その6 転喩(メタレプシス)


 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆


「新潟の女になりました」――。

 黎明れいめいの秋葉原、激動のさかえを転戦した北原きたはら里英りえは、心機一転、朱鷺トキ衣装に身を包み、雛鳥ひなどり達の戦線を率いることとなった。


 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 ここまで皆さんは、直喩シミリ隠喩メタファー換喩メトニミー提喩シネクドキーという四つの比喩ひゆの技法を見てきました。冒頭の文を一読して、「秋葉原」や「栄」がそれらの土地に拠点を置くアイドルグループの換喩メトニミーであることや、「雛鳥」が新潟の新人アイドル達を指す隠喩メタファーであることを見抜くのは、もはや皆さんにとって難しいことではないでしょう。

 これらの技法をレトリックの基本戦術とするならば、今回取り上げる「転喩てんゆ」(metalepsisメタレプシス)は一種の応用技にあたります。


 昭和40年代に活躍した日本のボサ・ノヴァバンド「ピンキーとキラーズ」の楽曲『恋の季節』に、「夜明けのコーヒー 二人で飲もう」と男性が女性を誘う歌詞がありました。この歌にはちょっとした逸話があります。昭和を生きた「シャンソンの女王」、越路こしじ吹雪ふぶきが外国を訪れた際、同じホテルに泊まるフランス人の男性から「夜明けのコーヒーを一緒に飲もう」と誘われ、それを文字通りに解釈して明け方に男性の部屋を尋ねたら「一晩中待っていたのに」と失笑されたというのです。

 彼女のマネージャーで作詞家の岩谷いわたに時子ときこがこれを面白がり、ピンキーとキラーズのデビュー曲の歌詞に採用したことで、「夜明けのコーヒー」は一躍、我が国を代表するレトリカルな表現の一つとして定着しました。

 それにしても、板野ってアイドル以外の歌も知ってるんですね。びっくりですね。


 さて、ランドセルを買ってもらったばかりの無垢なるお子様でもない限り、よもや、越路吹雪のエピソードの何が面白いのかを理解できないという人は存在しないでしょう。夜明けのコーヒーを一緒に飲む男女は、その前に何をしているのか。オトナの共通認識としてその含意がんいを了解しているからこそ、ナンパ男の部屋を明け方に訪ねたシャンソンの女王の「天然」ぶりにクスッと来るわけです。


 逆に、明け方ではなく夜の内に、異性が待つホテルの「部屋を訪れる」と言えば、それもまた、訪れた後に何をするのかが当然に含意されたアダルトな表現ということになります。


 このように、先行する物事をもって後続する物事を表す、または後続する物事をもって先行する物事を表すレトリックの技法を、転喩メタレプシスといいます。


 勘の良い方であれば、この「先行する物事」と「後続する物事」の言い換えは、時間的隣接に基づく換喩メトニミーではないかと思い至るかもしれません。その通り、転喩メタレプシスは一般に、換喩メトニミーの一種であるとされています。

 換喩メトニミーの項では、「筆をる」という原因で「文章が出来上がる」という結果を表したり、「涙する」という結果で「悲しみ」や「感動」という原因を表したりする例を紹介しましたが、そうした「原因と結果」の換喩メトニミーとは異なり、転喩メタレプシスの場合は、必ずしも先行する物事と後続する物事の間に直接の因果関係があるとは限りません。夜半に異性の部屋を訪れ、一晩中トランプをして過ごしてもいいわけですし、貞淑ていしゅくを保ったまま早朝に異性とコーヒーを飲むことも物理的に不可能ではないのです。

 ただ、「因果関係があるわけではないが、通常はAという物事の後にはBという物事があるものだと了解されている」――その共通認識に依拠いきょして成立するのが転喩メタレプシスです。そのため、この技法を用いる際には、筆者と読者の間に共通の常識が存在していることが前提となります。


 人間が「生きた」後には、必ず「死ぬ」という出来事があります。そのため、「昭和を生きた歌手」と書くだけで、その人物がもうこの世にいないことを表すことができます。また、我が国では、子供が小学校に上がる際にはランドセルを買い与えるのが一般的です。そこで、「ランドセルを買ってもらったばかり」と書けば、「小学一年生」をレトリカルに言い換えることができるのです。いずれも、先行する物事で後続する物事を言い換えている転喩メタレプシスです。


 2008年にAKB48の5期生としてデビューした北原里英は、途中、SKE48への兼任を経験し、2016年には秋葉原を離れて新潟・NGT48のキャプテンに就任しました。冒頭の文にある「心機一転、朱鷺トキ衣装に身を包み」という部分は、NGTのトレードマークである「トキ衣装」を着るという出来事をもって、NGTに移籍するという出来事を言い換えているのです。

 ある服装が、何らかの身分や職業を象徴するトレードマークとなっている場合、「その服を着用する」という表現は、「その身分・職業に就く」ことを表す転喩メタレプシスとして機能します。「念願の制服に身を包む(=志望校に入学する、警察などに奉職ほうしょくする)」、「リクルートスーツに袖を通す(=就活を始める)」、「ウェディングドレスに身を包む(=結婚式を挙げる)」……など、服装で人生の転機を表す表現の例は枚挙にいとまがありません。

 もちろん、現実には、アイドルの衣装も、学校の制服も、リクルートスーツも、何度も繰り返し脱いだり着たりするものです。その最初の一回だけを特別に取り上げて、新たな物事の始まりを表しているのです(ウェディングドレスに二度目以降はないと信じたいですが……)。


 最初の一回があれば最後の一回もあります。一般に、野球選手が「ユニホームを脱ぐ」、サッカー選手が「スパイクを脱ぐ」などといえば、それは選手としての引退を意味します。これもまた、何度も繰り返し身に付けたり脱いだりする衣類に関して、その最後の一回だけを特別に取り上げて、物事の終焉しゅうえんを表しているわけです。

 なお、スポーツ選手の引退を表す転喩メタレプシスには、衣類に限らず多くの実例があります。「バットを置く」「マウンドを去る」(野球)、「ピッチを去る」(サッカー)、「土俵を去る」「まげを切る」(相撲)、「リングを去る」(ボクシング)など……。特定の身分・職業を象徴するアイテムや場所を用いて、様々な転喩メタレプシスの表現が作れることがおわかりでしょう。

 全ての身分・職業について適切な表現が作れるとも限りませんが、何らかの衣類、アイテム、場所などと結びついた身分・職業であれば、転喩メタレプシスを用いて引退を表すことは難しくないと考えられます。モータースポーツの選手なら「マシンを降りる」、教師なら「教壇を去る」、裁判官なら「法服を脱ぐ」、裏社会の人間なら「銃を捨てる」とかでしょうか。海軍軍人が「ふねを降りる」というのもありますね。皆さんが「筆を折る」ことはないように祈りたいものです。


 ちなみに、一般的に、引退というのはあまり望ましくない出来事であると考えられています。「彼は野球選手を辞めた」などと直接書く代わりに「バットを置いた」「マウンドを去った」などと言い換えるのは、言いづらい物事を婉曲えんきょくに表現しようという人間心理が働いた結果であるともいえます。

 私達は普段から、言いづらい分野の話をレトリックを用いてボカすということをよく行っています。「彼は永遠の眠りに就いた」というのは、死んで活動を停止することと、睡眠に入って一時的に活動を停止することの類似性に基づく隠喩メタファーです。妊娠を「おめでた」というのは、「めでたいこと全般」というるいで「妊娠」というしゅを表す提喩シネクドキー です。そして、転喩メタレプシスもまた、引退にまつわる無数の例が証明しているように、言いづらい物事の婉曲表現と相性が良いのです。

 例えば、トイレを「お手洗い」と呼ぶのは、排泄という先行の行為を、手を洗うという後続の行為で言い換えた転喩メタレプシスです。また、「彼の身体は既に冷たくなっていた」というのは、死亡という出来事を、遺体が冷たくなるという出来事で言い換えた転喩メタレプシスです。

 一時期「膝に矢を受けてしまってな」というゲームの台詞がネット上で流行ったことがありましたが、これは、膝に矢を受けて怪我をするという先行の出来事で、冒険者を引退するという後続の出来事を言い換えていたのですね。


(なお、metalepsisという言葉は、古来、既に比喩として用いられている言葉をさらに比喩的に言い換える「多段転義」の意味でも用いられてきました。このため、今日こんにちでも語義の解釈に混乱があり、英語辞書でこの単語を引くと「1つの比喩的な意味のメトニミーをもう1つに置き換えること」など、なんだかよくわからない説明に出くわすことがあります。ここでは、故・佐藤信夫教授の『レトリック感覚』の続刊『レトリック認識』及びそれに連なる研究にならい、metalepsisとは転喩のことであるとしました。)



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 以下、実践編です。



【実践例1】


「……あの男は言ったわ。東海ミリオンの新曲の選抜メンバーを決めるのも、メディア仕事を誰に振るか決めるのも、全部自分の一存次第なんだって。それで、彼はわたしを……ホテルに誘ってきたの」

 ツルマははっと息を呑んだ。ホテル。大人がその言葉を単体で用いるとき、それが単に宿泊施設の物理的実体を指すのではないことくらいツルマも知っていた。

 (『48million ~国民総アイドル社会~』 第13話「最古の職業」)


 今回はこの手の話ばかりで恐縮ですが、一定の文脈で用いられる「ホテル」という言葉が「単に宿泊施設の物理的実体を指すのではない」ことは、作者も読者もわかっています。「あの男」とやらも、被害者の女性も、そしてこの話を聞いている主人公も、全員がそのことを了解している。そこに共通認識があるからこそ、「ホテルに誘ってきたの」という女性の一言だけで、主人公と読者は、「男」の目的が何であったかを悟ることができるわけです。

 この「男」がまさか「夜明けのコーヒーを飲もう」と言って女性を誘ったとも思えませんが、さりとて、その場で何をするつもりなのかを簡明かんめい直截ちょくせつに告げるようなマネもしていないでしょう。「私の部屋に来い」というような言い方をしたのではないかと思います。夜の世界では誰もが転喩メタレプシスの使い手になるのです。



【実践例2】


 オレが嬢の境遇を聴いてハンカチを濡らしたのはこれが最初で最後だったぜ。

 (『オレがいた店の風俗嬢の話をしよう。』 「ユキコの場合」)


 今度も夜の世界の話ですが、実践例1に比べると幾分いくぶん平和な例です。この話の語り手は、親しい風俗嬢の境遇を聞いて「ハンカチを濡らした」そうですが、まさかジュースをこぼしてハンカチで拭いたというような話ではないでしょう。一般に、「ハンカチを濡らす」という出来事の前にはどんな出来事が先行しているか、私達は同じ常識を共有しています。かくして、この語り手が友人の身の上を聴いてどう思ったのかは、直接的な説明を介さずして読者に伝わることになります。

 我が国には古来「袖を濡らす」という表現がありましたが、洋服が根付いて久しい現在では、人々は袖の代わりにハンカチを濡らすわけですね。



【実践例3】


 それはかえでが実家から持って帰ったDVDと同じ、祖母の卒業コンサートの記録映像だった。今から六十年以上も昔、幾万人の観客が詰めかけたスタジアムで、祖母は惜しまれながらマイクを置いたのだった。

 (『48million外伝 〜永遠のアイドル〜』)


 おなじみ、楓さんのお祖母ちゃんのレナさんの話です。

 アイドルにとって最も象徴的なアイテムといえばマイクでしょう。野球選手が「バットを置く」ことで引退し、サッカー選手が「スパイクを脱ぐ」ことで引退するように、アイドルは「マイクを置く」ことで伝説となるわけです。

 ちなみに、昭和の伝説のアイドル・キャンディーズは「普通の女の子に戻りたい」という名台詞を残してマイクを置きましたが、この台詞もまた転喩メタレプシスによる表現です。「普通の女の子に戻る」という後続の出来事をもって、「アイドル(=普通の女の子ではない存在)を辞める」という先行の出来事を言い換えているわけです。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 以下、演習編です。お時間のある方はコメント欄にてどうぞ。



【演習1】

 定番とされるプロポーズの言葉に「毎朝、味噌汁を作ってくれないか」というものがあります。これは、「毎日の食事を作る」という後続の出来事で「結婚する」という先行の出来事を表す表現です。

 このように、転喩メタレプシスを用いて、相手を何かに勧誘する文を作ってみましょう。


【演習2】

 死、性的関係、引退など、直接的な言葉では言いづらいと思われる内容を、転喩メタレプシスを用いて婉曲えんきょくに表現する文を作ってみましょう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る