4-2 蛇の悪夢

「あたしの夢の中に、毎晩出てくるんです……女の顔をした蛇のバケモノが……!」


 スマホのスピーカーから溢れるリンゴちゃんの声は、ラ・フランス先生の魔物を目の前にしたとき以上の恐怖に震えているように聴こえた。ユカリさんと電話が繋がったことに安堵したのか、それとも悪夢を思い出して恐れているのか、その声には次第に涙も交じり始める。


「ネットで見たら、他にも沢山、同じ夢を見た人がいるって……! 夢から目を覚まさなくなった人もいるとかって……!」

「リンゴちゃん、落ち着いて話すのですわ。そんな魔物を生み出す作品に心当たりがあって?」


 ユカリさんは出来る限り落ち着いた声を作って彼女に応えていた。そうだ、と僕は思い返す。リンゴちゃんは、幽霊ぼくを見ることができるだけではなく、本人曰く「良くないもの」……人に害を及ぼす妖気の流れのようなものを、本能で感じ取ることができると言っていたのだ。


「絶対、アレです。間違いないです。恋愛小説コンテストの一位の作品……あたしにはわかるんです! あの作品は……天使あまつかリリーの作品は、絶対、危険なんです!」


 天使あまつか……リリー?


「わかりましたわ、リンゴちゃん。安心なさい。その作品が本当に魔物を生み出しているのなら、わたしが必ず解決しますわ」


 天使あまつかリリー。聞き覚えがあるような名前だが何だったっけ、と僕が頭を捻っている横で、ユカリさんはスマホを握って言葉を続けていた。


「さしあたり、悪夢から身を守るために、文殊もんじゅ菩薩ぼさつ真言しんごんを授けますわ。『オン・ドギャ・シナ・ダン・ソワカ』――と、眠りに就く前に唱えなさい。『苦難を断ち切りたまえ』という意味ですわ。あとでラインでも送ってあげるから」


 ユカリさんの真剣な指示に、リンゴちゃんはいたく必死な声で「ハイ、ハイ」と繰り返していた。

 しかし、と僕は思う。リンゴちゃんは幸運にもユカリさんと知り合いになっていたことで身を守るすべを得たかもしれないが、その他大勢の「悪夢」を見る人達はどうなるのだろう?


「他の犠牲者はどうするのか、と訊きたそうね」


 リンゴちゃんとの通話を終えたあと、ユカリさんは僕の目を見て言ってきた。彼女の綺麗な両眼には、既に戦意の光が灯っていた。

 その瞳を見て、僕にもすぐに分かった。どうするかなんて、決まっているじゃないか。


「……わかりますよ。『兵は拙速をたっとぶ』、ですよね」

「ええ。一刻も早くそのバケモノを倒し、悪夢に苦しめられる人々を解放するのですわ」


 そして、ユカリさんは僕にタブレットを手渡し、「調べていなさい」と告げた。僕がタブレットを起動した時には、ユカリさんはもうスマホでどこかに電話をかけ始めていた。


「ええ。調べて欲しいことがあるの。緊急ですわ」


 ユカリさんの声を意識の傍らに聴きながら、僕はタブレットの画面に集中する。

 恋愛小説コンテスト。いつもの小説サイトで、先月までのお仕事小説コンテストに続いて開催されている企画だ。大賞受賞者には賞金と商業出版が確約される。……そういえば、リンゴちゃんもこのコンテストに作品を出そうかと言っていたはず。


「ランキング一位……『初恋フィロソフィー』。作者、天使あまつかリリー……」


 なんというか、普段の僕だったら見向きもしなさそうな作品だった。タイトルも作者のペンネームも、いかにも女子じょし女子じょししていて……ページを開く前からコテコテの恋愛モノだとわかる。

 ……いやいや、と僕は首を振った。恋愛モノだから読まないとか、女子っぽいものは読まないとか、そういう好き嫌いをやめて何でも勉強するようにと、つい先程ユカリさんに言われたばかりじゃないか。

 僕はタブレットの画面をタップして、作品ページを表示させた。★800という凄まじい高評価とともに、僕の目にその作品のあらすじが映る。


「……」



   皆が私に恋をしていた。


   私は彼に恋をした。


   自分に正直に生きたらいけないのかな?


   これは、


   私の、


   真実の恋のフィロソフィー。



「……勘弁してよ……」


 胸の内だけで呟くつもりの言葉が、ついつい口をついて出てしまった。

 あらすじからして、この調子である。なんだかもう、本文に入る前から魔物を生み出してしまいそうな……。


「何をブツブツ言ってるのかしら?」


 勇気を出して本文のページを開こうとしたとき、通話を終えたらしいユカリさんが、僕のソファの側に回ってタブレットを覗き込んできた。


「……成程。これは……難敵の予感がしますわね」


 ユカリさんの手がそっと僕の背中越しに伸ばされ、タブレットの画面をタップする――。

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