Track 02. 文壇の新星

 ランチタイムを告げるチャイムが鳴り、世界史の教師は名残惜しそうにオリエント文明の余談を打ち切った。黒板スクリーン板書プロジェクションされた最後の一行をノートに写し終え、結依ゆいが補聴眼鏡グラスのモードを「授業クラス」から「通常ノーマル」に切り替えた直後、クラスの女子達の黄色い声が無機質な文字列となって彼女のVRレイヤーにポップアップしてきた。


「ユイちゃん、ランチ行くー?」

「うん。あいりちゃんも一緒でいい?」


 結依が答える相手は、いち早く自分と打ち解けてくれた数名のクラスメイト達。

 入学して最初の一週間こそ、スクールカースト頂点のマリナに突っ掛かったことで周りから避けられがちな結依だったが、怜音レオンの入部やマリナとの和解を経てからは、表立って白い目を向けられる機会は少なくなっていた。別のクラスのあいりも交えて昼食ランチの席を囲んでくれる級友達の存在は、結依の心には残雪を溶かす春の日差しのように暖かい。


「てか、ユイちゃん、昨日はアイドル部の大会だったんだよね? どうだったの?」

「……うん、頑張ったんだけどね。途中で負けちゃった」


 席を立つ間際、結依がはにかみを作って答えると、級友達は揃って目を丸くした。


「えーっ、ユイちゃんが負ける相手とか居るんだ!?」

逆瀬川さかせがわ先輩も居るんでしょ? あたし、絶対優勝だと思ってた」

「思うよねー。だってユイちゃん、あんなに凄いんだもん」


 何も知らずにきゃいきゃいと騒ぎたてる同い年の子達の手前、結依は微笑を保ったまま小さく首を振った。

 邪気のない目で自分を持ち上げてくれる彼女らの言葉が、却って結依の胸をとげのように刺す。そのくらいのことで今さら顔色を変える結依ではないが、己の心に渦巻く焦燥は拭い去れない。


「わたしなんて……まだまだだよ」


 謙遜ではなく本心から結依はそう口にした。どんなに周りが褒めてくれようとも、今の自分の力など、目指す高みにはまだ遥かに及ばない。

 昨日の敗戦も、ひとえに自分の未熟さが招いたことだった。せっかく、美鈴みれいから受け継いだ魂の一曲であの春日かすが瑠璃るりに一矢報いたのに、精神力がたずに倒れてしまった。自分の夢に仲間達を付き合わせている以上、自分がチームの柱にならなければならないのに、逆に皆に動揺を与えてしまった……。

 夏の大会に向け、課題は山積みだ。瑠璃だって、同じ手で二度も勝たせてはくれないだろう。指宿いぶすき芸能大臣の「娘」、指宿ひとみという子の存在も気になる。それに、「七光ななひかり」と呼ばれる強者は春日瑠璃や指宿瞳だけではない。東京都予選を制して全国に進めば、その先で待ち受けているのは――。


「……でも、今度は負けないから」

「そ、そうだよ。ユイちゃんなら次は負けないって」


 級友達の中の一人が、どこか怯えを取り繕うような顔でそう述べるのをきいて、しまった、と結依は思った。自分はまた怖い目をしていたらしい。口元では微笑を保っていても、真剣になるとついつい目に力が入ってしまう。こんなことではスーパー子役が聞いて呆れる……。

 皆と教室を出て、待ってくれていたあいりと顔を合わせるまでの間に、結依は自分の顔面から戦いの色を引っ込めることに務めた。

 切り替えよう。自分が少しでも険しい顔をしていたら、あいりは誰より気にしてしまう。


「あいりちゃん、お待たせ」

「ユイちゃん。待ってないですよ」


 あいりの三つ編みが小さく肩の上で揺れた。結依のクラスメイト達にも気後れせず会釈するあいりの姿を見て、結依も自ずと頬が緩んだ。

 昨日は汗と涙の戦場に居たというのに、今日はちゃんといつものあいりに戻っている。激闘のねぎらいも、悔しさの分かち合いも、次の戦いへの決意も……昨日の内に仲間と味わい尽くしたあらゆる思いを、しっかり一晩で消化して。彼女はそういう強さを持っている子なのだと、結依は改めて実感させられた。


「あいりちゃん、あたし達に敬語はそろそろやめようよー。てかユイちゃんにも敬語?」

「でも、これはクセみたいなもので……。あの、別に距離を感じてるとかじゃなくてっ」

「わかってる、わかってる。ホラ、行こ?」

「今日の日替わりパスタ何だっけー」

「ボロネーゼでしたよ。実はあれ、八日周期でローテーションしてるだけなんです」

「え、ホント!?」


 級友達と一緒に結依も驚いていた。同時に、こんな他愛ない会話で笑っている自分が、なんだか高校に入る前の自分とは別人のようで可笑おかしかった。

 そのまま、皆と連れ立って食堂カフェテリアに向かおうとしたところで――


「――」


 びくり、と横からの視線を感じ、結依は反射的に足を止めて振り返った。

 誰かが見ている。誰かが、自分を――。


「――。――火群ほむら結依」


 視線を向けた先の人物が結依の名を呼ぶのを、眼鏡グラスのAIは素早くキャッチして教えてくれた。

 廊下の壁に背を預け、制服ブレザーのポケットに両手を突っ込んで立っている細身の人影。一年生の制服を着た男子生徒だった。

 さらりと流れる前髪の奥から、こちらを見据えている黒い瞳。結依を呼び止めた声の主は彼に間違いない。

 人から注目されることには慣れているが、目の前の彼の佇まいは、単に有名人の自分に興味があるという以上の何かを感じさせた。

 様子を気にしてくるあいりと級友達に一言断ってから、結依は他所よそき用の笑顔と声色を調整する。


「わたしに何か……?」

「なんてザマだよ、って言ったんだよ」


 レイヤーに映るその文字に、結依はなぜかピンとくるものがあった。

 ぱちりと目をしばたき、結依はレンズ越しに彼の顔を見上げる。

 女子のように整った顔立ち。無理してうそぶいているようなその表情。結依の本能が呼びかけてくる。目の前の彼がどんな声で喋るのか、自分は知っていたはずだと。

 いや――あれから声変わりを経たであろう今の彼の声は、あくまで推測するしかないが――


「……カズキ君?」


 記憶の片隅から引っ張り出したその名を結依が呼ぶと、彼は、本気で驚いたように「へえ」と丸く目を見開いた。


「天下のスーパー子役アイドル様が、俺のことなんか覚えてたのかよ」

「……覚えてるよ。すぐお別れになっちゃったぶん、余計に」


 人違いでないとわかった瞬間、結依の中で記憶の糸が完全に繋がる。

 桐山きりやま和希かずき。子役スクールで少しの間だけ一緒だった男の子だ。

 それほど親しく話したことがあるわけではない。ただ、目が綺麗だったこと、歌が上手かったこと、誰より熱心に台本を読み込んでいたこと、難しい漢字をよく知っていたこと、たぶん家がお金持ちだったらしいこと、それから――

 自分が先生達の前でソロ演技をしているとき、決まって自分のことを食い入るように睨み付けていた彼の顔だけは、まだ幼かった結依の脳裏に強烈な印象をもって焼き付いている。

 結局、スクールを辞めてしまってからも、彼を芸能界で見かけることはなかった。きっと一般の暮らしに戻ったのだろうと思っていたが、まさか、同じ高校に入学していたなんて……。


「ごめんね、みんな、先に行っててもらっていい? すぐに行くから」


 結依が皆に向かって両手を合わせると、一同は心配そうな目をしながらも結依と彼を二人にしてくれた。

 授業から解放された生徒達の喧騒が視界に映っては消えていく中、結依は周りの邪魔にならないように壁際に立って、改めて和希と向かい合う。


「カズキ君、ひょっとして、昨日の大会――」

「ああ、特等席から見せてもらったよ。お前の無様な姿をな」


 ポケットから右手を出し、和希が軽く結依を指差してくる。えっ、と、結依は自分の喉から声が漏れるのを感じた。

 まさか眼鏡グラスの拾い間違いということはないだろう。彼は確かに言ったのだ。結依のことを無様だと。


「お前、何があったんだ?」


 戸惑いを隠せない結依に向かって、和希は言葉のやいばで鋭く切り込んでくる。結依は他の生徒達が傍を通り過ぎていくのを気にしながらも、彼を見上げて問い返した。


「何が、って……?」

「芸能界を辞めたのは知ってたけどさ。だからって、今さら秋葉原エイトミリオンの真似事コピー部活アマチュアの大会に出てるなんて、ガラじゃねーだろ。さっさと女優にでも歌手にでもなっちまえよ」


 矢衾やぶすまのように浴びせられる和希の言葉は、結依には不思議と厭味には感じられなかった。彼は自分の子役時代を知っている。今のもきっと、当時の結依わたしのキャリアをじかに見て知っているがゆえの発言なのだろう。

 だが……彼は当然、のことは知らない。この聴覚みみのことも。のことも。

 結依が芸能界を去った理由、即ちあの凄惨な事故のことは、徹底的に隠蔽されて、芸能関係者ですら――あの指宿いぶすき芸能大臣ですら知らないはずなのだ。


「……わたしは、アイドルがいいんだもん」

「だったら、なんでプロに行かねーんだよ。お前の実績ならオーディションなんか飛ばしてドラフト一位指名だろ?」


 和希がそんなことを言ってくるのは無理もない。この三年間、結依が行く先々で言われ続けてきたことだ。子役アイドル時代の結依を知る者ほど、結依が本気でエイトミリオンのトップを目指していると言うと、ならば何故すぐにグループ入りしないのかと聞いてくる。

 こうなると次の展開もお決まりだった。オーディションを門前払いされる理由を結依が告げると、相手は大抵、通り一遍の同情の色を示し、「頑張ってね」などと無理のある笑顔を向けてくるのだ。


「どこ見てんだよ」


 和希の台詞を追っていた視線の先に、突如そんな文字がポップアップしてきたので、結依はハッとなって和希の目を見た。


「……それ、VR眼鏡グラスか?」


 結依の眼前で、和希の目の色が変わっていく。優しい性根しょうねを無理に隠したような鋭い目から、信じられないものを見るようなの彼の目に。


「……お前、まさか……その耳、聴こえてないのか……?」


 彼と目を合わせたまま、結依はこくりと頷いた。彼の声が静かな衝撃に震えていることは、聴こえなくても表情を見ればわかった。


「そうだよ。オーディションを受けられない理由、わかったでしょ?」


 結依はそう言って和希に笑みを投げ、再び廊下を歩き出そうとした。これ以上、あいりやクラスメイト達を待たせるのはよくない。

 そんな自分の背中に和希の声が追いすがってくるのは、眼鏡グラスがそれを捉える前からわかった。


「なんでだよ!」


 振り向かなければならない気がした。和希の声は、多分きっと、本気で結依と向き合おうとしている響きを纏っていたに違いないから。


「お前、なんで……。なんで、それでまだアイドルなんか……!」


 結依が見た和希の目は、ずっと前に見たのと同じ色をしていた。

 結依が先生に演技を褒められた時の。初めてCMの仕事を貰った時の。初めてドラマへの出演が決まった時の。レッスン場の隅からぎらりと結依を睨んでいた、あの目――。


「わたしは――」

「やっぱり、ミレイさんが亡くなったことと関係あるのか?」

「っ……!」


 予期せぬ名前が出たことで、結依の意識は瞬間、硬直した。半開きの口を閉じられない結依に、和希の言葉が続けざまに畳み掛けられる。


「すぐわかったよ。昨日の最後の一曲……あれはお前のパフォーマンスじゃない。お前がそんなになってまでアイドルにこだわるのって……ミレイさんのためなのか?」


 レイヤー越しの視線の先、和希の真剣な顔の上に浮かぶ言葉を見ると――

 なぜだか、視界がじわりと涙で歪んだ。

 胸を押さえても溢れ出しそうになる。いつもなら涙と一緒にき止めていられたはずの、感情の波が。


「……そうだよ。わたしは、ミレイちゃんの分まで戦わなきゃいけないの。ミレイちゃんが立つはずだった高みに、わたしが立たなきゃいけないの!」


 目を見開いて固まる和希の顔と、眼鏡グラスが捉える周囲の生徒達のざわめき。ぎょっとしたような視線が遠巻きに自分を取り囲むのを感じて、結依は初めて自分が声を上げてしまったことに気付いた。

 和希が見ている。自分の頬を伝う何かを。

 どうして自分は泣いているのだろう、と結依は思った。

 和希が美鈴みれいの歌を見抜いてくれたことに対してか。自分の戦う理由に気付いてくれたことに対してか。

 いや、それよりもっと単純に、結依は嬉しかったのかもしれない。誰かが自分をことが。

 華子はなこも、マリナも、あいりも、今や自分と一緒に夢を追ってくれている。怜音レオンに至っては自分の過去を聞いて受け止めてくれた。そんなかけがえのない仲間達が今の自分には居る。だが、それでも……彼女達の誰一人として、美鈴の笑顔は知らない。


「……ユイ」


 和希は呟くように結依の名を呼んだ。だが、それ以上、彼は何も言葉を続けることはしなかった。

 結依はハンカチで涙を拭って、笑った顔を作り直す。


「カズキ君。わたしのこと覚えててくれて、ありがとう」


 彼のことも聞きたい気持ちを振り切って、結依は早歩きで食堂カフェテリアへの廊下を急ぐ。

 何となく、このままでは終わらない予感がした。彼とはきっと、前より長い付き合いになる――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 あいり達とのランチを経ても、午後の授業には全く身が入らなかった。機械的にノートを取り、機械的に英文を音読し、機械的にバレーボールをはじいている内に、気付いたら一日の授業が終わってしまった。

 体操服から一旦制服に着替え、結依がアイドル部の部室スタジオの扉を開けると――


「ユイちゃん! 待ってたわよ!」


 挨拶する間も与えず、結依の前に携帯ミラホの画面を突きつけてきたのはマリナだった。


「この曲、知ってる? 知ってるわよね?」

「え、なに? なんですか?」


 結依が目を丸くしながらマリナの携帯ミラホを受け取ったところで、華子が「ちょっと、マリナさん」と突っ込みを入れる。


「ユイちゃん、今来たばかりなんだから。こんにちは、ユイちゃん」

「こんにちは、華子さん」


 怜音レオンとあいりも既に部室に来ていた。皆に笑顔で挨拶してから、結依は改めて携帯ミラホの画面に目を落とす。そこには秋葉原エイトミリオンの劇場公演の動画が映っていた。

 きらきらした玉房ポンポンを持って歌い踊るのは、往年のチーム・ドライブのメンバー達。曲名は「ドリーマー街道」。著名人プロデュース公演のセットリストにも入ったことのある曲だ。


「これ教えてよ、ユイちゃん。この曲ならあたしのチアを活かせるじゃない」

「んー……確かに振り付けはチアですけど、この曲、あんまりマリナさん向けじゃありませんよ? この歌詞のイメージは、むしろ、あいりちゃんでしょ」

「え? わたくし?」


 結依が顔を向けるのと同時に、あいりはきょとんとした顔で自分を指差した。その傍で怜音が爽やかな笑みを見せる。


「自分もマリナ先輩とはイメージが違うと言ったんだけどね、この人、聞いてくれないから」

「な……何よ。みんなして。いいじゃない、誰が何歌ったって」

「あなたはお山の大将なんですから、夢に向かって一歩ずつ山を登っていく歌なんて合うはずないでしょう」

「レオン、あんたちょっと調子乗ってない!?」


 顔を赤くして怜音を指差すマリナと、口元を覆ってクスリと笑う怜音。VRレイヤーに映る文字だけ見ると一触即発のようだが、二人が本当に喧嘩しているわけではないことは勿論結依にもわかっている。華子やあいりも釣られてクスクスと笑っていた。


「でもわたし、嬉しいな。マリナさんが本気になってくれて」


 華子の一言に、マリナがキッと眼力めぢからを強める。


「あたしは最初から本気よ。夏の大会はガチで頂点を目指すんだからね。そうでしょ、ユイちゃん」

「ふふ、そうですよ。……じゃ、マリナさん、わたし達にチア教えてください。みんなでやりましょう、『ドリーマー街道』」


 脳内で歌詞をスクロールしながら結依は言った。まあ、五人全員で歌うなら、それほどミスマッチな内容でもないだろう。

 マリナはぱっと顔を輝かせ、「望むところよ」と胸を張る。


「じゃあ、早速、基礎練を――」


 と、華子が一同に言いかけたところで。

 こんこん、と、スタジオの扉をノックする音が響くのを、結依の眼鏡グラスは捉えた。

 皆が一斉に扉に視線を向ける。……その音の主が誰なのか、結依には既にわかっていた。


「……どうぞ?」


 華子が外の誰かに言った。鍵の掛かっていない扉をすっと開けて、その人物――桐山和希が顔を覗かせる。

 和希は一目で室内の様子を見渡したかと思うと、結依に不敵な一瞥いちべつをくれてから、すたすたと華子の前に近付いていった。


「ここの代表者、アンタだよな」

「え? うん、部長はわたしだけど……あなたは?」

「桐山和希。霧江きりえ花都成かずなりって名乗った方が通じるかもね」


 結依の知らない芸名らしきものを併せて名乗ってから、和希はくるりと一同に視線を向ける。真っ先に彼に食って掛かったのは、やはりマリナだった。


「ちょっとアナタね、上級生への口の利き方ってものがあるでしょ!?」

「……ウルサイなあ、みなとマリナ。アンタ、そんなんだからチア部の後輩に下克上されちまうんだよ」

「はぁ!?」


 今にも彼に掴みかかりそうな勢いのマリナをすいっと押し退けて、怜音が和希の前に出る。


「キミ。何か用があって来たのはわかるが、そんな態度でこちらが喜んで耳を傾けると思うか?」

「逆瀬川怜音レオンさんか……。ま、この中じゃ、アンタが一番話がわかるかもしれないね」


 先程のマリナと怜音の馴れ合いとは違う、今度こそは本当の一触即発。いつ止めに入ろうかと結依がハラハラして見ていると、和希は突然びしりと腕を伸ばし、結依を指差してきた。


「俺の用件は一つ。俺はコイツの――火群結依の『』を埋めにきたんだよ」

「足りない、もの……」


 そのフレーズは、結依の意識を彼の言葉に吸い寄せる効果を持っていた。きっと他の四人にとっても同様に違いない。だって、ELEMENTSわたしたちは昨日、その言葉を遥か天上から言い渡されたばかりなのだから――。


「閉会式で指宿すっきーが言ってたよな。お前と春日かすが瑠璃るりにはまだまだ足りないものがあるって。俺はそれ、のことだと思うぜ」


 空いていた椅子を勝手に引き、和希は結依と向き合うようにして座った。結依は腰を下ろす気にもなれず、彼の言葉をオウム返しすることしかできなかった。


「オリジナリティ?」

「ああ。七光なんて言ってチヤホヤされてても、親の影を追ってるだけじゃ親を超えることはできない……。まして、アイドルの娘でもないお前が、昔のアイドルの真似事コピーなんかして何になるんだよ」


 和希の言葉をきいて、結依は呆然と目をしばたいた。

 冷水を浴びせられたような衝撃。思ってもみなかった角度からのいましめ。

 春日瑠璃が全盛期の母親ジュリナの生き写しであるのと同様、自分も、秋葉原エイトミリオンのパフォーマンスをかなりの精度で再現できているという自負があった。だが、それが、無益なコピーに過ぎないと彼は言うのか……?


「待ってよ。ユイちゃんは、わたし達と一緒に戦ってるの。あなたが誰だか知らないけれど、要らない口出しは……」


 スミレ色の文字こえがそう言っていた。だが、和希はフンと鼻で笑って、足を組み、何食わぬ顔で言葉を続けていた。


「だから、アンタらにできないことを俺がしてやるって言ってんの。俺にできないことはアンタらがやってくれよ。共同戦線と行こうぜ」


 そして、和希はスクールバッグから無造作にルーズリーフの束を取り出した。彼は椅子に座ったまま、傍若無人な態度で近くのマリナに向かってその紙束を差し出す。マリナが眉間に皺を寄せながらそれを受け取り、そして、一瞬で顔色を変えた。


「アナタ……何よこれ」

「見てわかんない? アンタら四人の新曲だよ」

「新曲!?」


 華子達もマリナの周りに集まり、紙を受け取って覗き込んだ。一人に一枚ずつあるらしい。結依があいりの分を一緒に見せてもらうと、そこには確かに、男子らしい手書きの文字でフルコーラスの歌詞が書き連ねてあった。

 引っ込み思案な少女が憧れを胸に成長してゆく、この歌詞は……?


「昼休みにアンタらのことを調べて、午後の授業中に作ってたんだ。どれも秋葉原エイトミリオンの既存曲のメロディで歌えるように仕上げてある。いつでも大会で使えるぜ」

「ほんっと、ムカつく子ね! 誰がアナタの作詞なんか――」


 自分の紙を和希に叩き返そうとするマリナを、結依は思わず遮った。


「マリナさん、待ってください」


 マリナからルーズリーフを受け取り、結依はその内容に目を通してみる。

 やはりそうだ。彼女の個性、境遇、アイドル部との関わり……周りの生徒から集められる限りの情報を集めたのか、湊マリナという人物そのものを反映したような歌詞が、アイドルポップスとしての基本をしっかり押さえてつづられている。きっと華子や怜音の分も同じだろう。

 結依は昔馴染の不敵な顔を改めて見つめた。この言葉運びのスキルも、アイドルソングへの理解も、とても一朝一夕で到達しうるレベルではない。和希は一体、子役スクールを辞めてから何を……?


「あっ!」


 そこで突然結依の視界にポップアップしたのは、あいりの色の文字こえだった。


霧江きりえ花都成かずなりって……ひょっとしてあの、高校生作家の……!?」

「何よそれ?」

「ご存じないんですか!? 去年、『偶像の精度』で有名になった新人作家ですよ!」


 あいりは珍しく声を張っているらしかった。一同の視線が一手に向けられた先で、和希は堂々と腕を組んであごを上げた。


「そういうこと。まあ、アンタら四人の分はオマケだよ」


 和希の黒い瞳がまっすぐ結依を見据えてくる。結依の視界に彼の言葉が浮かぶ――「本命はお前だ」と。


「俺がお前に相応しい歌詞を書いてやる。……ちょっとばかり得意なんだ、言葉をつづるのは」


 皆の驚愕も反感も意に介さない様子で、文壇の新星は宣言してみせた。

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