Track 03. 入部希望者

「絶対、負けない……!」


 結依ゆいが壇上に向かって発した宣戦布告の声を耳に捉え、華子はなこは底知れない戦慄に身体を震わせていた。恐る恐る見やった後輩の横顔は、かつてこの秋葉原の街で華子の友人に詰め寄った時や、学校の廊下でマリナの取り巻きサイドキックスに怒りをぶつけた時とは比べ物にならない、灼熱の戦意に満ちているように見えた。

 壇上の相手がすうっと静かに一息をく音が、ステージの音響装置を通じて漏れ、華子はハッとして結依の視線の先を見上げた。「Marbleマーブル」の春日かすが瑠璃るりは、その煌めく瞳でまっすぐに結依を見下ろし、口元にかすかな笑みを浮かべていた。


「ここにも一人居たのね。わたしのライバルになりそうな子が」


 遥か雲の上から発せられるようなその声は、凛と張り詰めた静謐せいひつな自信に満ちていた。これと同じ空気をつい一日前に華子は感じたことがある。そう、眼前の敵を微塵も恐れず、勝って当然と言わんばかりのこの空気は、まるで、対決の場でマリナと向き合ったときの結依と同じ――。

 春日瑠璃は、結依の制服姿を見定めるように視線を動かしたかと思うと、「あなた、どこの学校?」と問うた。


双柱ふたばしら学園高校アイドル部、火群ほむら結依」


 その静かな名乗りの裏に、戦国の武将にも劣らぬ裂帛れっぱくの気合いを見て、華子は思わず結依の傍から一歩退いてしまった。周囲の観客達も、この小柄な少女の背中に名状しがたき炎を見たのか、誰一人として声を上げようともその場を動こうともしなかった。

 ふと見れば、ステージに並んだ「Marble」のメンバー達も、一様に緊張に満ちた目で、瑠璃と火花をぶつけ合う結依の姿を見下ろしていた。誰もが動きを封じられた中、ただ一人それを意にも介さぬ様子で、太陽の女神はくすっと笑ってマイクを構え直した。


「随分とコワイ目をするのね。そんなに焦らなくても……わたしとあなたは、近い内に、対等な舞台でぶつかり合うことになるわよ」


 気のせいだろうか。瑠璃ラピスラズリの輝きを宿したような彼女の瞳が、観客に向かってアイドルスマイルを振りまいていた時よりも、名古屋エイトミリオンを背負って立つと宣言した時よりも、ずっと楽しそうに見えたのは。


「互いの二つ名に恥じない戦いをしましょう。ちゃん」


 それを聞いた瞬間、どくん、と、己の心臓が重たく脈打つのを華子は感じた。

 まさかとは思っていたが――春日瑠璃は、知っているのだ。目の前の少女が何者なのかを。

 結依は別段それに驚く様子もなく、目の端から炎をほとばしらせたまま「はい」と応えていた。

 二人の強者が対峙していた時間は、ものの一分ほどしか無かったかもしれない。壇上の瑠璃が先輩にマイクを手渡し、それから、「Marble」の面々は色々と告知をしていたように思う。春の大会――スプリング・アイドライズの東京都代表の座は自分達が貰うとか。大会に向けて新曲を用意しているから、皆さんもぜひ楽しみにしていて欲しいとか。

 だが、最早、そうしたなあれこれは、華子の耳にはまるで入らなかった。

 「Marble」がメンバー総出で観客へのお礼を述べ、舞台裏に撤収していったとき、華子は張り詰めていた糸が切れたようにその場でよろめいてしまった。自分が敵意を向けられていたわけでもないのに、彼女の心身はとてもあの空気に耐え抜くすべを持たなかった。

 くずおれそうな身体を結依が横から支えてくれ、「大丈夫ですか?」と問うてくる。その目は年相応の少女の無垢な光に満ちていたが、今の今までそこに獲物を狩る獣の如き鋭さが宿っていたことを華子は知っている。


「……ユイちゃん」


 そんな可愛い目を。可愛い顔を。可愛い身体付きをしているのに――

 華子には時折、この少女が本当に十五歳の女の子なのか信じられなくなる瞬間がある。

 同じ高校生のはずなのに。立っているステージが、見ているものが、自分とはまるで違う――。


「ほんとに、この学校のアイドル部なんかでいいの?」


 ライブの後、雑踏の中を駅に向かって歩きながら、華子はつい結依の横顔に尋ねてしまった。

 結依の目が「え?」と聞き返してくる。今更、やっぱりこの部では不相応だから辞めるなんて言い出さないのはわかっているが、それでも訊かずにはいられなかったのだ。自分の守ってきたちっぽけなアイドル部は、結依の目指す戦場とはあまりにレベルが違いすぎるとしか思えなくて。


「あんな凄い相手と戦おうっていうのに、わたしなんかと一緒に居たんじゃ……」


 もちろん、結依の実力を信じていないわけではない。火群結依と春日瑠璃、個人のポテンシャルは互角なのかもしれない。しかし、相手は天下の名門、春暁しゅんぎょう学園の「Marble」なのだ。メンバーの層も、支援の質も、何もかも格が違う。きっと、相手は学校を挙げたバックアップのもと、万全の体制で戦いに臨んでくるだろう。

 敵の力はまさしく虎に翼。それに引き換え、自分は結依のために何をしてあげられるというのだ?

 だが、そんな華子の悩みをよそに、結依の声は明るく澄んでいた。


「それでもわたしは、華子さんと一緒に歌いたいんです」


 駅の改札に向かう足を止めないまま、結依は柔らかな口調でそう言ってくる。


おたくギークだなんて言われて、マリナさん達に見下されて、それでもアイドル部を辞めずに守り抜いてきたんでしょ? 華子さんは強いですよ。ひょっとしたら、親の七光でぬくぬくとアイドルをやってる子達よりも」

「そんな、わたしなんて――」


 会話はそこで時間切れだった。秋葉原駅から二人が乗る電車リニアの方向は真逆だった。


「とにかく、まずは部員集めを一緒に頑張りましょっ。じゃあ、また明日」


 ぺこりと会釈する結依に手を振って、華子は消しきれない戸惑いを抱えたまま自分の電車に乗り込む。

 電車の窓に映る自分の顔はどこまでも平凡だった。ただアイドルが好きなだけで、ただ中学から部活でアイドルをやり続けてきただけの、どこにでもいる高校三年生。結依や春日瑠璃のような特別な子達と比べて、自分はただひたすらに普通の子に過ぎなかった。

 そんな自分が、あの凄すぎる子達の戦いに、どんな顔をして絡んでいけばいい……?


 ――いや、そうじゃない。

 華子は結依の笑顔を思い出し、ふるふると小さく首を振った。

 不利も不遇も承知で、それでも結依はこの部を選んでくれたのだ。それならば、自分はせめて、キャプテンとしてできることを全力でやらなければ。

 まずは部員集めだ。メンバーが五人揃わなければ、春の大会、スプリング・アイドライズにエントリーすることすらできない。

 しかし、あのみなとマリナを仲間に迎え入れるなんて、自分にできるのだろうか――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 そんな華子のアイドル部に思わぬ転機が訪れたのは、翌日の朝、彼女がいつも通りに一人きりで学校の入構ゲートを通ろうとした時のことだった。


「あ、あの」


 華子は最初、校門に立つその少女が自分を呼んでいるのだとは気付かなかった。上品な響きを湛えた、しかし気弱そうな震えを感じさせる声で発せられた、次の言葉を聞くまでは。


「アイドル部の部長さん……ですよね?」

「え?」


 華子が目を向けた先に居たのは、一年生の制服をかっちりと着込んだ少女だった。長く整えたスカートに、昭和の漫画から抜け出してきたような三つ編み。水面みなもに浮かぶ葉っぱのような揺々ゆらゆらした視線が、やたらとまっすぐに華子を見上げている。


「うん、そうだけど――」

「あの、わたくし、新入生の網野あみのあいりと申します。ご迷惑でなければ……その、わたくしも、アイドル部に……」


 少女の言い淀む言葉に、えっ、と華子は一瞬固まってしまった。この子は今、なんて――?


「アイドル部に、入ってくれるの……?」


 驚きを隠せないまま聞き返す華子の前で、少女がこくんと頷く動きを見せたかと思った、そのとき。

 制服を可愛らしく着崩した一年生の女子達が数人、連れ立ってやって来たかと思うと、華子との間を遮るようにその少女を取り囲んでしまった。


「何してるの、網野さん?」

「え……あの、わたくし、アイドル部に」

「アイドル部? やめときなよ」


 女子の一人が嘲笑を交えて言い放ったその一言は、ごく自然体ナチュラルな差別意識に満ちているように聴こえた。


「そういうトコに入る子って、あたし達、お友達になれないかもー」


 少女に向けられた辛辣な言葉のトゲが、チクリと華子の心をも刺す。網野あいりと名乗った新入生は、こんな状況に慣れていないのか、ただオドオドと女子達の顔を見返すことしかできずにいるらしかった。

 華子はこの状況をよく知っていた。いち早くスクールカーストの上層に地位を占めたこの女子達は、上段に立ち、このあいりという子を選別しようとしているのだ。よくある話だった。華子自身も入学当時にそうした選別を受け、それでも己を曲げなかったために今の立場になってしまったのだ。


「あの、でも……」

「ね、ほら、あたし達と一緒の部活にしよ」


 女子の一人があいりの手を取り、華子から引き離すように引っ張っていこうとする。華子にはそれを止めに入る権限など与えられていなかった。カースト意識の前には、学年も何も関係ないのだ。華子ギークに許されているのは、戸惑いながらこの状況を見送ることだけ――。

 だが、次の瞬間。


「そういうの、カッコ悪いよ」


 と、新たな声が華子の背後から響いてきた。朗々と空気を震わす、力強い女子の声だった。

 華子が反射的に振り向いたのと時を同じくして、きゃあ、と黄色い歓声が周囲から溢れ返る。声の主は、嬌声の波を浴びながら、悠然とこちらへ歩み寄ってくるところだった。


「レオン様よ!」

「おはようございます、レオン様!」


 男子と見紛う背丈に、すらりとした手足。上品な色の短髪をまとめ上げ、強い眼力めぢからで華子の方を――いや、その後ろ、あいりを取り囲む女子達をぎらりと見据えている彼女。

 二年生の逆瀬川さかせがわ怜音レオン。この学校の有名人である彼女のことは、華子ももちろん知っている。歌劇団の入団手前まで行っていたとか、中学時代から大勢の親衛隊を率いていたとか、今も入学式から数日で多くの一年生女子を一目惚れさせてしまっているとか。


「おはよう。だけど『様』はやめてくれないか……自分はそんな大した人間じゃない」


 彼女が述べるが早いか、きゃあっ、とまた周囲から歓声が上がる。スクールカーストの階層構造ヒエラルキーとはまた異なる立ち位置の人気者。その怜音レオンの先程の言葉一つで、あいりを囲んでいた女子達は、バツの悪そうな顔になって黙り込んでしまっていた。

 女子達が無言で道を譲る中、怜音はつかつかとあいりに歩み寄り、「部長さんにお話があるんだろう?」と優しく声をかけた。

 あの逆瀬川怜音がアイドル部の入部希望者に手助けを……。カーストのしがらみを鼻で笑うような彼女の行動に、周囲の生徒達が息を呑む。情けないことに、華子には胸の動悸を片手で押さえて事の次第を見守ることしかできなかった。

 あいりは、ちらりと上目遣いに華子を見たが、やがて消え入るような声で言った。


「……あの、わたくし、やっぱり今はいいです」

「あっ――」


 華子が引き止める間もなく、彼女はたったっと小走りに入構ゲートを抜けていってしまった。

 その背中が華子にはどうしようもなく切なかった。せっかく、アイドル部に興味を持って来てくれたのに、結局はキャプテンの自分がカースト最下層のギークであるせいで……。

 心を締め付けられるような思いを感じながら、それでも華子が伶音に一言礼を述べようとしたとき、


「そうだ、部長さん」

「えっ?」


 学園の人気者がふらっとこちらに向き直り、予期せぬ口火を切ってきたため、華子は裏返った声を出してしまった。だが、本当の驚愕が訪れるのはその次の瞬間だった。


「後ほど自分も入部届を出させて頂きます」

「……はい?」

「先日の火群結依ちゃんの勇姿には、自分、感銘を受けまして。……しかし、物事には順序がありますので、入部届の提出には少々お時間を頂ければ幸いです。後ほど改めてご挨拶にお伺いします。ごきげんよう」


 怜音は軽くお辞儀をしたかと思うと、白い歯を見せて笑いかけ、そのまま淀みない足取りで構内へと消えてしまった。


「……えぇ?」


 怜音のファンと思しき女子達がその名を呼びながら彼女を追いかける中、華子は脳内で状況の整理が追いつかず、呆然とその場に立ち尽くしていた。

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