IDOLIZE -アイドライズ-

板野かも

1st Album:春の陣

1st Single:天使の帰還

Track 00. Overture


 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 ――ユイちゃん、お願い。


 わたしのかわりに、アイドルになって――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 火群ほむら結依ゆいが初めてアイドルの輝きに触れたのは、彼女が七歳のとき。

 小学校に上がり、子役スクールに入ったばかりの頃、何も知らないまま足を踏み入れた秋葉原の劇場で――

 幼い結依は、その心を鷲掴みにされた。


「アイドルって、ホントに凄いの。ユイちゃんも一緒に見て欲しいなっ」


 全ての始まりは、子役スクールの先輩、雪平ゆきひら美鈴みれいが瞳をきらきらさせて語ったその一言。

 同じ小学校の五つ上でもあった彼女から熱心に誘われ、結依は初めてアイドルというものを見た。


 子役スクールの先生に同伴され、美鈴と一緒に列に並んだ長い長い待ち時間。

 お気に入りのメンバーの顔や名前がプリントされたグッズを携え、今か今かと開演を待つ周囲の大人達。

 無人の舞台の大画面に溢れかえる、騒々しい映像効果。

 劇場を揺るがす序曲オーバーチュアの爆音に負けじと、満員の観客達が声を揃えて叫ぶ掛け声ミックス


 ――タイガーファイヤー人造サイバー繊維ファイバー海女ダイバー振動バイバー化繊ジャージャー


 その時の結依には周りが何を言っているのかはわからなかった。言葉の意味なんて今でもわからない。

 だけど、わからなくてもいい。きっとこれは呪文なのだ。敬虔けいけんなる信者達が声を合わせ、偶像に神を降ろす祈りの祝詞のりと――。


 ――チャペアペ人造カラ繊維キナ海女ララ振動トゥスケ、ミョーホントゥスケ!


AREアー YOUユー READYレディ――』


 突如、爆音が弾け、まばゆ照明ライトが舞台を照らし――

 観客達の大歓声に迎えられ、十六人の人影が光の下に姿を現す。

 溢れ出す音楽メロディに乗って、女神達の躍動が始まる、その瞬間。

 彼女達の輝く瞳が、絶対的な重力で結依の目を釘付けにした。


 ――これが――


 弾ける歌声、玉散る汗。舞台狭しと躍動する華奢な身体。一糸乱れぬダンスの衝撃。ひらひらとひるがえる衣装。目まぐるしく入れ替わる隊列フォーメーション。びりびりと肌を刺す音楽の振動。サビに向かって盛り上がる曲調。心を惹き付ける歌詞リリック。幸せの絶頂を写し取ったような笑顔。客席に振りまかれる稲妻の如き視線レス

 恒星の巨大な引力が、数多の惑星を繋ぎ止めるように――

 心を捉えて離さぬ重力グラビティの渦。抗いようのない共鳴シンパシー


 ――これが、アイドル――!


 気付けば結依は、座席から身を乗り出し、五感の全てを眼前の女神達に集中させていた。

 あっという間に一曲目が終わり、息つく間もなく次曲が始まる。いずれ劣らぬ可憐さを極めた若き女神達が、入れ替わり立ち替わり舞台の中心センターに立ち、世界中の希望を詰め込んだような歌声を凄まじい迫力で紡いでゆく。

 燦然さんぜんたるその威光は、地上をあまねく照らす太陽の輝き。もはや心を奪われることに理由は要らない。この小さな劇場は今、何者にも侵されぬ聖域サンクチュアリ。美しき花々が支配する絶対の領域フィールド――。


「皆さん、こんにちは! 秋葉原エイトミリオンです!」


 瞬く間に四曲のパフォーマンスを終え、びしりと整列して名乗りを上げた女神達の姿は、七歳の結依の脳裏に今も忘れ得ぬ残影を刻みつけた。

 彼女達の素性プロフィールを結依が知るのは、もう少し大きくなってからのこと。

 2005年の結成以来、指数関数的に人気を増大させ、今や国内の全都道府県に支部を擁するに至った巨大アイドルグループ。全国に一千人を下らないメンバーの中から、このセットリストの為に選び抜かれた、紛う事なきトップスター達の競演。それが、この日結依が目にした秋葉原エイトミリオンの特別公演だった。

 女神達は手から手へとマイクを渡しながら、汗の滲んだ笑顔で各々の自己紹介とトークを連ねていく。その最中さなか、結依がふと隣の美鈴に目をやると、彼女はこちらに気づいてニコリと笑い返してきた。

 そのつぶらな瞳が語っている。「ね、アイドルって凄いでしょ」と。

 結依は小さな胸に湧き上がる感動を抑えられぬまま、うん、と強く頷いた。

 やがて最初の語りMCが終わり、壇上の女神達は再び歌い始める。今度は数人ずつのユニットに分かれ、観る者全ての心を震わす一曲一曲を。音楽の神ミネルヴァが劇場に風を起こすかの如く――。


「わたし、秋葉原エイトミリオンに入りたいんだ」


 全ての曲目が終わった後、興奮冷めやらぬ客席で、美鈴は目を輝かせて結依にそう言った。


「オーディションはすっごく厳しいらしいけど、諦めたくない。ゼッタイ、わたしもあのステージに立ってみせる」


 きっと、結依が年端もいかない子供でなかったら、先輩に気の利いた言葉を掛けることもできただろう。「ミレイちゃんならきっとなれるよ」とか。「応援してるね」とか。

 だが、この世に生を受けて七年を経たばかりの結依の認知能力は、それとは違った言葉を彼女に迷わず述べさせた。彼女は言ったのだ。「じゃあ、わたしもなる」と、元気いっぱいに。

 それを聞いて、美鈴も嬉しそうに頷いた。「競争だね」と。「負けないよ」と。

 その日から、アイドルは二人の共通の夢になった――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 ――ユイちゃん、お願い。


 わたしのかわりに、アイドルになって――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



『第四十四位! 29,381票! 秋葉原エイトミリオン・チーム・リーヴス、雪平ゆきひら美鈴みれい!』


 沸き起こる拍手と歓声の渦が、テレビのスピーカーを通じて結依の鼓膜を震わせる。の衣装に身を包んだ結依を、マネージャーが「収録始まるわよ」と急かしてくる。


「ミレイちゃんに『おめでとう』ってラインしてからじゃダメ?」

「だーめ。あちらも生放送中で携帯ミラホ見れないでしょ。お仕事が終わってからになさい」

「……はぁい」


 マネージャーに急かされ、楽屋を出るその瞬間まで、結依はテレビの中で嬉し涙をきらめかせてスピーチを述べる美鈴の姿から目が離せなかった。

 初めて結依を公演に誘ってくれたあの日から、早くも三年。雪平美鈴はたぐいまれなる才覚で秋葉原エイトミリオンのオーディションを突破し、子役時代の経験と知名度を活かして、凄まじいスピードで出世街道を駆け上がりつつあった。

 そして、十歳の火群結依は、美鈴の後を追うべく、子役の道に邁進まいしんし――

 遂に、公営放送の幼児向けチャンネルで主役の座を射止め、歌って踊れる子役アイドルとして一世を風靡ふうびし始めたところだったのだ。


「みんな、こんにちは! まさひろお兄さんと」

「ユイちゃんでーす」


 お兄さんと並んで笑顔を振りまく結依の前には、撮影機材とスタッフの人達の姿があるだけ。無機質なカメラに向かって「みんな」と呼びかける不思議さにも、もうとっくに慣れてしまった。

 フリフリの衣装を纏って、子供の手にはずっしりと重いマイクを手に、結依は全身全霊の可愛さで歌い踊る。

 このカメラの向こうに、自分のファンになってくれる「みんな」がいる。この歌の、このダンスの、この演技の向こうに、まばゆく輝く将来の夢アイドルへのきざはしがある。

 希望を込めて、結依は全力で歌を紡いだ。


 ――待ってて、ミレイちゃん。すぐに追いつくから――!



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 ――ユイちゃん、お願い。


 わたしのかわりに、アイドルになって――。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 誰もが順風満帆と信じて疑わなかった結依の芸能人生が、突如として闇に閉ざされてしまったのは、彼女が十二歳のとき。

 大人達の誰一人として予期し得なかったが――いよいよ秋葉原エイトミリオンのオーディション受験を間近に控えていた結依から、非情にも、その未来の全てを奪った。


「――」


「お父さん、お母さん」


「――」


「わたしの耳、もう治らないの?」


「――」


 希望への階段ががらがらと音を立てて崩れてゆく――その崩壊の旋律を、彼女はもう

 父の失意の嘆きも。母の怒りの剣幕も。マネージャーの慰めの言葉も。ニュースが伝えるの報道も。

 大好きな歌も。観客の歓声も。やかましい掛け声ミックスも。オーディションの審査員が選外を告げるその声も。


「……いやだ」


「――」


「わたし、アイドルにならなきゃいけないんだもん!」


「――」


「ミレイちゃんが言ったの! わたしに『お願い』って!」


 自分自身の泣き叫ぶ声すらも、彼女の脳が音として認識することは二度となく――

 記憶の中から呼びかけてくるのは、あの声ばかり。


『ユイちゃん、お願い。わたしのかわりに、アイドルになって――』


 それは、火群結依の聴覚が、この世で最後に捉えた言葉だった。

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