Track 03. 「神」からの招待

 俺がお前に相応しい歌詞を書いてやる――と。

 結依ゆいの目を見て堂々と言い放った和希かずきに、結依は数秒、何も言葉を返すことができなかった。


 彼が作家になっていたらしいことも。昼休みに行き会ってからの僅か数時間で、アイドル部に乗り込む準備をここまで整えてきたことも。

 驚きに値するはずのそれらの事実も、今は結依の意識の中核にかすりもしない。眼鏡グラスのVRレイヤーに映る、和希の態度を咎めるマリナや怜音レオンの言葉も。数年ぶりに会った和希が、何故そこまで真剣に自分に関わろうとしてくるのかという当然の疑問さえも。

 そんなことより、気になるのは――。


 ――今の瑠璃と結依あなたたちには、まだまだ決定的に足りないものがある。だから、わたしの娘には勝てない――。


 昨日の指宿いぶすき大臣の言葉が、結依の脳内でぐるぐると渦巻く。

 結依自身も昨日からずっと考えていた。今の自分に一番足りないものは何なのか。歌唱センスか、ダンスのキレか、言葉にできないアイドルオーラか。考えれば考えるほど、自分には足りないものだらけのように思えてくる。、今の自分に一番必要なものは何か――。

 だが、ここにきて、和希は自分が思ってもみなかったことを言うのだ。秋葉原エイトミリオンの真似事コピーでは意味がないと。オリジナリティこそが結依おまえに足りないものなのだと。


「……オリジナルの曲を……歌うの? わたしが……」


 思考が纏まらないまま喋ったため、おかしな語順の発言になった。和希はそれを待っていたように、「ああ」と口元をつり上げた。


「だから、お前のこと、もっと教えろよ。なんで耳が聴こえなくなったのか。……ミレイさんと何があったのか」


 どきり、と心臓が脈打つ。赤の他人なら気を遣って訊こうともしないところに、彼は微塵の迷いもない太刀筋で斬り込んでくる。


「それは……」


 仲間達の手前、結依は逡巡した。

 この中では怜音レオンにしか話したことのない過去。和希に聞いてもらうのは良いだろう。だが、他のメンバーはどうか。一緒に全国優勝を目指す仲間になったとはいえ、自分の重荷まで一緒に背負わせてしまっていいのか――。

 だが、そこで、僅かな静寂を破ったのは華子はなこだった。


「わたしも聞かせてほしいよ」


 えっ、と結依が顔を向けた先には、真剣な光を宿した華子の優しい目があった。


「ユイちゃん、言ってたよね。エイトミリオンのトップに立つのは、との約束だって。……それが、ミレイさんって人なの?」


 スミレ色の文字がレイヤーに走る。結依が口を開きかけたところで、あいりの文字こえが横から滑り込んでくる。


「秋葉原エイトミリオンの雪平ゆきひら美鈴みれいさん、ですよね。……わたくし、昨日調べたんです。2036年の総選挙で選抜入りまで行ってたのに……、次の年の総選挙では順位が下がって……。そのすぐ後に、急な病気で……」


 自分のことのように辛そうに語るあいりの言葉に、結依は、思わずふるふると首を振っていた。


「……ミレイちゃんは、病死じゃないよ」


 世間の人達がどれほど偽りの情報を信じていようと、全く気にもならないのに。

 結依の心は思ってしまったのだ。この仲間達にだけは……間違ったことを信じていてほしくないと。

 皆が結依を見ていた。華子も、あいりも、マリナも。

 ミレイ先輩の夢を叶えるんだろう――と、昨日の大会で怜音が自分を奮い立たせてくれた言葉を、当然、彼女達も聴いていたはずだ。三人とも、昨日はそのことを問いただしてはこなかったが、本来、気にならないはずがない。

 そう。仲間であればこそ、気にせず流せるはずがないのだ。


「話してよ、ユイちゃん。あたしのカッコ悪いところを散々見ておいて、あなたの弱みは見せないなんてズルイわ」


 自嘲を交えたようなマリナの言葉が、じわりと結依の心に温かい何かを広がらせた。

 無意識の内に、結依は皆に視線を巡らせていた。マリナに。華子に。あいりに。和希に。そして怜音に。

 結依が見上げた先で、怜音は小さく頷いてきた。その力強い瞳が語っている。キミの仲間達を信じろ、と。


「……わかりました。……みんな、聞いてください」


 涙に声が震えそうになるのを抑えて、結依は語り始めた。皆の顔をじっと見渡して。

 仲間の決意を見誤っていた自分に気付いた。勝手に線引きすることはもうやめようと思った。五人で夢を追うのなら、きっともう、この記憶を心の扉の奥に仕舞っておく必要はない――。


「ミレイちゃんは、子役スクールの先輩で……わたしの憧れの人でした。子供の頃、一緒に秋葉原エイトミリオンの公演を観に行って……約束したんです。ミレイちゃんもわたしも、秋葉原エイトミリオンに入ってアイドルになるって」


 一度扉を開いてしまえば、あとは流れるように言葉が溢れ出した。

 美鈴と二人、アイドルへの憧憬どうけいを語り合った日々のこと。

 秋葉原エイトミリオンの一員となった美鈴の背中を追って、自分も子役アイドルの道に邁進まいしんしてきたこと。

 総選挙で選抜落ちを喫した美鈴が、それでも挫けずに再起を誓っていたこと。

 そんな美鈴が――何の罪もない美鈴が、あの日の事故で、無惨にも命を絶たれてしまったこと。

 そして――この耳がこの世で最後に捉えた、彼女の今際いまわの際の言葉のこと。


「ミレイちゃんが最期に言ったんです。『わたしのかわりにアイドルになって』……って。……だから、わたしは……」


 戦わなきゃいけないんです、と結依は言った。彼女のかわりに、わたしが。

 知らず知らず俯いていた顔を上げると、涙に濡れた華子の瞳が目に映った。


「ごめんね、ユイちゃん……。わたし、なんにも知らなかった。ユイちゃんが……そこまでのものを背負って戦ってたなんて……」


 自分が勝手に話さなかったのだから華子が謝ることではないと、結依は必死に首を振る。

 あいりも泣いていた。マリナさえも唇を噛み、怒りとも悔しさともつかない何かに拳を震わせていた。

 結依の眼鏡グラスは、椅子に座ったまま呆然と目を見開いている、和希の青い文字こえを捉えた。


「そんなのってねぇよ……。その事故とやらが無かったら、お前は今頃、に居なくて良かったんじゃねえか!」


 荒げた声が直接聴こえたわけでもないのに、結依はびくりと身体を震わせてしまった。声変わりを経た今の和希の声など知らないのに、胸の奥底から悔しさを吐き出すような彼の叫びが、自分の耳にはっきり届いたような錯覚がした。


「なんでだよ……。大して凄くもねえヤツらに限って、親の名前だけでチヤホヤされてんのに……。なんで、お前みたいな凄いヤツが、そんな目に遭わなきゃいけねえんだよ……!」


 だん、と和希は片手の拳を自身の膝に叩き付けていた。ぎりっと奥歯を鳴らす音までも聴こえてくるような彼の表情に、横からマリナの文字こえが重なった。


「あなた……本気で惚れてたのね。ユイちゃんの才能に……」

「……ああ、そーだよ。俺を折れさせたコイツが地を這う姿なんか見たくない。……アンタだってそうだろ?」


 先程まで和希の態度に一番怒っていたはずのマリナが、今は毒気の抜けたような目で彼を見下ろしている。


「そうね……。あなたのこと、ちょっとはわかった気がするわ。あたしだって……ユイちゃんがあの瑠璃るりって子に負けそうになってるとき、メチャクチャ悔しかったもの」


 マリナの言葉に呼応するように、華子達も頷いていた。

 結依は思う。あの事故が無かったら、自分はどうなっていただろう。

 秋葉原エイトミリオンのオーディションに受かっていたかもしれない。今頃は総選挙で名前を呼ばれる立場になれていたかもしれない。そして……美鈴と一緒にステージで歌えていたかもしれない。

 きっとそれは幸せな未来だっただろう。だけど、その仮定の未来には、華子も、マリナも、怜音も、あいりも居ない。あのことがなければ、自分はこの学校に入ることもなかったし、皆とスクールアイドルをやることもなかった……。


「わたし、普通に考えたら不幸だったかもしれないけど……だけど今は、運命を恨んだりしてないよ。そんな目に遭ったおかげで、華子さんや、みんなに出会えたんだから」


 和希がハッとなった目で結依を見上げてきた。結依は彼に一歩歩み寄り、まっすぐその目を見て言った。


「だから、カズキ君。……わたしの大事な居場所を、なんて言わないで。わたしはここで戦いたいの。みんなと一緒に」


 和希の黒い瞳が、微笑みを作る自分の姿を映していた。

 二人が視線を合わせていたのは、数秒のことだっただろうか。

 ややあって、和希は膝の上で両の拳を握ったまま、力なく、静かに皆の前でこうべを垂れた。


「俺は……コイツに、凄いヤツで居続けて欲しいんです。七光ななひかりなんて言われてる連中よりも……コイツはずっと凄いんだって、証明してやりたい。だから」


 上級生達に顔を向け、和希は言う。無理して突っ張っているような先程までの態度ではなく、きっとこれが飾らない彼の姿なのだろうと思わせる素直な目で。


「俺にも、コイツの力に……いや、このアイドル部の力にならせて下さい。……お願いします」


 スタジオに流れていた一触即発の空気は、今やどこかに消え失せていた。

 マリナが華子に顔を向け、意思決定を促す。


「どうするの? 華子キャプテン」

「わたしは……」


 その目に迷いが無いことは、結依にももうわかっていた。


桐山きりやま君の書いてくれる歌詞で、ユイちゃんもわたし達も強くなれるんだったら、断る理由なんてないよ。それに――」


 だが。

 その後に華子が続けた言葉だけは、結依の予測にないものだった。


「今、こんなこと言っていいのかどうかわからないけど……だもん。たとえ作詞だけでも……。いつかはわたし達だけの歌を歌えたらいいなって、ずっと思ってた」


 控えめな笑みを交えた華子の言葉に、結依は目から鱗が落ちる思いだった。


「そうなんだ……」


 結依が独り言のように呟いてしまったのを聞いたのか、華子は嬉しそうに笑いかけてくる。

 部長としての判断や、結依の仲間としての気持ちだけではなく――

 スクールアイドルに打ち込んできた一人の女子としての感情に、その目は輝いているように見えた。


「なんだか……わたしの方こそ、ごめんなさい。大事なこと、わかってなくて」


 自分はこれまで、秋葉原エイトミリオンの曲を高精度でカバーすることしか念頭になかった。昨日の大会で、強豪と言われるグループが競ってオリジナル曲を繰り出してくるのを直に見ながらも、自分はその意味を本当のところでは理解していなかった。

 曲のクオリティが高ければ審査で有利になるとか、そういう話じゃない。あの子達にとって……自分達だけの持ち歌を歌うことは、喜びだったんだ。

 今の今まで、自分は、本当の意味でスクールアイドルになりきれていなかったのかもしれない――。


「カズキ君、お願い。わたし達を――スクールアイドル『ELEMENTSエレメンツ』を、今よりもっと輝かせて」


 結依が和希の前にそっと手を差し出すと、彼は不敵な笑みを取り戻し、その手を取らずに言った。


「プロになろうってヤツが握手を安売りすんなよ。お前がエイトミリオンに入ったら、握手券買って並んでやる」

「……そんなに簡単に抽選当たらないよ。わたし、一番人気になるんだから」


 結依は和希に負けない不敵さで笑い返した。華子達だけではなく、彼と会えたことも、あの事故が自分の人生にもたらしてくれた幸運なのかもしれないと思った。

 皆の弛緩した空気を読み切ってか、怜音がぱんっと手を叩く。


「さあ、レッスンの時間だ。男子は出てってもらおう」


 和希は素直に椅子から立ち上がると、最後に結依に向かって言った。


「お前の仲間が、いいチームで良かった。歌詞が出来たら持ってくる」


 部室を出ていく彼に結依は小さく頷いた。自分がどんな歌を歌うことになるのか、なんだか楽しみになってきた。


「ユイちゃん。みんなで一緒に頑張ろうね」


 振り向いた先には、結依をふわりと包み込んでくれる華子の優しい笑顔があった。

 和希の、華子の、皆のおかげで、に気付くことができた。次の大会までに、わたしは――いや、わたし達は、今よりもっと強くなれる。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 結依達「ELEMENTS」に更なる激震が走ったのは、その翌日のことだった。学校の広報部を通じて、テレビ局がアイドル部に面会を申し入れてきたのだ。

 昼の内に華子からラインでその報せを受け、放課後、結依がクラスの雑用を終えて急いで部室スタジオに駆けつけると、そこには既に華子ら四人が全員集まっていた。


「こんにちは。火群ほむら結依さん」


 学校の事務員が形だけ同席する中、にこにこと営業スマイルを作って結依に名刺を切ってきたのは、派手なスーツに身を包んだ、一目で業界人テレビマンとわかる壮年の男性だった。

 緊張していた気持ちが少しだけしずまるのを結依は感じた。この男性は初対面だが、こういう雰囲気の大人なら見慣れている――。

 机を挟んで男性と向き合う形で、結依が華子の隣に腰を下ろすと、男性は手元のタブレット端末をすっと結依の前に差し出してきた。


「単刀直入に申しましょう」


 一昨日の大会の件で取材に来てくれたのだろうか、と結依は淡い期待を抱いてしまっていたが、実際のところ、男性が持ってきたのはそれ以上の話だった。

 タブレットに映る企画書には、「School Idol New Stars」の文字。


「来たる五月六日……ゴールデンウィークの最終日。我々は、スクールアイドル・ニュースターズと銘打ったトーナメント番組のライブ放送を企画しています。早い話が、高校アイドルの有望新人を集めた新人戦ですね。ここまで言えばおわかりでしょうが――火群さんにも、そのトーナメントに出場して頂きたいのです」


 レイヤーに流れる男性の文字に、華子達の驚きの声が重なる。

 結依も予想外の話に目を見張った。芸能界を追われた自分が、テレビの企画に――?


「五月六日って……春の全国大会の次の日……」


 華子の呟く声をしっかり眼鏡グラスが拾い上げる。男性もそれを無視することはせず、にこりと笑って反応した。


「ええ。全国の強豪達がちょうど東京に集まってくるタイミングです。既に目ぼしい新人アイドルには声を掛けさせて頂いているんですよ」


 男性はすっと手を伸ばし、タブレットの表示ページをめくった。企画書の二ページ目には、きらきらしたオーラを纏ったスクールアイドル達の画像が所狭しと並べられていた。一昨日の大会での結依の写真もあるし、あの春日かすが瑠璃るりも勿論顔を連ねている。


春暁しゅんぎょう学園からは、『七光』の春日瑠璃さんや、異色の新星と言われる高蔵寺こうぞうじユーリアさん。それに、福岡の清學館せいがくかん高校からは、かの博多エイトミリオンの薩摩さつまサクラの娘……『七光』の薩摩芳乃よしのさんも出てくれることになっています。どうです、相手にとって不足はないでしょう」

「そう……ですね……」


 正直、願ってもない話だと思った。この自分がテレビの表舞台で戦わせてもらえるなんて。思わぬチャンスに胸が躍る。だが……。

 華子の隣で、ムッとした顔を隠しきれていないマリナや。

 顔に出しはしないまでも、纏う空気の鋭さを一段上げた怜音や。

 反対隣からタブレットを覗き込みながら、心なしか寂しそうな目をしているあいりの様子を、結依が見逃すことはなかった。


「あの。この学校からは、わたしだけ……ですか?」

「? そうですよ?」


 男性は結依の質問を気にも留めない様子で、両手を机の上で組み、次の話題に移ってしまった。


「先に申し上げておきますと、この番組の指宿いぶすきひとみさんです。ご存知ですか?」

「ハイ。指宿リノさんの娘さん……ですよね」

「ええ。まあ、誤解を恐れず言えば、火群さん達はということなんですよ。気を悪くしないで下さいね。火群さんには今さら言うまでもないでしょうが……放送ウチの業界は、ですので」


 男性が自嘲ぎみに笑ったので、結依もとりあえず控えめに唇を緩めた。


「とはいえ、トーナメント自体は真剣ガチのアイドル対決です。ヤラセ、八百長はありません。……指宿大臣としては、そんなことしなくても娘が負けることはないと踏んでるんでしょうね」

「……」


 男性の言葉をききながら、結依は思い返していた。壇上から「わたしの娘には勝てない」と告げてきた指宿リノの恐るべきオーラを。ネットで見た指宿瞳という子の眼光に宿る銀河の重力を。

 ハッタリや親馬鹿ということは有り得ない。あの指宿リノが言うのだから、指宿瞳は本当に凄い才能を持ったアイドルなのだろう。

 だが、だからこそ――。

 その指宿瞳をテレビの舞台で下すことができれば、「灼熱のユイ」の復活を全国に知らしめることができる。

 望むところだ――と、結依が机の下で拳を握ったとき、男性の手が結依の前からタブレットを取り上げた。


「火群さん宛に指宿大臣からのメッセージを預かっています。どうぞ」

「えっ?」


 再び目の前にタブレットを置かれ、結依は息を呑んだ。画面に映っているのは確かに、穏やかな微笑を湛えた指宿リノその人だった。

 公務で多忙を極める一国の大臣が……いや、エイトミリオングループ史上最強の女王が、わたしなんかのために直々に録画メッセージを――!?


『こんにちは、火群結依ちゃん。先日の地区大会は残念だったね。だけど、わたし、あれからあなたの耳のことを知って、びっくりしたわ。それであれだけのパフォーマンスをやってのけるなんて……只者じゃないね、ユイちゃん』


 画面越しでも損なわれないその眼力めぢからに、結依は思わず膝の上でスカートを握っていた。


『そんなあなたに招待状よ。詳しいことはテレビ局の方が説明してくださると思うけど……わたし、あなたを戦わせてみたいの。わたしの――指宿ひとみと』


 そこで画面にカットインしてきたのは、ネットでも見た黒髪の少女――指宿瞳の画像だった。

 高校の制服を身に纏ったシンプルな笑顔の写真が、ただ一枚。名前の通り、見る者全てを惹き付けるような黒い瞳に結依がハッと息を呑んだ瞬間、画面は再び指宿大臣の語りに戻った。


『自分の限界を知る覚悟があるなら、この戦場にいらっしゃい』


 赤い唇で笑いかけてきたその笑顔の恐ろしさに、結依はびくりと身体を震わせる。

 プロのアイドルを目指す自分にとって、指宿リノは雲の上のそのまた遥か上。

 それでも、せめて――自分の身を襲うこの震えは、武者震いなのだと信じたかった。


「……わたし、負けませんよ」


 画面に映る女王の目を見つめ返し、結依はそっと呟いた。

 すると――。


『ふふっ。楽しみにしてるわ』


 ――!?


 見間違いではない。画面の中の指宿リノは、確かに、のだ。


「……!」


 一瞬の出来事に心臓を鷲掴みにされ、冷たい血流が全身を駆け巡る。まばたきもできない結依に向かって、は再びふふっと笑いかけてきた。


『録画だと思ったでしょ? 実はリアルタイム通話でした。びっくりした顔も可愛いね、ユイちゃん。それじゃ……』

「待ってください、リノさん!」


 どうしてそんなことができたのかわからない。声帯が、唇が、意識を介さず勝手に動いていた。

 結依の引き止めに応じ、指宿リノは、「なぁに?」と問い返してくれた。

 バクバクと脈打つ左胸を必死に押さえ、結依はやっとのことで息を吐く。

 雲上人うんじょうびとの目が自分に注がれている。こんな凄い人が自分を見てくれている……。

 それが、普通なら決して有り得ない出来事で。

 望むべくもない栄誉なのだということは、頭ではわかっている。


 だけど……それでも。

 一つだけ、気に入らないことがある。

 それは――彼女の目には、結依わたししか映っていないことだ。


「……リノさん。このアイドル部の新入部員は、わたしだけじゃないんです」


 自分でも信じられないほど流暢に、唇が動いて言葉が出た。


「同じ一年生のあいりちゃんも……それに、上級生だけど、レオンさんとマリナさんも、この春入ったばかりの新人アイドルですよ」


 バラエティの世界でも女王であった指宿リノは、流石に、「だからどうしたの?」といった無駄なやり取りを挟むような人物ではなかった。


『その子達も出場させて欲しいってこと? わたしは構わないけど……わかってるよね。今回のトーナメントはチーム戦じゃなくて、個人戦なのよ』


 侮りでも、あしらいでもない。きっと、女王は純粋な気遣いで言っているのだ。実力の伴わない者を連れてきても、全国中継で恥を晒すだけではないのか、と。

 だが、結依の信じる「ELEMENTS」の仲間達は、そう言われて怯むような弱い心の持ち主ではなかった。


「自分は望むところです。『ELEMENTS』が彼女だけのワンマンチームではないことをご覧に入れましょう」

「あ、あたしだって。引き立て役どころじゃないわ。主役を食ってやるわよ」


 怜音とマリナが競うように画面に向かって声を上げる。続けてあいりが「わたくしも」と述べたことにも、今さら驚く者などここには居ない。


「わたくしも……その戦場で戦ってみたいです。お願いします」


『……素敵な仲間を持ったのね、ユイちゃん。いいわ。何人でも一緒にいらっしゃい』


 画面越しに結依達一人一人に目を合わせて、指宿リノは笑顔のまま言った。


『娘のデビュー戦には、できる限り最高の舞台を整えてあげたいもの。……思い出すわ、年々、地方グループが増えて、賑やかになっていった総選挙を。山裾やますそが広ければ広いほど、頂上の景色って良いものなのよ』


 本当に楽しみにしてるからね――と、最後まで笑顔で手を振って、女王は画面から消えた。ブラックアウトしたタブレットの画面が、決意に満ちた結依達の顔を鏡のように映していた。

 ユイちゃん、と華子が横から声を掛けてくるのは、眼鏡グラスが音を拾う前にわかった。


「信じてるからね。ユイちゃんなら勝てるって」

「……わたしも信じてます。みんなと一緒なら、誰にも負けないって」


 待ち受ける戦いが個人戦だと知りながら、それでも結依はそう言った。ステージに上がる身は一人でも、自分は決して独りじゃないと知っているから。


「期待しています。火群さん」


 テレビ局の男性の文字こえに、結依は武者震いに震える拳を握って答えた。


「期待以上のものをお見せします。必ず」


 戦いは――十二日後。

 待っていろ、指宿瞳。持てる力の全てを懸けて、あなたと勝負してやろうじゃないか――!

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