3-11 二人の駄作バスター

 結界内を闇の瘴気しょうきが覆い尽くし、醜悪な魔物が唸りを上げる。片湯手かたゆで氏の駄作から生まれた一反木綿と、りつ氏の駄作から生まれた姑獲鳥ウブメ――。天を舞う二つの魔物は今、一つに混ざり合い、どちらがしゅでどちらがじゅうともつかない不気味な姿を晒していた。


「くっ……!」


 少納言サヤコが両手の大筆を同時に振るい、無数の墨文字を虚空に浮かべる。それは瞬く間に文字の矢の形をなし、四方八方から魔物へと襲いかかったが――


「ギャアァァァオ!」


 魔物が甲高い声をひとつ上げ、ばさりと巨大な翼をはためかせただけで、文字の矢衾やぶすまはたちまち空に散って解けてしまった。

 少納言がざっと後ずさり、両腕を上段に振り仰いだ、その時。


「そこを退きなさい、少納言!」


 ユカリさんが僕の傍から駆け出したかと思うと、ばさりと扇を広げ、少納言と魔物の間に割って入っていた。


「オン・アラハシャノウ・ソワカ!」


 そして、紫の閃光が彼女の身体を包み込み――ユカリさんの姿が、。少納言サヤコのうぐいす色の着物に勝るとも劣らない美しさ、紫色の着物を優雅にひるがえした戦いの姿へ。


「ユカリちゃん――」


 少納言が何かを言うより早く、ユカリさんは身の丈ほどもある大筆を魔物に向かって振るっていた。刹那、流麗な文字の並びが渦を巻いて天空に舞い上がり、魔物の巨体を幾重いくえにも縛り付ける。

 だが、そこまでだった。続いてユカリさんが振り出した新たな墨文字の奔流は、魔物に届く前に闇の壁に阻まれ、力なく解けて消えてしまう。


「手出し無用やってうとるやろ!」


 どん、とユカリさんを押しのけ、少納言サヤコが左手の筆を振るった。だが、先程までのように瘴気しょうきの渦を絡め取ろうとしたのであろうその一振りは、魔物の纏う闇を掴むことは全くできず、虚しくくうを切るばかりだった。


「お、おい、あれって……」


 決して存在を忘れていたわけではない。この事態を招いた作者二人は、もはやののしり合いどころではなくなって、天を覆う魔物を指差して震えることしかできなくなっていた。


「俺達のバケモノが、あんなことに……!?」

「こんな馬鹿な……一体どうなっているんだ……!」


 ばちりと巨大な火花が炸裂し、魔物はユカリさんの文字のいましめを振り切って翼を空に広げた。

 耳をつんざくような咆哮を発し、ごうと鳴る風を起こして、結界内の空を飛翔する魔物の巨体。屋上に向かって魔物が撃ち出してくる突風の攻撃を、ユカリさんと少納言は各々別の方向に飛び出して寸前でかわし、御札おふだを同時に投げて作者二人の周りを二重の結界で覆った。


「信じられない、私の作品がコイツ如きと同レベルだなんて!」

「こっちの台詞だ! なんで俺がお前なんかと一緒にされなきゃいけねえんだ!」


 懲りもせず言い合いを再開する作者達を各々ちらりと見やってから、ユカリさんと少納言は互いに視線を交わす。

 そこへ魔物が再び翼から突風を撃ち込んできた。二人はそれぞれの筆を振って自らの前に防壁を展開し、瘴気しょうきの風を弾き返す。


「少納言――」

「ユカリちゃん――」


 二人が同時に互いの名を呼んだ。

 僕にはわかっている。この二人はその信念において相容れない者同士。決して馴れ合いはできない関係だと。

 だけど――それでも。

 魔物を見上げて未だに下らない罵倒を飛ばし合っている作者二人とは、明らかに異なるが二人の間にはある。

 それは、プロフェッショナルという名の誇り。互いに信じる道は違えど、目の前の仕事に己の全てを懸ける、素人アマチュアとは異なる専門家の矜持――!


「わたし達、一人一人の力では倒せませんわ。だけど――」

「――二人同時なられる、ってか?」


 天を覆う魔物の姿を流し目で捉え、少納言は言う。


「ええわ、ユカリちゃん。今だけ特別やで」


 そして。

 ぞわっ、と、背筋を凍りつかせるほどの迫力オーラを放って――

 二人の纏う空気が、変わる。

 天地に偏在する妖力の波が、うぐいすと紫、各々の色に染まる波動と化して、二人の全身を包み込み――


「ハッ!」


 気勢も高らかに、二人は跳んだ。渦巻く文字の奔流を纏って左右に飛び出す二人の残影が、二色の軌跡となって僕の網膜に焼き付く。

 竜巻をなして吹き上がる墨文字の波に身体を押され、二人の身体は翼を得たかのように宙を舞う。


「ええな。一撃で決めるで!」

「上等ですわ」


 魔物の撃ち出す瘴気しょうきの風を右に左にかわしながら、二人は空中にすらすらと墨文字を描いてゆく。それは稲光の矢と化して魔物に殺到し、その醜悪な巨躯を宙空にはりつけにした。


あまね諸仏しょぶつに――」

「――帰命きみょうたてまつる」


 着物の袖と裾をばたばたとはためかせ、魔物を挟むように滞空する二人は、互いの呼吸のタイミングを知っているかのように同時にその言葉を唱えていた。

 そして、唸りを上げて身体をよじらせる魔物に向かって、二人が揃って大筆を振り出す。ユカリさんの長大な一刀と、少納言の二刀――二つの筆が宙に描くのは、世にも美しい達筆の並び。


さやけき筆の運びよ、普賢ふげん菩薩ぼさつ御名みなのもとけがれをめっせよ! ノウマク・サマンダ・ボダナン・アン・アク・ソワカ!」

むらさき所縁ゆかりの大筆よ、文殊もんじゅ菩薩ぼさつ加護かごりて無知の闇をはらたまえ! ノウマク・サマンダ・ボダナン・ア・ベイダビデイ・ソワカ!」


 煌めきを放つ二人の瞳が、同時に同じ敵を見据える――。


悪文あくぶん退散たいさん!」


 二人の声が一つに重なったとき、果てなく溢れる文字の波濤はとうが巨大な魔物を包み込み、その闇を洗い流した。

 最後に大きな断末魔の叫びを上げ、魔物の身体が爆音とともに砕け散って果てる。ざっ、と同時に着地したユカリさんと少納言の背後から爆風が押し寄せ、二人の髪と着物をばさばさと煽った。


「……すごい」


 その言葉が思わず口をついて出た。それが耳に入ったのかどうかは知らないが、ユカリさんは乱れた髪をふわりと片手でかき上げながら、僕の顔を見て、少しだけ誇らしげな笑みを口元に含ませてみせた。


「はぁい、終了、終了ー」


 少納言がわざとらしく脳天気な声を上げ、ぱちんと指を鳴らして周囲の結界を解く。途端に、ビルの屋上には夏の暑い日差しと、眼下に広がる車社会の喧騒が戻ってきた。


「……いいえ。ここからが本当の推敲の時間ですわ」


 いつのまにか着物姿から私服に戻っていたユカリさんは、繊細な動きで扇をたたむと、共に目を丸くしている作者二人にすっと身体を向けた。

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