2nd Album:初夏の陣

5th Single:足りないもの

Track 01. 再会

 噴き上がる熱気と、ほとばしる歓声。弾ける歌声、玉散る汗。

 少女達の熱い青春がぶつかり合う熱狂の戦場――スプリング・アイドライズひがし東京大会。

 ひといきれに満ちたその客席に今、桐山きりやま和希かずきは眉をひそめながら足を踏み入れていた。


「続きまして、先攻、明東めいとう高校女子アイドル部、『アダルト・チルドレン』! 後攻、春暁しゅんぎょう学園高校東京分校スクールアイドル研究部、『Marbleマーブル』!」


 アナウンスに被せるように溢れ返る観客達の絶叫が、やかましく彼の鼓膜を打つ。和希はさりげなく片耳を押さえながら、客席の間を縫い、指定された番号の席を目指した。

 周りの客達がちょうどステージに注目するタイミングで良かった、と和希は思った。赤の他人しか居ないとはいえ、にノコノコと出かけてくる自分の姿を人に見られたくない。部活アマチュアアイドルの大会なんかを好き好んで見に来たり、あまつさえ素人の女の子達に大喜びで掛け声ミックスを打ったりする、恥ずかしい大人達と一緒にされたくはない――。


 ――タイガーファイヤー人造サイバー繊維ファイバー……。


 一心不乱に呪文を唱える周りの客達の姿に、和希は小さく舌打ちする。

 客席には彼と同じ高校生くらいの男女も少なくなかった。いい年してアイドルにのめりこむ中年おっさん達も可哀想だが、華の高校生活をこんな場所で浪費している連中もロクなものではないな、と彼は思う。せめて、行くならプロのアイドルの現場に行けばいいのに。


「ダイバー、バイバー、ジャージャー……ってね」


 嫌でも記憶に染み付いたその呪文を吐き捨てるように口にして、和希は他の客達の邪魔にならないように身を縮めて通路を横切る。

 アリーナをまっすぐに見下ろす特等席には、遠目にもよく目立つ、彼の見知った大きな背中があった。


北村きたむらさん。来たっすよ」


 和希が隣の席に滑り込んで声をかけると、ステージに見入っていた坊主頭の大男は、「もう」と顎髭あごひげを撫ぜながら顔を向けてきた。


「アンタ、来るならもっと早く来なさいよ。席取っといた意味がないじゃない」

「ウルサイなあ。早起きは苦手なんだよ」


 大男――北村がすぐにステージに視線を戻したので、和希も一つ溜息をいて、眼下で繰り広げられるスクールアイドルの戦いを眺めることにした。

 彼の目に映るのは、先攻のパフォーマンスに続き、下手しもてからステージに躍り出る後攻チームの二人ユニットの姿。先程のアナウンスによれば、先攻が「アダルト・チルドレン」、後攻が「Marbleマーブル」というチームだそうだ。周りの客達が口々に叫ぶ「超絶チョーゼツ可愛いカワイイ」のコールは、今歌っている二人がサエコとスズナという名であることを教えてくれた。


「ふぅん……」


 、というのが和希の正直な感想だった。

 歌唱はそこそこ。ダンスもまあまあ。プロとは異なる部活アマチュアアイドルの大会、それも地区予選となれば、パフォーマンスのレベルもこの程度だろう。

 強いて言うなら、あの二人のキャラに合わせて作詞されたのであろうオリジナル曲のクオリティが、高校生の部活にしてはやたら高いな、というくらい。私立高校なら部活にかける予算も潤沢なので、素人作詞ではなくちゃんとした作詞家の仕事なのかもしれない。


「どう? 凄くない?」


 一曲目のパフォーマンスが終わり、割れんばかりの拍手と歓声がステージを包み込む中、隣りに座る北村は和希の目を覗き込んで同意を求めてきた。


「……別に」

「何よ、アンタ、来たからには楽しみなさいよ。せっかくアタシが休日に付き合ってあげてんだからさ」

「北村さんの方から連れ出しといてよく言うよ……。貴重な休日潰してんのはこっちも同じだっつうの」


 和希が口をとがらせると、北村は「ガキが生意気ナマ言ってんじゃないわよ」と、拳骨げんこつで冗談程度に彼の頭を小突こづいてきた。

 一曲目の判定が表示され、矢継ぎ早に二曲目が始まる。先攻の「アダルト・チルドレン」が繰り出してきたのは、おそらくチームのエースなのであろう長身のメンバーによるソロ曲だった。……だが。


「……何だよ。ジュリナの持ち歌じゃん」


 和希が小さく呟いた言葉に、北村も「そうね」と反応する。

 なんだ、全てがオリジナル曲というわけではないのか――と、和希は目からうろこが落ちるような失望を味わっていた。「アダルト・チルドレン」の子が今歌っているのは、確か「真紅のドレスとプレジデント」という曲。名古屋エイトミリオンの春日かすがジュリナがよく歌っていた曲であり、つまり和希から見れば親世代のなつメロである。何故、こんなものを、今さら……。

 彼が冷めた気持ちでステージを見下ろしていると、一風変わったことが起こった。先攻のパフォーマンスが終わった後、後攻の「Marble」のメンバーがやはりソロで歌い始めたのも、同じ「真紅のドレスとプレジデント」だったのだ。


「何だコレ。ネタ被りかよ」

「アンタ、見て気付かない? あの子、春日ジュリナの娘の春日瑠璃るりよ。あの子ったら、さっきから凄いのよ」

「……へぇ」


 北村からその子の正体を聞かされ、少し興味が湧いた和希は、彼女のパフォーマンスを注意深く観察してみる。

 確かに、少なくとも先攻の子よりはレベルは高い。歌唱力も、ダンスのキレも、曲の世界観を全身で体現する表現力も。プロの現場ステージに放り込んでも通用しそう、と言ったら褒めすぎかもしれないが、なるほど、これが今をときめく七光ななひかり様の実力ということか――。


「そうは言っても、歌まで親のモノマネじゃなあ……」


 ミラーマッチとなった二曲目、そして続く三曲目でも圧勝を収め、笑顔で客席を沸かせる「Marble」の面々を、和希はまだどこか冷めた気持ちで見下ろしていた。


「何よ。随分と厳しいじゃない」

「厳しいっていうかさ。なんか、この程度なんだなって思って」


 はぁ、と息を吐いて、彼は次の試合のメンバー達がステージに上がってくるのをぼんやりと見やる。

 自分は何のためにここに居るのだろう、と思った。……いや、何のためにと言うなら理由ははっきりしている。取材のためだ。北村が推すの構想のための。


「ブーれてないで、ちゃんと見てなさいって。アンタのためなんだからね」

「はいはい、わかりましたよ」


 腕組みをして椅子に背中を沈めた和希の隣で、食い入るように次の試合を見ている、この北村という男。和希は決して彼に頭が上がらない。何しろ、彼はただのオネエ系ではなく――和希を拾い上げてくれたなのである。


 桐山和希は半年前、中学三年生にして小説コンテストの奨励賞を受賞し、作家としての一歩を踏み出していた。本格ミステリに絡めて、パワハラ、枕営業、利権争いといった芸能界の闇をありありと描き出した和希の作品は、「本当にこれを中学生が書いたのか」と全国の論者達を驚愕させ、珍しいもの好きのマスメディアを連日騒がせることとなった。

 だが、和希は、マスコミの前に本名や顔を明かすことは決してしなかった。否が応でも自分の後ろにちらつくから逃げたくて、彼は作家の道を志したのだから。


「やっぱ、アタシとしては、カズキ君はもっと芸能界のキラキラした部分を書いた方がいいと思うのよ。若いんだからさ」

「って言うけどさあ。芸能界がキラキラしてねーの、俺知ってるもん」


 最早お馴染みともなったやり取りを北村と交わしながら、和希は渋々といった気分で大会の進行を眺め続ける。

 一戦十分程度の勝ち抜き戦トーナメントだ。瞬く間にいくつかの試合が終わり、次にステージに出てきたのは、双柱ふたばしら学園高校の「ELEMENTSエレメンツ」と、鳥居坂とりいざか女学院高校の「花鳥かちょう風月ふうげつ」だった。……ん、双柱学園?


「ホラ、アンタの学校じゃない?」

「……マジかよ」


 和希は思わず椅子から身を乗り出してしまった。聞き間違いかとも思ったが、電光掲示板の表示にも間違いなく「双柱学園高校」と書かれている。そう、和希がこの春に入学したばかりの高校――。


「ウチにアイドル部なんてあったのかよ」

「え、普通は入学した時に部活動紹介とかあるんじゃないの? アンタ出なかったの?」

「興味なかったんだよ。どうせ部活なんか入らねーし」


 自分の学校のチームが出ているとあっては流石に気になり、和希は眼下で始まる試合にいつの間にか神経を集中させていた。双柱学園の「ELEMENTS」が先攻で繰り出すのは、男じみた雰囲気の長身のメンバーと、初心者っぽい三つ編みのメンバーによる「ナイト・バタフライ」。例によって秋葉原エイトミリオンの昔の曲のカバーである。対する後攻チームはオリジナル曲。一曲目の判定は敢えなく「ELEMENTS」の負けとなってしまった。

 何だよ、もっと頑張れよ――と和希が思った次の瞬間、ステージには新たに三人のメンバーが躍り出てくる。「ELEMENTS」は二曲目も秋葉原エイトミリオンのカバーだった。センターは明るい色のショートボブ。揃いの衣装で脇を支えるのは、なんだか地味な印象のメンバーと、そしてもう一人――。


「……あいつ!」

「え、なに!?」


 自分が思わず椅子から腰を浮かせていたことに、和希は北村の驚いた声を聞くまで気付かなかった。

 間違いない。ステージで歌い踊る三人ユニットの最後の一人。腰まで届きそうな黒髪を炎の如く揺らめかせ、小柄な身体でエネルギッシュなパフォーマンスを披露する彼女。幾年を経ても決して忘れ得ぬその瞳、その声、その笑顔は――。


火群ほむら……結依ゆい……?」


 どうしてあいつが、部活の大会こんなところに?


「何よ。クラスメイトか何か?」

「……ちげーよ」

「あ、その顔はもっと深い因縁がある顔ね? まさか入学初日に道端でぶつかってスカートの中を見ちゃったとか、平成のラブコメみたいなベタなやつ――」


 面白くもない茶々を入れてくる北村の声を一旦、意識からシャットアウトし、和希はステージで歌い踊る小柄な少女の姿に昔の記憶を重ねていた。

 小学生の頃、親に言われるがまま所属していた子役スクールで、完膚なきまでに自分おれの自信を叩き折ってくれた。どんなに演技の練習をしても、どんなに台本を読み込んでも、決して敵わない天才ヤツがこの世にはいるのだと……自分は、同い年の火群結依を見て思い知らされたのだ。

 ごく僅かな期間でスクールを脱退した自分のことなんて、向こうは毛ほどにも覚えてはいないだろう。

 だが、和希は覚えている。子役歴三年目にして公営放送の幼児向け番組の看板娘に抜擢され、「灼熱のユイ」の二つ名とともに全国のお茶の間を席巻した彼女のことを。嫉妬するのも馬鹿馬鹿しいほどの才能の差をテレビの画面越しに見せつけてくれた、あの弾けるような笑顔を。


「アイツさえ居なかったら……俺もガチで役者を目指してたかもしれない」

「……ふぅん。じゃあ、あの子が居てくれてアタシは良かったわ」


 担当編集の言う通り、和希とて今さら未練があるわけではない。を行こうとした過去のことは、今の彼にとっては黒歴史だから。

 だが、なぜ――

 なぜ、あの火群結依が、今さら部活の大会なんかに出ている……?


「お前は……こんなとこに居ていいヤツじゃねえだろ……!」


 二曲目のユニット曲に続き、三曲目のソロで対戦相手を圧倒する結依の姿に、和希は知らず知らずの内に奥歯をぎりりと噛み締めていた。

 和希の知る火群結依は、女優アクトレスにだって歌姫ディーヴァにだって、何にだってなれるポテンシャルを秘めていたはず。なぜ、よりによって、秋葉原エイトミリオンの真似事コピーなんか……。


「あの子、圧倒的ね。アンタにそこまで言わせるだけのことはあるわ。『Marble』とどっちが優勝するか、見ものじゃない」

「……ん? 北村さん、ずっと試合見てたんじゃねーのかよ」

「午前中までは会場が区切られてて、あの子達のほうは見れなかったのよ」

「ふーん……」


 結依達が舞台裏に下がり、次の試合のメンバー達が入れ替わりでステージに出てくる頃には、和希にはもう大会自体の結果などどうでもよくなっていた。

 胸中に渦巻くのは、ただ、火群結依のことばかり。

 和希が中学に上がり、本格的に小説の訓練を始めた頃、「灼熱のユイ」はひっそりと芸能界から姿を消していた。子役出身者が進学を機に一般人に戻るのは珍しいことではないし、当時は和希もから距離を取ろうとするのに必死で、結依の行方のことなど気に掛ける余裕はなかった。丁度、同じ子役スクールの先輩だった雪平ゆきひら美鈴みれいが報じられた直後だったので、そのあたりが関係しているのかもしれないとは思ったが。

 再び結依の姿を見る機会があるとすれば、それは華やかなスターダムでのことに違いないと思っていた。それがなぜ、こんな部活アマチュアの大会なんかに……。彼女の実力と実績なら、秋葉原エイトミリオンのオーディションくらい軽くパスできるだろうに。


「お前がこんなとこでくすぶる程度のヤツだったなら……俺の挫折は何だったんだよ……!」


 ぐっと拳を握って吐き捨てる和希の独白を、北村は流し目に見ながら聞き流してくれた。


「……いよいよ、あの子と春日瑠璃ちゃんが激突するわよ」


 心の動揺をしずめきれない和希の眼下で、準々決勝の第一試合が始まる。先攻に「Marble」。後攻に「ELEMENTS」。周りの観客の熱狂ぶりを見れば、これが事実上の決勝戦にも等しい対戦カードであることは容易に察せられた。

 だが、スタジアムを揺らさんばかりの大歓声のもと始まった、その決戦の舞台で――

 火群結依は、散々だった。

 都内最強と言われているらしい「Marble」の気迫に飲まれたのか、大物アイドルの娘である春日瑠璃に気後れしたのか。結依は一曲目の三人ユニット曲を途中からまともに歌えておらず、最後はマイクを取り落として敵の瑠璃に拾ってもらう始末。

 こんな結依の姿など見たくなかった。五年前、自分自身オリジナルの魅力で日本中を灼熱の色に染め上げてみせた彼女が、こんな……お遊戯みたいな部活の大会で、に負けている姿なんて……。


「あの子……どうする気なの……」


 緊張に張りつめた北村の声を聞き、和希はハッとステージに意識を戻した。敵の二曲目が終わり、結依はソロでステージに立っていた。何の音楽も掛かっていない、無音のステージに。

 周囲の観客がしぃんと静まり返る中、かっと目を見開いて、結依は歌い始める。

 先程まで灼熱の炎を宿していたはずの彼女の瞳が――瞬間、何か違った色に染まるのを、和希は見逃さなかった。


 ――あの鳥達には、夢はあるのかと。大空を見上げてふと、君は呟いたけど――。


 結依の涼しい歌声が紡ぐのは、和希の知らない曲だった。

 秋葉原エイトミリオンの曲ではない。かといって、結依のために書かれたオリジナル曲とも思えない。この曲は――だ。そして何より、人が変わったような結依のあのパフォーマンスは、何だ……?


 ――翼がなくても、この足があれば。心の望むそのままに、どこへだって行ける――。


 周りの観客はただ息を呑んで結依の歌声に聴き入っているだけだ。きっと誰も気付いていない。北村さえも。結依が、結依でない何かに成り代わっていることに――。


 ――虹の彼方まで、歩いてゆこうよ。美しい音色だけを、ともに響かせて――。


 彼女がその一曲を歌い終えた数秒後、観客達は呪いが解けたように静寂から立ち返り、割れんばかりの拍手と歓声を贈った。審査員も観客も今の曲を高く評価したらしく、二曲目の判定は大差を付けて「ELEMENTS」の勝ちとなった。

 だが、和希にはわかる。あれは……。


「!?」


 瞬間、和希の見ている前で、結依の身体は人形の糸が切れたようにステージに倒れ込んだ。仲間達が口々にその名を呼びながら彼女に駆け寄り、スタッフがそれに続く。

 会場がどよめきに満ちる中、北村が言った。


「……最後の一曲は、あの子のオリジナル曲だったわね」

「……」


 遮蔽スクリーンで覆われたステージの奥、恐らく担架で運ばれていくのであろう結依の身を心のどこかで案じながら、和希は答える。


「違うな。あれはアイツの曲じゃねーよ」


 あれは「灼熱のユイ」のパフォーマンスじゃない。雪風の如き清涼を極めた、あの歌声は……。


「吹雪のミレイ……か」


 ぎりっ、と、自分の奥歯が嫌な音で鳴るのを和希は聴いた。

 火群結依――「灼熱のユイ」。この自分が同い年で唯一「敵わない」と思わされた相手。

 いつから他人の真似コピーで勝負するようになった? いつから自分自身の輝きを捨ててしまったのだ?


「本当のお前は……こんなもんじゃねえだろ……!」


 ばん、と自分の拳を片手のひらに叩きつけた和希の耳に、編集者の言葉が差し込まれる。


「なんだかわかんないけど、アンタをここに連れてきてよかったみたいね」

「……ああ」


 これから売れっ子作家への道を邁進まいしんしていく自分には、高校なんて邪魔だとさえ思っていたが――

 明日から学校へ行くのが、少し楽しみになってきた。

 待っていろ、火群結依。お前に聞きたいこと、言いたいことが山ほどあるのだ。

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