Track 02. 忘れ得ぬ声

 日曜日のファミリーレストランは若者と家族連れで賑わっていた。部室スタジオでの活動を日暮れとともに切り上げ、結依ゆい達は夕食を兼ねた作戦会議になだれ込んでいた。

 週末を返上しての猛特訓で皆はクタクタだったが、休息の時にはまだ程遠い。地区予選大会まできっかり一週間。セットリストを事前申告する義務はないとはいえ、もう曲目を決めて調整に入らなければ到底間に合わないのだ。


「じゃあ、全体曲は『スコーンジャム』と『ペーパークラフト』でいい?」


 皆に向かって問いかける華子はなこに、結依はこくりと頷いた。セットリストの目玉とするべき五人全員でのパフォーマンスが、スローテンポな二曲だけになってしまうが、初心者のあいりに無理をさせないためには仕方がない。

 怜音レオンとマリナもそれぞれ賛同を示した。最後にあいりが皆に謝ろうとするのを、結依は伏し目がちな彼女の表情から察して、「いいんだよ」と優しく止めた。

 この二日間の特訓で、あいりはひとまず、恥ずかしがらずに声を張って歌えるようにはなっていた。結依には彼女の歌声を直接聴くことはできないが、決して足手まといになるような歌唱力ではないことは華子達の反応を見ていればわかる。明日からの六日間でダンスの基礎を叩き込めば、一般人が簡単に振り付けを真似できるように作られた『愛しのスコーンジャム』のような曲なら、笑顔で歌い踊れるレベルには持っていけるはずだ。

 あとは、一部のメンバーだけで歌うユニット曲を、どのように構成するかだが――。


「ねえ、ユイちゃん。一応、念のため、ルールの確認だけのために聞くんだけど――」


 マリナがドリンクのグラスをストローでくるくるとかき回しながら、女王クイーンとして胸を張っていた頃と全然違う顔でこちらを見てくるので、結依は思わずクスリと笑ってしまった。


「口パクはだめですよ。スクールアイドルの大会は生歌ゼッタイです」

「わ、わかってるってば。あたしが口パクしたがってるみたいに言わないでよ」


 マリナは照れ隠しのように顔を背けた。

 まあ、無理はない、と結依は思う。プロのアイドルの現場でも、激しいダンスパフォーマンスに注力するために、敢えて音声の別りという手段が用いられることはある。本気の歌唱と本気のダンスを同時に行うのはそれだけ大変なことなのだ。ダンスに関しては抜群のセンスと経験を持つマリナといえど、慣れないアイドルソングを全力で歌いながら身体を動かすのは、まだまだ至難の業だろう。

 アイドルパフォーマンスに不慣れというなら怜音レオンもそうだったが、彼女の場合、ミュージカルを徹底的に仕込まれてきただけあって、歌と踊りの表現力に関しては十分すぎる技能を身に付けていた。彼女のキャラに合った曲をソロで歌ってもらうだけで、並の相手では太刀打ちできない切り札カードになるはずだ。


「ユイちゃんのソロと……レオンちゃんのソロと……」

「ソロも有難いですが、自分はユイちゃんとデュエットもしたいです」

「そこ、メチャクチャ対照的な組み合わせじゃない」

「ユイちゃん、何かいい曲ある?」

「そうですねー……『ココロの既得権益』とかなら」

「わたくし、デュエットなら『ナイト・バタフライ』も好きです」

「あ、そっちの方がいいかも。あいりちゃん、センスいいよね」


 疲れと焦りを忘れるほどの楽しい会話の中に身を置きながら、結依は決意を新たにしていた。

 この五人で――多彩な個性エレメントの集まったアイドルグループ「ELEMENTSエレメンツ」で、必ずあの「Marbleマーブル」を下し、春の全国大会への切符を手にしてみせる。

 夏や冬の大会に向けてじっくり力をつけてから、なんて言っている余裕は結依にはない。日本一を目指すチャンスは決して無限にあるわけではないのだ。最初から全ての機会に全力投球すること以外、結依の頭にはなかった。


 セットリストがなんとか決まった頃には、もう夜の九時を回っていた。

 また明日学校で、と笑顔で皆と別れ、結依が駅に向かって歩き出そうとすると――。


「ユイちゃん。ちょっといいかな」


 華子達の背中が見えなくなったところで、怜音がふと彼女を呼び止めてきた。その声色は、先程までとは少し違った種類の真剣さに満ちていた。

 帰りが遅くなることは既に父に伝えてあったので、結依は二つ返事で怜音に応じることにした。正直、久しぶりに仲間というものを得た結依としては、怜音に限らず四人の誰とだって、少しでも長く話ができるならそれに優る嬉しさはないというくらいの気持ちがあった。


「……少しばかり、昔話を聴いてほしいなと思ってね」


 怜音は近くの公園の休憩スペースへと結依をいざない、自動販売機で温かい紅茶を買って渡してくれた。結依がコーヒーを飲まないことは、先程のファミレスのドリンクバーで察してくれていたらしい。


「知っての通り、自分は歌劇団の訓練所を途中で辞めた身だ。幼い頃から周囲に男役としての振る舞いを求められすぎて、コンプレックスがあったのも確かだが……本当は、もっと情けない理由があってね」

「情けない理由、ですか?」


 それは怜音から最も遠い形容詞であるように思えて、結依は眼鏡グラスに映る文字をそのままオウム返ししてしまった。

 ブラックの缶コーヒーを一口煽ってから、怜音は続ける。


「あの中では、陰湿なイジメが横行しててね。ウチの学校のスクールカーストなんて正直目じゃない。一途に夢を目指していた子が、落ち度もないのに貶められ、夢を諦めて訓練所を去っていくのを自分は間近に見たよ。……ずっとそれを見ていながら、止めることができなかったんだ」


 いつも強さと自信に満ちている怜音の目が、その時ばかりは灰色に沈んで見えた。


「イジメの主犯格のほうは、教員達の覚えもめでたく、スター候補に抜擢されて夢の階段を上がっていったよ。それを見たとき、ここは自分の居場所じゃないと思った。情けない話さ。……もう芸能なんてやるまいと思っていた。逆境と戦うキミの、燃える瞳に出会うまでは」


 そう言って話を締めくくると、怜音はコーヒーの缶をことりとベンチに置き、ゆっくりと息を吐いてから結依の顔を見てきた。


「ユイちゃん。勝手は承知だが――今度は、キミのことを教えてほしい。キミがどうして、そこまでアイドルに必死なのか」

「えっ?」


 必死、という文字がVRレイヤーに表示されたとき、結依は自分の心臓がびくんと脈打つのを感じた。


「キミの身体を動かしているものは、ただの憧れだけじゃないだろう。キミは、もっと重たい使命や責任のようなものを背負ってアイドルをやっている――違うかな?」

「レオンさん……」


 怜音の目はどこまでも真剣だった。結依は、戸惑うより何より、なぜか嬉しかった。きっと誰にも――華子にさえも話すことはないだろうと思っていた自分の過去を、しっかり怜音が見抜いてくれていることが。

 スクールアイドルを楽しもうとしているだけの華子達に、こんな話を聞かせて重荷を背負わせるわけにはいかない。そう考えていた。だが……。

 この人になら聞いてもらってもいいのではないかと、結依は思った。


「もちろん、部長にも明かしていないのなら、自分が聞くわけにはいかないかもしれないが――」

「……いえ」


 結依は小さく首を振った。――この人はきっと、全てを受け止めてくれる。


「レオンさんにならお話しします。……この耳が、まだ聴こえていた頃の話です」


 結依は意を決し、語り始めた。

 重たい心の扉の中に仕舞い込んだ、なくしてはならない大事な記憶を――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



『第十七位! 102,530票! 秋葉原エイトミリオン・チーム・リーヴス、雪平ゆきひら美鈴みれい――』


 リビングのテレビから溢れるその声が鼓膜を震わせたとき、結依は「ウソでしょ!?」と裏返った声を上げてしまった。

 思わずソファから立ち上がった彼女を、父と母がぎょっとした目で見てくる。


「どうしたんだ、結依」

「……ミレイちゃんが……十七位って」


 結依のショックの理由は、両親もすぐに悟ってくれたようだった。

 二人とも、よく知ってくれているはずなのだ。仲の良い先輩であり、憧れのスターでもある美鈴の今年の順位発表を、結依がどんな思いで待っていたのか。年に一度の選抜総選挙において、十七位という順位で名を呼ばれることが何を意味するのか。


「ミレイちゃん、選抜落ちしちゃったの? 頑張ってたのにねえ」


 母が残念そうに呟いた感想が、己のことのように十二歳の結依の心をえぐった。

 全国に一千名超の現役メンバーを抱えるエイトミリオングループ。その中でも、総選挙で上位十六名に入った者は狭義の「選抜メンバー」と呼ばれ、絶大な優遇に浴することになる。

 美鈴は昨年度の総選挙で自身最高の十三位を獲得し、初の選抜入りを果たしていた。この一年、選抜メンバーの一員として各種のイベントやメディアに出ずっぱりだった美鈴は、子役時代の知名度との合わせ技で着実に人気を上げているとみられ、今年は一桁台の順位も狙えるに違いないと囁かれていた。それどころか、上位七名の強者のみが踏み込める「神」の領域――「七姉妹セブン・シスターズ」の一角に食い込む可能性すらあると言われていたのだ。

 もちろん、結依もそれを信じて疑わなかった。美鈴がこれまでに積み重ねてきた努力を、流してきた汗と涙の量を、その背中を追う結依は知っていたから。


「来週はそのミレイちゃんと一緒にお仕事でしょ。ちゃんと励ましてあげなさいね」


 母はどこか他人事のようにそう言った。

 テレビの中で悔し涙に唇を噛み締め、それでもファンへの感謝を述べる美鈴のスピーチを聴いていると、結依の目にも涙が滲んだ。彼女に会ったとき、どんな顔をして、どんな言葉をかければいいのか、結依には思いつかなかった。



 ◆ ◆ ◆



 白熱の総選挙から一週間が過ぎ、世間の話題も一通り一巡した頃、結依は心のざわめきを抑えられないまま美鈴との仕事の場に赴いた。

 現場は関東郊外の大掛かりな研究施設。内容は新型の舞台装置のデモンストレーション。二人が仕事で一緒になるのは、美鈴が秋葉原エイトミリオンに行ってしまってからは初めてのことだった。今回の順位のことさえなければ、今日のスケジュールは楽しみで楽しみで仕方なかったのに――。

 この一週間、結依はとうとう美鈴にラインの一通も送ることができずにいた。美鈴が受けているショックは、傍から見ているだけの自分の何十倍も大きいはずで。こんな時には、どう声をかけても間違いになるような気がして。

 だが、いざ現場の控室で顔を合わせてみると――


「おはよう、ユイちゃん。ずっと会いたかったんだよ?」


 美鈴は結依のよく知る美鈴のままだった。それまでと何も変わらない明るさで、彼女は少し前にカットしたばかりの結依の前髪を「可愛いね」と褒めてくれた。

 二人に気を遣ってくれたのか、各々のマネージャーは打ち合わせと称して控室を出てゆき、広々とした室内には美鈴と結依だけが残されていた。郊外の自然を見下ろす大窓からは、初夏の眩しい日差しが燦々さんさんと室内に差し込んでいた。


「ミレイちゃん。あの、総選挙……」


 美鈴の笑顔を前に、結依は言葉に詰まった。誰もが羨む高順位であることに変わりはないが、彼女の望む領域には届かなかった「十七位」という数字。おめでとう、と言えばいいのか、残念だったね、と言えばいいのか。今ここに至っても、結依には答えが出せなくて。


「もう。なんでユイちゃんが泣きそうな顔してるの?」

「だって……だって。ミレイちゃん、あんなに頑張ってたのに!」


 あくまで明るく柔らかな美鈴の声が、却って結依の涙腺を決壊させた。わあっと泣き出す結依を、美鈴はそっと抱きしめ、よしよしと頭を撫でてくれた。


「ユイちゃんは優しいね」


 そして、結依の大好きな先輩は語った。何位になろうと変わらない瞳の輝きで。悲しみも、迷いも、全て乗り越えて未来を見据えたような声で。


「わたし、諦めてないよ。今年の順位は悔しいけど、こんなとこで挫けてられない。来年は絶対、また選抜に……ううん、今度は『七姉妹セブン・シスターズ』に入ってみせる。そしていつかは、エイトミリオンのトップに立ってみせるから」

「……うん!」


 決意に満ちた美鈴の言葉を聴くと、結依も元気になれるような気がした。

 やっぱり敵わないな、と結依は思う。本当なら、自分のほうが美鈴を励ましてあげなければならないのに―― 。


 それから、美鈴は、明るい窓辺に結依をいざない、翌月のソロコンサートのために自分で作詞したという曲をそっと歌って聴かせてくれた。

 夏の日差しにふわりとりょうを差し込むような――。「吹雪のミレイ」の二つ名に象徴される、清涼せいりょうを極めた爽やかな歌声で。


「あの鳥たちには――夢はあるのかと――大空を見上げてふと――君は呟いたけど――」


 雲の上まで突き抜けるような、しかしどこか切ない空気を纏って、可憐なその唇が、結依の大好きな声で歌詞を紡ぐ。

 鳥のように大空を舞う翼は、人間ひとには必要ない。わたし達には立派な足があるのだから――そんな歌だった。決して格好つけないその歌詞には、天に挑んだ翼を一度は溶かされ、それでも己の足で大地を歩もうとする、美鈴の確かな決意が込められているように思えた。


「……すてきな歌」


 結依が素直な感想を呟くと、美鈴は「よかった」と喜んでくれた。


「ユイちゃんは、来月のオーディション受けるんでしょ?」


 結依は元気に頷いた。

 中学に上がり、公営放送の主役の座も後進にバトンタッチした今、結依が秋葉原エイトミリオンのオーディション受験を躊躇する理由は何もなかった。既に書類審査は通過し、面接審査の日程は翌月に迫っていたのだ。


「今の歌、オーディションで歌ってもいいよ。ユイちゃんにだったら特別に歌わせてあげる」


 美鈴に笑顔で言われ、自分の顔にぱっと喜びの血流が流れ込むのを結依は感じた。


「うん、歌う! それでそれで、わたしがエイトミリオンに入ったら、ミレイちゃんと一緒に歌いたいっ」


 声を弾ませて結依が言うと、美鈴は、ふふっと笑って「それはどうかな」と結依の目の前で人差し指を立てる。


「ユイちゃんが正規生に昇格してくる頃には、わたし、遥か高みにいるからね。そんなに簡単に隣には並ばせてあげないよー」

「えー。ずるいよぉ」


 くすくすと笑い合いながら、結依は美鈴と窓辺から同じ空を見上げていた。

 今年の総選挙のことなどもう頭にはなかった。結依の目に浮かぶのは、いつの日か、揃いの衣装で秋葉原の劇場に並び立つ、美鈴と自分の楽しそうな姿だけだった。



 ◆ ◆ ◆



「世間では、AIのソフトウェアに歌を歌わせるサービスが随分と流行っているようですが――何と言っても、歌は人間が歌うものです。生身のアーティストの、生のパフォーマンスに優るものはありません」


 研究施設内のコンサートホールに大勢の報道陣を招き入れ、デモンストレーションのイベントが始まった。マイクを持つ男性のスーツの光沢が、スポットライトの眩しさを照り返していた。

 結依は美鈴と一緒に舞台裏に控え、出番を待っていた。白地にフリルのシンプルな衣装の、腰や背中、手足の各所で、ひんやりと冷たい何かの装置がずっしりと存在感を放っていた。


「リアルな芸能の現場をより華麗に、より激しく盛り上げるべく、我々は研究開発を重ねてきました。そしてついに今日、皆様にその成果をお披露目する時が来たのです。ご覧下さい、アーティストに翼を与える夢の舞台装置――磁気浮遊フィールドシステム『イカロス』です!」


 ステージに照明が灯った瞬間、おおっ、と記者達のざわめく声が聴こえた。床から天井まで、ステージの全域を大掛かりな装置が覆い尽くしているのが結依の目にも見えた。


「百聞は一見にしかず。まずはご覧頂きましょう。本日のデモンストレーションのために特別に来てもらいました。今をときめく秋葉原エイトミリオンの次世代エース、雪平ミレイちゃんと、子役アイドルのユイちゃんです!」


 二人が笑顔でステージに出ると、ぱちぱちと拍手が巻き起こり、カメラのフラッシュが幾重にもまたたいた。


「今この瞬間から、アーティストのパフォーマンスは二次元を超え、三次元の領域に飛び立つのです。翼をはためかせ、空を舞う天使の如く!」


 そして、ホールに大音響の音楽が流れ始める。

 段取り通りにマイクを構えた直後、二人の身体は、重力の鎖から解き放たれたように、ふわりと虚空に浮かび上がり――

 文字通り天に昇るような浮遊感が全身を包み込んだのは、ほんの一瞬のこと。


 結依が後から教えられたところによると――

 その瞬間、電磁浮遊レヴィテーション力場・フィールドの制御装置に、想定外の誤作動があって。

 人体許容量の何倍にも増幅された電磁パルスが、二人の脳髄を容赦なく直撃した――らしい。


 脳を沸騰させるような赤熱の衝撃とともに、結依の意識は一瞬で吹き飛び――

 次に五感が機能を取り戻したときには、結依の小さな身体は、異常に冷たいステージの床にうつ伏せに倒れていた。

 けたたましい警報アラートが周囲に鳴り響き、大人達の足音がばたばたとステージの周りを駆け回っている。


「……ユイちゃん」


 美鈴のか細い声が、少し離れたところから結依の鼓膜を叩いた。


「ユイちゃん……ユイちゃん、どこ……?」

「ミレイちゃん! ここ、わたしはここだよ!」


 倒れ伏した美鈴の身体を視界に捉え、結依が叫んだとき、きぃんと甲高い耳鳴りが結依の脳を刺した。

 結依は繰り返し美鈴の名を呼びながら、凍てつくような床の上で身体を這わせる。美鈴の真っ白な手に結依の手が重なったとき、美鈴は初めて結依がそこにいることを知ったように、ユイちゃん、と消え入りそうな声とともに、ゆっくりとこちらに向かって顔を上げてきた。


「! ミレイちゃん――」


 その、可憐で愛くるしい、美鈴の顔の――

 眼球がまっているべき部分が真赤に塗り潰されているのを見て、結依は、大好きな彼女の瞳が二度と世界を映すことがないのを悟った。


「……ユイちゃん」


 美鈴の手が力なく結依の手を握り返してくる。結依は滅茶苦茶に何かを泣きわめきながら、覆いかぶさるように美鈴に身体を寄せていた。


「さっきのあの歌……ユイちゃんにあげる。……わたしの夢の続きを……あなたが叶えて」

「やだ! ミレイちゃん、行かないで!」


 結依の耳は、周囲で鳴り響く警報アラートが次第に遠ざかっていくのを感じていた。少しずつ、だが確実に。大人達の足音も遠ざかっていく。美鈴の声も遠ざかっていく。……彼女は、ここにいるのに?


「ユイちゃんは……絶対、素敵なアイドルになれるよ。あなたならきっと……わたしより上に……」


 その言葉の後半はもうほとんど聴き取れなかった。そのままどこかへ行ってしまいそうな美鈴を引き止めるように、結依は彼女の身体を抱きしめ、必死にその名を呼び続けた。その自分自身の声すらも、とうに認識の彼方へ遠ざかっていた。


「ユイちゃん、お願い……。わたしのかわりに……アイドルになって……」


 最期のその時、美鈴の唇はかすかに笑っていたように、結依は思う。


 後日、医者から受けた説明によると、結依の聴覚神経は、パルスが脳に届いた瞬間に焼き切られていたはずで――

 本来なら美鈴の声など聴こえるはずがないのだ、というが。

 ……結依は、こう思っている。美鈴の夢を受け継ぐために、神様が少しだけ二人の時間を伸ばしてくれたのだと。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「……その事故で、わたしは聴覚を、ミレイちゃんは命を失いました。事故の情報とか映像とかは、表に出ないように処理されて……ミレイちゃんは、表向きは、急な病気で亡くなったことになりました」

「そんなことが……」


 怜音は結依の語る一字一句に漏らさず耳を傾けてくれた。その驚愕に張り詰めた顔を見れば、自分の述べた過去が彼女の想像を遥かに上回っていたことは容易く察せられた。


「わたしは、ミレイちゃんの分まで背負わなきゃいけないんです。……ううん、いけないとかじゃない。わたしがそうしたいって決めたんです」

「……ユイちゃん。キミという子は……」


 怜音はふいに手を伸ばし、結依の手を握ってくれた。結依の目をまっすぐ見つめるその瞳が、話してくれてありがとう、とはっきり告げていた。


「聞かせてもらった以上は全力で支えになるよ、ユイちゃん。たった今から、キミとミレイ先輩の夢を叶えることが、自分の戦う理由になった」

「……レオンさん」


 もう泣くまいと思っていたのに、耐えきれず涙がこぼれた。

 ただただ結依は嬉しかった。怜音が自分の使命を受け止めてくれたことが。そんな怜音とこれから一緒に戦えることが。


 ――必ず勝つ。美鈴の夢の続きを叶えるために。

 結依は温かな怜音の手を両手で握り返し、何度も噛み締めたその誓いを、もう一度強い炎の色に染め直した。

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