3-13 談笑

「――古来、人と魔法生物の世界が交わるところには、裁判権の問題が常に付いて回っていた。人がエルフを殺したら、どちらの法で裁かれるのか。この問題が初めて両者の納得のいく解決を見たのは、第五次魔法大戦のあとに締結された、シェリルスタ帝国憲法の制定によってである――」


 少女のころころと可愛らしい声が、僕の目の前でその重厚な本文を読み上げている。自分の書いた文を、誰かが――それも同年代の女の子が音読しているというシチュエーションだけで、僕は無人の椅子に押しこめた霊体からだじゅうから汗が噴き出るほどの緊張を味わっていた。

 だが、天にも昇るようなその時間は、ぱんっと原稿用紙をカフェのテーブルに叩きつける女の子のアクションで、いとも容易く打ち切られることになる。


「なにこれ? 全然面白くない」


 率直すぎる言葉の矢で僕の旨をぐさりと居抜き、アイスティーのグラスに手を伸ばしたのは、一昨日とは違うワンピース姿のアップルちゃん……もとい、リンゴちゃん。ラ・フランス先生の娘さんだ。


「あなたもそう思うでしょう?」


 夏の日差しが差し込むカフェで、そのリンゴちゃんとテーブルを囲んでいるのは……勿論、われらが駄作バスター、ユカリさんである。


「設定にリアリティを持たせるために色々と考えたのは褒めてあげますわ。実際、一晩でここまで書いたなら上出来よ。……ただし、それは、設定資料集としての評価ですわ」


 彼女は僕の原稿用紙をリンゴちゃんの前から取り上げて、ぱらぱらとめくっている。

 それは昨夜、ユカリさんと連泊することになった高級ホテルでビシビシと指導を受け、彼女の就寝後も夜を徹して書き上げた僕の新作の第一章だった。

 ラ・フランス先生の『国民総韓流時代』や、片湯手かたゆで氏とりつ氏の弁護士モノに関して、ユカリさん達が指摘していたダメな点を思い返し……僕なりにファンタジー世界のリアリティを追求してみた自信作である。

 が、しかし――。


「小説の出だしとしては最悪の部類ですわね。まあ、これは、設定の作り込み方を教えるばかりで、肝心の『物語としての魅せ方』に触れなかった、わたしの責任かもしれないけれど……」

「違うと思いますよ、式部しきぶさん。この子のセンスの問題だと思います」


 ユカリさんの言葉に乗っかって僕の小説を酷評するリンゴちゃんの姿に、僕は肩を落として無為にテーブルの上を見つめるしかなかった。

 この子が活き活きと元気にしている様子が見られたのは嬉しいことなのだけど、まさかこんなナチュラル毒舌女子だったとは……。いや、よく考えてみれば、実の母親でありプロ作家であるラ・フランス先生の作品だって堂々と酷評していた彼女のことだから、僕如きの小説が切って捨てられるのは当たり前なのか。


「あのねー、おばけ君」


 周りのお客さんに見えない程度に小さく僕を指差して、リンゴちゃんは言った。


「序盤から設定をずらずら並べていくだけで、ちっともお話が始まらないハイファンタジーって、厨二病患者が真っ先に書くやつなんだよ。あたしはそういうの、小学生で卒業したよー」

「ぐ……」


 ユカリさんの「推敲の時間」も恐ろしいが、この子もこの子で、作者が言い返せない雰囲気を自然に作ってズカズカと作品の中核に踏み込んでくる。さすが作家の娘、ということなのだろうか……。


「厨二病かぁ……」

「うん、厨二病。まあ、ホントに中学生で死んじゃったなら、何もおかしくないのかもしれないけどね」


 そういえば、東京のお屋敷を出る前に、ユカリさんが僕にこう言っていた。ハイファンタジーを名乗るゴミ小説は、「だらだらと設定文ばかりを書きなぐった厨二病ノート」か、「何も設定を考えずに勢いだけで書き始めた小学生の自由帳」のどちらかであると。

 そのときは僕の小説は後者であるという話だったが、後者を脱却するために頑張った結果、今度は前者になってしまったということらしい。


 はぁ……と、僕が一人で溜息をいていると、そんな僕の様子など意にも介さない様子で、ユカリさんはリンゴちゃんにふわりと問いかけていた。


「やっぱりあなたも書いているのかしら?」

「うぅん、昔だけです。今はホラ、高校入ったばかりで、部活も忙しいし……」


 彼女が高校一年生だというのは何気に初めて明らかになった事実だった。リンゴちゃんは、やや気恥ずかしそうにユカリさんの口元あたりを見ながら、言葉を続ける。


「……でも、今回の、お母さんのこととかがあって……ちょっと、あたしもまた書いてみようかなって思ってるんです。ちょうど、来月には、恋愛小説コンテストがあるみたいだから」

「良い心意気ですわ。魔物を生まないように気をつけることね」

「そうなったら、式部さん、助けに来てくださいよぉ」


 互いに穏やかな笑みを向け合っている美女と少女。リンゴちゃんの目はきらきらと輝いて見えた。

 恋愛小説コンテストか……。僕とは競合しない、というか、そもそもこの世に実体を持たない僕がコンテストになんて応募できるはずがないのだけど、何にしても、彼女も頑張るのなら、素直に応援したいと僕は思った。知り合いが受賞なんてことになったら、きっと嬉しいに決まっている。


「あなたも負けずに頑張ることですわ、Killerキラー-Kケイ先生」


 僕の思っていることを見透かしたように、ユカリさんが言う。


「そうだよ。早く厨二病卒業しようね、おばけ君」


 リンゴちゃんに笑顔でそう呼ばれ、眩しい微笑みに照れる反面、僕は思った。「おばけ君」って……。

 一度目はネタでそう言っているのかと思ったが、どうも彼女は本気で僕の呼称をそれで固定しようとしているらしい。そりゃあまあ、お化けで間違ってはいないのだけど、なんというか。


「……その、流石に『おばけ君』っていうのは……」


 僕がリンゴちゃんに向かって口を尖らせると、ユカリさんが横からすかさず「生前の名で呼ばれ続けると成仏できなくなりますわよ」と釘を差してきた。

 えっ、と僕は思わず目を見張ってしまう。そんなの初耳だった。ひょっとして、ユカリさんが僕を痛いペンネームで呼び続けるのも、それが理由だったのだろうか……。


「んー。じゃあ、キラーKだからキラ君とか?」

「えぇぇ……そんな、ノートで人を殺しそうな名前……」

「呆れますわね。自分がそんな上等なものだと思っているのかしら?」


 ユカリさんの毒舌に笑うリンゴちゃん。

 なんだか上手く言えないけれど……こんな普通の談笑の輪のなかに自分が入れるのが、僕にはとても嬉しかった。


 夏はまだ長い。たっぷりある時間を使って、少しでも良いものを書こうと、僕はそう思った。


(第3話 完)

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