Track 04. 天と地
『さあ、準決勝第二試合、判定の瞬間です! 決勝戦への切符を手にするのは、博多の
ハイテンションなアナウンスが鼓膜を震わせ、弾けるような歓声が満員の客席から
戦いに敗れた
「あの子、遂にここまで来たわね」
和希の隣で、
「ここまでは
最初こそ、浮遊フィールドの存在を目の当たりにして戦意喪失しかけたかに見えた結依だったが、僅かな間に立て直し、一回戦から三回戦まで危なげない勝利を積み重ねている。そう、ここまではいいのだ。問題はこの後……。
ある意味、この後の決勝戦こそが、今夜の結依にとって最初で最後の本当の戦い。大人達の描いたシナリオを覆し、強敵、
「……大丈夫ですよ。ユイちゃんは勝ってくれます」
横から言ってきたのは
「そうよ。ユイちゃんに勝っていいのはあたしだけなんだからね」
「マリナ先輩の夢物語はともかくとして」
息巻くマリナをさらりとあしらい、怜音が真剣な目で言った。
「指宿瞳の力は確かに本物だが、ユイちゃんには幼い頃からテレビの世界で戦ってきた経験がある。紙一重の戦いでは、きっとその差が勝負を分けるはず……」
「……そうだよね。わたしも信じてる。ユイちゃんは負けないって」
華子までもが結依の勝利を疑わないコメントを重ねたので、和希はついつい口を挟みたくなった。
「やめとこうぜ、先輩達。そういうの、負けフラグって言うんだよ」
戦う前から味方に散々持ち上げられるのなんて、これから負けますと言っているようなもの。彼の頭に刻まれた作劇のセオリーが告げている。誰かがここで調和を図らねばならないと。
「今夜の物語の主人公は、あくまで
「だけど……ユイちゃんなら」
華子が構わず言葉を被せてきたところで、ふいにスタジオの照明が落ち、客席内とステージ上の大画面が一際明るく輝いた。
画面に「School Idol New Stars」のロゴが流れた後、青みがかった街中の映像とともに始まるのは、落ち着いた男の声によるナレーション。
『今から三年前――。九州・博多のとある芸能専門学校に、一人の大物が視察に訪れた。我が国初のアイドル出身国会議員にして、当時三度目の入閣を果たしたばかりであった、内閣府芸能担当大臣、
専門学校のビルを
静まり返った観客達が熱心に見入るそれは、指宿リノ自身の出演による再現VTR――。
『一通りの視察を終え、指宿が学校を後にしようとした時、受付で一人の少女の姿が目に留まった。少女は中学のセーラー服を着て、受付の担当者に、何かを必死に訴えていた――』
少女の背中がVTRに映る。顔を正面から映さないカメラワークだが、これもまた指宿瞳本人であることは一瞬で察せられた。
『「この学校に入れてください。わたし、声優になりたいんです」』
『「こないだも言うたばってん、月謝ば払えんのにレッスンなんか受けさせられんとよ」』
『「お金は出世払いで返します。わたし、必ず一流になってみせます。だから――」』
『目に涙を溜めて受付に食い下がる少女の姿に、指宿は何かを感じて足を止めた――』
『「あの子は何?」』
『「近くの養護施設の子らしいんですが……
『「そう」』
『指宿は少女に歩み寄り、声を掛けた――』
『「あなた、声優になりたいの?」』
『「……はい」』
『「どうして?」』
『「……アニメとか、好きだから」』
『「違うわね。どうして?」』
『「……違う世界に行きたいから。違う自分になれたら、誰かが愛してくれるかもしれないから……」』
『少女の濡れた瞳が指宿を見上げてきた。瞬間、女王の勘が告げていた。この少女は、天下を取れる――』
『「大臣。次の視察の時間が――」』
『「遅らせなさい。わたしが総理から仰せつかった仕事は、芸能立国たる我が国の未来を輝かせることよ」』
『「あなた、名前は?」』
『「
『「いい名前ね。――あなたは今日から
『「えっ……?」』
『「声だけなんて勿体無いわ。あなたはアイドルになりなさい。わたしがあなたを、愛の化身にしてあげる」』
女王の言葉に少女がハッと目を見開くところで、初めてカメラは少女の顔を映した。
『その日から三年。神に翼を与えられた少女は、今宵、スクールアイドルの若き新星達の頂点に立つことはできるのか――』
画面に映るのは、「
あまりに白々しい演出に、和希は舌打ちを隠せなかった。
それから、画面には申し訳程度に結依の子役アイドル時代の映像も映し出され、「二人の運命の少女がここに相見える」などと適当な煽り文句のナレーションが続いた。
テレビの企画である以上、
結依と指宿瞳が決勝で激突することが最初から仕組まれていたかのような淀みない演出には、失笑を禁じ得ない。
流石に、春日瑠璃と薩摩芳乃の分くらいはVTRを用意してあったのだろうが、いずれにせよ、大人達の中では、今夜のドラマの結末はもう決まっているのだ。
『スクールアイドル・ニュースターズ、遂に決勝戦です! 激戦を制し、ラストバトルに駒を進めたのはこの二人! 燃える炎を纏う灼熱のアイドル、「ELEMENTS」火群結依! そして、銀河の重力を宿す愛の女神、「
画面の表示が二人のプロフィール写真の並びに切り替わり、会場の盛り上がりが最高潮に達する中、結依と瞳がそれぞれステージに上がる。
汗に
準決勝までと異なり、決勝はスクールアイドルの団体戦と同じ三セット勝負。結依には、この時のために準備を整えてきた必殺のセットリストがある――。
「……勝てるよな、ユイ」
無意識の内に呟いた言葉に、一瞬遅れて意識が追いつく。先程の発言と矛盾するその呟きは北村や華子達の耳にも届いたはずだが、茶々を入れてくる者など一人も居なかった。
握った拳に汗が滲む。「手に汗握る」という文字通りの表現の意味を、今更ながら実感する。
『決勝戦、三番勝負! 先攻は「
周囲の観客の熱狂が暑苦しく鼓膜を打つ。準決勝と同じ裾長の衣装を纏い、マイクを手にした指宿瞳が、
客席のあちこちから彼女の名を呼ぶ声が上がる中、瞳は穏やかな笑みを浮かべて会場全体を見渡していた。
和希はそんな彼女の様子に眉を
「何だ……?」
客席も僅かにざわめいている。まさか音響機器の故障ということもないだろうに――と、和希が敵の真意を測りかねていた、その時。
瞳はやっと右手のマイクを口元に持ち上げ、すう、と息を吸い込んだ。
そして、彼女は歌い始める。腕の振り一つ無く、ただその場に直立したままで。
「ココロの響きを
「アタマの――奥まで――聴かせてね――」
ビブラートを利かせた美声を響かせ、瞳はオリジナル曲と思しき歌詞を紡いでいく。
客席はしいんと静まり返っていた。恐らく半分は瞳の歌声に心を奪われて。もう半分は、大音響の中で天を駆けていた先程までの彼女のパフォーマンスとの、あまりのギャップに呆気に取られて。
まさかとは思うが、彼女は結依を挑発しているのだろうか。春の大会の予選、結依が最後に見せたアカペラのパフォーマンスになぞらえて。純粋な歌唱力でも自分の方が上であると……?
やがて瞳は一曲を歌い終え、客席に向かって小さくお辞儀をした。最後までステップの一つも踏まないまま――。
「馬鹿にしてくれるなよ……!」
和希は奥歯を噛み締めた。確かに瞳の歌は上手い。だが、ダンスも音響も無しの生歌だけで勝てると思っているのなら、結依を舐めているにも程がある。
敵がどんなつもりかは知らないが、結依は、神奈川の
「蹴散らせ、ユイ!」
その声が届いたわけでもないだろうが、
後攻のパフォーマンスが始まる。
このトーナメント用の手札にただ一曲だけ組み込んだ、秋葉原エイトミリオンのコピー曲。三番勝負とわかっていた決勝戦の一曲目にこの曲を持ってきたことには、ちゃんと意味がある。
これは、結依が初めて秋葉原の劇場で聴いたという曲。幼き日の彼女が初めてアイドルの衝撃に心を震わせた、全ての始まりの一曲――!
恋の予感を重力の渦に
負けフラグが何だ。大人達のシナリオが何だ。そんな常識を覆すために
見せてやれ。無限の重力で観客の心を惹き付けるのは、
「二人の
サビに入り、結依が纏う烈火は一際激しく燃え上がる。
「二人の星間グラビティ――無数の光引き連れ――君の待ってるあの
歌唱を終え、ステージの中心でびしりと見得を切った結依に、滝のような拍手喝采が降りかかる。
『判定は――審査員票、会場票、データリンク票、ともに火群結依の勝利!』
「っしゃっ!」
和希は反射的に声を上げていた。横では華子やマリナ達も手放しで喜んでいる。
蓋を開けてみれば一曲目は結依の圧勝。なんだ。案外行けるんじゃないか……?
「……厳しいわね。見なさいよ、あれ」
そこで、北村が
審査員票とデータリンク票は大差で結依の勝利。だが、この会場の観客票は、指宿瞳四十九パーセント対、火群結依五十一パーセントの僅差――。
そんな馬鹿な。いくら相手はオリジナル曲だと言っても。結依の渾身のダンスパフォーマンスよりも、あのアカペラの方を推した観客が半分もいるというのか……?
「――ッ!」
画面に気を取られていた次の瞬間、脳天を殴るような爆音が会場を揺らした。先攻、指宿瞳の二曲目が始まったのだ。
「思い出の奥で振り向いた――在りし日の君に問いかける――」
ステージに躍り出た瞳は、先程の裾長の衣装からミニスカート仕立ての衣装に早変わりしていた。一曲目の直立不動のアカペラが嘘だったかのように、彼女の細い足は軽やかにステージの上を跳ね、その華奢な体は素早いターンを淀みなく決めてみせる。ふわりと浮き上がるスカートに観客達が目を奪われた刹那、漆黒の尾を引く視線が客席の全周に振りまかれる。
「……コイツ、まさか……!」
大画面に堂々と映し出される瞳のパフォーマンスを見て、和希はざわめく胸元を手で押さえた。
一曲目のアカペラどころか、準決勝までのどの戦いとも段違いの歌唱とダンス。結依がステージに打ち立てた灼熱の砦を吹き飛ばすかのように、瞳のダンスの一挙手一投足が会場に流星の帯を引き、歌詞の一節一節が客席を真空の渦に包み込む。
まさか――。
明らかに手抜きに見えた、あのアカペラは――
三番勝負を一勝一敗で盛り上げるため、わざと結依に一曲目を勝たせたのか。二曲目以降、絶対に自分が負けることはないと踏んで……?
「舐めプとはやってくれるじゃねえか……チート主人公様よぉ……!」
自分のシャツの襟元をぐっと握り締め、和希は画面の中の指宿瞳を睨み上げる。
いや、真に見るべきは客席の様子だった。色とりどりの照明がくるくると周回する、幾千人の
ステージの指宿瞳から視線を向けられた観客達が、次々と魂を抜かれてゆく。
振り付けの流れで自然に
目を見開き、口を半開きにし、胸を押さえ――
瞳の名を大声で
「……くっ……!」
瞳がパフォーマンスを終えたとき、会場は瞳への賛美の濁流に飲まれていた。
彼女が
そんな中、結依は――。
「――みんなの心に、火をつけます!」
臆せずマイクに声を吹き込み、結依は歌い始めた。
二曲目は子役アイドルとしてのデビュー曲。一曲目からの流れで、アイドルに憧れた女の子が子役アイドルとして鮮烈のデビューを果たす、彼女の人生を象徴するようなセットリスト。
燃える笑顔を振りまいて歌い踊る結依の姿は、ここまでで一番輝いている。
だが――。
「客席はもう……瞳ちゃんに飲まれてる」
北村の呟きが和希の耳に入った。無数の観客達の声が和希にも伝わってくるようだった。
――子役アイドルはもういいよ。もっと瞳ちゃんの歌を聴かせろ――。
結依はあんなに激しく踊っているのに。あんなに眩しい笑顔を皆に向けているのに。
結依の名をコールする客席の声は、一曲目のときと比べると絶望的に少なかった。
だが、なぜだ。なぜ、指宿瞳に容易く鞍替えする程度の観客が、逆に結依のパフォーマンスには振り向かない……?
「なんでだ!? 敵にできるなら、
「無理よ」
北村の言葉が、ぐさりと和希の心に差し込まれた。
「あの子の
その一言に、和希はハッとなってステージ上の結依を見た。
魂の籠もった歌声。全身全霊のダンスパフォーマンス。可憐な輝きを宿したアイドルスマイル。
だが――その笑顔は、どこに向いている――?
「圧倒的な場数の差……。じかにファンと触れ合った経験なら、ユイちゃんはそこらのローカルアイドルにすら劣る……」
死神の手で心臓を鷲掴みにされるような寒気を感じながら、和希は改めて結依の笑顔に注目する。
その燃える瞳は、会場のみんなを見ているが――しかし、誰のことも、見ていない。
「これがアイツの……足りないもの……!?」
確かに結依は幼い頃から笑顔を振りまいてきた。テレビの向こうの「みんな」に向かって。いや、撮影スタジオの無機質なカメラに向かって。
それが結依のキャリアの全てなのだ。
生身の客と心を通わせた経験が、彼女には絶対的に不足している……!
「そんな。だってあの子、屋上に居たあたしに
マリナが和希の背中越しに北村に噛み付いていた。だが、北村は残念そうな目で首を振る。
「それは、アナタという子がそこにいるのを知ってたからでしょ。知らないお客さんをその場で掴むスキルは……今のあの子にはない……」
「でも、だって、指宿瞳だって本番はこれが初めてなんじゃないの!?」
甲高いマリナの声に、北村はまた首を横に振った。先程よりも強く、重い動きで。
「あの子は知らない人と握手し続けてきたのよ。三年間、ずっと」
北村の言葉よりも早く、和希は思い出していた。ネットに溢れる指宿瞳の笑顔の写真を。
「
気付けば結依のパフォーマンスは終わっていた。一曲目とは打って変わり、判定は三つの指標とも大差で指宿瞳の勝ちとなった。
全力のパフォーマンスに息を切らした結依の表情が。失意に折れかける心を必死に繋ぎ止めているようなその表情が、和希の胸をも強く締め付ける。
そして、指宿瞳の三曲目――。
大音響のメロディを潰さんばかりに溢れかえる
「夢の向こうの――知らない世界――お姫様みたいな――あの君に――」
銀河の輝きを宿したその瞳が、会場を騒然たる熱狂の渦に包み込む。
和希は強く拳を握り、今にも持って行かれそうになる心をギリギリのところで押さえつけた。
もう浮遊フィールドは使っていないのに――
その背中にはまるで、天使の翼が見えるようで――!
「きっとどこかで――会えるその日を――
ここに至り、和希はようやく理解していた。先程の一曲目。指宿瞳はなぜ、評点に有利になるはずもない、振り付け無しのアカペラなど選択してきたのか。
一勝一敗で三曲目を迎えるための舐めたプレイなんかじゃない。無論、意図せず悪手を打ったのでも、理由なく手を抜いていたのでもない。
彼女は聴いていたのだ。客席に溢れる無数の声を。
「あの一曲目……アイツは布石を打ったんだ……」
大音響に邪魔されることもなく、ダンスに気を取られることもなく、彼女は見極めていたのだ。自分に歓声を送る観客が、どこにどれだけ居るか。
いや、違う――
「自分の
そして、二曲目のパフォーマンスで、彼女は結依の支持者達を狙い撃ちにしてきた。視線の重力で心を引き寄せ、自分に推し変させるために!
自分も結依も――いや、指宿瞳以外の誰一人として、今の今まで、今夜の戦いの意味を正しく理解していなかったのかもしれない。
これはスクールアイドルの公式戦とは違う。パフォーマンスの上手さを競う競技とは異なる、血で血を洗う
では、アイドルにとって、勝負とはどういうことか?
それは上手く歌うことでも、激しく踊ることでもない。衣装や舞台装置を見せびらかすことでもなければ、曲の優劣を競うことでもない。
アイドルにとって、勝利の意味はただ一つ――
どんな手を使ってでも、一人でも多くのファンを獲得することだ!
「化け物め……!」
指宿瞳は育てられてきたのだ。アイドルの歴史上、最もそれが得意だった人物に。
「やっとキミに、キミに、キミに――この世界で巡り会えた――まだ見ぬその――瞳を探してた――」
神の申し子の
心を繋ぎ止めておかなければ持って行かれる。万物を飲み込むブラックホールの如きその瞳に。
どんなに悔しくても、頭が否定するより先に心が認めてしまう。
あれが――
あれが、本物。
あれが、アイドル――!
「やり返すしかない……」
結依がここから逆転する手段はただ一つ。同じことをするしかない。取られた分だけ、取り返すしか。
曲の切り替わる瞬間が最後のチャンスだ。瞳の名を呼ぶファンの声援を聴き分け、切り札の一曲で奪い返すのだ。
「お前ならできるだろ、ユイ……! お前にだって同じことが――」
「……できないよ」
ハッと水を浴びせられたような気がした。声の元を振り向くと、華子が寂しげな目でステージを見つめていた。
「!」
その一瞬で、和希も思い返した。
忘れていたわけではない。
ただ、結依のパフォーマンスがあまりに自然だったから。あまりに弱みを感じさせなかったから。
一瞬、和希の頭からは抜け落ちていたのだ。彼女がオーディションを通れぬ理由が――。
「アイツ……アイツは……!」
――
自分を応援してくれる人の声も。敵に興味を向けている人の声も。
彼女には聴こえていない。会場に溢れる声の何一つとして……!
激しい熱狂の中心で、指宿瞳が三曲目のパフォーマンスを終える。
結依の三曲目は和希が作詞したオリジナル曲。秋葉原エイトミリオンの往年の公演曲のメロディに乗せ、亡き
エイトミリオンを生み出した大物プロデューサーの作詞に自分如きが敵うはずもないが、それでも、三十年も昔の赤の他人のために書かれた歌詞よりは、
だが、それも今となっては――。
「みんな、受け止めて! わたしの炎を!」
最後まで諦めない目の色でステージに飛び出した結依に、客席の反応は冷たかった。
ぞわり、と嫌な悪寒が和希の背中を撫ぜる。満員の客席からこんな声が聴こえる気がする。
――みんなって、誰だよ……。
「ッ……!」
真空の宇宙では、炎は燃やせない。
ここまで来て、結局、なすすべなく負けるのか……!
だが、結依は諦めていない。その目が、その笑顔が、最後の瞬間まで諦めないと叫んでいる。
ならばせめて、自分も諦めたくないと思った。結依が諦めず声を張り上げる限り。
アップテンポなメロディに身を委ね、結依の最後の一曲が始まる。誰の
しかし、それでも――。
「……ユイちゃん」
「諦めるな……」
「あなたはそんなもんじゃないでしょ……!」
あいりが、怜音が、マリナが、口々に送るその声援も。
「負けないで、ユイちゃん!」
華子が身を乗り出して叫んだ、その声も。
四面楚歌のステージで必死に歌い踊る結依の耳には、永遠に届くことがない――。
「ユイ……」
結依の姿を見ていられなくなって、和希がそっとステージから目を離したとき――
「……!」
その瞬間、和希は理解してしまった。この戦いの勝敗を。
「クソッ……!」
自分の視界が何か温かいものに滲むのを、和希は意識の片隅で感じた。
そして、結依の最後の一曲が終わりを迎える。誰の祈りも受け止められぬままに――。
偶像とは――
人が神と繋がるために作り出した、神の
祈りを捧げる人の声を聴くことこそが、その存在意義――。
世界に溢れる全ての声と切り離された彼女には、
その役目を果たすことは、決して――。
『スクールアイドル・ニュースターズ、遂に決着の瞬間です! 決勝戦、三曲目の判定は――審査員票、指宿瞳! 会場票、指宿瞳! そしてデータリンク票、指宿瞳! 「
膝の上で握った拳に、ぽたりと立て続けに何かが落ちる。
自分の視界を邪魔するものを拭いたくはなかった。そうしたら、結依の見たくない姿を見てしまうから――。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
「まあ、とっくにキャリアの終わった子がよく頑張ったよな」
「ええ、女王の娘相手に大健闘ですよ。
スタジオを出た無人の廊下の向こうで、そんな声が通り過ぎていく。和希はひとり廊下に立ち尽くし、悔しさに握った拳を傍らの壁に叩き付けていた。
じいんと拳に伝わる痛みが、余計に惨めさを煽る。
何もできなかった。自分には、何も……!
「クソッ……!」
結依に欠けているものはオリジナリティだけだと勝手に思い込んで。散々、皆の前で息を巻いて、偉そうな大口を叩いて。
その結果がこのざまだ。自分の作った歌詞など、勝敗に絡みすらしなかった。
確かに、オリジナリティも結依の伸びしろの一つではあっただろう。だが、それは勝利への最後のピースなどではなかった。
「何を
背後からの北村の声に、和希は反射的に振り向いた。スタジオに繋がる無人の廊下に、彼は腕を組んで仁王立ちしていた。
「アンタ、まだ切り札持ってるでしょ? 生まれながらの最強の
「……今さら、そんな恥ずかしいマネできるかよ」
和希は拳を壁に当てたまま答えた。自分の心の淀みを吐き捨てるように。
自分は自分だけの力で結依を助けたかった。親の七光とは関係なく、自分だけの努力で磨いた
「
「
考えて答えたわけではない。和希の唇はただ独りでに格言の続きを再生していた。
さすが先生、と軽い調子で言って、北村は言葉を続けてくる。
「だけど、アンタがどんなに天才でも、
和希の脳裏に先程のVTRが蘇る。指宿リノが偶然その場を訪れることがなければ、指宿瞳の人生はどうなっていたのだろうか……?
「
「……いや、計算がおかしいだろ。今頃って言うなら子供は高校生じゃん」
「やかましいわ、クソガキ。……アタシの言いたいこと、わからないわけじゃないでしょ」
北村に真剣な目で見据えられ、和希は抗えず頷いていた。
「手札が尽きたと思い込むのは早いんじゃない? アンタが本気であの子の力になりたいならさ」
それだけ言うと、大きな手をひらひらと振って、北村は部員達が待つスタジオへと戻っていく。
「……」
和希はそのまま廊下に立ち尽くしていた。
これまでの僅か十六年の人生のことが、ぐるぐると何度も脳内で渦を巻いていた。子役スクールで結依と出会った幼少期のこと。親と違う道を行きたいと思い始めた頃のこと。一心不乱に小説に打ち込み始めた頃のこと……。
何度も逡巡して、結局、和希は
本気で結依の助けになりたければ、もう、それしかないとわかっているから。
「母さん……。今日は家に居んの?」
電話の向こうの母の声は、自分がどんなに反発しても決して変わることのない、優しく落ち着いた大人の声だった。
「……俺も今日はそっちに帰るよ。ちょっと……頼みたいことがあるからさ」
勇気を振り絞って口にしてみると――
それは、思ったよりも恥ずかしくない言葉だった。
(6th Single:強敵 完)
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