Track 04. センターの資格
「間違いないってさ。ユカのヤツ、彼と一緒に帰ってるのを二年の子が見たって」
「どんだけ手が早いのよ、あの子。すっかり自分が新しいクイーン気取っちゃってさ。あーもう、気分悪いっ」
冷たい風が吹き付ける教育棟の屋上。フェンスに
放課後というのは、行き場をなくした者にはこんなに寂しい時間だったのかと思い知らされる。本来なら今頃はチアリーディング部のスタジオで下級生に指導をつけているはずだったのに、今のマリナにはこうして屋上で友人達と
「マリナはいいの? このままで」
「そりゃ、いいわけないけど……」
かつての
三人の存在は実際、涙が出そうになるほど嬉しかったが――同時に、それ以外の者が誰一人として自分の傍に残らなかったという現実が、強くマリナの心を締め付けてくる。
たった三日で全てを失ってしまった。部内での立場も、学園での名声も、恋人だと思っていた彼も。ひょっとしたら将来の進路も。全てが砂のように彼女の手の上から零れ落ちてしまった。
自分の何がいけなかったのだろう。あの新入生、
「ユカ達の態度も有り得ないけどさ、一番ムカつくのはあの火群結依って子よね」
「ほんとに。マリナをアイドル部に誘ったりして、何様って感じ」
舌打ちすら交えかねない勢いでアイ達が言い合うのを、マリナは
昨日、部室棟の窓枠を挟んで向き合ったときの、あの邪気のない目……。皮肉にも、今の自分に手を差し伸べる者は、アイ達三人を別にすれば、敵だったはずの火群結依だけ。
――このままじゃメンバーが足りないんです。
――あーあ、誰か入ってくれないかなあ。
――マリナさんは何になれるんですか?
「……あなたの傍でなら、何かになれるとでも言うの……?」
三人の耳にも届かないくらいの小さな声で、マリナが呟いたとき。
突如、教育棟の
「何、あの声?」
「……ちょっと、マリナ、来て来て!」
いち早くフェンス越しにパティオを見下ろし、アイがマリナを手招きする。マリナはベンチから腰を上げ、フェンスの傍まで寄って、三人とともにパティオの様子に目をやった。
そこには二日前と同じ人だかりが出来ていた。男女の生徒達がざわめきながら前へ前へと押し合う中、中央ステージの傍に向き合って立つ二つの影。マリナは二人の姿に目を見張った。一人は、すらりとした長身を
「なになに、ケンカ?」
「あの子、逆瀬川まで敵に回してるの?」
傍の友人達にシッと合図して、マリナは眼下の様子に目と耳を集中させた。なぜだか、今からそこで起きることを見逃してはならないような気がした。
大勢のギャラリーを平然と背負った逆瀬川怜音と、生徒達から遠巻きに注目される火群結依。二人の近くには華子も居た。相変わらず、オロオロと頼りなさそうな顔をしているのが
ギャラリーのざわめきは、怜音のサッと上げた手で遮られた。
「
怜音が雲の彼方まで届きそうな声を張り、ぴしりと結依を指差す。随分と芝居がかった仕草だったが、歌劇団仕込みだという彼女にかかれば堂に入って見えるから大したものだ。
いや、そんなことより、マリナには今の怜音の言葉が気になった。入部届を出すと言ったか。学内随一の人気者である逆瀬川怜音が、あんな弱小のアイドル部に……?
「わたしからセンターの座を奪うっていうんですか?」
「いかにも。自分は、九歳の頃から歌劇団の訓練生として歌と演技の特訓を積んできた。キミに後れを取る気はない」
「……わたしは、七歳から子役をやってましたよ」
二人の間には一触即発の空気が立ち込めているように見えた。だが、彼女らの視線に宿っているのは互いを見下す敵意ではない。そこにあるのは、互いに存在を認め合い、手合わせの瞬間を心待ちにする勝負師の目だった。
――なぜ、とマリナの脳裏に疑問が去来する。なぜ、自分は今、あの戦いの渦中にいないことが悔しいのだろう……?
「部長さん、無礼は承知でお願いします。自分をユイちゃんと対決させて下さい」
華子に向き直った怜音が、美しささえ感じさせる所作で頭を下げる。今や観衆は一人残らず静まり返り、怜音と結依、そして華子が織りなす目の前のドラマに全神経を集中させているように見えた。
「わたしは……ユイちゃんがそれでいいなら」
「感謝します」
頭を上げ、くるりと結依を振り向く怜音。その鋭い目が語っている。よもや逃げはすまいな、と。
「……いいでしょう、逆瀬川先輩」
結依は真紅の
「胸を借りるなんて言いませんよ。全力で行きます」
「上等……!」
それから怜音は不可解な行動をした。群衆の最前列に居た、三つ編みに長いスカートの一年生女子に近付くと、「勝敗はキミに決めてもらおう、
言われた子も、周囲の生徒達もポカンとしている。マリナにも意味がわからなかった。キャプテンの華子に審判をしてもらうというならともかく、なぜ、無関係と思しき一年生に……?
ただ一人、結依だけが、見知らぬ審査員の抜擢に驚く様子もなく、悠然とステージの脇に立って「お先にどうぞ」と目で語っていた。
「では、行かせてもらう!」
怜音はブレザーを脱ぎ、ばさりと宙に放ったかと思うと、一秒後には軽やかに助走をつけてステージの上へと跳び乗っていた。ブレザーがふわりと地に落ちるのと同時に、純白のブラウスに短いネクタイをひらめかせた
「聴いてくれ! 我が魂の鼓動を!」
いつの間に準備をしていたのか、ステージの音響装置からは歌劇団のショーを思わせる勇壮華麗な音楽が溢れ出した。ヘッドセットから声を拾って響き渡る歌唱は、びりびりと空気を震わせる勇ましき獅子の
マリナはその一挙手一投足から目が離せなかった。スクールカーストの枠に収まりきらない存在――逆瀬川怜音が只者ではないのは知っていたが、そのパフォーマンスの実力、まさかこれほどだったとは。
彼女を「様」付けで呼ぶような女子達の反応など、この場では参考にもならない。元から味方とわかっている者に歓声を上げさせるなど容易いこと。マリナだってやっていたことだ。だが、この若き獅子が巻き起こす感動の渦は、到底その程度にはとどまらなかった。
一曲、二曲と歌詞を重ねるたび、その場に集まった誰もが彼女の威光に目を焼かれ、心を溶かされてゆく。女子のみならず男子達の目をも釘付けにするその勇姿は、まさしく他者の追随を許さぬ王者の貫禄。瞬く間に三曲を歌い終え、彼女が白い歯を見せてびしりと立ち姿を決めた時には、最早その場で彼女に喝采を贈らぬ者など一人も存在しなくなっていた。
「……凄い」
マリナは思わず呟いていた。一緒にパティオを見下ろすアイ達も、それぞれに目を丸くしていた。
「いくらマリナを負かしたあの子でも、これには勝てないでしょ……!」
友の声に、マリナもそう思った。
結依の力はマリナが身をもって知っている。認めたくはないが、自分に膝をつかせたあの実力は本物だった。だが……。あの時の結依の輝きをもってしても、怜音の疾風怒濤のパフォーマンスに太刀打ちできる想像は湧かなかった。
歌劇団の男役を彷彿とさせる怜音のパフォーマンスと、可愛らしいアイドルスマイルを振りまく結依のパフォーマンス。方向性は百八十度違えど、舞台に立つ者としての実力は、正直なところ怜音の方が数段上であるようにマリナには思えた。
しかし、眼下の結依は微塵も怯む様子を見せることなく、ステージ脇のラックから取り上げたマイクの頭を余裕の素振りでトントンと叩いている。
マイクテストなどしたところで聴こえていないんじゃないのか、などとマリナが思った瞬間、結依がセットしたらしき音楽が音響装置から軽やかに鳴り響き始めた。
音響の振動でタイミングを測ってでもいるのか、彼女は寸分のズレもなく曲に合わせてステージの中央に躍り出る。観衆の一部から歓声が沸き上がった。マリナは固唾を呑んで結依の動きを見守る。その笑顔には相も変わらず
「みんなの心に、火をつけます!」
マイクを手にした結依のウインクに、男子生徒を中心にオオッと声が挙がる。そして、衆目の中、少女はくるりと軽やかにターンして――
「――えっ?」
なんだ、あれは――!?
メロディに乗り、狂いなく歌詞を紡ぎ始めた彼女の姿は、
細い腕を振り、軽快にステップを踏む彼女の姿は、
観衆を見渡し、眩しい笑顔を咲かせる彼女の姿は、
――マリナがこの四日間で見てきた火群結依の姿とは、まるで違っていた。
ステージ外で飄々と無邪気な顔をしている時の彼女と、ではない。マリナと決死の対決に臨んだはずの、あの時の彼女と比べてさえ、今の火群結依は全く違う存在のように見えた。
怜音を勇猛な獅子とするなら、結依はさしずめ
夢を紡ぐ歌声は焦熱の熱波。愛を踊るダンスは烈火の竜巻。そして咲き誇る笑顔は、
対決相手の怜音を、仲間の華子を、審判の一年生を、この場に集った全員を。幾百人の観衆を
その
「超絶……可愛い」
マリナは呆然と呟く自分の声を聴いた。言ったのではなく言わされていた。語彙が死んだようなその言葉でしか、彼女の可愛さは表現できない気がした。
これが、彼女の……火群結依の、本気……!?
どうして誤解していたのだろう。どうして信じていられたのだろう。
自分を負かした時のあれが――あの程度が、結依の全身全霊だったなどと――。
「何なのよ……。あたし相手じゃ、本気を出すまでもなかったってこと……?」
マリナは気付けばフェンスの網目を強くその手で握り締めていた。眼下に広がる光景が、感動や驚愕を超えて、ただひたすらに悔しかった。
自分は、仮にもこの学園の
中学から懸命にチアを練習してきたのに。それなりに大きな大会で結果も残してきたのに。
この学園で誰より拍手喝采を浴びるのは、この自分だったはずなのに……!
「どうしてあたしだけ、蚊帳の外なのよ……!」
がしゃん、とフェンスが音を立てて揺れたのは、自分の手がそれを叩いたからだとわかった。
友人が心配そうにマリナの名を呼んでくる、その声も今は意識に入らない。
悔しい。負けたくない。自分だって、彼女達のように輝きたい――!
「みんな、行きますよっ!」
新たな曲の始まりに合わせ、
マリナの目には、追って来い、と告げているように見えた。
幾百人の男女の
少女の全身の躍動が語っている。夜明けは己で掴むのだ。己がここにいる理由は己で作るのだと。
興奮と感動の渦の中、結依は微笑みとともにパフォーマンスを終えた。まだ聴いていたいのに、と思ってしまった自分の心を、マリナはもう否定できなかった。
怜音が皆の前で堂々と結依に拍手を贈り、対戦者の激闘をねぎらう。結依もぺこりと頭を下げて怜音に応えた。
「さあ、あいりちゃん。勝敗の判定は」
「えぇぇ……」
怜音に促され、審判役の一年生は皆の注目を浴びて困り顔になっている。無理もない、とマリナは思った。この二人の戦いは、素人が言葉で語れる優劣の範疇を超えている。
「お二人とも素晴らしすぎて、わたくしには、とても……」
可哀想な役目を負わされた彼女を庇うように、そうだそうだ、と誰からともなく声が上がった。
「別にいいじゃん、どっちが上とか決めなくてもさ」
「二人ともヤバイくらい凄かったし」
「ていうか、センターって一人じゃなきゃいけないもんなの?」
怜音は軽く腕を組み、ふむ、と皆の声を吟味する素振りを見せる。その目線が結依へ、そして華子へと渡ったとき、マリナには怜音の思惑がわかったような気がした。
「うん……。わたしも、そう思う」
ここまで沈黙を保っていた華子が、この時ばかりはしっかりと怜音を、結依を、そして一同を見渡して言った。
「アイドルって、一人の子だけがいつもセンターに立つグループばかりじゃないよ。この曲は誰、とか、こっちでは誰、とか、曲ごとに主役を変えていくのもグループアイドルの楽しさだと思うし……。わたしは、このアイドル部を、そういうグループにしたい」
それは不思議な光景だった。カースト最下層の
結依がこくりと頷き、怜音も得心した様子で
そして、怜音は三つ編みの一年生に歩み寄ると、「そういうことだ」と優しい声で言った。
「誰にもセンターに立つ資格はある。キミにも」
「えっ……?」
「入部届、まだ持っているんだろう? キミが三人目のメンバーだ。後から来た自分は、四人目で結構」
あいりと呼ばれていた彼女は、怜音の長身をまっすぐに見上げると、憑き物が落ちたような顔で「ハイ」と頷いた。
スクールバッグから一枚の用紙を取り出し、あいりは華子にそれを差し出す。
「部長さん。よろしくご指導お願い致します」
「……こちらこそ。よろしくね」
華子がはにかみを浮かべて新入生を迎え入れるのも。続いて怜音が「お世話になります」と綺麗なお辞儀をするのも。結依が嬉しそうにその様子を見守っているのも。なんだかマリナには無性に気に入らなかった。おかしいじゃないか。あの子達、この自分を差し置いて、何を勝手に三人目とか四人目とか……!
「ちょっと待ちなさいよ! ユイちゃんはあたしを先に誘ってたんでしょ!?」
叫んでしまってから、ハッと気付いた。自分は一体何を――。
生徒達がざわざわと声を上げながら屋上を見上げてくる。マリナは慌てて口元を手で押さえたが。
「ざんねん、もう遅いです。マリナさんは五人目っ」
したり顔で自分を見上げてくる結依に、マリナは諦めて小さな溜息を
結依のきらきらした瞳は彼女を歓迎してくれていた。他のメンバー達もそれぞれに彼女を見上げている。怜音は余裕の笑みで。あいりは何が何だかわからないという様子で。そして華子は、戸惑いと喜びの入り混じったような、割り切れない心情を映した顔で。
「……今までのこと、ちゃんと華子ちゃんに謝らなきゃね」
傍らの友人達にそう言ってから、マリナはフェンスから手を離し、屋上の出入口へ向かって
もしも華子が許してくれるのなら、この場所で生きてみよう。あの凄すぎる子達と同じステージで、自分ももう一度輝いてみたい――。
こうして、この日――
(2nd Single:グループ結成! 完)
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