Track 02. 七光
夕刻の
だが、それもほんの数秒の出来事だった。結依が電車に乗り込んだことを悟った
「ユイちゃんは、どうしてマリナさんを誘うようなことを言ったの?」
隣に立つ
その華子の顔に今、疑念でも非難でもなく、不安の色が浮かんでいることに結依は気付いていた。本当にマリナがアイドル部に入ることになったらどうしよう――と、この先の出来事を危惧している顔だった。
無理もない、と結依は思う。華子がマリナを怖がっているのはよくわかっている。スクールカーストとやらの階層間の
しかし、結依に言わせれば、あのマリナだって自分達と同じ一人の女子高生だ。わかり合えないはずがない。それに……。
「あの人は、まだ輝きたがっているから……」
窓の外を高速で流れてゆく景色を見やり、結依は答えた。彼女の脳裏には、昨日目の当たりにした、
この三日間で都合四度、結依はマリナと直接向かい合った。視線を、言葉を、じかに交わしてみてわかったのだ。分野は違えど、本気で強者たらんとして研鑽を積んできたマリナの矜持が。そして、玉座を追われてもなお、諦めずに輝こうとする彼女の心の叫びが。
そして、スクールアイドルの舞台で数多のライバル達と渡り合うためには、そうしたメンバーを仲間に引き入れることが必要不可欠だとも。
「マリナさんは、華子さんと同じくらい強い人ですよ」
「……え?」
結依の一言に、華子はきょとんとして目を
「わたしは全然、強くなんか……」
弱気なキャプテンの言葉を遮るように、電車のアナウンスが秋葉原駅への到着を告げた。車外へ吐き出される人の群れに溺れないように、結依はどちらからともなく華子と手を握り合った。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
二人が秋葉原の街に降り立ったとき、時刻は十八時を少し回ったところだった。並び立つビルの向こうに夕陽が姿を隠し、サブカルチャーの聖地を夜の
『今年で開催十五周年を迎える、スクールアイドルの春の祭典、スプリング・アイドライズ! 全国四十七都道府県で地区予選受付中!』
『わたし達、秋葉原エイトミリオンは、スプリング・アイドライズ2040を応援しています』
街頭テレビの賑やかなコマーシャルを横目に、結依は華子を
「ユイちゃん、今日の敵情視察って、ひょっとして『Marble』のことなの?」
「ハイ。今日は新入生の初お披露目らしいですよ」
仮にもスクールアイドルの世界に身を置く者として、華子も当然「Marble」の名は知っているらしく、「緊張しちゃう」なんて言っている。華子だけではない。日本全国のアイドル部員にとって、その名は憧れと
名古屋に本拠地を置くスクールアイドルの名門、
結依もまた、高校でスクールアイドルの頂点を極めると決意した以上、地区大会で衝突が避けられない「Marble」の存在を意識しないわけにはいかなかった。未知の領域で戦いを挑もうというのだから、まずは敵のことを知らなければ始まらない。
「実はわたし、華子さんと初めて会ったあの日、ほんとは『Marble』のライブを観に行こうとしてたんですよ」
「えっ。なんか、ゴメン」
「いえ、いいんです。華子さんに公演誘ってもらえたのは、すっごく嬉しかったですから。それに――」
結依は、前日に並んで手に入れていた二名分の整理券をスタッフに見せ、華子の手を引いて、
「あの時の『Marble』には、まだ彼女がいなかったから……」
「彼女……?」
「アイドル界の期待の星。『
その時、わっと群衆から歓声が上がるのを結依の
興奮と熱狂の渦の中、ただひとり無音の世界に立って、結依は「Marble」のアイドル達の一糸乱れぬ躍動と笑顔の炸裂を凝視していた。
結依の
――も
青の衣装が三年生、黄色の衣装が二年生のメンバーなのは見ればわかった。そして、それぞれの集団の中で一際
――
――
シャギーを効かせた茶髪のショート、三年生の
その二人に率いられ、群衆を歓喜の渦に巻き込む「Marble」のパフォーマンスを、結依は倒すべき敵として慎重に吟味する。
確かにそのレベルは高いものだった。ダンスの動きはばっちり揃っているし、ハイキックの振りでは足がぴしりと上がっている。どのメンバーも、
だが。
そんなのは所詮、頭で分析できる程度の凄さでしかない。
結依は知っている。本当に凄いアイドルのパフォーマンスが、もっと理屈抜きに魂を撃ち抜いてくるものであることを。
そう。何がどう凄いのか言葉で表せる程度では、所詮アマチュアの域を出ないのだ。
「『七光』の凄さは……こんなものじゃないでしょ……!」
結依が思わずその独り言を口に出して呟いたとき、数曲を披露し終えたメンバー達がステージの中心で見得を切り、観客から拍手が沸き起こったのを彼女の
「次は、お待ちかね、わたし達の可愛い新入生達を紹介します!」
上級生一同が足早に舞台裏に
無数の観客が息を呑む空気が、結依の全身の肌をぴりりと刺す。
やがて、右へ左へと明滅する黄色いライトの波が、暗闇に立つ十数名の人影を映し出し、
「行くぞ――ッ!」
「オォッ!!」
これは――このセットリストは、名古屋エイトミリオンの伝説の劇場公演の再現だ。「月の女神」の卒業後、「太陽の女神」の一枚看板で新たな時代を走り出した名古屋エイトミリオンが、それまでの神曲を集めて構成したファンサービス満点のセットリスト。口うるさい名古屋のファン達をして天下無敵の神公演と言わしめた、彼女達の積み重ねた輝かしき
いや、そんなことより。
あのセンターの子の
夜闇を光で塗り潰すような、この
――ルーリちゃん! ルーリちゃん!
結依には周囲の声の音量まではわからない。だが、観衆が彼女の名を呼ぶ
その笑顔を直視することが
もちろん、実際には、ステージで歌い踊る一年生は彼女一人ではない。時に跳躍し、時に手をつなぎ、無垢なる瞳で歌詞を紡ぐ十数人のメンバー。スクールアイドルの名門と言われる春暁学園だけあって、一年生といえど全くの初心者は居ないようだった。これほどの観衆の前でも物怖じせず歌い踊り、楽しそうに笑顔を振りまく彼女達には、恐らくは中学のアイドル部でもエース級で鳴らした実力者揃いなのだろうと思わせる空気があった。
だが――。
「可哀想……」
結依の心に浮かんだのは、ただただその一言だった。
最新鋭のジェット戦闘機の周りを百年前のレシプロ機が飛んでいるようなものだ。あんな子と一緒にステージに立たされたら、どんなパフォーマンスをしても霞んでしまう。太陽の明るさに存在を隠されてしまう、昼間の星達のように。
「皆さん、こんばんは! 春暁学園東京分校、『Marble』2040年度新入生です!」
パフォーマンスを終え、観客がわあっと歓声を上げたとき、華子が横からくいくいと結依の袖を引いてきた。その目が結依に尋ねている。「何者?」と。
「あれが、
自分の声の震えが結依にも自覚できた。再び上級生が舞台に合流し、
明るく上品な色合いの茶髪に、ふわっとしたセミロング。その名の通り、
「そういえば、ニュースでは見たけど……実物は、こんなに……!」
こんなに、の後は、言われなくてもわかった。結依も同じ感想を抱いていたから。
写真や映像では絶対に伝わらないもの。ステージに立つ姿を見て初めて伝わるオーラ。
こんなにも。本物は、こんなにも神々しいのか――!
「これが……七光世代……!」
「ええ……。名古屋エイトミリオンの初代ダブルセンターの一角にして、
少しでもアイドルに詳しい者なら、その名を知らないはずはない。
結依や華子が生まれる十年以上も前の話だ。秋葉原エイトミリオンが初の地方支部を名古屋に開設し、二十数名の一期生がスターダムに名乗りを挙げた中に、別格の輝きを放つ二つの星があった。
そして、月の女神が人気絶頂の中でマイクを置いた後も、太陽の女神はその双肩に名古屋の命運を背負って歌い続け、卒業の瞬間まで全国の精鋭達と互角にしのぎを削り続けた。
結依達には、その時代のアイドルの輝きをじかに見ることは叶わない。だが、今、上級生のエース達も到底及ばない輝きを纏ってステージに立つ彼女の姿は、まさしく太陽の女神の再臨に他ならなかった。
その春日瑠璃が、先輩からマイクを受け取り、観衆に向かって
「ここで東京の皆さんに一言、言っておきます。わたし達『Marble』は東京のグループですけど、わたし達の心は、春暁学園の本拠地の名古屋にあります。そして、わたしがこの世に生を受けたのは、名古屋のアイドルの輝きを取り戻すためです」
瑠璃の神妙な口調を受け、先程までテンション高く歓声を上げていた観客達が、しいんと静まり返った。
「わたしの母が愛した名古屋エイトミリオンは今や、秋葉原エイトミリオンの本店はおろか、他の有力支店にも差を付けられ……かつての栄光は見る影もない、なんて言われちゃってます。そんなこと二度と言わせたくないんです。わたしなら、大阪にも博多にも新潟にも瀬戸内にも、もちろん、東京にだって負けません。母の魂を受け継いだわたしが、名古屋エイトミリオンを日本一のグループにします!」
その力強い宣言をもって、歓声を解禁され、観客は再び彼女を讃える声を上げた。結依と同い年の一人の少女は、今、ステージの上から幾百人の群衆の心を掌握する神と化していた。
「……すごい」
結依は素直にそう思った。瑠璃が述べた目標の高さは、結依の心と身体を武者震いに
スクールアイドルの……「Marble」の話をするためにマイクを持ったのかと思いきや、彼女は名古屋エイトミリオンの命運を背負うというのだ。名古屋を日本一にする責務を背負うというのだ。まだ、プロになってすらいないのに――。
瑠璃の宣言を間近に見て、結依にははっきりとわかった。彼女には、部活レベルの戦いなど眼中にないのだということが。
その時、笑顔で観衆を見回していた瑠璃が、戦意の炎を宿したこちらの視線に気付いたのか、はっきりと結依に目を合わせてきた。その瞬間、ばちっ、と
いいだろう、春日瑠璃。スクールアイドルが通過点に過ぎないのはわたしも同じ。数年後、総勢一千人超のプロの頂点に立つのは
「絶対、負けない……!」
結依が呟くのを聞いてか聞かずか、壇上の女神は、ふっと彼女に向かって微笑みかけてきた。
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