Track 04. 各々の強み

 勝たなければ。あの子達に勝たなければ――。


 チームごとにあてがわれた控室に戻り、他のチームの試合が早速始まるのをモニターで眺める間も。

 今日のために練習を重ねてきた持ち歌の中から、初戦で歌う三曲のセットリストを最終的に絞り込む間も。

 モニターのホットラインでいよいよ出番を告げられ、控室のドアに手をかけるその瞬間までも。

 ……華子はなこの頭の中ではずっと、相手チームの子達のあの意地悪な笑みが浮かんで消えなかった。


「華子さん。大丈夫ですよ、わたし達の力なら」


 結依ゆいがそう言ってくれるのが救いだった。――そう、大丈夫に決まっている。この日のために五人で練習を重ねてきたのだから。

 華子は、揃いの衣装を纏った仲間達と改めて視線を交わし合い、うん、と頷いた。

 結依が、マリナが、怜音レオンが、あいりが着ているのは、華子が昨日の夜まで仕上げの針を入れていた、新品まっさらのステージ衣装。秋葉原エイトミリオンの黎明期をイメージした、赤と紺のチェックの制服調スクールルックをベースに、元素エレメントという言葉から連想される数色の宝珠オーブを大振りのビーズであしらった自信作だ。皆と揃いのこの衣装さえ着ていれば、自分はきっと普段の自分より強くなれる。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 大会の進行は早い。息つく間もなく直前の対戦カードが終わり、気付いた時には華子達は競技ステージの下手しもてへと上げられていた。

 六十余りのチームが一堂に会する勝ち抜き戦トーナメント。一回戦と二回戦は、スタジアムの広大なアリーナを超指向性パラメトリック・音響スピーカーのパーテーションで四つに区切り、同時進行で試合が消化されていく。

 一度でも負けたら、全てが終わりだ――。

 先攻は相手チーム「イエロー・デイジー」。両者の校名とチーム名を読み上げるアナウンスも早々に、瞬く間に曲が始まり、黄色い衣装を纏った五人がステージへと躍り出る。心臓をダイレクトに揺らす大音響のサウンドは、一年ほど前にリリースされたばかりの、秋葉原エイトミリオンのアップテンポなナンバーだった。

 舞台の下手しもてからは光を浴びる彼女達の姿が間近に見えた。鮮やかな黄色イエローがスポットライトに映える、全員揃いの可愛らしい衣装。 肩に付いているワンポイントの飾り、あれは雛菊の意匠モチーフだ。そういえば「デイジー」は菊のことだったっけ、と、華子は英語の授業の曖昧な記憶を辿る。

 センターで歌い踊るのは、華子に悪意を向けてきたあの子。確か名前は菊乃きくのちゃんと言ったはず――。

 菊乃ちゃんがセンターで「イエロー・デイジー」。つまりは彼女をエースに据えたワンマンチームということらしい。そう思って見れば、他のメンバー達がセンターの彼女の魅力を引き立たせることに徹しているのは明白だった。

 時間の都合上、歌唱は一番ファースト・バースのみ。 客席の歓声を浴びながら一曲目のパフォーマンスを終え、上手かみてに引っ込む間際、センターの菊乃がちらりと下手しもての華子の方を見てきた。審査員席や観客席には伝わらない僅かなニュアンスで――彼女は確かに、こちらを見下す目線で、ふふんと華子のことをあざ笑ってきた。

 自分の顔がカッと熱くなるのを感じる。華子は手にしたマイクを強く握りしめた。勝たなければ。勝たなければ――!


「みんな、行こう!」


 段取り通りに流れ始めたメロディに乗り、華子達は熱いスポットライトの下へと飛び出した。0番センターに立つのは、真紅の眼鏡グラスを取り払い、無音の世界に身を投じた結依。曲は「いとしのスコーンジャム」――奇しくも、あの指宿いぶすきリノが現役時代にセンターを張っていた代表曲の一つ。五人全員フルメンバーでパフォーマンスできる曲としてセットリストに入れてきた二曲の内の一曲だ。

 一試合で三曲ずつのパフォーマンスをぶつけ合い、曲ごとに勝敗を決するスクールアイドルの試合バトル。五人の選手メンバー全員が最低一度は歌唱に参加しなければならないこの競技規則レギュレーションにおいて、フルメンバーの曲をセットリストに入れないという選択肢は実質有り得ない。


「紅茶の方がいいなんて――少し気取って言ったけど――」


 結依の可愛らしい声が歌い出しの歌詞をなぞる。その笑顔はここからは見えないが、客席の熱い反応を見れば、彼女が抜群のアイドルスマイルで観客達を骨抜きにしてくれたことは一瞬でわかった。

 こんな、練習曲エチュードに毛の生えたような基本曲なんて、結依のレベルからすれば到底ヌルいのだろうが――。


「ストレートでは飲めないなんて――明かすのは恥ずかしくて――」


 Aメロを順調に通過し、ゆったりした曲調のままBメロに差し掛かる。結依からマリナ、あいりへと、次々に歌割りがバトンタッチされていく。

 振りに沿ってポジションを移動する瞬間、上手かみてから余裕の表情でステージを見ている菊乃の姿が目に入った。

 たった一瞬、菊乃と目が合った、それだけで。


 ――本当に、勝てる?


 意識に差し込む幻の声が、ぞわっと華子の肌をあわ立たせた。

 脳内にフラッシュバックする三年前の菊乃の姿。中学最後の大会で、自分達のチームの前に立ち塞がった彼女のチーム。あの時、自分は、彼女の不敵な笑顔にペースを乱されて――。

 あの時も負けたら終わりのトーナメントだった。自分のせいで、チームは――。


「……あっ」


 誰も歌声を乗せないカラのメロディが鼓膜に届いたとき、華子は自分の致命的なミスに気付いた。歌割りを落とした――!

 次に控えた怜音が一秒と経たずそれを察し、続きを歌ってカバーしてくるが――。

 審査員の目は節穴じゃない。観客の目だってそうだ。まして、これほど広く知られた一曲。本来の予定と違う動きはバレバレのはず――。

 舞台上を回るようにポジションを移りながら、華子はバクバクと鳴る胸を必死に押さえた。どうすれば。どうすれば……!


「愛しさ――スコーンに乗せて――あなたと――アフタヌーンティーを――」


 結依が0番センターに戻り、サビの歌詞が始まる。華子の足は震えていた。見たくないのに、なぜか菊乃がいる上手かみての方を見てしまう。菊乃は華子を小さく指差して仲間と笑い合っていた。悔しさと恥ずかしさに顔が熱くなるのを感じたとき、とん、と誰かと身体がぶつかった。見れば、マリナが本来動くべき位置から動きもせず、強い怒りの籠もった視線で上手かみてを睨み付けていた。

 マリナはすぐに我に返った様子で振りに復帰していたが、華子の心は動揺でガタガタだった。ぎこちなく身体を動かし、仲間とぶつからないように所定の位置に動く。その間もセンターの結依はしっかりと歌い続けてくれていたが、チームの隊列フォーメーションは壊滅的だった。初心者のあいりにもパニックは波及していた。一週間の特訓でなんとか叩き込んだはずの振りを、あいりはもう全く踊れていなかった。

 マリナと目が合った。彼女は笑顔を忘れていた。菊乃達に怒ってくれているのか。今はそんな場合じゃないのに。

 自分のせいだ――。自分のせいでマリナやあいりまで崩れてしまったことが、華子は何より情けなかった。せめてサビでは立て直そうと、華子はマイクを構え直すが。

 ――ここの振りは、どうだったっけ?

 華子の頭はたちまち真っ白になっていった。そんな。そんな。こんな簡単な曲なのに。振りが出てこない。身体が動いてくれない――!


 ――チームメイトにはそこそこできる子もいたのに、この子だけがいつも足引っ張っちゃってて――


 菊乃が悪意たっぷりに述懐したが、華子の心を揺さぶる。

 あの時も。あの時もそうだった。中二の夏の大会でも。中三の最後の大会でも。自分が振りを間違えたせいで勝てなかった。歌割りを飛ばしたせいで勝てなかった。自分のせいで勝てなかった。自分がいたために勝てなかった――!

 我に返った時には曲が終わっていた。結依にそっと手を引かれ、華子は仲間達と下手しもてに下がった。

 結果は絶望的だった。審査員の評価は――全員一致で「イエロー・デイジー」の勝ち。観客席の投票アプリからランダムに抽出された観客点も、見るまでもない大差。

 ショックを受ける時間すら華子達にはない。間髪入れず、すぐに相手の二曲目が始まる。今度はエースの菊乃を含む三人ユニットだった。菊乃達の自信満々の声が、乙女の青春を綴った歌詞を勢いのあるメロディに乗せて歌い上げる。


「華子さん。華子さんっ」


 呆然と立ち尽くす自分の肩を、結依が下から掴んで揺さぶっていた。

 予定していたセットリストでは、二曲目は結依と華子、マリナの三人ユニットの予定だった。だが……。


「……ごめんね、ユイちゃん。わたしのせいで……!」


 華子は衣装のスカートの裾を握り、泣きながら謝ることしかできなかった。結依はあくまで「取り返しましょう」と言ってくるが、自分のことは自分でよくわかる。こんな状況でもう一度踊れるはずもない。

 わたしのせいだ。わたしの元なんかに来てしまったせいで、結依の夢は……!


「部長、聞いてください」


 怜音が張り詰めた声で言ってきた。


「曲の変更はまだ間に合います。二曲目はユイちゃんにソロで出てもらいましょう」

「え……?」


 華子が顔を上げた時には、怜音はもう競技用の端末パッドを操作し、結依の前に画面を差し出していた。


「ユイちゃん、行けるか」

「行けますけど……でも……」


 眼鏡グラスがなくても話の流れを察したらしく、結依は怜音の提案に唇を噛んでいた。マリナが語気を荒らげて怜音の肩に手をかける。


「ちょっと、なに勝手なこと言ってるのよ!」

「先輩、怒りに飲まれたあなたでは戦力にならない。無礼は後で百万回でもお詫びします。しかし今は――」


 怜音は恐ろしいほど真剣な目でマリナを見た。マリナは怯んだ顔で彼女の肩から手を離した。


「これはトーナメントなんです。あと一つ落としたら終わりなんだ」


 そうこうしている内に相手の曲はラストパートに差し掛かっていた。もう迷っている時間も言い合っている時間もない。華子は手の甲で涙を拭い、結依の目を見た。


「ユイちゃん……お願い」

「……わかりました」


 決して心から納得した顔ではなかった。それでも結依は、怜音から受け取った端末パッドの画面をタップして、静かにただ一言、「勝ってきます」と言った。

 相手の曲が終わり、代わって結依のソロ曲のイントロがスタジアム全域に響き渡る。結依の真紅の瞳がかっと見開かれ、小さき偶像に天使の炎が宿る。


「みんなの心に――火をつけます!」


 ミニスカートの裾をひるがえして単身ステージに躍り出た結依の姿に、おお、と観客席が息を呑むのがわかった。

 その後のことは今さら心配するまでもなかった。ウインク一つで観衆の心を掴んだ結依は、その小柄な身体をステージ狭しと躍動させ、可憐な歌声を烈火の勢いに弾ませて、僅か数秒で客席を灼熱の色に染め上げてしまった。

 今日の大会が始まって以来、間違いなく最高潮の盛り上がり。興奮に満ちた観衆の目が彼女ひとりに向けられている。


「……ユイちゃん」


 華子は涙の滲む目で彼女の姿を見ていた。わかりきっていたことだった。五人揃って歌うより、結依ひとりの方がずっと――。

 曲が終わり、最後までアイドルスマイルを客席に振りまいたまま結依が下手しもてに帰ってくる。判定は圧倒的だった。「灼熱のユイ」の本気の火力の前には、一介の高校生アマチュアが束になったって敵うはずがない。

 これで勝敗は一勝一敗。相手の最後の一曲は、セオリー通り、再びのフルメンバーだった。ポップに弾むその曲もまた、パフォーマンスの完成度は高かった……が。

 こちらの最後の曲は、怜音と結依のデュエット「ナイト・バタフライ」。お姉様役と妹役の掛け合いを見せ場とする官能的な一曲。立役たちやくそのものの風格で蠱惑こわく的な魅力を放つ怜音と、仔猫こねこのような甘い吐息でそれに応える結依――妖艶な白百合しらゆりの如く歌詞を紡ぐ二人の姿に、審査員も観客も満場一致で軍配を上げた。

 ステージを見下ろす全ての眼差しが結依と怜音に注目している。喝采を浴びる二人の姿と同じくらい、菊乃とチームメイト達の悔しそうな顔が華子の目に鮮烈な残像を残した。

 二勝一敗で、試合は双柱ふたばしら学園高校アイドル部「ELEMENTSエレメンツ」の勝ち。

 すぐに次の試合のチームが入ってくるため、選手達は急いでステージからけなければならない。控室への廊下に出ると、沈んだ顔で佇んでいる菊乃達の姿が目に入った。チームメイトには泣いている子もいた。知らない振りをしてその横を通り過ぎるとき、華子はどうしようもない気まずさを感じた。

 こんな勝ち方をしてごめん、と謝りたくなる。菊乃達にとっても、限りある青春の時間だったのに――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「部長、マリナ先輩、勝手を言って申し訳ありません」


 控室に戻るやいなや、怜音が華子とマリナに向かって頭を下げてきた。華子はハンカチで目元を押さえながら首を振った。怜音が詫びを入れるなんてとんでもない。彼女の口出しがなければチームはきっと初戦敗退だったのだ。

 その認識は、当然マリナも同じようだった。


「謝んないでよ。あたしの方こそ……足を引っ張って悪かったわ」

「あの、わたくしも全然ダメで……ごめんなさい」


 あいりも泣きそうな顔で全員に向かって謝っていた。華子はそれに対しても首を振った。一番悪いのは自分だ。畑違いのマリナや初心者のあいりの失敗は責められない。全ては経験者の自分が情けないせいだ。五年もスクールアイドルをやっていながら、「スコーンジャム」のような簡単な曲すら踊れず――。

 確かに試合には勝ったが、華子は悔しかった。あんなの、結依と怜音が自分達の分まで勝ってくれただけだ。わたし達の……グループアイドル「ELEMENTS」の勝利と呼ぶには程遠い。


「わたしの――」


 華子が皆に謝ろうとすると、今まで黙っていた結依が、彼女の口元を塞ぐようにそっと人差し指を突き出してきた。

 神妙な空気を打ち消すように、にまりと一人で楽しそうに笑って、結依は言う。


「華子さん。マリナさん。あいりちゃん。みんなはそんなにダメな子なんかじゃありませんよ」

「え……?」

「二回戦はちゃんと五人で勝てますよ。セットリスト、わたしに任せてもらえますか?」


 眼鏡グラスのフレーム越しに上目遣いで華子達を見上げる結依の目は、前向きなの色をしていた。


「……まず、五人曲は今回は無しにしましょう。みんな揃って歌えないのは残念ですけど、『スコーンジャム』や『ペーパークラフト』じゃ、全員が完璧に歌と振りをこなしたとしても、この先の敵には勝てません」


 彼女がさらりと断言するので、華子は頷くしかなかった。きっと結依は戦士の勘で理解しているのだ。これから自分達を待ち受ける戦いのレベルを。トーナメントを勝ち進んでいけば必ずぶつかることになる、春暁しゅんぎょう学園「Marbleマーブル」の手強さを。

 初心者向けの曲で勝たせてもらえるほど、この戦いは甘くはないということを――。


「でも、全員一度は歌わなきゃいけないのに……」


 華子の疑問に、結依は「ええ」と首肯しゅこうする。

 そして、華子達四人が真剣に聞き入る前で、結依は笑顔で二回戦の作戦を告げるのだった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



『続きまして、先攻は、双柱学園高校アイドル部「ELEMENTS」。後攻は――』


 先の出番から一時間足らずで始まった二回戦の試合。華子達は今度は上手かみてに立っていた。対戦相手は、数年前には冬の全国大会ウィンター・アイドライズの本戦に出場したこともあるという強豪チーム。だが、華子の心は今や、不安や恐れではなく、健全な緊張に張り詰めていた。

 こちらの先攻で一曲目が始まる。超指向性パラメトリック・音響スピーカーで区切られた領域エリアに溢れるのは「ナイト・バタフライ」の妖艶なメロディ。ステージに立つのは――お姉様役の怜音と、だった。


 ――あいりちゃん、レオンさんと「ナイト・バタフライ」やってみよっか――


 控室で新たな作戦セットリストを語る結依の言葉が、華子の脳裏にリフレインする。

 恐縮しきった顔で「わたくしが……?」と問い返すあいりに、結依は「うん」と柔らかく笑って続けていた。


 ――好きな曲なんでしょ? 実は歌いたそうにウズウズしてたじゃない――


 そして今、ピンク色のライトにあやしく照らされたステージで、あいりは歌っていた。自信なさそうに凍り付いた顔と、今にも裏返りそうな声で、しかし確かに記憶に刻み込まれた歌詞を。エスコート役の怜音とわりばんこの歌割りで。


「ね、言ったでしょ? あいりちゃんは、あれでいいんです」


 結依が小声で華子の耳元に話しかけてくる。華子は曲の始まりからずっとステージに目を釘付けにされていた。目の前の光景は驚愕の一言でしかなかった。結依の作戦を信用していないわけではなかったが――しかし、その見立てが、あまりにバッチリ決まりすぎていて。

 ステージ上の怜音の立ち回りは、エスコートというより最早、あいりを好きなように玩具おもちゃにしているだけのように見えた。身を寄せて彼女のあごをクイと持ち上げたり、彼女の髪をさらさらと指先でもてあそんだり。あいりはその度に身体をビクつかせ、うるうるした目で怜音の長身を見上げながら、震える声で歌詞を紡ぐばかり。

 これが別の曲なら、単にステージに不慣れな初心者がキョドキョドしているだけにしか見えなかっただろう。それは現にその通りなのだったが――この曲は、あれでいいのだ。ビクつく仔猫を誘惑するお姉様の構図は、下手をすると先程の結依とのデュエットの時よりもハマっているかもしれなかった。

 曲が終わった後、満員の客席から思い出したように凄まじい拍手が挙がった。二人の姿が凄絶なまでに観客達の心を掴んでしまったことは、今さら疑う余地もなかった。

 後攻の相手チームは五人のフルメンバー。バックアップ体制の整った強豪校だけあって、エイトミリオングループのカバーではなくオリジナル曲で立ち向かってきたが、怜音とあいりの背徳感に満ちた「ナイト・バタフライ」を下すだけの評価は得られなかった。

 信じられない。一勝を上げてしまった。結依抜きで、スクールアイドルの強豪校に――!


「行きましょ、華子さん、マリナさん」


 二曲目は三人ユニットだった。結依がにこっと笑って華子達をいざなう。結依の小さな手は、たった今外したばかりの真紅の眼鏡グラスを華子に向かって差し出していた。それをかけた瞬間、実は度入りだったレンズがぼんやりと華子の視界を歪め、彼女の脳をくらくらと揺さぶった。


 ――華子さん、視力良いんですよね。じゃあコレ掛けちゃってください。ちょっと度も入ってるって知ってました?――


 控室での結依の笑顔を思い出しながら、華子は不鮮明な視界のままステージに躍り出た。眼鏡グラスのVR機能はもちろん起動していないが、視力1.5の裸眼を不要な矯正レンズで覆われては、華子に見えるのは同じステージ上の仲間の顔くらい。観客席の反応や、下手しもての相手チームの顔は全く見えない。


 ――無駄に色々見えちゃうから気になるんですよ。アイドルなんて、五感を一つ塞がれるくらいで丁度いいんです――


 後半は冗談のつもりなのか何なのかわからなかったが、いざステージに出てみると、結依の言う通りだったと思った。観客や対戦相手がどんな顔で自分達を見ているのか、この視界では確かめようがない。見えないとわかっていれば見ようとも思わない。自分はただ、心と身体で覚え込んだ通りに、手足を振り、笑顔を作り、歌詞を紡ぐだけ……!

 Aメロ、Bメロを無事に終え、ユニット曲はサビに入る。が、自信満々の声色でマイクに歌声を吹き込む。


 ――この曲、センターはマリナさんにしちゃいましょう。だってマリナさん、脇役なんて慣れてないでしょ?――


 控室で結依に言われたとき、マリナは目からうろこが落ちたような顔をしていた。そして一瞬の後、ふっと笑って、「当たり前じゃない」と言ったのだ。


 ――好きなようにやっちゃってください、女王様。わたし達で合わせますから――


 結依がマリナにかけた魔法の威力は絶大だった。振りの最中さなか、ちらりと見えたマリナの顔は自然な笑顔に輝いていた。先程の「スコーンジャム」の時よりも、いや、今までのどんな練習の時よりも。

 マリナにはできて当たり前なのだ。ものの十分ほどでセンター用の振り付けを覚えてしまうことも。引き立て役の仲間を従えて、ステージのド真ん中で踊ることも。だってそれは、彼女がずっとやってきたことなのだから――。

 曲のラスト、0番の位置でびしりと見得を切るマリナの姿を横目に見て、華子の胸には熱い感慨がこみ上げてきた。これなら――これなら、勝てる!

 相手のチームは二曲目もフルメンバーだった。だが、強豪チームの全力を挙げたパフォーマンスをも大差で上回り、審査員と観客は二曲目も華子達「ELEMENTS」を推してくれた。

 一方のチームが先に二勝を上げても試合は続くルールだが、こちらの三曲目は満を持して結依のソロだ。負けるはずなどなかった。


『以上、三対ゼロで、双柱学園高校アイドル部「ELEMENTS」の勝ち――』


 舞台の上手かみてで皆と聞く勝ち名乗りアナウンスに、結依が控室を出る前に述べた言葉が重なった。


 ――わたし達は一人ひとりが一つの元素エレメントです。みんなの強みを合わせて勝ちに行くんです――


 華子が差し出す眼鏡グラスを受け取りながら、結依は満面の笑みを向けてきた。マリナの、怜音の、あいりの――各々の嬉しそうな顔が、先程とは真逆の理由で華子の視界をうるませる。

 この道で、この仲間と、初めて知った勝利の味。きっと一生忘れられないであろうその瞬間を、華子は四人に笑顔を返しながら、強く強く心に噛み締めていた。



(3rd Single:初陣 完)

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