Track 04. 君だけの新曲

指宿いぶすきひとみの才能は怪物級』

『グループ入りすれば本店選抜の座は間違いなし』

『これは握手人気No.1ですわ』

『歌やダンスの実力も何もわからないのによくそこまで言い切れるな』

『そもそもアイドルになるのかどうかもわからないじゃん』

『ひとみんが誰の養子だと思ってるんだ?』

『政治家の娘なら政治家になるだろ、常識的に考えて』


 ネットの情報集積キュレーションサイトにはおびただしい数の下馬評が踊っている。掲示板の住人達の言葉かきこみの合間に何枚も掲げられているのは、九州は博多はかたの駅前で選挙カーのそばに立ち、街の人々と握手を交わすセーラー服姿の少女の画像。

 指宿いぶすきリノと二人で映っている写真も数多くある。黒い髪に、黒い瞳。銀河の重力をその両眼に宿した少女――指宿いぶすきひとみだ。


「瞳ちゃんって……可愛い……」


 結依ゆいが思わず呟いた一言は、補聴眼鏡グラスのAIに自分自身の声紋と判断されて、レイヤーには映らない。

 ドライング・チェアの温風が風呂上がりの髪を心地良く煽る。結依はその髪の先をふと指先で撫ぜ、パソコンの画面に映る指宿瞳の艶やかなロングヘアと見比べる。

 勝てるだろうか、自分は。エイトミリオングループの神話に輝かしく君臨する「神」、あの指宿リノの申し子に。


『すっきーと血の繋がりは無いんだろ?』

『身寄りのなかった彼女をすっきーが引き取ったらしい』

清學館せいがくかん中学に転入して、今は清學館高校の一年生だって』

『指宿リノは東京住まいだろ。娘だけ九州に置き去りなのかよ』

『清學館は中学から全寮制だぞ』


 はやる気持ちで、結依はパソコンのページをる。サイトに溢れる有象無象のテキストから雑多なノイズを取り払って、必要な情報だけをかき集める。

 もっと知りたい。もっと知らなければならない。きたるべき戦いに備え、敵の素性を。

 だが――。


『選挙演説の写真はいいから、歌ってる動画か何か出せよ』

『アイドルとしてのひとみんを見た者はいないのだ』

『清學館のアイドル部のライブにも居なかったぞ』

『指宿の娘がアマチュアアイドルなんかやるかよ』

壬生町みぶまち春日かすがの娘もスクールアイドルやってるんですが……』


 どんなにネットの海を探索しても、書かれているのは「指宿瞳は未だアイドルの表舞台に出てきたことはない」という情報ばかり。

 わかっているのは、彼女が指宿リノに引き取られた養子であるということと、今は清學館高校の一年生であること。ただ、それだけだ。


「清學館高校……」


 全国大会アイドライズの常連にその名を連ねる、福岡の中高一貫校。今度のトーナメントにも出てくるという、「七光ななひかり」の薩摩さつま芳乃よしのと同じ学校……。

 ドライング・チェアの動作がブローの段階フェーズに入った。結依は愛用のブラシを温風に合わせて髪に差し込みながら、片手でかちかちとパソコンのマウスの操作を続けた。

 結依の望みに応じて動画共有サイトの画面に現れるのは、昨年の全国中学生大会インターミドル団体戦での、清學館中学アイドル部「PLUSプラス」のパフォーマンスの動画。五人のメンバーの中心センターに立つのは、もちろん、当時中学三年生の薩摩芳乃だった。

 顔の輪郭をくるりと取り囲むようなショートボブに、その髪の間からちらりと見える大きな耳。整った目鼻立ちに、よく目立つ二重ふたえと涙袋。


『こんにちは、清學館中学「PLUSプラス」です! 全力で、』

さくらかせましょーたい!』


 メンバー達の動きや表情を見れば、前段をセンターの芳乃が、後段を残り四人が言ったのがわかった。ステージに溢れ出す曲に乗り、瑞々しい輝きを纏った中学生アイドル達が踊り始める。その中心で皆を先導する薩摩芳乃は、なるほど確かに、全国大会出場チームのセンターを張るだけの実力を備えているように見えた。

 エイトミリオングループの伝説級のOGの一人、博多エイトミリオンの薩摩サクラの実の娘。その二つ名を「桜花おうかのヨシノ」。全国級の知名度を誇るスクールアイドルの一人として、結依ももちろん名前は知っていたが、そのパフォーマンスをちゃんと見るのは今が初めてだった。

 彼女と相見える可能性があるのは全国大会だと思っていたが……。今度のトーナメントでは、一足早く彼女と自分の対戦が実現するのかもしれない。


 しかし、それにしても――。


『ヨシノは完全にメッキが剥がれたな』

『所詮は母親の劣化コピー』

『中三になってから、中二までのギラついた感じが消えた』

『そりゃ、上級生が居なくなったら心境も変わるだろ』

『芳乃たんはロリだから良かった。十五歳はもうBBAババア


 動画サイトに投稿された視聴者達のコメントは、異口同音に、薩摩芳乃の魅力が前年までと比べて色褪せたという感想を語っていた。

 本来なら、第三者が好き勝手なことを書きなぐっただけのネットの声など真剣に取り合うには値しない。だが、この時ばかりは、結依もこの名も無き野次馬達と同意見だった。

 何なのだろう。芳乃は確かに可愛い。スタイルもダンスも笑顔も申し分ないし、きっと歌声も素敵なのだろう。しかし……。ステージで歌い踊る彼女の瞳には、頂点を目指す者なら当然に宿っているべき、ギラギラした「覇気」が感じられない。これが仮にも全国大会で戦う者の表情なのか――?


「目が……死んでる」


 結依は身体に染み付いた動きで髪にブラシを入れながら、サイトの別の動画をクリックした。さらに前年の中学生大会。二年生で既にセンターに立っていた薩摩芳乃の姿……。

 上級生と思しきチームメイト達を堂々と後ろバックに従え、きらびやかなスポットライトを浴びて歌い踊る彼女のパフォーマンスは、先の動画で見たのと同じ子とは思えないほど眩しく輝いていた。

 まだ会ったこともない彼女に、結依は思いを巡らせる。何が彼女を変えてしまったのだろうかと。

 上級生うえが抜けたことでの慢心? 長くセンターに居座り続けたことによる怠惰? それとも、親の七光を背負い続けることへの疲れ?

 いや、そんなんじゃない。これは――。

 と出会ってしまったのだ。彼女はきっと。この場で自分が一番ではないと思い知らされるに。


「ただいま」


 父の声が眼鏡グラスのVRレイヤーに映った。結依はパソコンの画面から目を離し、「お帰りなさい」と返事をした。

 情報収集は一旦切り上げだ。いつものようにネクタイを解き、結依が作っておいた夕食を喜んで食べ始める父に、結依は少しはにかみながら告げる。


「お父さん。わたし、テレビのトーナメントに出ることになったの」

「ほぉ、アイドルの番組か? やったじゃないか、結依」


 結依は口元をほころばせ、続けざまに語った。

 高校アイドルの新人を集めたトーナメント戦であること。番組の企画は指宿芸能大臣の差し金であるらしいこと。自分達は指宿瞳の引き立て役として呼ばれているらしいこと……。


「でも、負けないよ、わたし。またとないチャンスだもん」

「そうだな。その番組で優勝したら……公式戦じゃなくても、ドラフト会議に呼んでもらえるかもしれないね」


 自分のことのように喜んでくれる父に、結依も、うん、と頷いた。

 テレビ局の一企画の結果が、本当にエイトミリオングループのドラフト会議に繋がる可能性があるのかはわからない。だが、そうではなくとも、ここで勝てば大きく名を挙げられることは間違いない。

 夏の全国大会サマー・アイドライズに挑む前の腕試しとしては、この上ない機会だ。


「だけど……気をつけなよ、結依」


 箸を動かす手をふと止めて、父は結依の目をじっと見て言ってきた。


「大人ってのは……結依が知ってる以上に、ものだからね」

「……うん。わかってる」


 父の忠告は結依の胸にじわりと染み込んだ。そうだ――浮かれてばかりも居られない。今度の物語の主人公はあくまで指宿瞳。自分は脇役の立場から番狂わせを起こそうとしているだけなのだから。

 ふとパソコンの画面に目をやると、動画の再生は続いていた。ステージでソロ曲を歌う、中学二年生の薩摩芳乃。自分がこの場で一番だという自信に満ち、きらきらと輝くその表情。


『指宿瞳は、清學館中学に転入して、今は清學館高校の一年生だって』


 ネットの文字列が、妙な寒気を伴って結依の脳裏に蘇る。

 この芳乃ちゃんも、ひょっとしたら、「大人の怖さ」に巻き込まれた一人なのだろうか――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 翌日の放課後、結依が部室スタジオの扉に手をかけると、ふと、中から華子はなこのスミレ色の文字こえ表示されきこえてきた。


「ターンするときは、顔も一緒に回るんじゃなくて、同じ一点をギリギリまで見続けるようにして……」


 そのままそっと扉を開け、結依は邪魔にならないように中の様子を覗く。練習着に着替えたあいりの前で、同じく練習着姿の華子が、くるりとクロスターンを決めるところだった。


「こんな感じで、最後に頭を回してその点に追いつくみたいにするの。そうしたら、あんまり目が回らないみたい」

「やってみます!」


 あいりが両手を十字に広げ、クロスターンの姿勢に入る。結依は自然に口元がほころぶのを感じながら、気配を殺してあいりの様子を見守った。

 華子の背中越しに、ターンするあいりの姿が結依の目に入る。初歩的なクロスターンの最後、あいりは僅かに足をもつれさせてよろめいてしまった。あっ、と思わず自分の声が漏れたのを感じた次の瞬間、こちらに視線を向けたあいりと目が合った。


「ユイちゃん」

「こんにちは。華子さん、あいりちゃん」


 ふふっと笑って、結依はスタジオに足を踏み入れる。部室にはまだ華子達しか居なかったが、マリナと怜音レオンもすぐに来るだろう。


「もう一回……!」


 誰に言われるでもなく、あいりは再びクロスターンに挑戦していた。回り終えた後の足はやはり綺麗に揃わなかったが、それでも彼女は嬉しそうに華子に向かって言うのだった。


「先輩のおかげで、目は回らなくなりましたっ」

「うん。さっきよりキレも良くなってるよ、あいりちゃん」


 結依がスクールバッグを置き、上着ブレザーをロッカーのハンガーに掛けながら二人の様子を注視していると、ふいに華子は結依の顔を見て、照れくさそうに指先で頬を掻いた。


「もう。ユイちゃんに見られてると恥ずかしいよ」

「えー。華子さんは教えるの上手いですよ」


 そうは言いながらも、こんな楽しそうな場面を黙って見ているだけなんて我慢できず、結依は着替えもしないまま二人のそばに歩み寄る。


「わたしもあいりちゃんにアドバイスしていいですか?」

「もちろん。あいりちゃん、ユイ先生が来てくれたよ」

「そっちの方が恥ずかしいですって、もう」

「ユイちゃん、お願いします!」


 緊張と期待の入り混じった目で自分を見つめてくるあいりに、結依は小さく頷いた。


「あいりちゃんがクロスターンで足をもつれさせちゃうのは、爪先に力が行き過ぎてるからかな。こう、ターンしたときに……」


 スカートの裾がふわりと持ち上がるのを片手で押さえながら、結依はその場でくるりと回ってみせる。

 アイドルパフォーマンスに限らず、あらゆるジャンルのダンスで多用される基礎的な動きムーブだ。右足を斜め前に出してターンしたので、回り終えた時には右足が少し後ろに来る。


「……身体の重心がちゃんとしてたら、こう、『気をつけ』に近い姿勢でピタッと止まれるの。でも、重心がズレてると……こう、ターンの終わりに足がもつれちゃう」


 ずっと昔にダンスの先生から教わったことを思い返し、結依はわざと不格好なターンを二人に見せた。

 あいりがハッと目を見張る。この足のもつれ方は初心者が突き当たる最初の壁のようなもの。誰もが最初はこのレベルから始まるのだ。


「どうしたらいいんですか?」

「クロスターンは、重心を体の中心に集めるのが大事なの。足の裏全体で地面を踏むイメージで……爪先だけじゃなくて、足の全面にバランスよく体重をかけて、それをキープしながら回る感じ」


 そう言って、結依はもう一度その場で回った。

 ターンは遠心力だ。ある程度の勢いがなければ回れないので、他の振り付けのように、ゆっくりと実演してみせるというわけにはいかない。だが、伝えたいことはきっとこれで伝わるはず。


「このとき、お腹の筋肉とかを緩めてたら、力が外側に逃げていっちゃって、キレイなターンにならないの。ターンの基本は良い姿勢を保つこと……。あ、だから、あいりちゃんはきっと得意なはずだよ」


 喋りながら結依も気付いた。育ちが良く、茶華道を仕込まれてきただけあって、あいりの立ち方や座り方はすごく綺麗だ。言うなれば彼女は、ダンスが上達するための最初の条件をクリアしているようなもの。

 実際、直後に結依が促すと、あいりは先程よりも足の揃ったクロスターンを一度で達成してみせた。


「わっ! ユイちゃん、できました!」

「そうそう、その調子。あいりちゃんならもっとキレイに回れるようになるよ」


 あいりの喜ぶ顔が結依も嬉しかった。横で華子が一緒に喜んでくれるのも。

 そのまま何度かクロスターンを練習してから、あいりは更に目を輝かせ、結依に問うてくる。


「あの、ユイちゃんみたいに、何度もくるくる回るのはどうしてるんですか?」

「あれは、キックターンっていって……」


 踏み込んだ足にもう片足を絡ませて回るキックターンは、クロスターンと比べるとやや上級のテクニック。一回転はコツさえ掴めば簡単だが、二回転以上は経験者でなければ難しい。


「いきなりは難しいから、まずはクロスターンを使いこなせるようになりましょ?」


 結依が言うと、あいりは少し寂しそうな目をしたが、それでも素直に「ハイ」と頷いた。


「わたくしが上達したら、もっと色々教えてくださいっ」

「うん。もちろん」


 ロッカーの前で練習着に着替えながら、結依はあいりのを思った。全くの初心者でありながら、基礎のターンしか教わらないことを物足りなく思えるという向上心の強さ。

 昨日のテレビ局の人との話の中で、このアイドル部から指名されているのが結依一人だと知ったときの、あの寂しそうな目からしてそうだ。もしかしたら彼女は、自分なんかよりも余程この道にのかもしれない……。

 だが、どんなにやる気があっても、漫画のように一足飛びで上達することなど誰にもできない。誰もが地道に一歩一歩を積み重ねていくしかないのだ。そう、それは自分も同じ――。


「なんだか……いいね、こういうの」


 華子がぽつりと言う文字こえが、結依の眼鏡グラスのレイヤーに浮かんだ。


「わたしも出たいよ。悔しいな。なんで新入生じゃないんだろう」

「……華子さん」


 結依達「ELEMENTSエレメンツ」の中で唯一、今年の新入部員ではない華子は、新人アイドルを集めたトーナメント戦に名乗りを上げることはできない。

 だが、そのかわり、彼女は皆のために新しいステージ衣装を作ってくれると言っていた。今も華子の傍らの机には、過去のエイトミリオングループの衣装の写真を集めた分厚い資料集がある。


「みんな、ステージの上では華子さんと一緒ですよ」


 着替えを終えた結依は、華子の隣に寄り、たくさんの付箋が貼られた資料集を手に取った。ぱらぱらとページをめくり、色とりどりの衣装を視界に収める。華子が付箋を貼った箇所は、どれも結依の好きな衣装ばかりだった。


「うん。いい衣装作るから、楽しみにしててね」


 結依が華子と笑みを交わしあったところで、ちょうど、残る二人の仲間が揃って部室スタジオにやって来た。


「アナタ、女子じょし女子じょししたものに憧れてたとか言ってたくせに、なんで放課後のたびに男役みたいな格好してるの?」

「そう簡単に自分を変えられるものではありませんよ。中身はマリナ先輩より乙女かもしれませんが?」


 からりと扉を開け、マリナと怜音レオンが何やら言い合いながら入ってくる。結依が挨拶するやいなや、マリナは先日と同じように携帯ミラホの画面を突き付けるようにして結依に迫ってきた。


「ユイちゃん、聞いてよ。あの生意気な子が作ったあたしの新曲、何のメロディに合うのか調べてみたら、なんか『高飛車マリコ』とかいう曲みたいなのよ。どう思う!?」

「あー……。マリナさんにぴったりでいいんじゃないですか?」

「あたしのどこが高飛車マリコなのよ! 名前が似てるだけでしょ!?」


 マリナの剣幕に華子とあいりが笑いをこらえている。結依にはむしろ、なんだかんだでマリナが和希かずきの作った歌詞をちゃんと歌おうとしていることの方が微笑ましかった。


「名誉なことじゃないですか。初代『七姉妹セブン・シスターズ』の一人、マリコ様と同一視してもらえるなど」


 怜音は口元を押さえて笑っていた。その手に一冊の雑誌が携えられているのに結依は気付いた。


「レオンさん、何ですかそれ?」

春暁しゅんぎょうのミュージカル部の特集記事が載っているんだ。のことを知っておきたくてね」


 スムーズな手つきでページを開き、怜音は雑誌を結依達のそばの机の上に置いてくれた。そこに載っていたのは、中学生らしき女の子達が、誇らしげな笑みで優勝旗を掲げる姿だった。


「今度のトーナメントに出てくるという、春暁学園高校の高蔵寺こうぞうじユーリア。中学までは名古屋本校に居て、ミュージカル部で主演を張っていたらしい」


 写真の中心の一人を指差し、怜音は続ける。それは、ぱっちりした目と唇が特徴的な、名前の通り異国の雰囲気を感じさせる少女だった。


「彼女の活躍によって、春暁は中学ミュージカルの全国大会でグランプリに輝いている……。どんな事情があって、東京分校に移ってまでスクールアイドルに転向したのかはわからないが、そんな子が出てくるからには自分も負けてはいられない」


 怜音の目は早くも戦いの色に燃えていた。そこへ「何よ」とマリナが横から茶々を入れる。


「あたしだって負けないんだからね。レオンもユイちゃんも、この子や指宿なんちゃらに行き着く前にあたしが倒してやるわ」

「あの、わたくしは……?」

「あいりちゃんも倒す!」


 びしっと腕を伸ばして宣戦布告するマリナに、結依はくすりと笑った。

 全員が前向きな戦意に燃えている。恐れ多くも指宿リノに啖呵を切った甲斐はあった、と結依は思う。


 と、そこで、部室スタジオのドアをノックする者があった。華子の返事を待って扉を開けたのは、目の下にくまを作った和希だった。

 結依達がトーナメント戦に臨むことは、昨日の内に彼にも伝えてある。

 彼は一同に目礼して室内に足を踏み入れ、一枚のルーズリーフを手に、結依の目の前に立った。勝利を導く最後の一ピースだ。


「出来たぜ、お前の新曲。……ホントは一晩で持ってこれたら格好良かったんだけどな」


 にやりと口元をつり上げる和希に、結依もふふっと笑みを返した。受け取ったルーズリーフに結依が目を落とすまでには、誰からともなく仲間の全員が結依の後ろに集まっていた。


「……すごい」


 そこにつづられた手書きの歌詞を見て、結依は素直に呟いた。

 何の曲のメロディを元にしているのかは、尋ねるまでもなくわかった。

 皆に語った美鈴みれいとの過去。結依がトップアイドルを目指す理由。その全てをフルコーラスの歌詞に織り込みながらも、王道の激しさを失わず、しっかりと一曲に仕上がっている。


「アナタ、偉そうなこと言うだけのことはあるじゃない」


 マリナが横から言う文字こえに、結依もこくこくと頷いた。

 秋葉原エイトミリオンの本流を守りながらも、この世に二つとないオリジナルの歌詞。これが、結依にしか歌えない、結依だけの新曲――!


「トーナメントは俺も見に行くぜ。アンタら全員の戦いぶりを目に焼き付けて、今度は団体戦用の歌を書かなきゃいけねーからな」


 和希はポケットに手を突っ込み、不敵な顔で笑った。相変わらず生意気なその態度に、今や上級生達も敢えて声を上げることはしなかった。


「……しっかり見てて。みんなの力で、わたし、必ず勝つから」


 負ける気がしない、という気持ちになったのは初めてかもしれなかった。

 新しい衣装に、自分だけの新曲。そして同じ道を走る仲間。揃えられるだけの手札を全て揃えて、敵地に乗り込むのだ。

 大人の世界が恐ろしいのは、きっとプロになってからも同じ。夢への前哨戦にはちょうどいい。この戦い、必ず勝ってみせる――!



(5th Single:足りないもの 完)

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