その6 転喩(メタレプシス)
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「新潟の女になりました」――。
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ここまで皆さんは、
これらの技法をレトリックの基本戦術とするならば、今回取り上げる「
昭和40年代に活躍した日本のボサ・ノヴァバンド「ピンキーとキラーズ」の楽曲『恋の季節』に、「夜明けのコーヒー 二人で飲もう」と男性が女性を誘う歌詞がありました。この歌にはちょっとした逸話があります。昭和を生きた「シャンソンの女王」、
彼女のマネージャーで作詞家の
それにしても、板野ってアイドル以外の歌も知ってるんですね。びっくりですね。
さて、ランドセルを買ってもらったばかりの無垢なるお子様でもない限り、よもや、越路吹雪のエピソードの何が面白いのかを理解できないという人は存在しないでしょう。夜明けのコーヒーを一緒に飲む男女は、その前に何をしているのか。オトナの共通認識としてその
逆に、明け方ではなく夜の内に、異性が待つホテルの「部屋を訪れる」と言えば、それもまた、訪れた後に何をするのかが当然に含意されたアダルトな表現ということになります。
このように、先行する物事をもって後続する物事を表す、または後続する物事をもって先行する物事を表すレトリックの技法を、
勘の良い方であれば、この「先行する物事」と「後続する物事」の言い換えは、時間的隣接に基づく
ただ、「因果関係があるわけではないが、通常はAという物事の後にはBという物事があるものだと了解されている」――その共通認識に
人間が「生きた」後には、必ず「死ぬ」という出来事があります。そのため、「昭和を生きた歌手」と書くだけで、その人物がもうこの世にいないことを表すことができます。また、我が国では、子供が小学校に上がる際にはランドセルを買い与えるのが一般的です。そこで、「ランドセルを買ってもらったばかり」と書けば、「小学一年生」をレトリカルに言い換えることができるのです。いずれも、先行する物事で後続する物事を言い換えている
2008年にAKB48の5期生としてデビューした北原里英は、途中、SKE48への兼任を経験し、2016年には秋葉原を離れて新潟・NGT48のキャプテンに就任しました。冒頭の文にある「心機一転、
ある服装が、何らかの身分や職業を象徴するトレードマークとなっている場合、「その服を着用する」という表現は、「その身分・職業に就く」ことを表す
もちろん、現実には、アイドルの衣装も、学校の制服も、リクルートスーツも、何度も繰り返し脱いだり着たりするものです。その最初の一回だけを特別に取り上げて、新たな物事の始まりを表しているのです(ウェディングドレスに二度目以降はないと信じたいですが……)。
最初の一回があれば最後の一回もあります。一般に、野球選手が「ユニホームを脱ぐ」、サッカー選手が「スパイクを脱ぐ」などといえば、それは選手としての引退を意味します。これもまた、何度も繰り返し身に付けたり脱いだりする衣類に関して、その最後の一回だけを特別に取り上げて、物事の
なお、スポーツ選手の引退を表す
全ての身分・職業について適切な表現が作れるとも限りませんが、何らかの衣類、アイテム、場所などと結びついた身分・職業であれば、
ちなみに、一般的に、引退というのはあまり望ましくない出来事であると考えられています。「彼は野球選手を辞めた」などと直接書く代わりに「バットを置いた」「マウンドを去った」などと言い換えるのは、言いづらい物事を
私達は普段から、言いづらい分野の話をレトリックを用いてボカすということをよく行っています。「彼は永遠の眠りに就いた」というのは、死んで活動を停止することと、睡眠に入って一時的に活動を停止することの類似性に基づく
例えば、トイレを「お手洗い」と呼ぶのは、排泄という先行の行為を、手を洗うという後続の行為で言い換えた
一時期「膝に矢を受けてしまってな」というゲームの台詞がネット上で流行ったことがありましたが、これは、膝に矢を受けて怪我をするという先行の出来事で、冒険者を引退するという後続の出来事を言い換えていたのですね。
(なお、metalepsisという言葉は、古来、既に比喩として用いられている言葉をさらに比喩的に言い換える「多段転義」の意味でも用いられてきました。このため、
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以下、実践編です。
【実践例1】
「……あの男は言ったわ。東海ミリオンの新曲の選抜メンバーを決めるのも、メディア仕事を誰に振るか決めるのも、全部自分の一存次第なんだって。それで、彼はわたしを……ホテルに誘ってきたの」
ツルマははっと息を呑んだ。ホテル。大人がその言葉を単体で用いるとき、それが単に宿泊施設の物理的実体を指すのではないことくらいツルマも知っていた。
(『48million ~国民総アイドル社会~』 第13話「最古の職業」)
今回はこの手の話ばかりで恐縮ですが、一定の文脈で用いられる「ホテル」という言葉が「単に宿泊施設の物理的実体を指すのではない」ことは、作者も読者もわかっています。「あの男」とやらも、被害者の女性も、そしてこの話を聞いている主人公も、全員がそのことを了解している。そこに共通認識があるからこそ、「ホテルに誘ってきたの」という女性の一言だけで、主人公と読者は、「男」の目的が何であったかを悟ることができるわけです。
この「男」がまさか「夜明けのコーヒーを飲もう」と言って女性を誘ったとも思えませんが、さりとて、その場で何をするつもりなのかを
【実践例2】
オレが嬢の境遇を聴いてハンカチを濡らしたのはこれが最初で最後だったぜ。
(『オレがいた店の風俗嬢の話をしよう。』 「ユキコの場合」)
今度も夜の世界の話ですが、実践例1に比べると
我が国には古来「袖を濡らす」という表現がありましたが、洋服が根付いて久しい現在では、人々は袖の代わりにハンカチを濡らすわけですね。
【実践例3】
それは
(『48million外伝 〜永遠のアイドル〜』)
おなじみ、楓さんのお祖母ちゃんのレナさんの話です。
アイドルにとって最も象徴的なアイテムといえばマイクでしょう。野球選手が「バットを置く」ことで引退し、サッカー選手が「スパイクを脱ぐ」ことで引退するように、アイドルは「マイクを置く」ことで伝説となるわけです。
ちなみに、昭和の伝説のアイドル・キャンディーズは「普通の女の子に戻りたい」という名台詞を残してマイクを置きましたが、この台詞もまた
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以下、演習編です。お時間のある方はコメント欄にてどうぞ。
【演習1】
定番とされるプロポーズの言葉に「毎朝、味噌汁を作ってくれないか」というものがあります。これは、「毎日の食事を作る」という後続の出来事で「結婚する」という先行の出来事を表す表現です。
このように、
【演習2】
死、性的関係、引退など、直接的な言葉では言いづらいと思われる内容を、
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