その10 緩叙法
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いま、何気なく読んできた「聴き慣れたものではない」「決して無縁ではない」「少なくない」という表現が、いずれも緩叙法です。どれも「~ない」という否定の形を取っていますが、これらの言い回しが意味するのは、「聴き慣れないものである」「縁がある」「多い」という肯定形の事実です(「聴き慣れたものではない」と「聴き慣れないものである」の果たしてどちらが否定文でどちらが肯定文なのかは、深入りするとややこしくなるのでサラッと流しましょう)。
緩叙法とは、このように、Aという事実の否定「非A」を更に否定して「非Aではない」などと述べることで、結果的にAという事実を印象的に浮かび上がらせる技法であるといえます。
なお、便宜的に「非A」と書きましたが、ここには必ずしも文法的な意味での否定形の表現が入るとは限らず、対義語の肯定形が入る場合もありえます。例えば「少なくない」というのは、「多い」の対義語として「少ない」をまず持ち出し、それを否定することで緩叙法を形成しているわけです。
論理学を学んだ方なら、ここで「二重否定」という用語を思い出されるかもしれません。「¬(¬A)=A」というアレです。しかし、論理学の世界では「非『非A』」と「A」は同値かもしれませんが、言語表現においては、「Aである」と述べるのと「Aでないわけではない」と述べるのとでは、全く違った印象を受け手に与えることがあります。
例えば「誰々のことが好きだ」という事実を少しひねって伝えたいとき、「気持ちがないわけではない」などと言う場合もあれば、「嫌いではない」などと述べる場合もあるでしょう。「好きではないと言えば嘘になる」とか、「嫌いとまでは言えない」とか、言い方は色々考えられます。これらの表現が浮き彫りにするのは、大なり小なり相手に好意を抱いているという事実にほかなりませんが、その伝わり方がそれぞれ微妙に異なってくるのは説明するまでもありません。
そうした微妙なニュアンスのあれこれを、論理的には同値であると単純に言い切ってしまうのは、あまりに乱暴というものでしょう。
「安くない買い物」とか、「彼は決して馬鹿ではない」といった表現を、皆さんはどのように受け取るでしょうか。
論理学のルールでは、「安くない買い物」には高価なものばかりではなく平均的な値段のものも含まれますし、「決して馬鹿ではない」人物は必ずしも利口とは限らず、特に頭が良くも悪くもない凡人かもしれません。しかし、普通の言語感覚でこれらの表現を読み解けば、「安くない買い物」というのは即ち「高価だ」と述べているのであり、「彼は決して馬鹿ではない」というのは、取りも直さず「利口だ」という意味になるのです。
そして、これらの表現は、「高価だ」とか「利口だ」とストレートに述べる場合とは違ったニュアンスを私達の脳裏に立ち上らせます。それは、言うならば、話者の期待の違いです。最初から素直に「高価だ」と表現される品物と、わざわざ「安くない」と緩叙法で表現される品物とでは、たとえ値段が同じであっても、話者がその品物の値段に関して事前に込めていた期待が異なるのです。「馬鹿ではない」という表現は、もっと簡明に、「一見すると馬鹿のように見えもするが、よくよく見てみると実は頭が良い人物」のイメージを私達の脳裏に描かせます。どこからどう見ても頭が良さそうな人物に関しては、私達は「利口だ」とは言っても「馬鹿ではない」とは言わないのです。
2015年夏に新潟市で産声を上げたNGT48は、当初、ともに新潟出身であり素朴な魅力を持つ、
しかし、そんな姫の栄光を三日天下で終わらせる番狂わせが起こりました。2017年6月の選抜総選挙で、同じNGTの
前置きが長くなりましたが、
かの
冒頭の文を締めくくる「この
ところで、緩叙法は、Aの対義語を否定することでAを強調する技法であると述べたのですが、ここにきて、私達は、「対義語」なるものの定義を改めて見つめ直さなければならないようです。なぜなら、緩叙表現のために持ち出される「対義語」は、大抵の場合、一般的な意味での「対義語」とは異なるからです。
「過酷な戦場」の対義語は、「小鳥たちの無邪気な遊び場」でしょうか? このフレーズは、NGTの衣装が鳥の
それにも関わらず、この文を最初に目にしたとき、皆さんの言語中枢は、「『小鳥たちの無邪気な遊び場』ではないということは、そこは厳しく険しい戦いの場なのだと筆者は言いたいのだろう」とハッキリ告げてきたのではないでしょうか。
つまり、「Aである」という事実を強調するために「決してBではない」と緩叙法を用いるとき、私達は、Bに当てはまる言葉を既存の常識的な対義語リストから探し当てるだけではなく、新たに考えて作り出すことも出来るのです。
では、何のために、わざわざ対義語をカスタムメイドしてまで緩叙法を用いるのか。それは、「決してBではない」という表現を通じて、ただの「A」ではなく、「一見するとBのようにも思えるが、実はAである」という事実を受け手に提示したいからにほかなりません。
以下に示す三つの表現は、それぞれ、「彼」という人物に関してどのようなイメージを伝えているでしょうか。
1.彼とて決して機械ではない。
2.彼とて決して神ではない。
3.彼とて決して獣ではない。
三つの文が述べるところは、いずれも「彼だって結局は普通の人間である」ということです。しかし、1の「彼」は「仕事を正確にこなす人物」あるいは「人間味がなく冷たい人物」、2の「彼」は「天賦の才を持つ人物」または「人徳に優れた人物」、3の「彼」は「粗暴な人物」といった印象を周りから持たれていそうな気がしませんか。
緩叙法の力を借りず、「彼だって結局は普通の人間である」とただ述べただけでは、普段の「彼」がどんな感じなのか、普段の「彼」は一体何が「普通の人間」離れしているのかが伝わりません。「彼とて決してBではない」という否定こそが、ありありと、普段はBである彼の姿を私達の脳裏に浮かび上がらせてくるのです。
「彼は決して馬鹿ではない」の例を思い出してください。どこからどう見ても頭が良さそうな人物のことは、素直に「利口だ」と言うしかないのです。「馬鹿ではない」という表現が意味するのは、「馬鹿のようにも見えるが実は利口である」というギャップにほかならないのです。
緩叙法は、断じて、Bであることを否定したいから用いるのではありません。「決してBではない」という表現は、その論理的帰結たるAを伝えるためではなく、実はBを伝えるためにあります。「決してBではない」と述べるとき、私達はAと同時にBも強調しているのです。これこそが緩叙法の真の力であるといえます。
「ここは過酷な戦場である」と述べるのと、「ここは決して無邪気な遊び場ではない」と述べるのとは、論理的にどうかはともかく、文学的には断じて同値などではありません。「無邪気な遊び場ではない」という否定こそが、逆説的に、「ここは時には無邪気な遊び場のようにも見える場所である」と読者に告げているのです。
夢追う少女達の
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以下、実践編です。
【実践例1】
最悪の場合は辞表を書くことも覚悟しておかなければならないな、と、無意識に爪の端を噛みちぎりながら梅野は思った。
(『美女と野獣の
緩叙法の最もシンプルな使い方の例です。この梅野さんが勤める北映という会社が、どのように「寛容ではない」のかは、その前の文で存分に説明されています。
功労者であっても失態を犯せば容易くクビを飛ばされる組織。これをハッキリと肯定形で「厳しい」「残酷だ」などと表現するか、それとも「決して寛容ではない」と書くことで不寛容さを引き立たせるか、書き手のセンスが問われるところでしょう。
【実践例2】
あらかじめ電話で来所の予約を受けた時点で、雇われの
(『ブラック企業をぶちのめせ!』 第22話「信徒」)
わざわざ「雇われの青梅弁護士」と書いているように、この青梅氏は白山弁護士の事務所に雇用されている
イソ弁だろうとノキ弁だろうと、司法修習を終えて弁護士登録している時点で「独立して業務を行う一人の法曹」たる資格を有しているのですが、それでも、事務所の長たるボス弁と比べると、経験や実力においてまだまだ至らない部分があるのが一般的でしょう。実際、青梅氏が時に白山弁護士の指導や手助けを受けながら活動していることは、この引用箇所に書いてある通りです。
作者は、そんな青梅氏を敢えて「ただの下っ端ではない」と表現することで、「ただの下っ端以上、白山未満」という彼の立場や実力を率直に読者に説明しているのです。
【実践例3】
小規模な劇場公演ともなれば、本番直前に差し替えになったセットリストを一時間足らずで身体に叩き込むという離れ業も日常茶飯事だったという。それを聞いて、ツルマは改めてチクサが住んでいた世界の別次元さを痛感していた。チクサは決して健気で気弱な乙女などではない。汗と涙の戦場で三年間、しのぎを削ってきた戦士なのだ。
(『48million ~国民総アイドル社会~』 第17話「握手券」)
問題です。チクサは次の内のどちらでしょう。
1.健気で気弱な乙女。
2.戦場でしのぎを削ってきた戦士。
……いやいや、「1でもあって2でもあるんでしょ?」と突っ込みを入れるのが正解ですよね。「無邪気な遊び場」と「過酷な戦場」が複雑に重なり合ったような世界で歌い踊る少女達は、「健気で気弱な乙女」であると同時に「戦士」でもあるはずです。
「決してBではなく、Aである」という緩叙表現が本当に意味しているのは、文字通りBの要素は存在しないということではなく、「BのようでもあるがAでもある」ということです。ここでは、「決して健気で気弱な乙女などではない」と述べることで、逆説的に、主人公の目に映る彼女が普段は「健気で気弱な乙女」だったという事実を浮かび上がらせているのです。
【実践例4】
「……ツルマくん。……ここ、ドミトリーの中じゃないし……」
彼女の唇がそっと動いて、言葉を紡ぐ。
「わたしも、いまアイドルじゃないから……いいよ……」
とくん、と、聴こえるはずのないチクサの心臓の音までもがツルマには聴こえたような気がした。
静謐な世界のなか、二人の間の距離は数センチもなかった。彼女がなにを求めているのかは、どんなにツルマが鈍くてもわかった。
彼女がミリオンに戻ったら、永遠にその機会が失われてしまうことも。
迷わなかったと言えば嘘になる。
……でも。
……それでも。
「アイドルだよ。チクサちゃんは」
ツルマの唇は、ただ二人の間の空気だけを震わせた。
(『48million ~国民総アイドル社会~』 第17話「握手券」)
「●●ではないと言えば嘘になる」というのは、ハッキリ「●●だ」と述べる場合と比べて程度が強いのでしょうか、弱いのでしょうか。
こういうシーンをあれこれ説明するのは野暮というものですが、主人公は大いに迷った筈です。目の前には憧れのアイドル。今を逃したら二度とはないチャンス。これで「少ししか迷わなかった」なんてヤツは男ではありません。
しかし、彼は「迷った」と肯定形では言いたくないのでしょう。
……それ以上のことは、作者如きがしゃしゃり出て語るほどのことではありません。
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以下、演習編です。お時間のある方はコメント欄にてどうぞ。
【演習1】
題材、形式は問いません。オリジナリティのある「対義語」を生み出し、面白い緩叙法の表現を見せてください。
【演習2】
「彼とて決して機械ではない」などの例にならい、ある人物を「●●ではない」と否定することで、その人物の人間性を説明する緩叙法の表現を作ってみましょう。
文章表現の幅を広げる「レトリック講座」 板野かも @itano_or_banno
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