その4 換喩(メトニミー)


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 誰が想像できただろうか、難波なんばでも博多でもなく新潟が秋葉原を揺るがすことを。2017年6月、荻野おぎの由佳ゆかの「速報1位」で幕を開けた選抜総選挙は、不遇と言われ続けた朱鷺トキ衣装の「逆襲」のステージであった。


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 ここまでに見てきた二つの比喩表現、すなわち直喩ちょくゆ隠喩いんゆは、ともに物事の「類似性」に基づく比喩でした。前田敦子が星に、松井珠理奈が太陽にたとえられるとき、その文の筆者と読者は、彼女らの存在感と空に輝く天体との間に見出された「類似性」を共有するのです。


 しかし、比喩表現を成り立たせる関係性は「類似性」だけではありません。

 「秋葉原が揺れた」や「さかえが歓喜に沸いた」など、特定の地名をもって、その地に拠点を置く特定の人々を言い表すのは、別にアイドルファンの専売特許というわけではありません。「永田町ながたちょう」や「霞ヶ関かすみがせき」に衝撃が走るのは日常茶飯事ですし、「ハリウッド」が送り出す超大作に「全米」が涙するのもお決まりのパターンです。

 言うまでもなく、「永田町」や「霞ヶ関」という言葉が意味するものは、土地そのものではなく、当地で仕事をしてい(たりしていなかったりす)る政治家や官僚のことです。これらの土地と、政治家や官僚という人間は、外見上も概念上も全く似てはいません。両者の間に「類似性」は全く見出せないにもかかわらず、私達は、新聞やテレビがこうした言い回しを用いて伝えるニュースを、いとも容易く理解することができます。


 古来、レトリックの論者達は、「地名」をもって「当地で活動する人間の集合」を想起させる表現は、土地と人間の「隣接性」によって成り立っているのだという説明を与えてきました。こうした、物事の「隣接性」に依拠いきょして成り立つ比喩を、「換喩かんゆ」(metonymyメトニミー)といいます。

 今日こんにちの我が国の研究者の間では、「換喩」という邦訳以上に「メトニミー」というカタカナ語が用いられることが多い気もしますので、セットで覚えて頂くためにも、今後は「換喩メトニミー」とルビを振って書くことにします。


 さて、換喩メトニミーを成り立たせる「隣接性」は、土地と人間だけではなく、ありとあらゆる物事の間に見出すことができます。

 「帽子」や「背広」という衣類の名称で、それを身に着けた人間を表すのは、最も典型的な換喩メトニミーの例といえるかもしれません。また「スピード違反で白バイに捕まった」「ボートが助けを呼んでいた」などのように、乗り物の名称でそれに乗っている人間を表すのも、わかりやすい換喩メトニミーの例です(人を捕まえるのは白バイではなくそれに乗っている警察官であり、救助を求めるのもボートそのものではなくそれに乗っている人間です)。

 「テーブル(の上に置かれたもの)を片付ける」「黒板(に書かれた文字)を消す」といった、特にレトリカルには感じられない表現も、改めて考えてみれば、物事の隣接性に基づく換喩メトニミーであることがわかります。

 「ボルドー(という地方で生産されたワイン)」や「コニャック(という地方で生産されたブランデー)、「九谷くたに(という地方で生産された陶磁器)」や「松阪まつざか(という地方で生産された肉牛)」のように、生産地の名称で産物を表すのも、日常に定着した換喩メトニミーの例です。「ベートーヴェン(が作曲した音楽)を聴く」や「AKB(が歌った曲)を口ずさむ」など、作者や演者の名前で作品を表す換喩メトニミーも一般的です。物書きを標榜ひょうぼうする皆さんは、「夏目漱石」や「東野圭吾」などと並んで、自身のペンネームが「読む」という動詞の目的語になることを夢見ているかもしれません。

 この他、「筆をる」という原因をもって「文章が出来上がる」という結果を表したり、逆に「涙する」という結果をもって悲しみや感動という原因を表すのも、換喩メトニミーの一種です。

 ちなみに、「衣類と人間」や「乗り物と人間」は確かに物理的に隣接していますが、「産地と産物」や「作者と作品」は、必ずしも現実に隣接しているとは限りません。「原因と結果」に至っては、時間的にも空間的にも大きく隔たっている場合がありえます。換喩メトニミーを成立させる「隣接性」とは、あくまで概念上のものに過ぎないのです。


 2017年度のAKB48選抜総選挙は、速報発表から大波乱の展開となりました。新潟市に拠点を置くNGT48の人気メンバーの一人、荻野おぎの由佳ゆかが、かの指原莉乃をも上回るぶっちぎりの票数で「速報1位」に躍り出たのです。同じくNGT48の本間ほんま日陽ひなた高倉たかくら萌香もえかといった人気メンバーも軒並み上位に付けており、スポンサー企業の意思が働いた「不正票」ではないかとの憶測も飛び交いましたが、運営は不正疑惑を否定。速報票数を引き継いだまま開票された本選では、荻野由佳の第5位を筆頭に、80位圏内に計10名ものNGTメンバーが食い込むという快挙に。結成以来、不遇と言われ続けたNGT48が、その評価を塗り替えた瞬間でした。


 これを念頭に置いて、冒頭の文を見ると、

「誰が想像できただろうか、難波でも博多でもなく新潟が秋葉原を揺るがすことを。」

 という部分は、もはや皆さんにはおなじみの、地名をもって特定の人物の集合を表す換喩メトニミーであることがわかります。

 このタイプの例ばかり出していても芸がないので、これに続く、

「2017年6月、荻野由佳の『速報1位』で幕を開けた選抜総選挙は、不遇と言われ続けた朱鷺トキ衣装の『逆襲』のステージであった。」

 という部分には、「朱鷺トキ衣装」というコスチュームの呼び名でNGT48のメンバー達を表す換喩メトニミーを入れ込みました。


(言語の技法から離れて記号論の話になりますが、NGTのトレードマークであるこの「トキ衣装」は、新潟・佐渡さどに生息する鳥のトキをモチーフにしており、その点では隠喩メタファー的な記号であるといえます。同時に、当地に生息するトキをもって新潟という土地を表象ひょうしょうしているという点に着目すれば、換喩メトニミー的な要素を持つ記号であるともいえそうです。)


 ところで、衣類で人間を表すのと同等かそれ以上によく使われる表現として、髪型やひげといった「身体の一部分」でその持ち主を表すというものがあります。「このハゲー!」と秘書を罵倒ばとうした女性議員は、頭部という一部分に向かって呼びかけているのではなく、秘書本人にその言葉をぶつけているのです。では、これは換喩メトニミーでしょうか?

 レトリックの古典理論においては、「身体の一部分」で持ち主を表す比喩については、換喩メトニミーではなく、次回紹介する「提喩ていゆ」 (synecdocheシネクドキー)の一種であるとする説もありました。ハゲ頭と男性秘書の関係は「隣接性」ではなく「包含性」であるというのです。しかし、『レトリック感覚』を著した故・佐藤信夫教授は、この区別を無意味なものと切って捨て、人間とその一部分も広い意味での隣接関係であるとみなし、こうした表現を換喩メトニミーに含める説をりました。ですから、私達も、あの可哀想な男性秘書のことは、提喩シネクドキーではなく換喩メトニミーの犠牲者であると考えることにしておきましょう。



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 以下、実践編です。



【実践例1】


 むしろ想定外の動きといえば、ナナオが率先してドリンクサーバーに向かい、出来上がったカップを皆に配膳しようとしてくれたことだ。

「あ、僕がやりますよ」

「いいのいいの。こういうのは裏方の仕事よ」

 ナナオは目を細めて微笑み、ミズホの前にコーヒーのカップを置いてくれた。

 (『48million 〜アイドル防災都市戦記〜』 第12話「プロジェクト・トキ」)


 いかな裏方といえど、コーヒーカップを作陶さくとうするのが仕事ということはないでしょう。このナナオさんという人がドリンクサーバーに向かった結果、「出来上がった」のはカップを満たすコーヒーであり、カップそのものが新たに作られたわけではありません。

 このように、容器の名称で内容物を表すのも、典型的な換喩メトニミーの例です。「お銚子ちょうしつけて」と飲み屋の女将さんに注文する人は、まさか容器そのものを欲しがっているのではなく、その中に入った酒を欲しているのですよね。



【実践例2】


陰陽寮おんみょうりょう洛中らくちゅう百鬼夜行ひゃっきやこうへの対処に手一杯の御様子。代わってわたくしの魔物の相手を致しましょう」

 揺れる炎の中に姿をあらわ十二単じゅうにひとえ狒々ひひの巨体の飛びかかるをひらりとかわし、緑の黒髪を振り乱して女が叫ぶは文殊菩薩もんじゅぼさつ真言しんごん

 (『駄作バスター ユカリ』 序章「紫式部」)


 妖怪と戦う際の服装として十二単じゅうにひとえが適切であるかはともかく、平安時代の人も現代の人も、それが当時の女性の正装であることは承知しています。したがって、「十二単」は「女性」を表す換喩メトニミーとしてに機能します。

 ここで作者が敢えて服装の換喩メトニミーを用いたのは、作中の人物の状況認知のプロセスを読者に追体験させたいという狙いもあります。つまり、この光景を見ている人は、先に「女が現れた」と認識してから「ちなみに服装は十二単だ」と視認するのではなく、「十二単を着た何者かが現れた」という事実がまず目に映り、それをもとに「この人物は女だ」と判断するという認知プロセスを経ているはずです。レトリックの技法を活用すれば、単にその場にある事実だけでなく、語り手や作中人物がその事実を認識する経緯さえも読者に伝えることができるのです。



【実践例3】


「できるよ。スワちゃんとひばりんとミズホくんの最強トリオなら」

 と、あざとい黒髪が無根拠に断言する。

「わたし達の力を合わせて、新潟を素敵な街にしようね」

 と、明るい茶髪が朗らかに笑いかける。

 (『48million 〜アイドル防災都市戦記〜』 第5話「三人の夢」)


 本文ではハゲ頭の秘書の例を取り上げましたが、もちろん、豊富に頭髪がある人についても、本人を髪型で言い換える換喩メトニミーを用いることができます。この例では、「黒髪」や「茶髪」そのものが言葉を発しているのではなく、喋っているのはそれらの髪色をした人間です。

 ちなみに、前後の文脈なく「明るい茶髪」と言われた場合、「明るい」というのは茶髪の色合いのことであると考えるのが普通でしょう。しかし、ここでは、先に「あざとい黒髪が無根拠に断言する」という一節が出てきた上で、それと対比される形で「明るい茶髪が朗らかに笑いかける」と続きます。読者は「あざとい黒髪」で「あざとい性格をした黒髪の人物」を表す例を先に見せられているので、「明るい茶髪」も「明るい性格をした茶髪の人物」であると容易に理解できるのです。


 なお、上記の例の黒髪ちゃんと茶髪ちゃんは物語のメインキャラクターであり、「スワちゃんとひばりん」と自分達で言っているように、ちゃんと名前が付けられています。しかし、古今東西、文芸の世界では、特に名前を付ける必要のない脇役キャラクターに、身体の一部の換喩メトニミーによって仮の呼び名を与えるという手法も盛んに用いられてきました。以下の例はどうでしょうか。


「お前、本気で甲子園目指すの?」

「当たり前だろ。夢はでっかくメジャーリーガーだぜ」

 その瞳に真剣な炎を燃やし続ける坊主頭と、ひょうきんな笑いでそれを流す天然パーマ。

 二人と並んで部活から帰ることももう無くなるのかと思うと、剣吾けんごは若干の寂しさを隠せない。

 (『美女と野獣の仮面武闘スーツアクト』 最終話「栄光の仮面」)


 ここでは「坊主頭」と「天然パーマ」の二人の野球少年が換喩メトニミーで呼ばれていますが、彼らはこのエピソード限りの脇役であり、特に名前は付けられていません。名前を付けるまでもないキャラクターに便宜上の記号を与えるという目的では、身体的特徴や衣類に基づく換喩メトニミーはたいへん有用です。

 ところで、「坊主頭」の彼は甲子園を目指すそうですが、野球少年が「甲子園を目指す」と言えば、それは兵庫県の地名としての甲子園という場所に出かけたいという意味ではなく、当地の球場で行われる高校野球の全国大会への出場を目指すということにほかなりません。「大会の開催地の地名」で「大会そのもの」を指しているのであり、これもまた換喩メトニミーの一例です。



【実践例4】


「よし、じゃあ同じ動きセットを交替で」

 今度は先輩が攻撃の構えを取る。サヤカはマスクに籠もる吐息の熱さを感じながら、迫り来る攻撃の応酬に備えて精神を集中させた――。

 と、そこで、ビーストイエロー役の先輩アクトレスが、訓練所の入口から「サヤカちゃん!」と彼女を呼ぶ声。

 臨戦態勢の緊張がほどけ、レッドの先輩は顎で「行きな」と合図してくる。彼にぺこりと頭を下げ、サヤカはイエローの先輩の方へと駆け寄った。

 (『美女と野獣の仮面武闘スーツアクト』 第10話「オタクの我儘」)


 換喩メトニミーを成立させる「隣接性」には、物理的接触を伴うものから概念的なものまで色々ありますが、「役者」と「配役」もそうした隣接関係の一つでしょう。ここで「レッドの先輩」や「イエローの先輩」と呼ばれている人達は、思想が左寄りだとか、特定の球団のファンだとかいうことではなく、特撮ヒーローの「レッド」や「イエロー」を演じているためにそう呼ばれているだけです。坊主頭くんと天然パーマくんの例に同じく、特に名前を付ける必要のないキャラクターを記号で言い換えているのです。

 時として巨星であったり豆電球であったりする前田敦子は、AKB現役時代「不動のセンター」と呼ばれていましたが、「センター」というポジションで人物を表すのも、これと同種の換喩メトニミーといえるでしょう。



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 以下、演習編です。お時間のある方はコメント欄にてどうぞ。



【演習1】

 二つ(またはそれ以上)の地名の換喩メトニミーを用いて、それぞれの土地に関連する集団どうしの関係について説明する文を作ってみましょう。架空の集団であっても構いません。


【演習2】

 身体の一部分で人間を表す換喩メトニミーを用いて、読者にとって初見であるキャラクターを説明する文を作ってみましょう。

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