6th Single:強敵

Track 01. 戦場

「ハナ、晩ご飯できたよー?」


 姉の間延びした声とノックの音が鼓膜を震わせたとき、華子はなこは一心不乱に衣装の生地きじと格闘している最中だった。

 手縫いの運針から意識を離せず、華子は「はぁい」と生返事をひとつ返すのみ。次に耳に入ってきたのは、姉が無遠慮に部屋の扉を開ける音と、「あれっ」という意外そうな声。


「テレビつけてないんだ? 全国大会アイドライズ観てるんだと思ってたのに」

「――あっ!」


 姉の何気ない言葉に意識を引き戻され、華子は咄嗟に時計を見る。春の全国大会スプリング・アイドライズの生中継の時間も忘れるほどに、自分は衣装の仕上げに没頭していたのか――。

 手元の衣装を今置くわけにもいかず、華子が逡巡を覚えた次の瞬間には、変な鼻歌を歌いながら部屋に入ってきた姉がテレビのリモコンを操作してくれた。


『さあ、白熱を極めたスプリング・アイドライズ2040、遂に決勝の瞬間です!』


 画面に映し出されるのは、幾万人の観客で溢れ返るスタジアム、そして眩いスポットライトに照らされてステージに控える二つのチームの姿。華子達「ELEMENTSエレメンツ」が立つことを逃した、全国大会の晴れ舞台……。


『全国から集った四十八組の代表校の頂点に輝くのは、大阪府・橋姫はしひめ女学院高校「Ambitiousアンビシャス」か! 神奈川県・千城せんじょう学園高校「DOLLSドールズ」か! 注目の判定が、今――』


「あれ? ハナ達の地域の学校、決勝まで残ってないんだ。さっき見た時は結構凄かったんだけど」

「……」


 華子にもそれが小さな衝撃だった。ひがし東京大会の優勝校――あの春暁しゅんぎょう学園の「Marbleマーブル」が、決勝の前に姿を消しているなんて。

 キャプテンの大宮おおみや冴子さえこや、「七光ななひかり」の春日かすが瑠璃るりらの自信満々の笑顔を思い返すと、なぜか胸が焦燥に締め付けられる。「Marble」の全国優勝を信じていたというより――自分は願いたかったのかもしれない。結依ゆいの……自分達の進軍を阻んだ「Marble」には、せめてその先でも勝ち続けて欲しいと。


『――判定結果は、審査員評価、会場評価、ともに「DOLLSドールズ」の勝利! スプリング・アイドライズ2040、優勝は前年度王者の千城せんじょう学園高校「DOLLS」に決まりました!』


 熱の入った実況アナウンスに、割れんばかりの拍手喝采が重なる。勝ち名乗りを受けた五人の乙女達が、ステージから客席に向けて堂々たる笑顔で手を振る……。

 華子の気持ちを知ってか知らずか、そこで姉がリモコンでテレビを切った。


「ご飯食べよ、ハナ。お姉様特製ブラジリアン・ストロガノフが冷めちゃうよー」

「……うん」

衣装それ、あとで手伝おっか?」


 自分に裁縫を教えてくれた姉の申し出に、華子はそっと首を横に振った。


「形はもう出来てるんだ。でも、時間いっぱいまで手を入れたいの。今回、わたしがみんなの力になれるのは、そのくらいだから……」

「……なーんか、いいじゃん。最近のアンタ、いい感じに青春してるじゃん」


 すぐ来なよー、と言い残して部屋を出ていく姉に頷きを返して、華子はキリのいいところまで運針を急いだ。

 明日のトーナメントのために皆の希望を聞いてあつらえた、四人それぞれの新しい衣装。縫製の形は既に出来ているが、もっと完成度を高めたい。少しでも、戦う彼女達の心の支えになれるように。

 糸のたまめを終え、ふうっと小さく息を吐いて、華子は携帯ミラホを手に部屋を出た。


 姉の独創料理を味わう前に、今見た全国大会の結果のことを結依にラインしようかと思って……結局、華子は思いとどまった。今の結依には、明日のトーナメント以外の雑念を頭に入れない方がいいのかもしれないから。

 だが、そう思って食卓に就こうとした矢先、彼女の携帯ミラホは、逆に結依からのメッセージの受信を告げる効果音を鳴らした。画面を見ると、そこには結依の笑顔のアイコンとともに、「大会凄かったですね! 夏はわたし達があの表彰台に立ちますよ」という文字が、可愛らしいデコレーションとともに踊っていた。


「何よハナ、嬉しそうにしちゃって」


 姉に言われてふと、自分の口元が緩んでいたことに気付く。

 姉に断って一通だけメッセージを返してから、華子は携帯ミラホを置いた。

 火群ほむら結依は本当に不思議な子だ。常人離れした領域で戦う戦士でありながら、時折、アイドルが好きな生身の女の子としての顔も覗かせる。

 そんな結依のために自分も頑張りたいと思った。凡人の自分には、結依の戦っている世界のことを全て理解しきるのは無理かもしれないが、せめて彼女の支えでありたい。普通の子である自分にできる範囲で――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 一夜が明け、遂に決戦の日が来た。

 先日の大会の時と同じように、華子は深夜まで手を入れていた皆の衣装を丁寧にリュックに詰め込んで、テレビ局の最寄りの駅で結依達と落ち合った。


「みんな、こんな時まで制服なの? 逆にいつ私服着てるのよ」

「えっ、ダメでしたか!? わたくし、あくまで高校生として出るんだからと思って……」

「ダメじゃないよ。マリナさんがちょっとおかしいだけー」

「マリナ先輩はもう少し、学校の代表としての自覚を持たれた方が」

「な、何よ。ていうか、怜音アナタ男子服それだって厳密には制服じゃないでしょ!?」


 例によって謎に気合の入った私服のマリナ、普段通りの制服姿の結依とあいり、マイペースなパンツルックの怜音レオン。なんだか既視感のある光景に、華子も自分の制服を見下ろしてクスリと笑ってしまう。


「さあ、戦いの時ですよ!」


 腰まで届く黒髪をふわりと風にひるがえし、結依が意気揚々と駅からの一歩を踏み出す。その小さな背中を見て、皆の気が一気に引き締まるのが華子にも伝わるようだった。

 都心の一等地にそびえる白銀の巨塔、テレビ局の社屋ビルディングまでは歩いて数分とかからなかった。明るいエントランスに足を踏み入れると、すぐに複数人の女性スタッフが出迎えてくれ、「お待ちしておりました」と華子達を案内してくれた。

 楽屋に荷物を置いて、一同が通された先は、半円状の観客席を有するアリーナ仕立ての広大なスタジオ。ステージを見下ろす階段状の客席はまだ無人だが、そのふもとに設けられたベンチエリアには、既に何人か、他校のスクールアイドルらしき少女達が姿を見せている。


「待ってたぜ、火群結依。それに皆さん」


 ふいに横から声を掛けられ、華子はハッと顔を向けた。私服姿の桐山きりやま和希かずきが、後ろに坊主頭の大柄な男性を伴って、華子達のベンチエリアに立っていた。

 相変わらずジャケットのポケットに両手を突っ込んで立っている和希に、その大柄な男性がコツンと軽い拳骨げんこつを食らわせている。


「コラ、何が『待ってたぜ』よ。ちゃんと挨拶しなさい。っとにアンタはもう」

「ウルサイなぁ。……ゴキゲンヨウ、お嬢様方」


 華子達はめいめいに二人と挨拶を交わした。大柄な男性は、「ウチの先生がお世話になってます」と述べ、出版社員の北村きたむらと自己紹介してくれた。

 そうか、桐山君は本当に作家先生なんだ――と、華子が新鮮な感慨を覚えている横で、その和希がつかつかと結依の前に出る。


「……勝てよ、ユイ」

「うん。必ず」


 目から炎をほとばしらせ、しっかりと和希に向かって頷く結依。二人の間の言葉はそれで十分なようだった。


「……ほんとにテレビに出るんですね。わたくし、緊張します」

「マリナ先輩はテレビに出られたことは?」

「チアの都大会のときはカメラは入ってたけど……こういうのは初めてよ。そう言うアナタはどうなの」

「歌劇団の訓練生時代に、仲間と一緒に特集されたことはありますが……ものの数には入りませんね」


 あいりとマリナは緊張の色を隠せないようだった。怜音はさすがに飄々としているが、その心のうちまではわからない。

 そんな中、華子は気付いた。ベンチから身を乗り出してスタジオを見渡す結依の目が、いつになくキラキラと輝いていることに。

 そう、それはまるで、初めて一緒にアイドルの公演を見た、あの時のように――。


「嬉しそうだね、ユイちゃん」


 華子が横に立って声を掛けると、結依はにこりと笑って、ハイ、と頷いた。


「嬉しいですよ。……今日だけでも、この場所に帰ってこられたから……」


 結依が本心から発したのであろうその言葉に、華子はじいんと胸が熱くなるのを感じた。

 眩しいスポットライトと無数のテレビカメラ、そしてこれから客席を埋める幾千人の人達の目。それらに囲まれて光り輝くステージこそ、結依が本来居るべき場所……。

 まだ何を成し遂げたわけでもないのに、何だか少し誇らしかった。多少なりとも、結依が今日この場所に立つ上での力になれていることが。


「返り咲いてね、ユイちゃん。あなたの居場所に」

「……ありがとう、華子さん」


 結依の笑顔は眩しく輝いていた。この結依が負けるはずがない、と、何故か華子には信じられた。


「では、出演者の皆さんは、こちらへ」


 スタッフの案内でベンチから出ていく結依ら四人に、華子は「頑張ってね」と手を振った。


「……部長サン。俺からも礼を言うぜ」

「え?」


 ベンチの座席で足を組んでいる和希から、ぶっきらぼうな口調でそんな言葉が飛んできたので、華子は少しびっくりして彼の目を見た。


「アンタがアイドル部を守り続けてくれてたから、アイツはこの場所に立てるんだろ。ま、結果オーライってとこかな」


 腕組みをしながら不敵に口元を吊り上げてくる和希に、再び北村からの拳骨が落ちる。


「だからアンタ、何なのよ、その口の利き方は。先輩でしょ? ……ごめんなさいね、ウチの先生が迷惑掛けっぱなしで」

「……いえ、わたしはそんな……」


 華子は気恥ずかしさに身を縮めながら、改めて思った。桐山和希は、進んで反感を買うような喋り方をする子だが、決して根は悪い人物ではないのだと。

 自分達と同じく、彼が本気で結依の力になろうとしてくれていることは、今ならよくわかる。そんな彼が結依のために書いてくれたがあれば、結依はきっとどんな強敵にだって勝てるに違いない――。


 全身に広がる感動を抑えながら、華子が和希に笑い返した、そんな時だった。

 スタジオの中をせわしなく動き回るスタッフ達の間に、ざわざわと不穏な言葉が広がり始めたのは。


春日かすが瑠璃るり、ドタキャンなの?」

「おい、困るぜ。あと十分で観客れるんだぞ!」


 華子と和希、それに北村は、誰からともなく顔を見合わせた。

 聞き間違いではない。スタッフ達はしきりにこう言っているのだ。今日のトーナメントの出場予定者の一人、「Marbleマーブル」の春日瑠璃がこの場に来ていないと――。

 と、その時、「Marble」のキャプテン、大宮おおみや冴子さえこ携帯ミラホを片手にスタジオに駆け込んできた。彼女はスタッフ達の輪に駆け寄るや否や、「ごめんなさい」と頭を下げている。


「あの子、やっぱり来れないそうです。昨日の大会の怪我が後を引いてて……本当に申し訳ありません」

「怪我!?」

「仕方ありません。春日さんは欠席として、予定通り観客を入れましょう」

「ある意味、トーナメントで助かったな」


 深々と頭を下げ続ける冴子を宥めながら、百戦錬磨のテレビマン達は瞬時に判断を下し、アシスタントにてきぱきと指示を出していく。


「……ヘンねえ」


 その様子を見て、顎髭あごひげを撫ぜながら呟いたのは北村だった。


「アタシ、昨日の大会はテレビで通して見てたけど、春日瑠璃が怪我したみたいには見えなかったわよ」

「見えないとこで怪我してたんじゃねーの? 隠して踊って、後で倒れるとか、プロでもよくあるじゃん」

「……だとしても、なんか引っかかるのよねえ。あのキャプテンの子の顔」


 華子も北村の言葉には同感だった。思い詰めたような顔でベンチに引っ込む冴子の様子は、単に後輩の負傷を案じているとか、テレビ局に迷惑をかけて申し訳ないと思っているとか、そうした当たり前の感情だけではない何かを感じさせたのだ。

 それに……春日瑠璃の素性など華子はほとんど知らないが、それでも、あの瑠璃が怪我程度でこのトーナメントを棒に振るというのは納得できないような気がした。「名古屋エイトミリオンを日本一のグループにする」と堂々言い放った彼女なら、たとえ怪我をしていても、這ってでもこの場に出てきて歌うのではないかと。

 これより観覧のお客様にお入り頂きます、とスタッフのアナウンスが響き、観客達の喧騒が客席を埋め尽くし始めてからも、華子は仲間達の戦いの行方と同じくらい、瑠璃の不在のことが気になって仕方がなかった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



『スクールアイドル高校新人トーナメントバトル「School Idol New Stars」! 今宵、全国から選りすぐられた総勢十五名の期待の新星がここに集い、白熱のライブバトルを繰り広げます! さあ、早速、今夜の出場者をご紹介しましょう――』


 放送が始まるのはあっという間だった。生中継のスタジオにときの声を上げるのは、誰もが知る大物司会者。一人ずつ出てきては笑顔で手を振る、色とりどりのステージ衣装の少女達を、満員の客席からの拍手喝采が波濤の如く包み込む。


『――続いて、東京都・春暁しゅんぎょう学園高校東京分校「Marble」より、ミュージカル部からスクールアイドルに転向した期待の新星、高蔵寺こうぞうじユーリア! なお、「Marble」からは、かの名古屋エイトミリオンの春日ジュリナの娘にして昨年度の中学女王、春日瑠璃も出場を予定しておりましたが、足首の負傷のため欠場しております。……続いて、東京都・双柱ふたばしら学園高校「ELEMENTS」より、三年間の沈黙を破って表舞台に舞い戻った元子役アイドル、火群結依!』


 複数のカメラに満面の笑みを向けるのは、ピンクを基調としたステージ衣装に身を包んだ結依。白いフリルで可愛く飾ったミニスカートに、首元のリボン、ハートのペンダント、頭には小さなシルクハット型の髪飾り。華子が腕によりをかけた新衣装が、眩いスポットライトの下、結依自身の輝きと相俟ってきらめいている。

 結依だけではない。あいりも、怜音も、マリナも、各々の希望を取り入れて華子が仕立てた新衣装を身に纏い、ステージで物怖じしない笑みを浮かべていた。


『――最後は福岡県・清學館せいがくかん高校「Venus+ヴィーナスプラス」より、博多エイトミリオンの薩摩さつまサクラの愛娘、「桜花おうかのヨシノ」こと薩摩芳乃よしの! そして、本日がスクールアイドルとしてのデビューとなります、博多の眠れる巨星、指宿いぶすきひとみ!』


 最後のその名が呼ばれた瞬間、元より熱狂の渦中にあった観客席に、おおっと一際大きなどよめきが巻き起こった。

 指宿瞳――芸能大臣・指宿いぶすきリノの養女。アイドルとしての実力は未知数ながら、養母おやの知名度と、表舞台に出てこないがゆえのミステリアスさが相俟って、ネット上のファン達から過剰なまでの注目を集めている少女。水色の制服調のステージ衣装と、艶やかなストレートの黒髪、そして明るい微笑を浮かべた口元の印象が合わさって、その佇まいは静謐なひんの良さを感じさせた。

 十五名の出場者がステージに出揃い、組み合わせ抽選のボールを一人一人が引いている間も、その少女――指宿瞳だけが、組み合わせのことなどまるで気にもならないというような風情で、茫洋ぼうようとした目で観客席を眺めているように見えた。


「……なんだか、コワイ子ね。何を見てるのかしら」


 北村の呟きが華子の耳に入った直後、ステージ上部の大画面に十五名の対戦組み合わせトーナメント表が表示され、客席が律儀におおっとざわめいた。

 結依の名前は最も右端にあった。ぱっと見た感じ、「ELEMENTS」からの四人は幸いにもバラバラの位置に分かれており、一回戦からぶつかり合うことはない。

 本来なら春日瑠璃が入るはずだった枠には「×」印が入り、不戦敗を表していた。この番組の「主役」だという指宿瞳の名前は――まるで示し合わせたかのように、結依と反対側の端にある。


「主役様と戦わせてもらえるのは決勝戦か。……そこまで上がれれば、だがな……」


 和希は食らいつくような目でステージ上の面々を見ていた。

 どくん、と己の心臓が高鳴るのを華子は感じる。負けたら終わりのトーナメント。無事に指宿瞳まで辿り着ければいいが、それまでに一度でも取りこぼすことがあれば……。


『一回戦、第一試合を開始します! 東方ひがしかた瀬戸海せとうみ高校「DARKNESSダークネス」一年生、小瀧こたき紗弓さゆみ! 西方にしかた、清學館高校「Venus+ヴィーナスプラス」一年生、指宿瞳!』


 番組の進行は早い。瞬く間に最初の対戦カードがアナウンスされ、仰々しいスモークの演出とともに、二人の少女がそれぞれステージの上手かみて下手しもてに姿を現した。

 上手かみてからステージの中心に躍り出るのは、先攻、「DARKNESS」の小瀧紗弓。彼女がマイクのかわりにアルトサックスを抱えているのを見て、華子は思わぬ展開に目を見張った。客席のあちこちからもざわざわと驚きの声が上がる。小瀧紗弓は口元のインカムを通じて名前とキャッチフレーズを述べると、おもむろにジャズ調のメロディをサックスで奏で始めたのだ。

 このトーナメントは、三分間のパフォーマンスタイムの中に少なくともワンコーラスの歌唱を含みさえすれば、あとは何をしても構わないというレギュレーション。しかし、だからといって一人目から楽器の演奏をする者が出てくるとは、観客達にも予想外だったに違いない。


「……見え見えの脚本ホンだなあ。この子が楽器で来るのわかってて一戦目に当てたんだろ」

「やっぱ、アンタもそう思う?」

「そりゃそーだろ。組み合わせ抽選なんて出来レースに決まってんじゃん。盛り上がるように組んでんだよ。指宿すっきーが自分の娘を売り出すための番組なんだからさ」


 和希と北村の会話が気になり、華子はついつい小瀧紗弓の演奏から目を離して二人の方を見てしまう。和希もそんな華子の視線に気付いたらしく、ふっと笑って言ってきた。


「だからさ、ユイが指宿瞳の反対側に居るっていうのは、ある意味、吉報だぜ。先方は、主役様の決勝戦の相手としてユイをご指名なのかもしれねーってことだ。ま、本来、その位置に居たのは春日瑠璃なんだろうけど」

「……」


 なるほど、と華子も得心した。本当にトーナメントの組み合わせがテレビ局側の思い通りなのだとしたら、一回戦や二回戦で結依が瞳と当たらないのは、それだけ結依を高く買ってくれている証拠なのかもしれない。

 だとすれば、結依が実力で瞳を上回ることさえできれば、優勝は決して夢ではないということではないか……?


 そう思った矢先。演奏に続いて持ち歌の歌唱を終え、小瀧紗弓が客席にぺこりとお辞儀をして上手かみてに戻った後――

 突然、スタジオの照明が消え失せ、ずしんと身体の中核を揺らす重低音のメロディが音響から流れ始めた。

 観客達にどよめくすら与えぬまま、白く淡い光が無人のステージの上を旋回する。続いて、照明効果イルミネーションの白い羽根が、客席を含むスタジオ全域にひらりひらりと降り始める。


「はじめまして。指宿瞳です」


 スピーカーを通じて幾千人の鼓膜を震わすその声は、天上から響く天使の福音ふくいんのようにスタジオを渡った。

 だが、その声の主はどこに――。

 観客達が無言で息を呑む中、華子は無人のステージを眺めて、そして――


「!」


 天の声に導かれるように目線を上げ、そして見た。

 ステージの照明効果イルミネーションの巨大な翼を背中にはためかせて、少女の姿を。


「今日はわたしを覚えて帰ってくださいね。歌います、Venus+ヴィーナスプラスで、『Venus+ヴィーナスプラス』」


 彼女が右手のマイクを口元に運ぶやいなや、スタジオを覆う重低音のサウンドが、王道アイドルソングのイントロに切り替わり――

 呼吸を止められたような華子達の眼前で、指宿瞳の華奢な身体は、ふわりと空中に飛び出した。

 ワイヤーか何かで吊られたわけでも、風に煽られたわけでもない。

 のだ。


「あれって……」

「まさか……!」


 華子が全身を震わせて呟いた声は、和希のそれと重なった。

 二人とも、つい二週間ばかり前に、結依から聞かされたばかりだから。

 人を重力の鎖から解き放ち、アーティストのパフォーマンスを三次元の領域へいざなう、人智を超えた装置の計画を。その翼がもたらしてしまった悲劇を。


「ダメ!」


 天上の指宿瞳がまさにAメロを歌い始めようとしたその時、ステージの下から甲高い声が響いた。華子がハッと目をやると、ステージのすぐ横に設けられた出場者席で、席から立ち上がった結依が、見たこともない怯えの色を顔に貼り付けて、瞳の姿をじっと見上げていた。


「それを使ったら……ダメ……!」


 皆の注目が一斉に集まる中、床に膝をつき、がたがたと身を震わせる結依の目には――

 彼女しか知らない、の惨状が、映っているのに違いなかった。

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