その5 提喩(シネクドキー)


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 欅坂けやきざか46を率いる「第二の前田敦子」、平手ひらて友梨奈ゆりながライブ中に倒れた。それでも夢の舞台から退しりぞかない彼女の姿は、過呼吸をはねのけ歌い続けた不動のセンターに確かに重なるものがあった。


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 隠喩メタファー換喩メトニミーと並ぶ比喩ひゆの三大類型の最後の一つが、「提喩ていゆ」(synecdocheシネクドキー)です。

 隠喩メタファーは物事の「類似性」、換喩メトニミーは物事の「隣接性」に基づく比喩であったのに対し、提喩シネクドキーは「包含ほうがん性」によって成立する比喩です。Aという集合(るい=上位概念)にBという要素(しゅ=下位概念)が含まれるとき、「A」と言ってBを表したり、「B」と言ってAを表したりするのが提喩シネクドキーです。


 我が国では、「熱いものが頬を伝う」といえば、その「熱いもの」は太陽フレアや充電直後の携帯電話ではなく「涙」であると伝わります。同様に「空から白いものが降り積もる」といえばそれは「雪」のことですし、同じ「白いもの」でも「母の髪には白いものが混ざり始めてきた……」といえば「白髪しらが」のことでしょう。

 これらの表現は先人達が蓄積してきた慣習に沿っている面が大きいと思われますが、そもそもその慣例を成り立たせているのは、提喩シネクドキーという修辞技法の力にほかなりません。「熱いもの」「白いもの」という大きなるいをもって、「涙」や「雪」というしゅを表しているのです。


 反対に、しゅの名称をもってるい全体を表す提喩シネクドキーも一般的です。「ちょっとそこでお茶していかない?」などと言うとき、なにも私達の注文はお茶に限定されるわけではなく、コーヒーでもジュースでも好きなものを飲んでよいはずです。同様に「酒」という言葉も、本来は日本酒だけを指す単語ですが、私達はビールやワインやウイスキーなどアルコール全般をひっくるめて「酒を飲む」と表現します。ある言語学の教授は、これをもって「日本語の飲み物は全て『お茶』と『酒』の二語に還元できる」と述べていました。

 イエス・キリストは「人はパンのみにて生きるにあらず」という聖句を残しましたが、これはパンがなければお菓子を食べろということではなく、「パン」という言葉一つで「食べ物全般」、ひいては「(神の教えという精神的領域に対する)物質的領域全般」を表しています。


 このように、提喩シネクドキーとは、「るい(上位概念)∋しゅ(下位概念)」という包含関係に基づき、るいの名称で一つのしゅを、またはしゅの名称でるい全体を表す表現です。


 抜群のセンター適性を持つアイドルを前にして、「彼女はまるで前田敦子のようだ」と書けば明喩シミリですが、「彼女は第二の前田敦子だ」と表現すれば、それは提喩シネクドキーということになります。

 ここで「前田敦子」の名前は、時に巨星であり時に豆電球である彼女本人を指しているわけではなく、「センター向きのアイドル」または「現にセンターを張っているアイドル」という意味の修飾語として機能しています。そのような人物は前田敦子に限らず何人でも存在しているはずですが、ここでは前田敦子というしゅをもって、そうしたアイドル全般というるいを表しているのです。

 囲碁の名手が「本因坊ほんいんぼう」のタイトルを襲名したり、『名探偵コナン』の工藤くどう新一しんいちが「平成のホームズ」と呼ばれていたのもこのたぐいです。


 もちろん、逆の例もあります。「大師だいし弘法こうぼうに奪われ、太閤たいこうは秀吉に奪わる」という格言をご存知でしょうか。「大師」も「太閤」も元は一般名詞であり、その称号を持つ人物は幾人もいたにも関わらず、今では大師といえば弘法こうぼう大師だいし空海くうかいただ一人のことを指し、太閤といえば豊臣秀吉ただ一人のことを指すようになった――という意味です。

 このように、一般名詞が特定の人物を指す固有名詞に成り代わってしまうのは、るいしゅを表す提喩シネクドキーです。悟りを開いた人全般を指す「ブッダ」という言葉でゴータマ・シッダールタただ一人を表したり、救世主を意味する「キリスト」という言葉で、人はパンのみにて生きるにあらずと述べたイエスただ一人を表すのはその最たる例です。「不動のセンター」の一言で前田敦子を言い換えるのはこれにあたります(さすがにキリストと並べるのは恐れ多い気もしますが、濱野智史氏の著書によれば「前田敦子はキリストを超えた」そうですから、まあいいでしょう)。

 こうした、一般名詞で特定の人物を表す提喩シネクドキーには、「換称かんしょう」(antonomasiaアントノメイジア)という呼び名も付けられています。


 なお、古来より、提喩シネクドキーの定義は非常に曖昧であると言われてきました。現代の研究者の中でも、提喩シネクドキーを独立した技法と定義するか、換喩メトニミーの一種に含めるかは意見が分かれているところです。前回の換喩メトニミーの項で少し述べたように、身体の一部分をもって人間を表す表現を提喩シネクドキーの一種とする学説もかつては有力でした(Wikipedia等では今でもそう書かれています)。

 皆さんにご理解頂きたいのは、修辞技法の定義は「この表現は絶対にこの分類」とハッキリ定まるものではなく、同じ表現でも見方によっては換喩メトニミーであったり提喩シネクドキーであったり……という事例はいくらでも有り得るということです。定義の境目は常に曖昧である、と思っておいてください。


 さて、ここまで駆け足で「類似性の隠喩メタファー・隣接性の換喩メトニミー・包含性の提喩シネクドキー」 という比喩の三大類型を見てきましたが、皆さんの中には、どれがどれだか覚えづらいという方もおられるかもしれません。

 そこで、三大類型のおさらいとして、毎度おなじみ、故・佐藤信夫教授の『レトリック感覚』より、おとぎ話の主役達の名付けをこの三つの比喩で説明するくだりをご紹介しましょう。


 まず「白雪姫」です。これは隠喩メタファー型の名付けであるといえます。お姫様の肌の白さと雪の白さの間に類似性を見出し、お姫様本人を雪にたとえているからです。

 対して、「赤ずきん」は換喩メトニミー型の名付けです。この女の子は、姿形や性質が赤い頭巾ずきんに似ているわけではなく、頭にそれをかぶっているから「赤ずきんちゃん」と呼ばれているのです。

 最後に、「人魚姫」は提喩シネクドキー型の名付けといえます。海底の世界には人魚の姫が何人もいたはずですが(アンデルセンの原作では6姉妹、ディズニーのアニメでは7姉妹とされています)、私達が「人魚姫」と言うとき、それは人間の王子に恋してしまった末娘のことだけを指すのです。彼女の姉達は、弘法こうぼう以外の大師だいし達や、秀吉以外の太閤たいこう達と同様、るいとしての呼び名を一つのしゅに奪われてしまったわけです。

 白雪姫は隠喩メタファー、赤ずきんは換喩メトニミー、人魚姫は提喩シネクドキー……と覚えれば、これら三つの比喩が頭に入りやすいかもしれません。



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 以下、実践編です。



【実践例1】


「式はわたしの誕生日に挙げようね」

 わたしの無茶振りに彼は当惑しながら、それでも最後は隣で強く頷いて笑ってくれた。

 (『女神のウェディングベル』 第2話「百億分の一の君へ」)


 作品のタイトルを見るまでもなく、この微笑ましい二人が、まさか葬式や入学式の準備を始めるところだとは誰も思わないでしょう。二人が彼女の誕生日に何をするつもりなのかは、「挙式」という言葉が一般に結婚式を意味することからも明らかです。

 これは「式」というるいで「結婚式」というしゅを表す、典型的な提喩シネクドキーの例です。



【実践例2】


 じきに兄のコーヒーとツルマの炭酸が運ばれてきたので、緊張でからからの喉をひとまず潤してから、ツルマは改めて「これからどうしたらいいのかな」とチクサに切り出した。

 (『48million ~国民総アイドル社会~』 第6話「芸能プロダクション」)


 明治生まれの宮沢賢治は三ツ矢サイダーを愛飲していたことで有名ですが、未来の人はどんな炭酸飲料を飲むのでしょうか。25世紀の若者達が「お茶する」様子を描いたこの場面では、主人公が注文した「炭酸」がコーラかサイダーかレモンスカッシュか、はたまた私達の知らない未来の飲み物なのかは明かされません。ただ、それが少なくともアルコールではなく、かつ庶民が手を出せるごく普通の品物であって、そして恐らくは若者好みの冷たい飲み物なのだろう……ということは、それとなく伝わってきます。

 このように、るいをもってしゅを表す提喩シネクドキーが用いられる場合、作者の中ではそのしゅの正体(この場合、主人公が注文した飲料が具体的に何なのか)がハッキリしていることが多いでしょう。しかし、作者が未来の飲み物の種類など全く知らなかったとしても、この文は問題なく成立します。未来でどんな炭酸飲料が飲まれているのかをわざわざ考えなくても、「炭酸」とだけ書いて説明を飛ばしてしまうことができるのです。つまり、設定を作り込まずに「ボカす」手段としても、提喩シネクドキーは有用なのです。

 もちろん、この手法は未来の話のみならず、歴史物やファンタジーでも有効です。以下の例はどうでしょう。


 俺が着の身着のまま故郷の村を飛び出し、見知った道を走り続けて辿り着いた隣町の酒場には、なんだか奇妙な甲冑を着たまま一人で酒盃を傾ける壮年の男の姿があった。

 酒場の主人にその男との相席を案内され、俺は脊髄反射のように安酒エールを注文する。懐には魔王討伐の褒美で王様から頂いた金貨がたんまり入っているのだが、とてもをしたあとで上等な酒の味などわかるはずもない。

 (『全部転生×憂鬱信長 ~続き、続きと、どいつもこいつも~』)


 ここでは「安酒」と書いて「エール」とルビを振っていますが、ここで出されるものがエール(ビールの一種)であることに作劇上の意味はなく、むしろ伝えたいのは「安酒」という情報のほうです。このルビを消してしまえば、「炭酸」の例と同じ提喩シネクドキーになります。

 ファンタジー世界で飲まれている酒が具体的にどんなものなのかを知らなくても、とりあえず「安酒」とか「上等な酒」と書いてしまえば話は通じるわけですね。


 食べ物、乗り物、服装、髪型、化粧、職業、地名……などなど、具体名を出す知識が作者になかったり、具体的に説明することで却ってチープな文章になってしまいそうな場合には、提喩シネクドキーを使ってボカしてしまうというのも立派な作劇技法といえるでしょう。



【実践例3】


「そして、レナちゃんの卒業コンサートの日。最後にひと目、レナちゃんの姿を見送ろうと、会場には国じゅうから何万人ってファンが駆けつけたの。たった一人の女の子のために、何万人だよ。卒業コンサートのクライマックスでは、ひろーい会場が、お客さんの手持ち照明サイリウムで、レナちゃんのイメージカラーのグリーン一色に染まって。綺麗だったんだろうなあ……」

 (中略)

 楽しそうに話すチクサの笑顔の向こう、ツルマの脳裏にもその光景が目に浮かぶようだった。幾万のファンに名残を惜しまれ、ガラスの靴を脱いだシンデレラ。夜闇に包まれたコンサート会場を照らし出す無数の緑色。その一本一本が、会場に集まった一人一人のファンの思い……。

 (『48million ~国民総アイドル社会~』 第11話「おとぎ話」)


 古のアイドルを「シンデレラ」になぞらえるのは隠喩メタファーであり、「ガラスの靴を脱いだ」と書いて引退を表すのは諷喩アレゴリーですが、ここで注目したいのは「コンサート会場を照らし出す無数の緑色」という部分です。

 レナちゃんを照らしていた「緑色」とは何でしょうか。たぶんメロンパンとかではないでしょう。恐らくカメレオンでもないし、東北新幹線「はやぶさ」でもない。この話をここまで読んできた読者には、「無数の緑色」の指すものが「観客が振るサイリウム(手持ち照明)の光」のことだとわかっているはずです。

 何万本ものサイリウムの光が渾然一体となって、一面の光の海を作り出している光景を、作者は提喩シネクドキーを用いて描写しています。「コンサート会場を照らし出す無数の緑のサイリウム」と書く場合と比べて、どのような印象を読者に与えるか、お時間があれば検討してみてください。



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 以下、演習編です。お時間のある方はコメント欄にてどうぞ。



【演習1】

 「熱いもの」で「涙」を表したり、「白いもの」で「雪」を表す例にならい、るいをもってしゅを表す提喩シネクドキーの文を作ってみましょう。


【演習2】

 具体的な人物名を用い、「第二の●●」や「●●の再来」という形で別の人物を形容する提喩シネクドキーの文を作ってみましょう。●●に入るのは架空の人物であっても構いません。

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