Track 04. 各々の強み
勝たなければ。あの子達に勝たなければ――。
チームごとにあてがわれた控室に戻り、他のチームの試合が早速始まるのをモニターで眺める間も。
今日のために練習を重ねてきた持ち歌の中から、初戦で歌う三曲のセットリストを最終的に絞り込む間も。
モニターのホットラインでいよいよ出番を告げられ、控室のドアに手をかけるその瞬間までも。
……
「華子さん。大丈夫ですよ、わたし達の力なら」
華子は、揃いの衣装を纏った仲間達と改めて視線を交わし合い、うん、と頷いた。
結依が、マリナが、
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
大会の進行は早い。息つく間もなく直前の対戦カードが終わり、気付いた時には華子達は競技ステージの
六十余りのチームが一堂に会する
一度でも負けたら、全てが終わりだ――。
先攻は相手チーム「イエロー・デイジー」。両者の校名とチーム名を読み上げるアナウンスも早々に、瞬く間に曲が始まり、黄色い衣装を纏った五人がステージへと躍り出る。心臓をダイレクトに揺らす大音響のサウンドは、一年ほど前にリリースされたばかりの、秋葉原エイトミリオンのアップテンポなナンバーだった。
舞台の
センターで歌い踊るのは、華子に悪意を向けてきたあの子。確か名前は
菊乃ちゃんがセンターで「イエロー・デイジー」。つまりは彼女をエースに据えたワンマンチームということらしい。そう思って見れば、他のメンバー達がセンターの彼女の魅力を引き立たせることに徹しているのは明白だった。
時間の都合上、歌唱は
自分の顔がカッと熱くなるのを感じる。華子は手にしたマイクを強く握りしめた。勝たなければ。勝たなければ――!
「みんな、行こう!」
段取り通りに流れ始めたメロディに乗り、華子達は熱いスポットライトの下へと飛び出した。
一試合で三曲ずつのパフォーマンスをぶつけ合い、曲ごとに勝敗を決するスクールアイドルの
「紅茶の方がいいなんて――少し気取って言ったけど――」
結依の可愛らしい声が歌い出しの歌詞をなぞる。その笑顔はここからは見えないが、客席の熱い反応を見れば、彼女が抜群のアイドルスマイルで観客達を骨抜きにしてくれたことは一瞬でわかった。
こんな、
「ストレートでは飲めないなんて――明かすのは恥ずかしくて――」
Aメロを順調に通過し、ゆったりした曲調のままBメロに差し掛かる。結依からマリナ、あいりへと、次々に歌割りがバトンタッチされていく。
振りに沿ってポジションを移動する瞬間、
たった一瞬、菊乃と目が合った、それだけで。
――本当に、勝てる?
意識に差し込む幻の声が、ぞわっと華子の肌を
脳内にフラッシュバックする三年前の菊乃の姿。中学最後の大会で、自分達のチームの前に立ち塞がった彼女のチーム。あの時も、自分は、彼女の不敵な笑顔にペースを乱されて――。
あの時も負けたら終わりのトーナメントだった。自分のせいで、チームは――。
「……あっ」
誰も歌声を乗せない
次に控えた怜音が一秒と経たずそれを察し、続きを歌ってカバーしてくるが――。
審査員の目は節穴じゃない。観客の目だってそうだ。まして、これほど広く知られた一曲。本来の予定と違う動きはバレバレのはず――。
舞台上を回るようにポジションを移りながら、華子はバクバクと鳴る胸を必死に押さえた。どうすれば。どうすれば……!
「愛しさ――スコーンに乗せて――あなたと――アフタヌーンティーを――」
結依が
マリナはすぐに我に返った様子で振りに復帰していたが、華子の心は動揺でガタガタだった。ぎこちなく身体を動かし、仲間とぶつからないように所定の位置に動く。その間もセンターの結依はしっかりと歌い続けてくれていたが、チームの
マリナと目が合った。彼女は笑顔を忘れていた。菊乃達に怒ってくれているのか。今はそんな場合じゃないのに。
自分のせいだ――。自分のせいでマリナやあいりまで崩れてしまったことが、華子は何より情けなかった。せめてサビでは立て直そうと、華子はマイクを構え直すが。
――ここの振りは、どうだったっけ?
華子の頭はたちまち真っ白になっていった。そんな。そんな。こんな簡単な曲なのに。振りが出てこない。身体が動いてくれない――!
――チームメイトにはそこそこできる子もいたのに、この子だけがいつも足引っ張っちゃってて――
菊乃が悪意たっぷりに述懐した事実が、華子の心を揺さぶる。
あの時も。あの時もそうだった。中二の夏の大会でも。中三の最後の大会でも。自分が振りを間違えたせいで勝てなかった。歌割りを飛ばしたせいで勝てなかった。自分のせいで勝てなかった。自分がいたために勝てなかった――!
我に返った時には曲が終わっていた。結依にそっと手を引かれ、華子は仲間達と
結果は絶望的だった。審査員の評価は――全員一致で「イエロー・デイジー」の勝ち。観客席の投票アプリからランダムに抽出された観客点も、見るまでもない大差。
ショックを受ける時間すら華子達にはない。間髪入れず、すぐに相手の二曲目が始まる。今度はエースの菊乃を含む三人ユニットだった。菊乃達の自信満々の声が、乙女の青春を綴った歌詞を勢いのあるメロディに乗せて歌い上げる。
「華子さん。華子さんっ」
呆然と立ち尽くす自分の肩を、結依が下から掴んで揺さぶっていた。
予定していたセットリストでは、二曲目は結依と華子、マリナの三人ユニットの予定だった。だが……。
「……ごめんね、ユイちゃん。わたしのせいで……!」
華子は衣装のスカートの裾を握り、泣きながら謝ることしかできなかった。結依はあくまで「取り返しましょう」と言ってくるが、自分のことは自分でよくわかる。こんな状況でもう一度踊れるはずもない。
わたしのせいだ。わたしの元なんかに来てしまったせいで、結依の夢は……!
「部長、聞いてください」
怜音が張り詰めた声で言ってきた。
「曲の変更はまだ間に合います。二曲目はユイちゃんにソロで出てもらいましょう」
「え……?」
華子が顔を上げた時には、怜音はもう競技用の
「ユイちゃん、行けるか」
「行けますけど……でも……」
「ちょっと、なに勝手なこと言ってるのよ!」
「先輩、怒りに飲まれたあなたでは戦力にならない。無礼は後で百万回でもお詫びします。しかし今は――」
怜音は恐ろしいほど真剣な目でマリナを見た。マリナは怯んだ顔で彼女の肩から手を離した。
「これはトーナメントなんです。あと一つ落としたら終わりなんだ」
そうこうしている内に相手の曲はラストパートに差し掛かっていた。もう迷っている時間も言い合っている時間もない。華子は手の甲で涙を拭い、結依の目を見た。
「ユイちゃん……お願い」
「……わかりました」
決して心から納得した顔ではなかった。それでも結依は、怜音から受け取った
相手の曲が終わり、代わって結依のソロ曲のイントロがスタジアム全域に響き渡る。結依の真紅の瞳がかっと見開かれ、小さき偶像に天使の炎が宿る。
「みんなの心に――火をつけます!」
ミニスカートの裾を
その後のことは今さら心配するまでもなかった。ウインク一つで観衆の心を掴んだ結依は、その小柄な身体をステージ狭しと躍動させ、可憐な歌声を烈火の勢いに弾ませて、僅か数秒で客席を灼熱の色に染め上げてしまった。
今日の大会が始まって以来、間違いなく最高潮の盛り上がり。興奮に満ちた観衆の目が彼女ひとりに向けられている。
「……ユイちゃん」
華子は涙の滲む目で彼女の姿を見ていた。わかりきっていたことだった。五人揃って歌うより、結依ひとりの方がずっと――。
曲が終わり、最後までアイドルスマイルを客席に振りまいたまま結依が
これで勝敗は一勝一敗。相手の最後の一曲は、セオリー通り、再びのフルメンバーだった。ポップに弾むその曲もまた、パフォーマンスの完成度は高かった……が。
こちらの最後の曲は、怜音と結依のデュエット「ナイト・バタフライ」。お姉様役と妹役の掛け合いを見せ場とする官能的な一曲。
ステージを見下ろす全ての眼差しが結依と怜音に注目している。喝采を浴びる二人の姿と同じくらい、菊乃とチームメイト達の悔しそうな顔が華子の目に鮮烈な残像を残した。
二勝一敗で、試合は
すぐに次の試合のチームが入ってくるため、選手達は急いでステージから
こんな勝ち方をしてごめん、と謝りたくなる。菊乃達にとっても、限りある青春の時間だったのに――。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
「部長、マリナ先輩、勝手を言って申し訳ありません」
控室に戻るやいなや、怜音が華子とマリナに向かって頭を下げてきた。華子はハンカチで目元を押さえながら首を振った。怜音が詫びを入れるなんてとんでもない。彼女の口出しがなければチームはきっと初戦敗退だったのだ。
その認識は、当然マリナも同じようだった。
「謝んないでよ。あたしの方こそ……足を引っ張って悪かったわ」
「あの、わたくしも全然ダメで……ごめんなさい」
あいりも泣きそうな顔で全員に向かって謝っていた。華子はそれに対しても首を振った。一番悪いのは自分だ。畑違いのマリナや初心者のあいりの失敗は責められない。全ては経験者の自分が情けないせいだ。五年もスクールアイドルをやっていながら、「スコーンジャム」のような簡単な曲すら踊れず――。
確かに試合には勝ったが、華子は悔しかった。あんなの、結依と怜音が自分達の分まで勝ってくれただけだ。わたし達の……グループアイドル「ELEMENTS」の勝利と呼ぶには程遠い。
「わたしの――」
華子が皆に謝ろうとすると、今まで黙っていた結依が、彼女の口元を塞ぐようにそっと人差し指を突き出してきた。
神妙な空気を打ち消すように、にまりと一人で楽しそうに笑って、結依は言う。
「華子さん。マリナさん。あいりちゃん。みんなはそんなにダメな子なんかじゃありませんよ」
「え……?」
「二回戦はちゃんと五人で勝てますよ。セットリスト、わたしに任せてもらえますか?」
「……まず、五人曲は今回は無しにしましょう。みんな揃って歌えないのは残念ですけど、『スコーンジャム』や『ペーパークラフト』じゃ、全員が完璧に歌と振りをこなしたとしても、この先の敵には勝てません」
彼女がさらりと断言するので、華子は頷くしかなかった。きっと結依は戦士の勘で理解しているのだ。これから自分達を待ち受ける戦いのレベルを。トーナメントを勝ち進んでいけば必ずぶつかることになる、
初心者向けの曲で勝たせてもらえるほど、この戦いは甘くはないということを――。
「でも、全員一度は歌わなきゃいけないのに……」
華子の疑問に、結依は「ええ」と
そして、華子達四人が真剣に聞き入る前で、結依は笑顔で二回戦の作戦を告げるのだった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
『続きまして、先攻は、双柱学園高校アイドル部「ELEMENTS」。後攻は――』
先の出番から一時間足らずで始まった二回戦の試合。華子達は今度は
こちらの先攻で一曲目が始まる。
――あいりちゃん、レオンさんと「ナイト・バタフライ」やってみよっか――
控室で新たな
恐縮しきった顔で「わたくしが……?」と問い返すあいりに、結依は「うん」と柔らかく笑って続けていた。
――好きな曲なんでしょ? 実は歌いたそうにウズウズしてたじゃない――
そして今、ピンク色のライトに
「ね、言ったでしょ? あいりちゃんは、あれでいいんです」
結依が小声で華子の耳元に話しかけてくる。華子は曲の始まりからずっとステージに目を釘付けにされていた。目の前の光景は驚愕の一言でしかなかった。結依の作戦を信用していないわけではなかったが――しかし、その見立てが、あまりにバッチリ決まりすぎていて。
ステージ上の怜音の立ち回りは、エスコートというより最早、あいりを好きなように
これが別の曲なら、単にステージに不慣れな初心者がキョドキョドしているだけにしか見えなかっただろう。それは現にその通りなのだったが――この曲は、あれでいいのだ。ビクつく仔猫を誘惑するお姉様の構図は、下手をすると先程の結依とのデュエットの時よりもハマっているかもしれなかった。
曲が終わった後、満員の客席から思い出したように凄まじい拍手が挙がった。二人の姿が凄絶なまでに観客達の心を掴んでしまったことは、今さら疑う余地もなかった。
後攻の相手チームは五人のフルメンバー。バックアップ体制の整った強豪校だけあって、エイトミリオングループのカバーではなくオリジナル曲で立ち向かってきたが、怜音とあいりの背徳感に満ちた「ナイト・バタフライ」を下すだけの評価は得られなかった。
信じられない。一勝を上げてしまった。結依抜きで、スクールアイドルの強豪校に――!
「行きましょ、華子さん、マリナさん」
二曲目は三人ユニットだった。結依がにこっと笑って華子達を
――華子さん、視力良いんですよね。じゃあコレ掛けちゃってください。ちょっと度も入ってるって知ってました?――
控室での結依の笑顔を思い出しながら、華子は不鮮明な視界のままステージに躍り出た。
――無駄に色々見えちゃうから気になるんですよ。アイドルなんて、五感を一つ塞がれるくらいで丁度いいんです――
後半は冗談のつもりなのか何なのかわからなかったが、いざステージに出てみると、結依の言う通りだったと思った。観客や対戦相手がどんな顔で自分達を見ているのか、この視界では確かめようがない。見えないとわかっていれば見ようとも思わない。自分はただ、心と身体で覚え込んだ通りに、手足を振り、笑顔を作り、歌詞を紡ぐだけ……!
Aメロ、Bメロを無事に終え、ユニット曲はサビに入る。センターのマリナが、自信満々の声色でマイクに歌声を吹き込む。
――この曲、センターはマリナさんにしちゃいましょう。だってマリナさん、脇役なんて慣れてないでしょ?――
控室で結依に言われたとき、マリナは目から
――好きなようにやっちゃってください、女王様。わたし達で合わせますから――
結依がマリナにかけた魔法の威力は絶大だった。振りの
マリナにはできて当たり前なのだ。ものの十分ほどでセンター用の振り付けを覚えてしまうことも。引き立て役の仲間を従えて、ステージのド真ん中で踊ることも。だってそれは、彼女がずっとやってきたことなのだから――。
曲のラスト、0番の位置でびしりと見得を切るマリナの姿を横目に見て、華子の胸には熱い感慨がこみ上げてきた。これなら――これなら、勝てる!
相手のチームは二曲目もフルメンバーだった。だが、強豪チームの全力を挙げたパフォーマンスをも大差で上回り、審査員と観客は二曲目も華子達「ELEMENTS」を推してくれた。
一方のチームが先に二勝を上げても試合は続くルールだが、こちらの三曲目は満を持して結依のソロだ。負けるはずなどなかった。
『以上、三対ゼロで、双柱学園高校アイドル部「ELEMENTS」の勝ち――』
舞台の
――わたし達は一人ひとりが一つの
華子が差し出す
この道で、この仲間と、初めて知った勝利の味。きっと一生忘れられないであろうその瞬間を、華子は四人に笑顔を返しながら、強く強く心に噛み締めていた。
(3rd Single:初陣 完)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます