Track 03. スプリング・アイドライズ
玄関扉の
「あれ、ハナ、どっか行くの?」
「うん。今日はスクールアイドルの大会だもん」
歳の離れた姉が、ぱっと閃いた顔で「あ、春のアイドライズ?」と聞いてくるので、華子はこくんと頷く。
「見に行くんだ?」
「ううん。わたしが出るの」
靴を整えて立ち上がり、華子がにこっと笑ってみせると、姉は「えっ」と虚を突かれたように半開きの口で固まった。
「……部員、入ってくれたんだ?」
「うん、すっごく素敵な子達がね。行ってきます」
華子はリュックを背負って扉を開けた。思い出したように「頑張ってね」と続けられる姉の声が、ふわりと暖かく背中を押した。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
遂に、遂に、この日が来た。高校生活の最後の年、遂に、ずっと憧れだった戦いの舞台に上がる時が来たのだ。
会場のスタジアムに向かう電車に揺られ、車窓を流れる桜並木を何とはなしに眺めていると、嬉しさと武者震いで華子の唇はひとりでに緩んだ。
『スクールアイドルの春の祭典、スプリング・アイドライズ! 本日、遂に開幕!』
電車内の
『わたし達、秋葉原エイトミリオンは、スプリング・アイドライズ2040を応援しています』
ふと気付けば、車両にはちらほらと、いかにも同じ目的地を目指しているらしい他校の女の子達の姿があった。一人で乗っている子もいれば、仲間と楽しそうに話している子達もいる。
近くて遠い世界の出来事だと思っていた、スクールアイドルの団体戦。去年までの華子は、夏の個人部門の地区予選一回戦で敢えなく敗退することしかできなかったが、今年は違う。
華子は指先で軽く頬を
スタジアムの最寄り駅で改札を出ようとすると、改札の外から制服姿の
「おはよう、ユイちゃん!」
「おはようございます、華子さん」
制服姿の結依がぺこりと小さなお辞儀をすると、腰まで届きそうな彼女の黒髪がさらっと美しく
「わたしが一番早いかなって思ったのに。ユイちゃんには敵わないな」
「これでおあいこですねっ」
何が?と華子が問い返すと、結依はふふっと笑って、「四ヶ月もお待たせしちゃいましたから」と言ってくる。初めての出会いから結依の入学までのことを言っているのだとわかり、華子は胸を襲う熱い何かを抑えて「もう」と結依に笑顔を返した。
それから少しも経たない内に、
「マリナさん……遊びに行くんじゃないんだから」
「な、何よ。制服なら制服って言っておいてよ」
ツンとして頬を赤らめるマリナと。そんな彼女にいつの間にか友達のように突っ込みを入れている自分と。笑っている仲間達と。……なんだか、すごくいい空気だと思った。
駅からスタジアムに直通する
他校の子達が、自分達と同じように連れ立って戦場への道を行く。その賑やかな光景が華子に改めて実感させた。ああ、これから大会に出るんだと。
諦めていた大舞台に今日、仲間と一緒に立つのだ――。
「はいはい、泣きそうになるの無し!」
華子が背負った大きなリュックを、ぱん、と後ろからマリナが叩いてくる。
「衣装忘れてないわよね、華子キャプテン」
華子は口元を
結依と自分を中心に、皆でデザインのアイデアを出し合って。
「さあ、行きましょう」
華子の号令に皆が口々に応え、アイドルグループ「
衣装も歌詞も振りもOK。体調も万全。準備はバッチリだった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
「――以上、開会挨拶でした。続きまして――」
スタジアムに辿り着いてから一時間足らずで、華子達は既に静かな熱狂の渦中にあった。
報道陣と一般観客の視線を全身に浴び、色とりどりのステージ衣装でずらりとアリーナに整列した六十校余りの全出場校の
校名の五十音順に並びが割り振られ、
「前年度優勝校の
皆の注目が集まる中、春暁学園東京分校――「
これだけ多くのチームが集まった中で、たった一校――。絶対強者たる「Marble」キャプテンの誇らしい笑顔を見て、華子は改めてその倍率の凄まじさに身震いしていた。アリーナを埋め尽くす幾百人のアイドルの中から、ただ一組しか全国大会に勝ち上がることはできない。そう、あの「Marble」を倒さなければ、先には進めないのだ。
すぐ後ろには背中を焦がすような結依の熱量を感じる。厳粛な開会式の中、振り向くことは
結依の夢のために自分も頑張らないと……と、華子が決意の拳を握りしめたとき。
突如、アリーナを取り囲む客席のあちこちからどよめきが起こり、報道席からカメラのシャッター音が津波のように轟いた。
「ここで、ご来賓の皆様方を代表して、内閣府芸能担当大臣、
眩しいフラッシュを浴びながら上品な所作で立ち上がったのは、この国でその名と顔を知らぬ者はいない「総選挙の女王」。
世間とファンの賛否両論を一手に引き受け、エイトミリオングループの頂点に長らく君臨しただけでは飽き足らず――。卒業後は我が国初のアイドル出身国会議員として話題を集め、現内閣で入閣三度目を数える女傑、
「皆さん、こんにちは。ご紹介に
――若い――!
初めて直にその姿を見る華子は、驚愕に目を見張った。
華子だけではない。誰もが同じ衝撃に息を呑んでいるようだった。テレビの画面越しに見るだけでは伝わってこない、肌の張り、歯の白さ、目の輝き。本当にこれが、もうすぐ
本日は多くの皆様の支援のもとに云々、と通り一遍の祝辞を述べる彼女の言葉も、もはや半分くらいしか耳に入ってこない。
そうした観衆の反応を全て見透かしているような顔で、指宿リノはマイクを前に淀みなく言葉を連ねていく。
「わたし達が偉大な先輩達から受け継ぎ、素敵な後輩達に手渡してきた、アイドルという光のバトンが……今もこうして、この国の至る所で、若き花々の瞳を希望の色に輝かせていることを、大変嬉しく思います」
と、そこで一拍置いて、彼女はゆっくりとアリーナ全体を見渡していった。一瞬、自分にもはっきり目を合わせられたような気がして、華子はどきりとした。
ここにいる選手の一人ひとりと順に目を合わせているかのような、ゆっくりとした眺望をようやく終えた後、指宿リノは言った。
「あんまりわたしが出しゃばったことを申し上げると、すぐにメディアの皆さんが炎上させてしまいそうでコワイんですけど……でも、玉座からの景色を知る者として、これだけは言っておきますね」
かつて神であった女性の、一同を見渡す漆黒の瞳が、その時だけ深遠な銀河の色に染まったように見えた。
「『全力を尽くせば負けても思い出になる』――そんなの嘘ですよ」
にこやかな口元から発せられたその一言が、瞬間、ぞくりと皆を凍らせる。
元より彼女の言葉に傾聴していたはずの周囲の空気が、より一層、しいんと緊張に静まり返ったような気がした。
「勝利こそが人生の糧です。青春の
話を締めくくって一礼し、再び顔を上げた女王に、皆はハッと思い出したように拍手を送った。華子もそれに続いたが、真空の宇宙に突然放り出されたような冷たく息苦しい感じは、すぐには
ちらりと周囲に目をやると、他校のアイドルの中には、指宿リノの言葉に完全に
そんな中、
ともすれば、それは――青春を勝利の味で締めくくれるのは自分達だけだという、絶対的な自信に基づいてのことなのかもしれない。
「宣誓――わたし達、スクールアイドル一同は、日頃の
宣誓する彼女の姿を見て、華子は思った。
参加できただけで喜んでいる場合じゃない。勝たなきゃダメなんだ。
自分も、アイドル部の部長として、皆を勝利に導かないと――!
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
開会式が終わり、列を組んだまま控室への廊下に
「……かっこいい」
そのあいりはといえば、華子の心配とは真逆に、うっとりした顔でそんなことを呟いていた。
「かっこいいですね、指宿リノさんって。わたくしも……『玉座からの眺めを知る者として』なんて、いつか言ってみたい」
「あはは……あいりちゃんは大丈夫そうだね」
ひとまず胸を撫で下ろす華子の前で、怜音が軽く腕を組んで何やら頷く。
「スクールアイドルの玉座の眺めでいいなら、すぐに味わえるさ。ねえ、部長」
怜音の目の色は冗談には見えなかった。結依も、マリナもやる気の表情で頷きを重ねた。
「そうだね、みんなで――」
頑張ろう、と華子が言おうとしたところで。
「ねえねえ、
廊下を行く他校のアイドル達の中から、どこかで聞いたような声が華子を名指ししてくる。
華子が振り返ると、その声の主が足を止めていた。きらきらした黄色の衣装を身に纏ったその顔に、華子は確かに見覚えがあった。中学時代、地区大会や合同イベントで何度か顔を合わせたことがある相手だ。
お久しぶり、と華子が笑顔を保って挨拶すると、相手はどこか冷たい笑いを浮かべて言ってくる。
「千葉さん、全然大会で見ないから、もうスクールアイドルやめちゃったんだとばかり」
「……去年までは、部員が足りなくて……」
華子は相手の態度に不穏なものを感じ取っていた。こんなこと自慢にならないが、スクールカーストの低層を長く味わっていたせいで、他人のナチュラルな悪意には鋭敏になっていた。
問題の相手は、チームメイトから「知ってる子なの?」と問われ、「まあね」と口元を吊り上げて答えている。
いやだ、と華子は本能で感じた。この子は――自分の、今よりもっと弱かった自分の、あの頃を知っている――!
「この子、二中のアイドル部にいたんだけどさ。チームメイトにはそこそこできる子もいたのに、この子だけがいつも足引っ張っちゃってて」
まさに華子が目の前に居るというのに、彼女は悪意を隠そうともせず堂々と言ってのけた。揃いの黄色に身を包んだ仲間達も、それを聞いてクスクス、ニヤニヤと意地の悪そうな笑いをこちらに見せつけてくる。
その臆面もない悪意の発露に、華子は自分の膝が震えるのを感じた。何も言い返せない。何も……。
「千葉さん、組み合わせ表もう見た? あたし達、一回戦の相手同士だよ。助かっちゃった」
「えっ?」
「だって、ウチのチーム、実質シードってことじゃん」
彼女の言葉にチームメイト達が揃ってフフッと笑う。萎縮しきる華子に代わり、真っ先に声を上げたのはマリナだった。
「なんですって――」
「いけません、マリナ先輩。相手の思う壺です」
怒りを露わにして相手に掴みかかろうとするマリナを怜音が引きとどめる、その光景が、濡れた何かに歪む華子の視界の先で不鮮明に流れてゆく。
――結依は?
華子の目は無意識に結依の姿を探し――、そして見た。彼女が、あの炎の瞳で、
「……確かに、皆さんはラッキーですよね」
「は?」
「一戦目で戦いの緊張から解放されて、あとは心置きなく、わたし達『ELEMENTS』のパフォーマンスを客席から見られるんですから」
「なっ――」
それはまるで、風を巻いて飛ぶ灼熱の火矢が邪悪の
彼女の迫力に
先陣切って歩きだす結依の背中を、華子は我に返って小走りで追いかける。
心の動揺をまだ抑えられないまま――。
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