4-3 初恋フィロソフィー


 アイドルは、


 皆に夢を魅せるのが、仕事なの。


 だから私は、演じてきたんだ。


 何も経験したことのない、無垢な私。


 ううん、本当に、何も知らなかったの。


 『彼』に・・・


 出会うまでは、本当に。


 人を好きになるってことも、


 人に愛されるってことも、


 毎日のように恋の歌を歌って、


 毎週のようにファンの人達の手を握りながらも、


 わたしは、なんにも、知らなかったんだ。




 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「……ユカリさん。僕、一ページ目から既に吐き気が……」

「せめて鳥肌くらいにしておきなさい」


 僕の顔がよほど死にそうに見えたのか、すっ、とユカリさんはタブレットを僕の手から取り上げた。幽霊って、二度死ぬことはできるんだろうか。


「わたしが小学生くらいの頃かしらね……。ケータイ小説といって、こういう文体の恋愛小説が一世を風靡ふうびした時代がありましたわ。まあ、この作者は多分、それを意識しているわけではないでしょうけど……」


 これほどの劇薬を脳に流し込まれながら、ユカリさんの表情や声はいつもと変わらない冷静さを保っていた。プロフェッショナルって凄い、と僕は変なところで感心してしまう。

 しかし……。恐るべし『初恋フィロソフィー』。たぶん二ページ目以降もあのノリが延々続いているのだろうけど、はっきり言って、あれが「小説」だと言われるとゴミ作者の僕でさえ首を傾げざるを得ない。何なんだろう、あのスカスカなポエムは。

 まあ、そういうものを書く人がいること自体はいいけど、なぜ、よりによって、こんなものがコンテストのランキングで一位……?


「ユカリさん。どうなってるんですか。なんでこんなのが一位……」

「先日のお仕事小説コンテストの例を思い出してごらんなさい」


 ユカリさんは再び僕の向かいのソファに身を沈めると、細い腕を組み、目を鋭くして言った。


「小説サイトの週間ランキングなんて、所詮、読者獲得の営業を頑張った者が上に行く仕組みになっているのよ。全てが全てそうではないけれど、ファンを多く抱えている者が有利であることに揺るぎはない……」

「そ、それにしたって、桁外れじゃないですか、これ。ロクに中身も無さそうな作品なのに、星800って」


 先日の片湯手かたゆで氏とりつ氏の作品も、いわゆるお友達票でランキング一位と二位を連日独占していたが、それでも星の数は200ちょいが限度だったはずだ。あのサイトで星800なんて、いくらなんでも馬鹿げている。


「そう、桁外れなのですわ。ファンの数がね……」

「えっ?」


 ユカリさんの勿体ぶった言葉を受け、僕は必死に自分の記憶を漁る。天使あまつかリリー……その特徴的な名前を、一体僕はどこで聞いたのだったか。生きていた頃か、それともこの霊体からだになってからか……。


「なんだっけ……なんか、わりと最近その名前を聞いたような気がするんですけど……」


 僕がギブアップしてユカリさんに助けを求めると、彼女はタブレットの上で指をすいすいと走らせ、僕の求める答えをそこに表示してくれた。

 ユカリさんが向けてくるタブレットに映るのは、どこかの壇上で、スタンドマイクを前に喋る、黒髪ショートヘアの一人の少女。そして、その背後で驚愕の色を顔面に貼り付けている何十人もの少女達。

 そうだ、この光景は、僕がまだ浮遊霊として母校にたむろしていた数ヶ月前……。クラスの男子達がスマホの画面に映して話の種にしていた、芸能界を大きく揺るがしたというあの大事件だ。


天使あまつかリリーって、そうだ、あのの!」


 小説サイト用のペンネームなんかじゃない。これはの……本名なのか芸名なのか知らないが、とにかく、巨大アイドルグループの一員として世間に露出していた名前そのものだ。


「本人……?」


 僕の疑問に先回りして答えるように、ユカリさんはタブレットにTwitterの画面を出していた。衝撃の「結婚宣言」の場面をアイコンにした天使リリーの公式アカウントには、「今日から小説を書き始めました! 応援よろしくお願いします★」という旨のツイートが、トップの固定ツイートとして堂々と表示されていた。


「何考えてるんだ、この子……」


 ツイートの日付は僅か二日前。そこには更に、これが自分自身の恋愛経験を赤裸々に綴った「実話」であることや、恋愛小説コンテストの受賞を目指していることなどが、百四十字のボリュームにギリギリ詰め込むようにして書かれている。


「ユカリさん……これって」

「リンゴちゃんが早くに知らせてくれて良かったですわ。あと一日でも遅れていたら、膨大な犠牲者が出ていたかもしれない……」


 ユカリさんはタブレットのカバーを畳むと、「行きますわよ」と僕に言いながら立ち上がっていた。


「で、でも、どうやってこの子に接触するんですか。いくらなんでも芸能人なんて――」

「心配は無用ですわ。出版社の肩書は無敵なのよ」


 何食わぬ顔で言い放つ彼女の目が、窓からの日差しを受けてきらりと紫に輝いたように見えた。

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