3-9 断筆の時間

 大学前の長い坂道を下った先のドトールコーヒー。ファーストフード以上スタバ未満の時間を買いたい学生やビジネスマンが席を埋めるその店こそが、茶髪ギャル――少納言サヤコの目的地らしかった。

 店の前に立つのは、彼女とユカリさん、『やみ弁護士ブラックレオン』の作者の片湯手かたゆで氏、そして僕。僕の姿は普通の人には見えていないとはいえ、三人だけでも十分な大所帯である。


「ユカリちゃん、指くわえて見学やで。幽霊君は来たかったら付いてき」


 少納言サヤコは僕に視線を流してそう言った。えっ、と僕が目を見張ったところで、ユカリさんが「いいですわ」と片手で僕の肩を叩く。彼女の手は僕の身体をすり抜けることなく肩の上で止まった。

 ユカリさんと出会ってから初めて知ったことだが、僕の存在を視覚や聴覚で認識できる人は、触覚でもこの霊体からだを認識できるらしい。


「彼女の強引なやり方も、反面教師くらいにはなりますわ」

「口が減らへんな、ユカリちゃんは。ウチはバケモンを取り逃がしたりせーへんから、よう見とったらええわ」

「おい、なんだか知らんが、俺はどうするんだ」


 片湯手かたゆで氏が食って掛かるように言った。


「アンタは店の外にってもらうことが仕事。まあ、焦らんと待っといてや」


 まだ何か言いたそうな片湯手氏をさらりとあしらい、少納言は透明な自動ドアをくぐって店内へ入っていく。ユカリさんが「行きなさい」と僕に言うので、僕はやむなく少納言の後に従った。

 金髪ギャルの小柄な背中がすたすたと目指したのは、店の一番奥のシートで、リンゴのマークのノートパソコンを一心不乱に叩いている一人の男性のところだった。

 躊躇ためらう素振りの一つも見せず、彼女は男性のテーブルの前に立って声をかける。


「アンタ、『りつ』先生やんな?」

「……え?」


 マッシュルーム・カット、と言えば聞こえはいいのだろうが、キノコを思わせるもっさりした髪型の男性だった。体型は小太りで、店外で待つ片湯手かたゆで氏の細身な外見とは対照的だ。

 その男性が今、ノートパソコンの画面から顔を上げ、目を丸くして茶髪ギャルを見上げている。それはそうだろう、さぞ驚いているに違いない。リアルの世界で、見ず知らずの他人からいきなりWEB上のペンネームを呼ばれたのだから。


「知っとるで、アンタが面白おもろい小説書いとるの。ちょっと話があるんやけど」

「え……ど、どちら様……?」

何者なにもんやと思う?」


 なぜか自慢げに腰に手を当て、少納言はふふんと笑った。男性は「いや……」と警戒心に満ちた目で彼女を見上げている。

 こんな接触コンタクトってアリなのか、と、僕は半ば呆れてしまっていた。教育実習生や出版社の社員など、行く先々に応じて仮の身分を用意していたユカリさんとは全く違う。肩書も名乗らずいきなり声をかけるだけなんて、ただの不審者じゃないか。


「何者って……。ファンの方ですか……?」


 男性が怪訝そうな表情で言うと、少納言は片手で自分の口元を覆って、「あははっ」とあからさまな笑い声を上げた。周囲の客達が何事かとばかりに視線を向けてくる。


「アンタ、あんなクソみたいな小説にファンが付くとか思うてんの? おめでたいわぁ」

「……な、なに……?」


 男性の顔がたちまち怒りの色に染まった。

 あぁ、こういうことか……と、僕は先程のサークルとうの前での光景を思い返す。初めて見かけた時、彼女は片湯手氏と後輩達に囲まれて何やら言い合っていたが、あの時も恐らく、今そうしているのと同じように、挨拶も早々にいきなり作品をディスり始めたのだろう。

 確かに、同業者がこんなやり方をしていては、ユカリさんが良い顔をしないのもわかる。ユカリさんだって、初対面のその日に僕やラ・フランス先生の作品をディスってくる人だが、少なくとも、仮の身分を使って警戒を解く工夫はしているのだし……。


「まぁまぁ、そう怒らんと。見たとこ、コーヒーももうカラやし、出てお話せぇへん? あのヒトらと一緒に」


 あのヒトら、と言いながら、少納言は店の入口のほうを親指でクイクイと示した。男性はそちらに視線を向け、瞬間、ぎょっと目を見張った。


「……何ですか、アナタ、あいつの知り合いなんですか」

「別にぃ?」


 少納言はそれ以上何も言わなかったが、店の外で待つ片湯手氏の存在は、男性に腰を上げさせるのに十分だったらしい。彼はすぐにノートパソコンをたたみ、ショルダーバッグに仕舞い込むと、大きな尻をシートから持ち上げた。




 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「……何なんですか、こんなところまで連れてきて」


 ドトールコーヒーの入っているビルの向かいに、スーパーマーケットの上にボウリング場が乗っかった大きな建物がある。

 少納言サヤコとユカリさんと片湯手氏と、そしてりつ氏と呼ばれる小太りの男性。ついでに僕。とうとう五人に増えてしまった一行は今、どういうわけか、夏の日差しが照りつけるその屋上に立っていた。少納言が皆をいざなったからだが、すぐ近くに交番もあるというのに白昼堂々の不法侵入をやってのける彼女の神経にはほとほと呆れ返るばかりだ。

 だけど、少納言があのままドトールの店内や店の前で話し込まず、わざわざこんな広い場所に僕達を連れてきた理由はもうわかっている。ユカリさんと同じく、彼女も戦いに際して勿体ぶるということを知らない人間なのだろう。


「なぁに。アンタの小説にちょっとばかりダメ出ししてあげようと思うてな」

「何ですって……? どこのどなたか知りませんが、そんなの余計なお世話ですよ」


 小太りのりつ氏は鼻息を荒くした。片湯手氏と彼は知り合い同士の筈だったが、互いに目を合わせようともせず、存在を無視するように距離を取って立っている。真反対の小説を書いて張り合っているだけあって、この二人の仲の悪さは尋常ではないようだ。

 僕がユカリさんの傍に立って様子を見守っていると、少納言は片湯手氏を軽く指差し、「そこのお兄さんが」と口火を切った。


「アンタの小説のこと、随分とバカにしとったで。クソ小説やとか、職業チュートリアルやとか」

「なに……?」


 律氏は細い目でぎろりと片湯手氏を睨むと、「お前の作品こそ」と、初めて宿敵に向かって言葉を発した。


「弁護士モノとは名ばかりの、支離滅裂の駄作じゃないか! 私はお前なんかとは違うんだ。このコンテストで求められている『お仕事小説』とは、現実感を突き詰めた私の作品のような――」

「ちょ、待った待った、待った」


 自ら対立をけしかけておきながら、少納言が両手を振って律氏の言葉を遮った。


「残念やけど、アンタのも同じくらいクソやから。わかる? あっちのクソ小説の作者からもクソと思われるくらいのクソやから」

「な、な……?」

「『現実感を突き詰めた』とか寝言うけどな、物語になってないモンは小説って呼ばんのやで。アンタの文章なんか、せいぜい弁護士会が高校生向けに出すパンフレットやん。『弁護士のお仕事とはどういうものでしょうか? 弁護士の一日を覗いてみましょう』――」

「ば、バカにするな! 私の小説は、ちゃんと、依頼者それぞれの背景にある事情を克明に描き出した、人間ドラマになっていて――」


 律氏の言葉をかき消すように、そこで一陣の突風が屋上に吹き付けた。


「ッ!?」


 二人の作者と僕が驚いて空を見上げた、その瞬間。

 ユカリさんは僕を守るようにして紫の扇子を構え。

 少納言はどこからともなく御札を取り出し。

 それぞれ、天空から迫る「何か」の気配に備えていた。


「な、何が……!?」

「自分の目で見てもらおか! アンタのクソ小説がどんなバケモンを生み出してしもーたかをな!」


 少納言がかざした両腕から、無数の御札おふだが天に向かって乱れ飛び――

 ビルの上空全域を囲むように展開された妖力の結界の中、闇の渦を纏って姿を現すのは、からすを思わせる巨大な鳥の魔物。人の背丈以上に大きなその影が、黒い翼をはためかせ、女の泣く声のようなおどろおどろしい鳴き声を上げた。


「あれは、姑獲鳥ウブメ……!」


 ユカリさんが鋭い目で僕にそう告げた。同時に少納言が高笑いを上げる。


「あははっ。このウチの前で鳥のバケモンやて? ええ度胸しとるやん」


 その流し目が律氏を、片湯手氏を、ユカリさんを、そして僕をくるりと睥睨へいげいする。意味がわからず僕が眉をひそめたのを、鋭く見て取ったのか、彼女は二つの扇を両手にばさりと広げながら続けた。


をこめて鳥の空音そらねはかるとも――うてな。あとは自分で勉強しい」


 空から襲い来るのは不気味な妖鳥。律氏と片湯手氏はあまりのことに二人揃って尻餅を付いていたが、少納言はそれを気にかける様子もなく、扇子を手にした両腕を胸の前で交差させて叫んだ。


「オン・サンマヤ・サトバン・ソワカ!」


 空に刹那の電光が走り、闇を纏って迫りくる巨鳥の体躯を光の壁が弾き返し――

 そして、僕達の眼前で、少納言しょうなごんサヤコは、

 うぐいす色の着物に、両手に携えた二振りの大筆。さながら二刀流の剣豪が構えを取るかのように、彼女は筆と筆をかちりと十字に重ね、敵を見据えて告げる。


断筆だんぴつの時間や。覚悟しぃや」

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