4-8 闇
「
大筆を構えたユカリさんが
「既に多くの被害者が出ていますわ。わたしはこの魔物を
「な、何よ……何よ、それ……!」
リリーは壁を背にへたり込んで震えていたが、その
「こんなの……不公平だよ」
「不公平……?」
アイドルの震える唇から漏れた言葉に、ユカリさんがぴくりと眉を動かす。彼女のオウム返しがトリガーになったのか、リリーの口からは
「おかしいよ、こんなの! 裏で男と付き合ってる子なんて、いくらでもいるのに! なんで……なんで、わたしばっかり!」
彼女の叫びに呼応するように、ばちりとユカリさんの文字を弾き飛ばして、蛇の魔物が再び暴れ始める。ユカリさんが咄嗟に文字を
「ッ……!」
黒々とした
僕のもとにも押し寄せてきた
「――!」
◆◆◆
――わたし、選ばれるなら東京のグループがよかったな。■■君と離れ離れになっちゃうのはやだ――
――そんなこと言うなよ、リリー。やっと夢が叶ったんだろ。住めば都って言うしさ――
――遠距離になっちゃうのは辛いよ。ただでさえ、これからは隠し通さなきゃいけないのに――
◆◆◆
「なんだ……これ……!?」
闇の中から呼びかけてくるのは、
蛇の化け物の咆哮と混じって、一人の少女の悲痛な心の叫びが、容赦なく僕の脳内になだれ込んでくる。
◆◆◆
――東京にカレシ置いてきた? あははっ、ええやん。バレへんようにだけは気をつけや――
――えっ……。あの、先輩。止めないんですか……?――
――止めへん止めへん。男くらい皆おるで。あの子も、あの子も。アイドルだって人間なんやし、息抜きが無いとやってられへんやん――
◆◆◆
――ごめんね、今週も電話だけになっちゃって。本当は会いに行きたいんだけど――
――いいよ、いいよ。そりゃ寂しいのは寂しいけどさ、リリーが夢に向かって頑張ってるなら、俺はそれだけで――
◆◆◆
――こんにちはっ。いつもありがとうございます!――
――オレ、最近、リリーちゃんの握手会に来るのが唯一の楽しみやねん――
――こんにちはっ。いつもありがとうございます!――
――新センターおめでとう! 僕、ドラフトの時から君のこと応援してたから、嬉しいよ――
――こんにちはっ。いつもありがとうございます!――
――他所のグループの子がスキャンダルやらかしとったけど、リリーちゃんはそういうのがないから安心やわ――
◆◆◆
――
――そんな……!――
――連中、バッチリ写真まで押さえとる
――わたし、どうしたらいいんですか……?――
――
◆◆◆
――■■君、ゴメン……。わたし、もうダメかも……――
――大丈夫だって。リリーがアイドルじゃなくなっても、俺はずっと側にいるから――
◆◆◆
――
――スプリングを……出し抜く?――
――連中、総選挙の直後に記事を出す
――で、でも……付き合ってるのを認めちゃったら、ファンの人達からバッシングが……――
――せやから、いっそ、その男と結婚するって
――そ、そんなこと急に言われたって……彼が同意してくれるかどうか――
――同意? そんなモン要らへん要らへん。一般人やろ、相手。そのあと別れたら別れたでそれまでや――
◆◆◆
――わたし、天使リリーは、結婚します――
◆◆◆
――なんであんなこと言ったんだよ。バカじゃねえのか、お前!――
――えっ……そんな、■■君……!?――
――こんなに日本中で騒ぎになっちまって、そんなお前の人生まで背負えるかよ!――
――そんな、だって、わたし……!――
――お前はもっと賢い子だと思ってたよ――
◆◆◆
――運営に言われてやったのはわかるけどさあ。もうちょっと
――アンタのせいで
――ホンマやで。こんなことならドラフトの抽選、
◆◆◆
――こんにちは。いつも……ありがとうございます――
――リリーちゃん、元気出してや。オレはずっとリリーちゃんのこと応援しとるから――
――こんにちは。……あの、わたしのこと、嫌いにならないんですか……?――
――まあ、ショックはショックだけどさ。でもいいんだよ、リリーちゃんがハッピーならそれで――
◆◆◆
「なんだ……なんだよ、これ……!」
魔物の
今の僅かな間に僕の脳裏を
恋愛禁止ルールを守らなかった彼女が悪いのだと、責めるのは簡単かもしれない。
だけど……いくらなんでも、これは……。
僕は闇の中で天使リリーに目を向けた。彼女は壁に背を預けてへたり込んだまま、その両目から大粒の涙を
僕にはどうしたらいいのか分からない。全ては自業自得だと彼女の罪を断じればいいのか。彼女は芸能界の闇の被害者に過ぎないのだと同情すればいいのか。
「
僕が胸を押さえていると、闇の中からマネージャーの男性の声が響いた。
「あなたも見はったでしょう、今のを!」
「ええ。見ましたわ」
ユカリさんの答える声と、ヒュンと大筆を振る音。
「だったらお願いですわ、式部さん。リリーを救ってやって下さい。あなたなら、それが出来るんでしょう!」
男性の真剣な叫びに重なるように――
僕には、
そして――闇の中に、ユカリさんの凛々しい声が響く。
「
ヒュンヒュンと絶え間なく鳴る風切り音とともに、魔物を中心に発せられる闇の
視界の戻った結界の中に見えるのは、無数の文字の矢に射抜かれて動きを封じられた蛇の魔物と、大筆を構え颯爽と立つユカリさんの姿。
「天使リリー。今こそ
涙に濡れた目をハッと見開くアイドルに向けて、ユカリさんは墨の滴る大筆を構えた。
「――推敲の時間ですわ」
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