3-8 少納言サヤコ

 魔物の飛び去った空を見上げたまま、僕が呆然としていると、ばちりと火花が散って空の色が変わった。ユカリさんが張っていた妖力の結界が解き放たれ、空が再び普通の空に戻ったのだ。


「あーあ。ユカリちゃんが横取りしようとするから逃げてもうたやん」


 茶髪ギャルの煽るような声が僕を振り向かせる。ユカリさんはいつの間にか紫の着物姿から爽やかなパンツルックに戻り、閉じた扇を右手に握り締めて、鋭い目で天を仰いでいた。

 きゅっと閉じられたその唇には、傍目はためにもわかる悔しさが滲んでいる。

 だが、短い間だがユカリさんの近くで過ごしてきた僕にはわかる。あれは諦めた目ではない。まだ戦おうとしている目だ。


ウチがきっちり倒すつもりやったのに。どうしてくれるん?」


 ずい、と作者の男性を押しのけて、ギャルがユカリさんのすぐ前に立った。詰め寄るような彼女の勢いに、ユカリさんは負けじと言葉を返す。


「どうもこうもありませんわ。こっちに逃げられた以上、を先にやるしかない。いずれにせよ、あなたの助けなんて要りませんわよ」

「なに寝言うとるん。コイツらは元々、ウチの獲物や。ユカリちゃんにはもう譲ったらんで」


 作者の『片湯手かたゆで左京さきょう』氏や僕のことなど全く気にかける素振りもなく、二人は互いに一歩も退かない構えで睨み合っていた。


少納言しょうなごん、あなたのやり方は認められませんわ。いたずらに作者に筆を折らせることがわたし達の仕事ではない……。そういう無茶は、あなた達の縄張りの中だけにしておきなさい」

「アンタに認められる必要なんかウチにはないんやで。ユカリちゃんのヌルいやり方で、たった今、バケモンを取り逃がしたところやん。次はウチのやり方でやらせてもらわんと道理が合わへんわ」

「……」


 ユカリさんが一瞬押し黙ったところで、ギャルはその隙を見逃すことなく、これみよがしに腕を組んでフフンと笑った。彼女の方がユカリさんより背は低いが、その挑発的な立ち姿には、相対あいたいするユカリさんを見下ろすような雰囲気があった。


「付いてくるのは構わへんけど、要らん手も口も出さんといてや。ユカリちゃん、『一回休み』や」


 そう言って彼女はきびすを返し、歩き始めてしまう。

 ユカリさんが片湯手かたゆで氏にちらりと視線をやるのと、彼がギャルの背中に向かって叫びを上げるのとは同時だった。


「お、おい、待てよ!」


 手をついて立ち上がった片湯手かたゆで氏に、ギャルが足を止めて振り返る。


のとこにも……バ、バケモノが居るのか。今から倒しに行くのか?」

「そうやけど、アンタには関係ないやろ。せいぜいユカリちゃんに言われた部分の推敲でもしとき」


 だが、彼はそれでは止まらなかった。彼はズレていた眼鏡を直したあと、ギャルに向かって一歩踏み出し、言った。


「俺も連れてけよ。ここまできたら、あいつのバケモノも見せろ」

「……ふぅん? ヘンなとこで勇気はあるんや」


 それから茶髪ギャルは意外な行動をした。全く眼中にないかと思われたこの僕にいきなり視線を向けたかと思うと、すっと僕を指差してきたのだ。

 当然、常人である片湯手氏の目には、何もないところを指差しているようにしか見えないはず……。


「ええけど、アンタがったら、いつまで経ってもウチもユカリちゃんもと口利いてあげられへんやん。アンタ、へんやろ?」

「は? え……?」


 案の定というべきか、彼の顔色にこれまでとは違った恐怖の色が差していた。バケモノとの派手な戦いを目にするのと、目の前に見えない霊がいると聞かされるのとでは、やはり怖さの種類が違うのだろう。


「ま、ええわ。幽霊君、構ってもらわれへんのは寂しいやんな。このボンクラは放っといて、ウチら三人で楽しゅうお喋りしようや」


 ウチら、と言いながら、彼女は自分とユカリさんと僕を順に指した。蚊帳の外にされた片湯手氏も、きっと悟っている筈だ。彼を戦いの場に連れて行くのを面倒がって、彼女が敢えて幽霊ぼくの存在に言及して彼を遠ざけようとしていることを。

 だが――。支離滅裂なハードボイルドもどきを書くことに定評のある彼は、その程度の牽制には屈しなかった。


「い、今さら、幽霊なんか怖いもんかよ。いいから俺にも見せろ、あいつが吠えづらかくところをな」


 彼の声は震えていたが、目は真剣マジのようだった。得体の知れない展開への恐れよりも、「あいつ」と呼ぶ自分のライバルが、けちょんけちょんに作品をこき下ろされるところを見たいという思いの方が強い――と。彼が頭の中で天秤にかけたものを想像すると、大体そんな感じだろうか。


「しゃーないなぁ。じゃ、勝手に付いてきたらええわ。ユカリちゃん、行こか」


 すたすたと歩き出す茶髪ギャルと、黙ってその隣を行くユカリさんと、拳を握って二人を追う片湯手氏と、そして僕。なんだか大所帯になってしまったが、あれ、そもそも、どこへ向かうのだっけ?


「少納言。まさかもう作者の居場所の調べが付いていますの?」

「せやで、スゴイやろ。式部しきぶさんとは情報網の精度が違うんや」


 ふふん、と再び鼻を鳴らして、ギャルは大学の敷地を突っ切って正門を目指す。その最中さなか、彼女は僕を見て話しかけてきた。


「そういや、幽霊君。ウチの名前、まだ名乗ってなかったやんな?」

「……少納言さん、ですよね」

「そうそう。まぁ、つまり、式部さんの先輩ってことや」


 その言葉に被せるように、隣を行くユカリさんが即座に反応する。


「何が先輩なものですか。式部しきぶの大輔たゆう正五位下しょうごいのげで、従五位下じゅごいのげの少納言より官位は上ですわ」

「ユカリちゃんはいちいちウルサイなー、どーでもええことを。そんなんやからお婿むこさんのアテも見つからんのやで」

「あなただって独り身でしょうが!」

ウチはホラ、色んなイケメンから引く手数多あまたやし?」


 仲が良いのか悪いのか、いや確実に悪いのだろうけど、二人はポンポンと言葉の応酬を続けながら校門を出る。茶髪ギャルは迷わず左に進路を取った。片湯手氏と僕は、黙って彼女らに付いていくばかり。


「そーゆーわけで、幽霊君、覚えとき。片湯手センセもついでに覚えてくれてもええわ。ウチの名は少納言清子サヤコ――清少納言せいしょうなごんせいに子と書いて、清子や」


 その力の根源ルーツであるらしきいにしえの文人の名を、わざわざ引用して――

 ユカリさんの宿命のライバル、少納言サヤコは、不敵な流し目で僕達に名を告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る