横では華子やマリナ達も手放しで喜んでいる。

 蓋を開けてみれば一曲目は結依の圧勝。なんだ。案外行けるんじゃないか……?


「……厳しいわね。見なさいよ、あれ」


 そこで、北村が顎髭あごひげを撫ぜながら大画面を指差した。和希は促されるままその表示を見て、数秒前には見逃していたその意外な景色に目を見張った。

 審査員票とデータリンク票は大差で結依の勝利。だが、この会場の観客票は、指宿瞳四十九パーセント対、火群結依五十一パーセントの僅差――。

 そんな馬鹿な。いくら相手はオリジナル曲だと言っても。結依の渾身のダンスパフォーマンスよりも、あのアカペラの方を推した観客が半分もいるというのか……?


「――ッ!」


 画面に気を取られていた次の瞬間、脳天を殴るような爆音が会場を揺らした。先攻、指宿瞳の二曲目が始まったのだ。


「思い出の奥で振り向いた――在りし日の君に問いかける――」


 ステージに躍り出た瞳は、先程の裾長の衣装からミニスカート仕立ての衣装に早変わりしていた。一曲目の直立不動のアカペラが嘘だったかのように、彼女の細い足は軽やかにステージの上を跳ね、その華奢な体は素早いターンを淀みなく決めてみせる。ふわりと浮き上がるスカートに観客達が目を奪われた刹那、漆黒の尾を引く視線が客席の全周に振りまかれる。


「……コイツ、まさか……!」


 大画面に堂々と映し出される瞳のパフォーマンスを見て、和希はざわめく胸元を手で押さえた。

 一曲目のアカペラどころか、準決勝までのどの戦いとも段違いの歌唱とダンス。結依がステージに打ち立てた灼熱の砦を吹き飛ばすかのように、瞳のダンスの一挙手一投足が会場に流星の帯を引き、歌詞の一節一節が客席を真空の渦に包み込む。

 まさか――。

 明らかに手抜きに見えた、あのアカペラは――

 三番勝負を一勝一敗で盛り上げるため、わざと結依に一曲目を勝たせたのか。二曲目以降、絶対に自分が負けることはないと踏んで……?


とはやってくれるじゃねえか……チート主人公様よぉ……!」


 自分のシャツの襟元をぐっと握り締め、和希は画面の中の指宿瞳を睨み上げる。

 いや、真に見るべきは客席の様子だった。色とりどりの照明がくるくると周回する、幾千人の客席スタンドで――

 ステージの指宿瞳から視線を向けられた観客達が、次々と魂を抜かれてゆく。

 振り付けの流れで自然に視線レスを振られた観客が。熱唱の最中さなかにたった一瞬見つめられた観客が。

 目を見開き、口を半開きにし、胸を押さえ――

 瞳の名を大声で絶叫コールする、敬虔な信者ファンと化してゆく――!


「……くっ……!」


 瞳がパフォーマンスを終えたとき、会場は瞳への賛美の濁流に飲まれていた。

 彼女が上手かみてへ戻ってからも、その大音声だいおんじょうの渦は静まらない。後攻の結依の音楽が鳴り始めてからも、瞳の名を呼ぶファンの声はまだ尽きない。

 そんな中、結依は――。


「――みんなの心に、火をつけます!」


 臆せずマイクに声を吹き込み、結依は歌い始めた。

 二曲目は子役アイドルとしてのデビュー曲。一曲目からの流れで、アイドルに憧れた女の子が子役アイドルとして鮮烈のデビューを果たす、彼女の人生を象徴するようなセットリスト。

 燃える笑顔を振りまいて歌い踊る結依の姿は、ここまでで一番輝いている。

 だが――。


「客席はもう……瞳ちゃんに飲まれてる」


 北村の呟きが和希の耳に入った。無数の観客達の声が和希にも伝わってくるようだった。


 ――子役アイドルはもういいよ。もっと瞳ちゃんの歌を聴かせろ――。


 結依はあんなに激しく踊っているのに。あんなに眩しい笑顔を皆に向けているのに。

 結依の名をコールする客席の声は、一曲目のときと比べると絶望的に少なかった。

 だが、なぜだ。なぜ、指宿瞳に容易く鞍替えする程度の観客が、逆に結依のパフォーマンスには振り向かない……?


「なんでだ!? 敵にできるなら、結依アイツにだって同じことができるはず……!」

「無理よ」


 北村の言葉が、ぐさりと和希の心に差し込まれた。


「あの子の技術スキルの基盤は子役時代に形作られたもの。あの子は……ユイちゃんは、ずっと、


 その一言に、和希はハッとなってステージ上の結依を見た。

 魂の籠もった歌声。全身全霊のダンスパフォーマンス。可憐な輝きを宿したアイドルスマイル。

 だが――その笑顔は、どこに向いている――?


「圧倒的な場数の差……。じかにファンと触れ合った経験なら、ユイちゃんはそこらのローカルアイドルにすら劣る……」


 死神の手で心臓を鷲掴みにされるような寒気を感じながら、和希は改めて結依の笑顔に注目する。

 その燃える瞳は、会場のを見ているが――しかし、


「これがアイツの…………!?」


 確かに結依は幼い頃から笑顔を振りまいてきた。テレビの向こうの「みんな」に向かって。いや、撮影スタジオの無機質なカメラに向かって。

 それが結依のキャリアの全てなのだ。

 生身の客と心を通わせた経験が、彼女には絶対的に不足している……!


「そんな。だってあの子、屋上に居たあたしに目線レス送ってきたのよ!?」


 マリナが和希の背中越しに北村に噛み付いていた。だが、北村は残念そうな目で首を振る。


「それは、アナタという子がそこにいるのを知ってたからでしょ。知らないお客さんをその場で掴むスキルは……今のあの子にはない……」

「でも、だって、指宿瞳だって本番はこれが初めてなんじゃないの!?」


 甲高いマリナの声に、北村はまた首を横に振った。先程よりも強く、重い動きで。


「あの子は知らない人と握手し続けてきたのよ。三年間、ずっと」


 北村の言葉よりも早く、和希は思い出していた。ネットに溢れる指宿瞳の笑顔の写真を。


養母ははおやの政治活動に連れ回される中で、あの子はお遊びじゃない本物のファン対応を身に付けた……。――そう、指宿瞳は、よ」


 気付けば結依のパフォーマンスは終わっていた。一曲目とは打って変わり、判定は三つの指標とも大差で指宿瞳の勝ちとなった。

 全力のパフォーマンスに息を切らした結依の表情が。失意に折れかける心を必死に繋ぎ止めているようなその表情が、和希の胸をも強く締め付ける。

 そして、指宿瞳の三曲目――。

 大音響のメロディを潰さんばかりに溢れかえる掛け声コールを受けて、神の申し子が歌い始めたのは、一回戦と同じ持ち歌。所属グループ名と同名の一曲、「Venus+ヴィーナスプラス」だった。


「夢の向こうの――知らない世界――お姫様みたいな――あの君に――」


 銀河の輝きを宿したその瞳が、会場を騒然たる熱狂の渦に包み込む。

 和希は強く拳を握り、今にもになる心をギリギリのところで押さえつけた。

 もう浮遊フィールドは使っていないのに――

 その背中にはまるで、天使の翼が見えるようで――!


「きっとどこかで――会えるその日を――理由ワケも根拠もなく――信じてた――」


 ここに至り、和希はようやく理解していた。先程の一曲目。指宿瞳はなぜ、評点に有利になるはずもない、振り付け無しのアカペラなど選択してきたのか。

 一勝一敗で三曲目を迎えるための舐めたプレイなんかじゃない。無論、意図せず悪手を打ったのでも、理由なく手を抜いていたのでもない。

 彼女はのだ。客席に溢れる無数の声を。


「あの一曲目……アイツは布石を打ったんだ……」


 大音響に邪魔されることもなく、ダンスに気を取られることもなく、彼女は見極めていたのだ。自分に歓声を送る観客が、どこにどれだけ居るか。

 いや、違う――


「自分の信者ファンを見てたんじゃない。結依を応援する観客を見定めてたんだ……!」


 そして、二曲目のパフォーマンスで、彼女は結依の支持者達を狙い撃ちにしてきた。視線の重力で心を引き寄せ、自分にさせるために!


 自分も結依も――いや、指宿瞳以外の誰一人として、今の今まで、今夜の戦いの意味を正しく理解していなかったのかもしれない。

 これはスクールアイドルの公式戦とは違う。パフォーマンスの上手さを競うとは異なる、血で血を洗う真剣ガチだ。

 では、アイドルにとって、勝負とはどういうことか?

 それは上手く歌うことでも、激しく踊ることでもない。衣装や舞台装置を見せびらかすことでもなければ、曲の優劣を競うことでもない。

 アイドルにとって、勝利の意味はただ一つ――

 使


「化け物め……!」


 指宿瞳は育てられてきたのだ。アイドルの歴史上、最もそれが得意だった人物に。


「やっとキミに、キミに、キミに――この世界で巡り会えた――まだ見ぬその――瞳を探してた――」


 神の申し子のまばゆいオーラが、サビに入って一際その輝きを増す。

 心を繋ぎ止めておかなければ。万物を飲み込むブラックホールの如きその瞳に。

 どんなに悔しくても、頭が否定するより先に心が認めてしまう。

 あれが――

 あれが、本物。

 あれが、アイドル――!


「やり返すしかない……」


 結依がここから逆転する手段はただ一つ。同じことをするしかない。取られた分だけ、取り返すしか。

 曲の切り替わる瞬間が最後のチャンスだ。瞳の名を呼ぶファンの声援を聴き分け、切り札の一曲で奪い返すのだ。


「お前ならできるだろ、ユイ……! お前にだって同じことが――」

「……できないよ」


 ハッと水を浴びせられたような気がした。声の元を振り向くと、華子が寂しげな目でステージを見つめていた。


「!」


 その一瞬で、和希も思い返した。

 忘れていたわけではない。

 ただ、結依のパフォーマンスがあまりに自然だったから。あまりに弱みを感じさせなかったから。

 一瞬、和希の頭からは抜け落ちていたのだ。が――。


「アイツ……アイツは……!」


 ――結依アイツには、できない。指宿瞳と同じ手でやり返すことは。

 自分を応援してくれる人の声も。敵に興味を向けている人の声も。

 彼女には。会場に溢れる声の何一つとして……!


 激しい熱狂の中心で、指宿瞳が三曲目のパフォーマンスを終える。

 結依の三曲目は和希が作詞したオリジナル曲。秋葉原エイトミリオンの往年の公演曲のメロディに乗せ、亡き美鈴みれいとの絆、そして結依の受け継いだ夢を歌い上げる自信作だ。

 エイトミリオンを生み出した大物プロデューサーの作詞に自分如きが敵うはずもないが、それでも、三十年も昔の赤の他人のために書かれた歌詞よりは、専用ワンオフのこの一曲の方が何倍も結依の魅力を輝かせるはず。決勝戦のセットリストにこの曲を組んだ時には、和希も結依もそれを確信していたのだ。

 だが、それも今となっては――。


「みんな、受け止めて! わたしの炎を!」


 最後まで諦めない目の色でステージに飛び出した結依に、客席の反応は冷たかった。

 ぞわり、と嫌な悪寒が和希の背中を撫ぜる。満員の客席からこんな声が聴こえる気がする。


 ――って、誰だよ……。


「ッ……!」


 真空の宇宙では、炎は燃やせない。

 ここまで来て、結局、なすすべなく負けるのか……!


 だが、結依は諦めていない。その目が、その笑顔が、最後の瞬間まで諦めないと叫んでいる。

 ならばせめて、自分も諦めたくないと思った。結依が諦めず声を張り上げる限り。

 アップテンポなメロディに身を委ね、結依の最後の一曲が始まる。誰の真似コピーでもない、彼女の全てを詰め込んだ、切り札の一曲が。


 しかし、それでも――。


「……ユイちゃん」

「諦めるな……」

「あなたはそんなもんじゃないでしょ……!」


 あいりが、怜音が、マリナが、口々に送るその声援も。


「負けないで、ユイちゃん!」


 華子が身を乗り出して叫んだ、その声も。

 四面楚歌のステージで必死に歌い踊る結依の耳には、永遠に届くことがない――。


「ユイ……」


 結依の姿を見ていられなくなって、和希がそっとステージから目を離したとき――

 上手かみてに控える指宿瞳と、引き寄せられるように目が合った。


「……!」


 その瞬間、和希は理解してしまった。この戦いの勝敗を。


「クソッ……!」


 自分の視界が何か温かいものに滲むのを、和希は意識の片隅で感じた。

 そして、結依の最後の一曲が終わりを迎える。誰の祈りも受け止められぬままに――。



 偶像とは――

 人が神と繋がるために作り出した、神の形代かたしろ


 祈りを捧げる人の声をこそが、その存在意義――。


 世界に溢れる全ての声と切り離された彼女には、

 その役目を果たすことは、決して――。



『スクールアイドル・ニュースターズ、遂に決着の瞬間です! 決勝戦、三曲目の判定は――審査員票、指宿瞳! 会場票、指宿瞳! そしてデータリンク票、指宿瞳! 「Venus+ヴィーナスプラス」指宿瞳、トーナメント優勝決定――!』


 膝の上で握った拳に、ぽたりと立て続けに何かが落ちる。

 自分の視界を邪魔するものを拭いたくはなかった。そうしたら、結依の見たくない姿を見てしまうから――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「まあ、とっくにキャリアの終わった子がよく頑張ったよな」

「ええ、女王の娘相手に大健闘ですよ。視聴率すうじも凄いことになってます」


 スタジオを出た無人の廊下の向こうで、そんな声が通り過ぎていく。和希はひとり廊下に立ち尽くし、悔しさに握った拳を傍らの壁に叩き付けていた。

 じいんと拳に伝わる痛みが、余計に惨めさを煽る。

 何もできなかった。自分には、何も……!


「クソッ……!」


 結依に欠けているものはオリジナリティだけだと勝手に思い込んで。散々、皆の前で息を巻いて、偉そうな大口を叩いて。

 その結果がこのざまだ。自分の作った歌詞など、勝敗に絡みすらしなかった。

 確かに、オリジナリティも結依の伸びしろの一つではあっただろう。だが、それは勝利への最後のピースなどではなかった。指宿いぶすき大臣の言っていた「足りないもの」とは、もっと根本的な、アイドルとしての存在の根幹に関わることだった……!


「何を一丁いっちょ前に悔しがってんのよ、お子様が」


 背後からの北村の声に、和希は反射的に振り向いた。スタジオに繋がる無人の廊下に、彼は腕を組んで仁王立ちしていた。


「アンタ、まだ持ってるでしょ? 生まれながらの最強の武器カードをあの子のために切ってあげたらいいじゃないの」

「……今さら、そんな恥ずかしいマネできるかよ」


 和希は拳を壁に当てたまま答えた。自分の心の淀みを吐き捨てるように。

 自分は自分だけの力で結依を助けたかった。親の七光とは関係なく、自分だけの努力で磨いた文才スキルで。


指宿すっきーの言う『足りないもの』とは違うだろうけどさ。アタシ、あの子に一番足りてないのは、大人の助けだと思うわよ。千里せんりうまは常にれども――ってね」

伯楽はくらくは、常にはらず……」


 考えて答えたわけではない。和希の唇はただ独りでに格言の続きを再生していた。

 さすが先生、と軽い調子で言って、北村は言葉を続けてくる。


「だけど、アンタがどんなに天才でも、出版社アタシらが見つけなきゃその才能は世に出なかったのよ。あの瞳ちゃんだって、指宿すっきーと出会わなきゃ今でも施設暮らしでしょ」


 和希の脳裏に先程のVTRが蘇る。指宿リノが偶然その場を訪れることがなければ、指宿瞳の人生はどうなっていたのだろうか……?


指宿すっきー自身だってそう。神田かんだアツコも壬生町みぶまちユーコも、も、エイトミリオンのオーディションがなかったら今頃、子供を自転車チャリンコ幼稚園こどもえんに送って、ダンナのワイシャツを洗濯して、ママ友と愚痴を言い合ってたかもしれないのよ」

「……いや、計算がおかしいだろ。今頃って言うなら子供は高校生じゃん」

「やかましいわ、クソガキ。……アタシの言いたいこと、わからないわけじゃないでしょ」


 北村に真剣な目で見据えられ、和希は抗えず頷いていた。


「手札が尽きたと思い込むのは早いんじゃない? アンタが本気であの子の力になりたいならさ」


 それだけ言うと、大きな手をひらひらと振って、北村は部員達が待つスタジオへと戻っていく。


「……」


 和希はそのまま廊下に立ち尽くしていた。

 これまでの僅か十六年の人生のことが、ぐるぐると何度も脳内で渦を巻いていた。子役スクールで結依と出会った幼少期のこと。親と違う道を行きたいと思い始めた頃のこと。一心不乱に小説に打ち込み始めた頃のこと……。 

 何度も逡巡して、結局、和希は携帯ミラホの画面を押していた。

 本気で結依の助けになりたければ、もう、それしかないとわかっているから。


「母さん……。今日は家に居んの?」


 電話の向こうの母の声は、自分がどんなに反発しても決して変わることのない、優しく落ち着いた大人の声だった。


「……俺も今日はそっちに帰るよ。ちょっと……頼みたいことがあるからさ」


 勇気を振り絞って口にしてみると――

 それは、思ったよりも恥ずかしくない言葉だった。



(6th Single:強敵 完)

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