4-5 出版打診

「突然の面談をお許し頂き、ありがとうございます。雲隠くもがくれ出版の式部しきぶ紫莉ユカリと申します」


 レディススーツ姿のユカリさんがぴしりとお辞儀をして名刺を切ると、壮年の男性マネージャーは「いえいえ」と愛想良く会釈しながら同じく名刺を出してきた。

 大阪の中心部にそびえる、大手お笑いプロダクション傘下の芸能事務所。天使あまつかリリーを含め、難波なんばエイトミリオンのメンバーは原則として全員ここの所属になっているらしい。


天使あまつかは控室にります。出版社さんからのアポイントうことで、本人もエライ楽しみにしとりますわ。早速ご案内しましょう」

「光栄ですわ。しかし、もし可能でしたら――」


 相手の名刺を丁寧に名刺入れに仕舞い込みながら、ユカリさんは間髪入れず要望を差し込んだ。


天使あまつかさんとは、レッスン場でお会いさせて頂けませんか」

「ほぉ? それは構いませんけど、写真でも撮らはるんですか」

「ええ。そんなところですわ」


 マネージャーの男性は特にいぶかしむ様子もなく、「ほな、空いてるスタジオにご案内しますわ」と言い、ユカリさんを丁寧に先導して歩き出した。芸能マネージャーという仕事は人当たりの良さが大事であるらしい。

 レッスンスタジオの中は、残暑の熱気が籠もって暑かった。


「すぐクーラー付けますさかい、ちょっとの間だけ堪忍したって下さい」

「どうぞお構いなく」

「いやいや。ほな、すぐ連れてきますんで」


 ユカリさんと僕を(もちろん、彼の視点ではユカリさん一人を)レッスンスタジオに残して、男性は天使あまつかリリーを呼びに出て行った。

 僕が緊張してどうなるものでもないが、それでも、もうすぐ現役アイドルが目の前に現れるのだと思うと緊張は抑えられない。


「ユカリさん。今回もすぐに戦いに入るんですか」

「どうかしらね。相手の出方次第ですわ」


 言いながら、ユカリさんは紫の扇子をぱたぱたとあおいでいた。その扇子、いわゆる変身アイテムの筈なのだけど、普通に暑いときにも使うのか……。

 僕の霊体からだといえば、暑さ寒さを感じることはあっても汗をかいたりはしないので、こういうときばかりは死にどくだなと感じる。


 ややあって、スタジオの扉をノックする音とともに、「お待たせしました」と先程のマネージャーの声が響いた。

 扉を開けて室内に入ってきたのは――マネージャーと、その後ろにちょこんと控える私服姿の天使あまつかリリー。「DAMN」と書かれたラフなTシャツにショートパンツ姿だが、流石に現役アイドルだけあって、顔の可愛さと愛想の良さは思わずドキリとするものがある。


「はじめまして、天使リリーですぅ。ヨロシクお願いします!」


 ショートヘアの黒髪をふわりと揺らし、天使リリーがユカリさんにお辞儀した。マネージャーと対照的に、彼女の言葉には関西のイントネーションは見られなかった。僕が新幹線の中で見てきたプロフィールによれば、彼女は東京の出身で、アイドルグループのドラフト会議を経て難波なんばエイトミリオンに入ったということだった。

 それにしても……本当に、間近に見ると、びっくりするほど可愛い。それと向かい合うユカリさんだって息を呑むほどの美人なのだけど、それとはまた違った魅力というか、問答無用で男心おとこごころを掴んでしまうオーラが彼女にはあるのだ。


「あのあの、ご用件はわたしの小説のことって聞いたんですけど、ひょっとして出版の話を持ってきてくれたとかですか!?」


 マネージャーが椅子を用意するのも待たずに、天使リリーはずいっとユカリさんとの距離を詰めて、飛び跳ねるようなテンションで問うた。これが彼女のなのか、それとも計算してキャラを作っているのかはわからないが、一周して図々しさを感じさせないこの切り込み方は天性のものだなと思う。


「ええ。わたくしども、雲隠くもがくれ出版から、ぜひ天使さんの著書を出させて頂けないかと思いまして」

「えっ!?」


 僕が驚いて発した声は、ユカリさん以外の誰にも聞かれることはない。


「えーっ、ホントにホントなんですか!? リリー、嬉しいです! いつ出ますか!? 何部出ますか!?」


 元からキラキラしていた目をさらに極限まで輝かせ、ユカリさんに掴みかからんばかりの勢いでぴょんぴょんと跳ねる天使リリー。そこへマネージャーがそっと二人分の椅子を持ってきたが、リリーはそれに目もくれず、立ったままハイテンションに喋り続ける。


「あの小説には、わたしの思いの全部ぜーんぶを込めてるんですっ。ファンの皆さんがもっとわたしのことを知って、好きになってくれたらいいなって。それでわたし、将来の夢は哲学者になることですから、わたしなりの哲学もあの作品には込めてて、だからタイトルも『初恋フィロソフィー』なんですけどっ」


 ああ、フィロソフィーって哲学って意味だっけ?

 それにしても、この天使リリー……。やっぱり僕が、というかネットで彼女を叩いている人達皆が思っている通り、突き抜けたサイコパスなのだろうか。仮にも恋愛禁止が原則のはずの現役アイドルが、自分の恋愛の話を「実話小説」として暴露して、それでファンが自分をもっと好きになってくれるだろうなんて……。正直、どういう生き方をしていたらそんな発想が出てくるのか、僕にはさっぱり見当もつかない。

 確かに見た目や振る舞いはとびきり可愛いのだけど、ファンの人達も、よくこれだけ堂々と裏切られながら未だに彼女を応援し続けられるものだ……。


「ええ。天使さんの溢れる思いは、よーく分かっていますわ。ですから、ぜひ、わたくしどもと一緒に、その思いを本として世に出しましょう」


 ユカリさんは僕の見たことのない営業スマイルを顔に浮かべた、リリーを喜ばせる言葉を連ねていた。

 我らが駄作バスターは一体、どんな作戦を頭に思い描いているのだろう。僕はユカリさんの真意がわからないまま、二人とマネージャーの様子を黙って見守るばかり――。

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