Track 03. 勝負
――ひとり、ふたり、三人、四人……。
あの人は博多駅の演説で握手した人。あの人は選挙カーの上のわたしに声を掛けてくれた人。あの人はお母さんの後援会で挨拶した人。あの人は一回戦で初めてわたしを知ってくれた人……。
出場者席に腰掛けたまま、
あの人にはウインクを。あの人には控えめな笑みを。あの人には小さく手を振って。あの人は三秒ほど長めに目を見つめて。
計十秒ほどで全てのファン対応を終えてから、瞳は再びステージに視線を戻した。
自分が主役ではない瞬間こそ、振る舞いに気をつけること。それも
『続いて後攻、
アナウンスに導かれ、軍服調の衣装を纏った
「思った通り、ミュージカル対決やねぇ」
隣に座る
双柱学園の逆瀬川怜音。一回戦を観たときにも思ったが、あのパフォーマンスの完成度は明らかに急
事前に聞いたところによると、双柱学園のアイドル部は昨年まで公式戦で何の実績もなかったらしい。今年の春の地区予選も、春暁学園の「
先程自分が対戦した
「瞳ちゃんは、どっちが勝つって思うとや?」
「……六十対四十で逆瀬川さん、かな」
審査員と観客の評点を脳内で予想し、瞳は答えた。
先攻の高蔵寺ユーリアも素晴らしい魅力の持ち主だった。歌と語り、そしてダンスをハイレベルに融合させた彼女の
だが、それでも恐らく逆瀬川怜音には勝てないだろう。単純な技量は互角であったとしても、二人の間には気迫や覚悟の面で大きな差があるように見える。
逆瀬川怜音はきっと本気で優勝を狙っている。対して、高蔵寺ユーリアの青い目は、悟っているのだ。この二回戦が己のゴールであることを。続く三回戦、
トップを目指していない者が本気の戦いに勝てるはずがない――。
「すごっ。また瞳ちゃんの言う通り
大画面に表示された判定結果を見上げ、芳乃が両手で口元を覆った。戦いに敗れて引き上げる高蔵寺ユーリアの目は、案の定、「ここまでだ」という諦めの色に染まっていた。
両者がステージから
『二回戦、第三試合を開始します。
カメラに笑顔を向けて立ち上がる芳乃に、瞳は穏やかな笑みをひとつ投げかけた。
「がんばって、ヨシノちゃん」
「うん。……ここまでは、勝ってよかはずやけん」
ステージの
ここまでなら勝っていいとか、ここから先は勝っては駄目とか、いつまで芳乃はそんなことを言うのだろう。自分が清學館中学に転入し、初めて顔を合わせた頃の彼女は、もっとキラキラした自信に燃えていたのに。
だが、同時に
「人は皆――恋すれば――誰もが
瑞々しい恋の歌にマッチした歌声を耳に捉えつつ、瞳は大画面に映し出される芳乃のパフォーマンスを眺めた。
そこに居るのはいつも通りの薩摩芳乃だ。歌もダンスもハイレベルだが、彼女の眼は勝負の色をしていない。弾ける魅力を客席に振りまく彼女の眼は、大人の決めた筋書き通りの役目を淡々とこなす人形の眼だ。
それでも、芳乃の実力なら、今回の相手に負けることはないだろう。
トップを目指す気概の差が勝敗を分けるというのは、あくまで実力の
「
目を閉じてキスを待つようなラストの振り付けで、芳乃は一曲を締めくくった。
溢れ返る歓声を浴びて
後攻の子も工夫を凝らした選曲で頑張っていたが、いかんせん、力の差は埋めがたい。薩摩芳乃は腐っても伝説級のアイドルの娘。並大抵の相手では敵うはずがないのだ。
『判定は――大差で「
予定調和のような勝利を収め、芳乃はカメラ用の笑顔を崩さぬまま出場者席に帰ってきた。
労をねぎらう
『さあ、いよいよ二回戦ラストの対戦です! 第四試合、
真紅のフレームの眼鏡を取り払い、ポップな
双柱学園の火群結依は、恐らく自分の決勝戦の相手として
本当はそこに春暁学園の
春日瑠璃が欠場した今、その役目を果たせるのは火群結依しか居ない。
事実、一回戦でのパフォーマンスを見た限り、火群結依がこの二回戦で負けるとも思えなかった。
後攻、千城学園の成田梨央は、中学時代からスクールアイドルの公式戦で活躍し、歌唱力なら上級生を差し置いてチーム随一とも言われる実力者。だが、歌の上手さだけで勝てるなら誰も苦労はしない。一戦ごとに全身全霊を絞り出すような火群結依のパフォーマンスには、神奈川の
『勝者、「ELEMENTS」火群結依! 破竹の勢いで三回戦進出決定! これにて、スクールアイドル・ニュースターズのベスト4が出揃いました!』
勝ち名乗りを受け、メインカメラに向かって笑顔を弾ませる火群結依の燃える眼は印象的だった。
観客達が熱狂に溢れ返る中、司会者が三回戦前の
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
「……アイとアイ、重ね合えば……情熱は無限大……」
芳乃と一緒に楽屋に戻り、次の対戦に備えて衣装を着替えながら、瞳は先ほど耳にしたばかりの火群結依の持ち歌を何とはなしに口ずさんでいた。
可愛らしくて素敵な歌だ、と素直に思う。曲調も歌詞も火群結依のイメージによく合っているし、子役アイドル時代の歌を今再び歌うというのもドラマ性があっていい。幼い頃の自分はテレビなど観られる環境にいなかったので、子役時代の火群結依を目にしたことはないが、きっと当時からのファンにはたまらない演出だったことだろう。
「……結依ちゃん、か……」
着替えを終えた自分の姿を手早く姿見でチェックしつつ、瞳は残る二戦の展開を頭に思い描いた。
三回戦の第一試合は自分と逆瀬川怜音。第二試合は芳乃と火群結依。順当にいけば決勝戦で自分は結依と戦うことになるが、果たして
「瞳ちゃん、あの子んことばっかり」
突如、瞳の思考は、後ろから姿見に映り込んできた芳乃の言葉に遮られた。
「瞳ちゃんの中でも、もう決まっとるん? 決勝の相手はあの子やって」
口を尖らせるでも頬を膨らませるでもない。芳乃は怒りと寂しさの入り混じった色をその目に宿している。瞳は自分が図らずも彼女を不快にさせてしまったことを瞬時に悟り、ごめん、と謝ろうとした。
それさえも遮る勢いで、芳乃は鏡の中の瞳に向かって、いつになく饒舌に語り続けてくる。
「わかっとるよ。この三回戦、あたしは勝ったら
「そんなこと――」
「じゃあ、
鏡越しに訴えてくる芳乃の目は、今まで見たこともない悲愴な感情に染まっていた。
瞳がハッと言葉に詰まった次の瞬間、誰かが楽屋の扉をノックしてくる。瞳の返事を受けて扉から顔を覗かせたのは、番組のスタッフの女性だった。
「
「ええ、お願いします――」
「スタッフさん!」
芳乃がいきなり横から声を上げた。驚く瞳をよそに、彼女は女性に向かって畳み掛ける。
「次のあたしの対戦、先攻がいいです。そいで、あたしにも『ガルーダ』ば使わせ
「え……?」
「あたしも今日まで『ガルーダ』の訓練ば受けてきてます。お願いします」
芳乃は女性に正対して頭を下げた。女性が困ったように瞳の顔を見てくるので、瞳も思わず「お願いします」と言ってしまった。
芳乃が言ったことは嘘ではない。今後、チームのライブでも使えるように、磁気浮遊フィールドシステム「ガルーダ」で宙を舞う訓練は彼女も受けてきている。
スタッフの女性はまだ迷った顔をしていたが、やがて「わかりました」と頷くと、そのまま瞳達の楽屋を後にした。
「……ヨシノちゃん」
瞳は背中を強張らせたままのチームメイトにそっと声を掛けた。芳乃は振り向いて、瞳と目を合わせてきた。
「瞳ちゃん。あたし、おかしい? どんな手ば使っても勝ちたいって思うたらいけん?」
「……おかしくないよ」
勝利が全てだと教えられてきた瞳には、そう答えることしかできなかった。
一回戦のとき、火群結依が浮遊フィールドの存在に動揺していたことは瞳にもわかっている。何があったのかは知らないが、あの時の結依の目は明らかに恐怖の色をしていた。
だから、芳乃は確信しているのだろう。あれを使えば結依の戦う力を削ぐことができると。
「……今やけん言うけど、あたし、今までずっと悔しかった
衣装の裾を握って語り始めた芳乃の述懐に、瞳は僅かに目を見開いた。芳乃はまっすぐ瞳の目を見たまま、心の叫びを吐き出すように感情を発露させてくる。
「高校
「ヨシノちゃん……」
こんな芳乃の姿は見たことがなかった。彼女はずっと、こんな思いを抱えたまま自分と笑い合っていたのか――。
「
芳乃の燃える両眼が、呆気に取られる自分の姿を映していた。瞳は初めて見た。この友人の眼が、本気の戦いの色に染まるのを。
「……わかった。約束するね。ヨシノちゃんが決勝に上がってきたら、わたし、ヨシノちゃんと本気で戦うよ」
瞳がそう答えると、芳乃は無言で頷いてきた。
先攻は、逆瀬川怜音――。
「皆、今こそ聴いてくれ。我が魂の
爆音の如き歓声に迎えられ、怜音は本日三戦目のパフォーマンスを開始した。
出場者席の火群結依は手に汗握る表情でステージを見ている。ベンチエリアからは、上級生らしき女子生徒と、男子生徒、大人の男性、それに戦いを終えた
高蔵寺ユーリアとのミュージカル対決を制したことで、今や逆瀬川怜音はこの会場の誰からも実力を認められているようだった。自分だって、彼女のパフォーマンスの迫力は純粋に凄いと思う。彼女がこのトーナメントで優勝するようなことがあれば、それはそれで番組的には大成功だろうとも。
だが。
芳乃とあんな約束をした以上、間違っても自分が三回戦で消えるわけにはいかない。いや。芳乃の言葉があろうとなかろうと、自分にはただの一度も負けることなど許されてはいない。
このトーナメントで優勝し、
『続いて後攻は、「
アナウンスに呼ばれ、ステージの中心に静かに歩み出ると、瞳はそっと観客席の全周を見渡した。
皆が自分を見てくれている。皆が自分の声を聴きたがっている――。
「皆さん。もうわたしの名前は覚えてくれましたか?」
マイクを通じた瞳の問いかけに、客席の至る所から「瞳ちゃん」や「ひとみん」と名を呼ぶ声が溢れ返った。その全ての声に耳を傾け、瞳は、名を呼んでくれた一人一人と丁寧に目を合わせていく。
「あなたのために歌います。聴いてください、『君と聖夜の塾帰り』」
イントロの開始と同時に、
完全に時期外れの歌詞だが、瞳には自信があった。
敗北は許されない。勝つことこそが自分の存在理由だ。
パフォーマンスを終えて瞳がステージに降り立つと、放心していた観客達は我に返ったように拍手喝采を贈ってくれた。判定の表示後、逆瀬川怜音がすっと自分にお辞儀をしてきたので、瞳も深く頭を下げて礼に応えた。
さあ、これで残すは決勝戦のみ。その相手は果たして芳乃か、火群結依か――。
『続いて、三回戦、第二試合です!
望み通りに先攻を取った芳乃が、ふわりと衣装の裾を
芳乃までもが空中パフォーマンスを披露するのは観客達にも予想外だったに違いない。そしてそれは、
魂の籠もった芳乃の熱唱を耳に捉えながら、瞳は火群結依の様子に意識を向けた。彼女は息苦しさを
しかし、それもステージ外だけのこと。
芳乃が曲を終えてステージに降り立ち、一礼して
アナウンスが火群結依の名を告げ――
眼鏡を外してマイクを手にした瞬間、火群結依は、変わった。
宙を舞う芳乃を見て拳を震わせていた、一人の少女の姿から。
私情の
「みんなの心に――火をつけます!」
気合の入ったキャッチフレーズで瞬時に衆目を惹き付け、火群結依は――「灼熱のユイ」は歌い始める。己の魂を炎の嵐に変えて撃ち出すような、熱く激しい一曲を。
あれも子役アイドル時代の持ち歌なのだろうか。会場全てを焼き尽くす彼女の歌声は、ダンスの勢いと相俟って、
芳乃がステージに咲かせた満開の
火群結依がパフォーマンスを終えた瞬間、瞳は察してしまった。決勝のステージで自分と向き合いたいと願った芳乃の命脈は、今、無残にも焼き切られてしまったのだと。
『判定は――審査員票、会場票、データリンク票、いずれも火群結依の勝利! 「ELEMENTS」火群結依、決勝進出決定――!』
会場の歓声が、灼熱のアイドルの眩しい笑顔が、瞳の意識を上滑りしていく。
芳乃は肩を震わせてステージを後にした。後を追わねばならないと瞳は思った。決勝戦が始まるまでには、確か十分ほどのインターバルがある――。
「ヨシノちゃん!」
スタジオ外の廊下に出て、瞳がその背中に追いつこうとすると、芳乃は涙を散らして振り向いてきた。
「あたし……勝てんやった。あれだけ大口叩いた
「ヨシノちゃん――」
「同情なんかええよ! 瞳ちゃんにはわからん。強すぎる瞳ちゃんには、あたしの気持ちなんか……!」
吐き捨てるように叫び、芳乃は身を
「今はそっとしておきなさい」
「! お母さん――」
今にも駆け出そうとしていた足がぴたりと止まった。瞳が振り向いた先に立っていたのは――
瞳の養母にして、伝説のアイドル女王。芸能大臣、
「あの子は今日、一つの壁を超えたのよ」
芳乃が走り去った廊下をそっと見やり、
「あの子の母親、薩摩サクラは、博多エイトミリオンの生え抜きエースだった。後発グループだった博多を発足の時から支え、メンバーで初めて総選挙にもランクインした。……その直後、何があったかは知ってるわよね」
「……お母さんが、博多に移籍に」
瞳がぽつりと答えると、
アイドルに詳しい者なら誰もが知る出来事。エイトミリオングループの歴史を変えた大事件。
新人アイドルの若い力で頑張っていこうとしていたグループに、突如、秋葉原の本店からトップ級メンバーの一人が送り込まれた。元いたメンバー達がどんな気持ちで彼女を迎えたのか、その心境は察するに余りある。
「サクラはそれでも折れなかった。わたしが博多に来たことをチャンスと見て、わたしの存在を最大限に利用し、グループ内での自分の地位を上げようと貪欲に
昨日までの芳乃なら、あの涙を流すことはなかったかもしれない。自分と戦うことを本気で望まければ、彼女は火群結依に敗れても顔色一つ変えなかったのかもしれない。
「だけど、本気になったからって、誰もが勝てるとは限らない……」
女王の放った一言が、瞳の身体をびくりと震えさせた。
そうだ。瞳だってそれはわかっている。勝ちたいと願っただけで勝てるなんて、漫画や映画の中だけの話だ。
技量に優れた者は気持ちと関係なく勝つ。技量が互角なら気持ちの強い者が勝つ。そして、気持ちが互角なら、やはり技量で優る者が勝つのだ。
「あなたはどうするの? 瞳」
問われるまでもなく、瞳は思っていた。
火群結依と本気で戦ってみたいと。
純粋に、今の自分の力で、あの炎を受け止めてみたい。今の自分の全てを懸けて、彼女と「勝負」がしてみたい。
「……わたしは、『ガルーダ』なしで戦います」
火群結依があの装置に何か思うところがあるのはわかっている。万に一つでも、億に一つでも、自分が装置を使ったせいで彼女が全力を出しきれなかったという展開にはしたくない。
小細工も小道具も無しで、試してみたいのだ。芳乃を一蹴したあの灼熱のアイドルよりも、今の自分の実力は本当に優っているのか。
「いいのね?」
自分に全てを与えてくれた女王の眼が問うている。せっかくの武器を自ら手放して本当にいいのか、それで負けた時の覚悟はできているのか、と。
「大丈夫です。あんなものがなくても……わたしの背中には、お母さんがくれた翼がありますから」
瞳が答えると、
「そうよ、瞳。戦いなさい」
「必ず勝ちます」
『スクールアイドル・ニュースターズ、遂に決勝戦です! 激戦を制し、ラストバトルに駒を進めたのはこの二人! 燃える炎を纏う灼熱のアイドル、「ELEMENTS」火群結依! そして、銀河の重力を宿す愛の女神、「Venus+」指宿瞳! 新人スクールアイドルの最強を決する戦いの火蓋が今、切って落とされます!』
けたたましく鼓膜を震わすアナウンス、そして最高潮に達する客席の盛り上がりを全身にびりびりと感じながら、瞳はステージへと歩み出た。
ピンク色の衣装を纏い、艶やかな黒髪を汗に
数秒の間、そうして見つめ合いながらも、瞳も結依も一言も相手に言葉を掛けようとはしなかった。
きっと二人の間に言葉は要らない。互いがここに立つ理由は十分にわかっている。
戦うために、ここに来たのだ。
結依と離れてステージの片側に立ち、すう、と瞳は深呼吸した。
客席から無数の声が聴こえる。
――瞳ちゃん。
――ひとみん。
――一番可愛い。
――超絶可愛い。
――負けるな。
――勝てよ。
――応援してるぞ。
――絶対勝って。
その声以外、今は何も頭に入らなかった。芳乃の無念も。
ステージの外での事情など、今この場では関係ない。
自分はただ、耳を傾けるだけだ。偶像に祈りを捧げる無数の声に。
火群結依ちゃん――
あなたに、この声は聴こえている?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。