4-6 少女の本性

 ユカリさんと天使あまつかリリーは、スタジオの長テーブルを挟む形で、マネージャーの用意した椅子にそれぞれ向き合って座った。マネージャーは特に自分の椅子を持ってこようともせず、リリーの斜め後ろに控えて様子を見守っている。


天使あまつかさんは今、小説サイトの恋愛小説コンテストに作品を応募していらっしゃいますわよね」


 レディススーツ姿のユカリさんは自然な口調で本題に切り込んだ。リリーは「そうなんですぅ」とテンション高めに答える。


「リリー、ファンの皆さんの応援のおかげで、いきなりランキング一位なんです! このまま受賞まで行っちゃうかなって。……あれ、でも、雲隠くもがくれ出版さんから出して頂くってなったら、コンテスト関係なくなっちゃいますね?」

「ええ。つまり、図々しいお話かもしれませんが、天使さんの著書を世に出す権利を、わたしどもに譲って頂きたいんです。コンテストの方は、辞退して頂いて――」


 恐らく演技なのだろうが、ユカリさんの言葉が歯切れ悪くなった。

 後ろで聞いている僕はようやく彼女の作戦に気付き、思わず一歩身を乗り出していた。ユカリさんは、実家が実際に所有している出版社からの書籍化をダシに、天使リリーに今回の恋愛小説コンテストの応募を辞退させようとしているのだ。

 確かに、そうなれば、少なくともコンテスト参加者をはじめとするあのサイトのユーザー達からの嫌悪ヘイトは終息させることができる。リリーの作品そのものは別の形で世に出ることになってしまうが、そこに渦巻く負のオーラはかなり抑えられるかもしれない。

 ……いや、それどころか、ユカリさんのことだから、雲隠出版から世に出す前に、リリーの小説もどきを完璧に推敲して、まともな作品に仕立ててしまうことすら考えられる。そうなれば、そもそもそれを駄作と感じる人の割合は極めて少なくなり、魔物の存在は雲散霧消してしまうかも……!


 流石はユカリさん、完璧な作戦だ――。と、僕は一人で納得して頷いていたが。

 ふと、得体の知れない不安が僕の背中を撫ぜる。

 

 戦わずして勝つにも等しい結末。ユカリさん自身があれほど大事おおごとだと言っていた今回の事件が、そんなに簡単に片付いてしまっていいものなのだろうか……?


「うーん……どうしようかなぁ」


 リリーのわざとらしく首を捻る表情が、僕の不安を裏付けていた。


「何か、問題でも……?」

「問題っていうか……。リリーね、今回コンテストに応募してみて、すっごく沢山のファンの方が自分のこと応援してくれるのに、すごーく、すごーく感動しちゃったんです。それに、この先、作品の更新を続けるたびに、もっともっと多くの方が新しく星を入れてくれるだろうなって。やっぱ、その思いを受け止めたい気持ちはあるんですよ」


 とろけるような自己陶酔の表情を見て、これはヤバい、と僕は思った。天使リリーは……自分のファンが小説サイトのアカウントを新規作成して続々と自分の応援に駆けつけるさまを、堂々と肯定している。きっと彼女にはわからないのだ。二位以下の作者が今、何を思っているのか。

 いや、わからないのではなく、わかった上で切って捨てているのかもしれない。何しろ、年に一度の総選挙という、アイドルグループの全メンバーにとっての晴れ舞台を、自分の結婚宣言のためにぶち壊しにした彼女である。この少女にとっては、きっと……何十人、何百人の他人を踏みつけることになっても、自分がチヤホヤされることの方が大事なのだ。


「天使さん。わたくしどもからの出版を決断して頂ければ、もうコンテストで星を稼ぐ必要なんてなくなるんですよ」


 雰囲気のヤバさを察したのか、ユカリさんはその殺し文句でリリーの説得にかかった。だが、時既に遅し――。日本を震撼させた炎上系アイドルは、「うぅん」と首をふるふる横に振ったのだ。


「やっぱり、コンテストの期間中は、このままサイトで更新を続けることにしますぅ。少しでも多くの人に、リリーの作品、見てもらいたいですし。出版はそれからでもいいじゃないですか? 雲隠出版さん、本気でこの作品を出したいって思ってくれてるんなら、コンテスト終わるまで待っててくださいっ」

「でも――」

「即日で東京からリリーに会いに来てくれるくらい熱意があるんですから、待っててもらえますよね?」


 リリーの上目遣いが、ユカリさんの反論を封じ込める。僕は目の前の光景が信じられなかった。あのユカリさんが――天下の駄作バスター式部ユカリが、こんなお花畑みたいな女の子に正論で負けるなんて……!?

 こうなっては、天使リリーに関する認識を改めなければならないかもしれない。彼女はただ危なっかしいだけのアイドルではなく、見た目以上に頭が回る人物なのだと。哲学者になるのが夢だとか何とか言っていたのも、あながち口から出まかせではないのかも……。


「……仕方がありませんわね」


 ユカリさんは静かに言った。その綺麗な横顔が、隠していた戦いの色に染まるのを、僕ははっきりと見た。

 彼女はリリーの後ろに控えるマネージャーをちらりと見てから、再びリリーに視線を戻した。マネージャーはこの期に至ってもまだ何も口を挟むことなく、二人の会話を黒子くろこになって聞いているだけだった。


「では、本当のことを申し上げますわ。天使リリーさん」

「……え?」


 リリーがきょとんと首を傾げる。大勢のファンと接する仕事だけあって、人の感情の動きには過敏なのだろう。ユカリさんの表情と声色に宿った戦意を、リリーは敏感に察したのに違いない。


「あなたの『初恋フィロソフィー』は、小説として世に出すにはお話になりませんわ。このままコンテストに参加し続けていても、あんな作品が受賞して出版されることは有り得ない――」

「……何ですか、それ?」


 リリーの顔色が見る見る変わっていくのにも臆せず、ユカリさんは続ける。


「だから、コンテストは諦めて、わたしにお委ねなさい。あの内容を換骨奪胎して、エッセイとして世に出すのよ。それならば、『小説』を名乗ることに伴う批判からは解放されますわ」


 ユカリさんの提案は、理に適っているように僕には思えたが――

 天使リリーは、それで納得するような子ではなかった。

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