3-7 大きな嘘と小さな嘘
「
ユカリさんの鋭い視線で見下ろされ、眼鏡の男性は「馬鹿な!」と拳で地面を叩いた。
「こんな……こんなこと……ある訳が……!」
「アンタ、自分の目で見たモノくらい信じられへんの?」
茶髪ギャルが呆れたような口調で言い、男性の首根っこを掴んだまますっと立ち上がる。男性は彼女に引かれるがまま上体を起こし、眼前に広がる
ユカリさんが和装の袖をばさりと
「わたしには、あなたがどうしてこんな駄作を生み出してしまったのか手に取るように分かりますわ。『
魔物の動きを封じて時間の猶予を作ったユカリさんがそう語ると、男性は「そ、そうだよ」と震え気味の声で呼応した。
「あんたもあの作品を読んだなら、わかるだろ!? あれがどれだけつまらないか。あんなもん小説でも何でもねえよ、ただの職業チュートリアルじゃねえか。俺の作品はそんなんじゃない。俺の作品には、ちゃんとした物語が――」
「いいえ。あなたの作品も甲乙つけがたいゴミですわ」
男性の話をぴしゃりと遮り、ユカリさんは大筆を構え直す。
「まあ、概ね、そこのうるさい子が言った通りなのだけど――さらに掘り下げて言うなら、あなたの作品は創作において最も大事なルールを踏み越えているのですわ」
「何やねん、うるさい子って」
律儀にユカリさんに突っかかる茶髪ギャルと、「ルール?」と彼女の言葉をオウム返しする男性。僕は完全に蚊帳の外で、三人とバケモノの様子をただ見守っていることしかできなかった。
「何なんだよ、そのルールって。言っとくけどな、俺の作品はプロットもハリウッドの技法に沿ってるし、全体を貫く
「プロットやコンフリクト以前の問題ですわ。あなたの作品には、まともな創作者なら当然
「……何だって……?」
男性は怒るでもなく落ち込むでもなく、ただ首を傾げている。
僕にもそれだけでは意味がわからなかった。大きなウソは許されるが小さなウソは許されない……? 普通は、大きなウソの方がもっと許されないんじゃないのか……?
だが、茶髪ギャルはユカリさんの同業者だけあって、流石に彼女の言いたいことを瞬時に悟ったらしかった。
「わからへんの? 超能力殺人とか
「……なぜ、それがダメなんだ? 現代ドラマだからって、全てが現実に即している必要なんてないだろう。作り話なんだから、現実に存在しないガジェットが出てきたって――」
「わたしが言っているのは、その現実感のバランスのことですわ」
ユカリさんは大筆を振って虚空にさらさらと文字を描き出し、魔物めがけて殺到させた。今にも
「よくって?
ユカリさんが男性の方に向き直り、大筆で綴った文字をその眼前に突きつける。虚空に浮かぶ達筆の文字は、「虚構」と「現実」の二つだった。
「――現実の世界観をベースとしていながら、唐突に『超能力』だけが事件のトリックとして差し込まれてくるでしょう。ダメですわ、そんなのは。虚構の中での現実を描くのは構わないけれど、現実の中にいきなり中途半端な虚構を持ち込むのは
彼女の言葉に合わせ、宙に浮いた「現実」の文字に「虚構」の文字がぶつかったかと思うと、互いに反発しあうようにして弾け飛んだ。
絶句する男性に向かって、美女の赤い唇が続けざまに言葉を放つ。
「拳銃や死刑囚のくだりもそうですわ。警察と銃撃戦を繰り広げておきながら、主人公の弁護士が罪に問われないのは、明らかにヘンだし……。細かいところだと、死刑囚が
凄まじいまでの言葉の奔流。男性は一言も反論できないまま、ただただユカリさんの顔を見上げて目を
「誤解しないことね。コメディタッチの法廷モノなら、別にこれでも構わないのよ。だけどあなた、ハードボイルドが書きたいのでしょう? それなら、こんな『小さなウソ』に逃げてはいけませんわ。『大きなウソ』で作品の世界観を打ち立てた後は、その世界において起こるべき現実をしっかり検証して書いていかなければダメなのよ」
傍らで聞いている僕には、ようやくユカリさんの言わんとすることの全貌が見えてきた。僕のハイファンタジーを切って捨てたり、ラ・フランス先生の近未来SFを推敲した時と同じだ。超能力犯罪を描きたいのなら、「超能力がある世界」のリアリティをしっかり作り込むべきだし、そうでないなら安易に超能力など使ってはいけないのだということだろう。
「……」
男性はしばらく黙って
「ストーリーに無茶が多いのは、わざとそうしてるんだよ! あいつのクソ小説との差を見せつけるために、俺は敢えて派手な話を書いてるんだ! あんたが何様のつもりなのか知らねえが、俺は現にこれだけ多くの星を貰ってるんだぞ!?」
「あちらのゴミ小説も同じくらい星を貰っていますわ。お友達票という名のね」
「……う、うるせえ、うるせえんだよ! 俺が何を書こうが勝手だろうが! 他人が口出しするんじゃねえよ!」
男性の怒号が結界内に響き渡った瞬間、ばちっ、と魔物の周りで火花が
「ッ!?」
ユカリさんとギャルが同時に空を仰いだ時には、時既に遅く。
魔物、一反木綿はユカリさんの文字の
「しまっ――」
ユカリさんが慌てた形相で大筆を振りかぶる横で、茶髪ギャルが逃げる魔物に向かって両腕を突き出し、叫ぶ。
「オン・サンマヤ・サトバン・ソワカ!」
刹那、ギャルの背後から無数の
紙一重の差で、その追撃は間に合わなかった。一反木綿は虚空に生じた闇の渦の中へと飛び込み、そのまま姿を消してしまったのだ。
その数秒の出来事に、僕は呆気に取られ空を見ていた。
ユカリさんが……バケモノ退治に失敗した……!?
「……なんてこと……!」
大筆の
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