Track 01. 邂逅

 ――この街は、どうしてこんなに暑いのだろう。


 せわしなく街を行く人々の喧騒。絶え間なく駅に滑り込むリニア電車の発着アナウンス。視界を埋める色とりどりの街頭広告サイネージ。立ち並ぶテナントビルの画面という画面から溢れる無数のアニメ声。

 季節はクリスマス前だというのに、日曜日の昼前の秋葉原は、冬の寒気かんきを屈服させるほどの熱気に溢れているように思えた。

 姉のお古のピーコートのえりを両手でぱたぱたとやり、華子はなこが胸元に僅かなりょうれたとき――。


『いよいよ開催を来週に控えた、スクールアイドルの冬の祭典、ウィンター・アイドライズ2039!』


 駅前の巨大な街頭テレビが伝えるコマーシャルに気を引かれ、彼女は雑踏の中で足を止めた。彼女の見上げる大画面の中では、色とりどりの可憐な衣装に身を包んだ高校生の女の子達のライブ風景が、次から次へとカットインで切り替わっていく。


『春と夏の大会に続き、今回も全国から選りすぐりの強豪グループが集結し、日頃の鍛錬の成果を存分に発揮して頂点を競います!』


 画面の中の彼女達が自分と同じ高校生だとわかるのは、これが部活動スクールアイドルの大会の宣伝であると華子が知っているから。

 家のテレビでも、携帯ミラホの画面でも、もう同じ映像を何度も見た。輝かしい舞台で歌い踊る同世代の少女達への憧れと、自分がその場に立てない悔しさとを、ぜにして噛み締めながら。

 今や全国に一万を超えるグループが存在するとも言われるスクールアイドル。大会によっては中学生部門や混合部門もあるが、冬の全国大会――「ウィンター・アイドライズ」に出場を許されるのは、現役高校生のチームのみ。より正確に言えば――五人以上の部員メンバーを集め、難関の地区予選を突破する実力を有した、一握りの恵まれた子達だけなのだ。


『わたし達、秋葉原エイトミリオンは、ウィンター・アイドライズ2039を応援しています』


 コマーシャルの最後に、プロのアイドル達が笑顔で手を振るのも最早お決まり。大会のスポンサーが秋葉原エイトミリオンの運営法人であることは周知の事実だった。そうでなければ、部活動の大会がここまで大きくメディアに取り上げられるはずもない。

 いずれにしても、自分には到底縁のない世界か――。

 諦観を込めた溜息をひとついてから、華子は別のコマーシャルの流れ始めた大画面から目をそらした。

 そのとき、ぴろりん、と携帯ミラホが音を立て、友人からのラインの着信を告げる。メッセージには秋葉原駅の「いつもの出口」に着いた旨。華子はふっと自分の口元がほころぶのを感じながら、早歩きで友人の待つ場所へ向かった。二年ぶりに会うが、今日の約束を中学時代の「いつも」の続きと思ってくれていることが嬉しかった。

 だが、メイド服にサンタ帽の妙な取り合わせで客を呼び込むメイドカフェの店員達をかわし、駅の出口に友人の姿を認めたとき、華子は同時に気付いた。中学の三年間を通じて淑女しゅくじょ協定を貫き通した同志の隣に、今、長身のイケメン男子が爽やかな微笑を浮かべて立っていることを。


「華子、おひさ! 紹介するね、先月から付き合ってるユーヤ君。自慢したくて連れて来ちゃった」


 昔よりずっと大人びた化粧と髪型で、旧友はギラついたオーラを放ちながら華子に笑顔を向ける。その横から「こんにちは」と如才ない会釈をくれた「ユーヤ君」とやらは、髪型もイケメンなら服装もイケメン、およそ女子の憧れるイケメンらしさの全てを詰め込んだようなイケメンの結晶だった。


「あ……は、はじめまして。千葉ちばといいます」


 何となく下の名で名乗ってはいけないような気がした。イケメンは気を悪くした素振りもなく、「ヨロシク」と白い歯を見せてくる。友人は「なに緊張してるの」と明るく華子の肩に手を伸ばし、ぽん、と軽く叩いてきた。昔と変わらない彼女の仕草に華子は少し気が楽になったが、しかし、どうしよう、という戸惑いも浮かんでいた。

 友人が彼氏同伴で来るのは全くの誤算サプライズだった。――。


「とりあえず、どっか入ってお茶する?」

「あの、実は、これ――」


 声を弾ませて歩きだそうとする友人の前で、華子はショルダーバッグから二枚のチケットを取り出す。おずおずと彼女が差し出したそれを、友人は「え?」と意外そうに覗き込んでくる。


「ごめんね、彼氏さんも来るってわからなかったから、ペアチケットしかなくて――」

「なにこれ?」


 それが何のチケットなのかは既に友人にもわかっているはずだった。中学時代、華子と彼女は何度も一緒にその場所に通ったのだから。

 サブカルチャーの街・秋葉原に燦然と輝く芸能の殿堂、秋葉原エイトミリオン劇場。その昼公演のペアチケット。友人がサプライズで彼氏を連れてきたのと同じように、華子は華子でサプライズを用意していたのだ。だが……。

 チケットを眺める友人の顔が瞬間曇ったことを、華子は敏感に察した。友人からすれば、彼氏を交えた三人で楽しい時間を過ごそうと思っていたところに、二人分のチケットなど出されても困るだろう。

 ごめん、と華子がもう一度言いかけたところで、イケメンの口から、そのイケメンぶりを存分に発揮するイケメン発言が降ってきた。


「いいじゃない、二人で行ってきなよ。俺はその間、服でも見てるからさ」

「そんな、せっかく来てくれたのに悪いですし」


 華子がぶんぶんと顔の前で手を振ったところで、友人の一言が三人の間の空気を断ち切った。


「……ありえない。こういうの勘弁してよ、華子」

「え?」

「アンタ、まだアイドルなんかに夢見てるの? バカじゃないの」


 華子には一瞬、友人の言葉の意味がわからなかった。ぱちぱちと目をしばたかせていると、友人は、チケットを持つ華子の手を拒絶するように手のひらを向け、不機嫌さをあらわにした顔で更に続ける。


「ひょっとして華子、高校でもまだスクールアイドルやってるの?」

「うん、一応……」

「どうりで、男っ気ないメイクしてるなって思った。まだ誰とも付き合ってないんでしょ」

「……そう、だけど……」


 彼氏が隣にいるにも関わらず、トゲのある言葉で自分を責め立ててくる友人の姿を見て、華子はショック以前に何が何やらわからなかった。これは、本当にあの優しかったユキなのだろうか――?


「やっぱり。いい? アイドルなんて所詮、彼氏の一人も作れない子の逃げ道なんだよ。あんた、逃げてるのよ、マトモな女の子になることから」

「ユキちゃん、そこまで言わなくても」


 イケメンが友人を静止する声が、華子の意識を上滑りしていく。呆然と二人の姿を見ている内、いつの間にか涙がこぼれていた。友人だと信じていた相手に好き勝手言われることより、自分が何も言い返せないことの方が悔しかった。


「じゃ、ゴメンねー、華子。あたし、彼と一緒に行くから」


 あざけりを隠さない表情で友人が言い捨て、彼氏の腕を引いてきびすを返したとき。


「――アイドルは」


 華子の知らない誰かの声が、二人の動きを遮った。


「アイドルは、逃げ道なんかじゃありません」


 どこか幼さを残した、それでいて凛と張った女の声。その主が誰なのかはすぐにわかった。華子の眼前、カップルの行く手に立ち塞がるようにして、一人の小柄な少女が立っていたのだ。

 ベージュのダッフルコートに包まれた痩身そうしん。腰まで届きそうな艶やかな黒い髪。整った顔立ちに、真紅のフレームの眼鏡グラス。そのレンズの奥、くりくりとした両の瞳に宿る、怒りの炎。

 華子より二つ三つ歳下だろうか、素性の知れないその少女は、華子の元友人を数歩の距離からギンと睨み上げている。


「……な、何よ、この子」

「アイドルを真剣にやってる人を、笑わないでください」

「ご、ごめんごめん、彼女が失礼なことを――」


 イケメンがイケメンらしく事態の収拾を図ろうとしたが、少女の鋭い視線は揺らぐことがなかった。


「わたしは女性の方に言ってるんです。謝る相手も、わたしじゃないでしょう」

「は、何なのよ、この子。ちょっとコワイ」

「ユキちゃん、お友達にちゃんと謝った方が」

「……何なのよもう! 華子、ごめんね、バイバイ!」


 元友人は一瞬だけ華子の方に振り向いたかと思うと、手短に謝罪と別れを告げ、彼氏の手を引いて小走りに雑踏の中へ消えてしまった。「あ、ちょっ――」と、謎の少女はカップルの去りゆく先を視線で追おうとしていたが、もはや「追撃」の必要はないと判断したのか、強張っていた肩をふっと落として華子の方に向き直ってきた。


「ごめんなさい、急に口を挟んで」

「え……うん?」


 何と返してよいのか見当もつかず、華子は少女に生返事を返すことしかできなかった。華子に一歩近付いてきた少女の瞳からは、先程の怒りの炎はもう消え失せていた。


「どうしても……我慢できなかったんです。アイドルを悪く言うあの人が」

「……あはは、ありがと」


 力なく微笑みをこぼしながら、華子は改めて少女の姿を見下ろす。少女の背丈は、身長百六十センチの自分より十センチくらい低い。その顔にはまだあどけなさが残っているようにも見えたが、眼鏡グラスのレンズ越しに華子を見上げ返すぱっちりした目は、生来の意志の強さを物語っているように感じられた。


「あ、そうだ」


 華子は今になって思い至った。自分が手に握っている二枚のチケットの存在に。

 何か見えない力に背中を押されるように、華子は目の前の少女に向かって言っていた。


「あの、あなたもアイドル好きなんだったら、一緒に入る? このあとの昼公演なんだけど」


 どうしてそんな勇気が出せたのか、自分でもわからない。決してコミュりょくに自信があるわけではない自分が、今出会ったばかりの見ず知らずの子を何かに誘うなんて――。


「えっ。いいんですか!?」


 華子の差し出したチケットを見るが早いか、少女は、ぱあっと顔を輝かせて、跳び跳ねんばかりの元気さで「行きます!」と宣言してきた。中学生くらいと思われる彼女が、華子の目にはそのとき初めて年相応の女の子に見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る