4-9 嘘のない自分
「
文字の
だが、リリーはまだ感情の高ぶりを抑えきれない様子で、涙を散らして叫ぶ。
「そんな、わかった振りしないでよ! そのバケモノがわたしの記憶をバラ撒いたからって……わたしの辛さなんて、あなたにわかる訳ないじゃない!」
魂を吐き出すような彼女の叫びにも、ユカリさんは動じず、落ち着いた声で言い返すのだった。
「ええ。わかりませんわ、他人の気持ちなんて。……だけど、その人の書くものを通じて、思いを知ることはできる。何が好きで何が嫌いなのか。何を信じ、何を思い、何を願って生きてきたのか。どんな自分になりたいのか。どんな自分を愛しているのか――」
「……!」
リリーの
心なしか、文字の
「聞かせてくれるかしら。あなた自身の言葉で。ファンに、仲間に、世間に……あなたが今、本当に訴えたいことは何なのか」
「……わたし」
ぽつり、と、リリーは胸の奥底から絞り出すように言う。
「否定したくなかった。……彼を愛した自分も、アイドルだった自分も」
「……リリー…」
マネージャーの男性が小さく彼女の名を呟いた。その声には、担当アイドルの苦しみをずっと見続けてきたのであろう彼の、様々な思いが籠もっているように聴こえた。
「だって……しょうがないじゃない。本当に両方好きだったんだもん。彼と付き合ってる時間も、アイドルをやってる時間も、本当に楽しくて、幸せで……どっちかが嘘だったなんて、思えないんだもん!」
リリーは壁を支えに、ゆっくりと立ち上がった。その手足はまだ震えていたが、瞳はしっかりとユカリさんを見据えていた。
「わたし……正直な思いを皆に伝えたい。そんなのアイドルとしてダメだって叩かれることになっても。もう彼と元通りにはなれなくても……アイドルを卒業することになっても……わたしが過ごした時間は、嘘じゃなかったって、胸を張りたいから」
「……わかりましたわ。天使リリー」
ユカリさんは魔物に向き直り、軽やかに大筆を振るった。たちまち宙空に
「それなら、あなたが恋愛小説コンテストに出しているあの作品は、やはりダメですわ。小説の体裁を為していないとか、星の稼ぎ方が卑怯だとか、そういうことではなく――あれは、ファンに認めてもらうためだけに書かれた一作だから」
二度三度と大筆を振るいながらユカリさんが語る言葉に、リリーは小さく頷く。
無理矢理に自分を正当化するのではなく。ファンからの応援の言葉を集めるために書くのではなく。
本当の自分を発露することにこそ意味があるのだと、ユカリさんは彼女に告げているのだ。
「……わたし、もっと叩かれるかな。もっと炎上しちゃうかな」
「さあ? そんなこと、わたしは知りませんわ。あなたが胸を張れるなら、それでいいんじゃなくって?」
ユカリさんの描き出す文字の奔流に呑まれ、蛇の魔物が声にならない声で呻いた。
「『初恋フィロソフィー』ってタイトルは、そのまま残してもいい?」
「ええ。この内容ならば、
それを聞いて、リリーの表情は、ぱあっと明るくなったように見えた。それはきっと、芸能人としての作り物の笑顔ではない、天使リリーという一人の少女が浮かべた本物の笑顔だった。
「素敵な哲学者におなりなさい、天使リリー」
ユカリさんの最後の一振りとともに、魔物が雲散霧消する。
結界の解けたレッスンスタジオには、変身を解いた美女と、マネージャー、そして少女。
「決めた。わたし、アイドル卒業する」
「えっ!?」
安堵も束の間、リリーの突然の宣言にマネージャーは目を丸くした。彼が何か言おうとする前に、リリーは畳み掛けるように言葉を続ける。
「試してみたいの。
「……リリー、お前……いつもいつも突然すぎるねん。振り回されるこっちの身にもなれや」
困ったような顔をしながらも、マネージャーの声は、どこか満足そうで。
「……さあ、ここからが忙しいですわね。わたし、言ってしまった以上は、あなたの本を出版まで漕ぎ着けなきゃならないもの」
紫の扇子をぱちんと弾いて言ったユカリさんの声も、どこか誇らしげで。
「そうと決まれば、今すぐ原稿書き始めよーっと。あ、卒業の発表、最速でいつ言っていい?」
マネージャーに尋ねる天使リリーの声も、闇が晴れたように弾んでいて。
これから、この子の芸能人生に、何が待ち受けているのかはわからないけど――
ひとまず、今回の事件もまた、無事に一件落着を見たようだった。
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