4-4 天使リリー

『リリーちゃん、東京の出版社の方が飛び入りでアポ取りたいって。リリーちゃんの書いてる小説のことで――』

『! 会います、すぐ会います! 今日の予定全部キャンセルしてそっちに時間あけてくださいっ』


 ……などというやり取りが天使あまつかリリーとマネージャーの間であったのかどうかは知らないが、ユカリさんは結局、その日の内に渦中の炎上系アイドルと会うアポイントを取り付けてしまった。フットワークが軽いのはいつものことだが、まさか本当に、大手事務所の芸能人に即日でアポを差し込んでしまうなんて。


「でも、ユカリさん。大阪なら少納言しょうなごんさんの縄張りじゃないんですか」

「……まあ、今回限りはあの子の流儀に任せた方がいい事例かもしれませんわね。だけど、リンゴちゃんはわたしを頼ってきてくれたのよ。それだけでも、わたしが戦う理由には十分ですわ」


 そんなこんなで、ユカリさんはすぐさま準備をして東京駅から新幹線に飛び乗り、一路、大阪へと向かっている。僕もグリーン車で隣の席に陣取って、前回のように、テーブルに立てかけたタブレットで情報収集に勤しんでいた。


『私、天使あまつかリリーは結婚します。ファンの皆さんには、いきなりでビックリさせちゃってごめんなさい。でも、ふざけてるわけじゃないんです。本気で好きになれる人に初めて出会えたんです――』


 YouTubeの画面の中で、黒髪ショートヘアの女の子がスタンドマイクに向かって真顔で喋っている。後ろに控える大勢のメンバー達の驚愕に満ちた顔が、状況の異常さを物語っていた。

 アイドルになんてほとんど興味がない僕でも、なんたらエイトミリオンを掲げる姉妹グループが国内各地にあって、年に一度の総選挙というイベントでメンバーが順位を競っていることくらいは知っている。

 この天使リリーという子は、大阪の姉妹グループの人気メンバーで、今年の総選挙でかなりの高順位にランクインしていながら、その結果発表の壇上でいきなり「結婚宣言」をぶちかまして世間を震撼させた……らしい。


『アイドルとして皆さんに笑顔を届けたい気持ちも本当で、愛する彼と結婚したい気持ちも本当です。どうか皆さん、私が私らしく生きることを認めてください。これからも変わらず応援してもらえたら嬉しいです』


「サイコパスか……?」


 僕は思わずそう呟いていた。ユカリさんが「笑えないわね」と横から小さな声で言ってくる。

 アイドルって確か、恋愛禁止ルールだか何だかがあって、彼氏は作らないのが鉄則なんじゃなかったか。百歩譲って交際や結婚をファンに告げる時があるとすれば、それ即ち、引退を宣言する時のはずだ。

 だけど、この子は……。言うに事欠いて、「これからも応援してほしい」だって……?

 世間が大きく騒いでいたという理由もなんとなくわかる。ここまでメチャクチャな態度を取っていたら、そりゃあ炎上を免れないのは当たり前だろう。


 僕は溜息をいてYouTubeの画面を閉じると、「天使リリー 結婚」などのフレーズでネットの情報をさらに検索してみた。

 すると、出てくるわ、出てくるわ……。巨大掲示板の書き込みをまとめたブログや、ニュースサイト、Twitter、ありとあらゆるネット上の媒体が、彼女の結婚宣言にまつわる阿鼻叫喚の賛否両論を取り上げている。アイドルグループのOGが「F●CK」と書いた帽子を見せつけたなんて話もあれば、バラエティ界隈の大物芸能人はこぞって天使リリーを擁護しているとか、彼女は業界の巨大な権力に守られているのだというような話もあった。


 何にせよ、天使リリーに関して言えるのは、今や彼女は誰もが知る有名人になってしまったということ。

 そして、これほどの騒動を起こしておきながら、未だに彼女を応援する信者ファンが大勢いるということだった。


「……げっ。もう900!?」


 再び僕が恋愛小説コンテストのページを開いた時には、天使リリーの『初恋フィロソフィー』の星は900以上にまで膨れ上がっていた。ユカリさんの屋敷で★800を目撃した時から、まだ二時間も経っていないというのに。

 詳しく調べるまでもなく、天使リリーの作品に星を入れているのは、昨日今日で新規登録したとみえるユーザーばかり。彼女のファンが大挙して押し寄せているのは誰の目にもわかる事実だった。


「その分では、今日中に1200は超えますわね」


 ちなみに、そのコンテストの週間ランキング二位の作品は★80くらい。三位は★60、四位は★50……と、ごく平均的で平和な争いをしている。こうなると、コンテストに参加している全ての作者の、そしてこのサイトを目にする一般読者の目に、突如現れた天使リリーがどのような存在として映っているかは明らかだった。

 まともに張り合うのが馬鹿馬鹿しくなるほどの戦力差。絶対的な数の暴力による容赦ない侵略……!


「ユカリさん……。こんなの、あんまりじゃないですか。真面目にコンテストに参加してる人達はどうなるんですか?」

「……きっと、皆があなたと同じことを感じていますわ。そうした負の感情が無数の読者の間に募れば募るほど、魔物もまた力を増す……。今回の戦いは一筋縄では行きませんわね」


 緊張に満ちたユカリさんの言葉に、僕はごくりと息を呑む。

 僕がこのコンテストの参加者だったら、どんな気持ちだろう。自分やライバルがコツコツと作品を書いて競っているところへ、外部から信者ファンを連れてきてランキング上位に君臨する芸能人が現れたら。

 ……せめて、その芸能人の作品が、ランキングトップに値するほど面白いものだったら、諦めも付くのかもしれない。しかし、今回の天使リリーの作品は、小説と呼べるかも怪しい変な恋愛ポエム。こんなのが一位に君臨していたら、他の作者は気が気でないはず……。


 ……そうだ、リンゴちゃんの作品は!?


 作者名に注意してランキング画面を見直すと、「あっぷる♪」というペンネームの作品があった。三位という高順位に付けている。作者のプロフィールページに飛ぶと、「高校生です。身内に作家がいるので、その影響で小説を書き始めました」などと書かれていた。登録日も新しいし、これがリンゴちゃんのアカウントと見て間違いなさそうだ。


「せっかく三位まで食い込んだのに……」


 つまり、天使リリーの存在がなければ二位ということだ。僕がこの立場だったら、きっと相当悔しいに決まっている。


「似たような事例が数年前にもありましたわ。あなたも知っているかしら。『AGEHACHOUアゲハチョウ』という小説のこと」

「……ありましたね、そんなの」


 ユカリさんが述べた本のことは、僕もうっすらと覚えている。確か、まだ僕が生きていた頃の話だ。歌手と結婚したイケメン俳優が、コンテスト受賞という名目で出版した、噴飯ものの小説……。


「あの時は全国各地で魔物が暴走して、死者まで出ましたわ。当時、わたしはまだ見習いの身だったけれど、叔父おじに付いて戦場に出た……。今回の件は、ひょっとしたら、あの時以上の脅威かもしれない」


 美女の横顔はいつになく深刻な雰囲気を纏っていた。彼女の言葉のあまりの重さに、僕は何も言葉を返せなかった。

 魔物がもたらす被害の大きさは、その駄作が世の中に巻き起こす負の感情の大きさによって決まる……。

 イケメン俳優の『AGEHACHOU』も相当な叩かれぶりだったが、確かに天使リリーの作品はそれ以上かもしれない。何しろ、実話を標榜するあの作品の内容は、現在進行系で世間の嫌悪ヘイトを集め続ける「結婚宣言」とリンクしているようなのだから。

 そんな巨大な闇を、ユカリさんははらうことができるのだろうか。僕は身体の底から湧き上がる恐れに身を震わせて、タブレットに映るランキング画面を見つめていることしかできなかった――。

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