3-6 相見える二人

「今さら来ても、アンタの出る幕なんか無いで」


 茶髪ギャルのきらりとした流し目がユカリさんを捉える。今の今まで言い合っていた若者達の前からきびすを返し、彼女は僅かな距離を挟んでユカリさんと正対した。

 その瞬間、僕は心臓を射抜くような悪寒に震えた。彼女は明らかに僕にも目を合わせてきたのだ。間違いない。彼女には――幽霊ぼくの姿が見えている!


「……ふぅん。ユカリちゃん、連れ回して、気でも触れたん?」


 彼女の挑発の言葉もそれを物語っていた。この人は認識しているのだ。僕がこの世のものではないことを。

 だが、ユカリさんも黙って引き下がるようなタマではなかった。ユカリさんは茶髪ギャルの前に一歩歩み出ると、凛とした声で堂々と告げた。


「お下がりなさい、少納言しょうなごんサヤコ。ここはあなたの縄張りではありませんわ」

「アンタかて、この街は東京ホームちゃうやろ。早いモン勝ちや」


 二人の間でばちばちと火花が散るのが見えるようだった。彼女達の勢いに気圧けおされ、僕は息を呑むことしかできない。

 と、そこで、数秒の沈黙を破るように、若者達の集団の中心にいた眼鏡の男性が、「おい、あんた」と声を上げた。


「そんなことより、説明しろよ。俺の作品のどこが駄作だって言うんだ」


 彼の声は怒りに震えていた。ギャルとユカリさんが揃って彼に目をやったので、僕もつられて彼に視線を向ける。Tシャツにジーンズの細身の男性だったが、周りの若者達と比べると少し年上に見えた。

 そういえば、『やみ弁護士ブラックレオン』の作者はこの大学の文芸サークルの卒業生だという話だったはず。まさか、この彼が……?


「全部や、全部。弁護士の仕事に現実味もあらへんし、話の展開も雑。アンタ、これが『お仕事小説』のコンテストやて本当ホンマにわかってんの? アンタの作品、全然、出版社の求めとるモノとちゃうやん」


 茶髪ギャルがビシビシと言葉のやじりを撃ち込むたび、男性の表情が怒りの色を増していく。最早「まさか」ではなかった。彼女に言いたい放題言われてしまっているこの男性こそ、僕も読んだあのゴミ小説、『闇弁護士ブラックレオン』の作者なのだ。


「わ、わかってないのはお前の方だ! お仕事小説のコンテストだからって、現実の業務の流れをなぞっただけの駄文がウケるもんか。小説ってのは物語なんだよ。多少ウソを交えてでも、面白い物語を書くことの方が大事なんだよ!」

「せやから、その物語がクソやてうてんの。耳付いてるん? アンタ、作家なんか向いてないんやから、諦めて筆を折った方が身のためやで」


 一切の手加減を知らないその言葉に、ぐぬぬ、と男性が押し黙ったところで――


「言い過ぎですわ、少納言。確かに今回の作品はゴミだけれど――作者の才能を見限る資格までは、わたし達にはない」


 ユカリさんがそう言いながらギャルの隣に並び立ち、すっと男性に人差し指を向けた。


「あなた、この子の言うことなど無視して、わたしに推敲を委ねるべきですわ。わたしなら、あなたの作品をあるべき姿に導くことができる」

「は……?」

「ちょっと、ユカリちゃん。図々ずうずうしゅう横取りせんといて」


 ギャルがユカリさんを押しのけて前に出ようとするのを、ぴしりと伸ばしたユカリさんの片腕が遮った。


「人払いをなさい、『片湯手かたゆで左京さきょう』先生。わたしがあなたを救って差し上げますわ」

「せやから、ウチの獲物やってうとるやろ!」


 あくまで早い者勝ちを主張するライバルの声を少しも取り合わず、ユカリさんはゴミ小説の作者をまっすぐ見据えていた。 

 その眼力に屈したのか、後輩達の前で自分の作品を酷評されることには耐えられないと思ったのか――

 作者の男性は静かに頷き、周りの若者達に向かって告げた。


「君達、悪いが、この場は外してくれ。俺はこの人達と話をしていく」

「は、はぁ……」


 若者達は何が何だか分からないといった表情をそれぞれの顔に浮かべていたが、やがて口々に「行こうぜ」などと声を掛け合い、ある人達はサークルとうに戻ったり、ある人達はそのままその場を立ち去ったりした。

 屋外に残ったのは、作者の男性とユカリさん、茶髪ギャル、それに僕だけ――。男性の視線の動かし方を見るに、当然だが、彼には僕のことは見えていないらしい。


「さて――『片湯手かたゆで左京さきょう』先生」


 ユカリさんは再び鋭い視線を男性に向けた。男性のひたいに、ただ夏の暑さから来るものだけではない汗が滲んでいるのが僕にも見えた。


「あなたも聞いているでしょう。ここ最近、文芸サークルの部員達が何人もバケモノの姿を目にしていて――中には怪我を負った者もいるということを」

「ば、バケモノ? ……いや、そんな話は、全然……」


 男性が目を丸くしたところで、横から茶髪ギャルが口を挟んだ。


「ナルホドな。アンタの後輩達は、偉い偉いOB様に気を遣って、アンタにはその話をせんかったってことや」

「? 一体、何のこと……」

「おめでたいヒトやな。あの後輩達、アンタの作品を面白いなんて少しも思ってないで。それどころか、裏ではわろうとる筈や――こんな駄作をドヤ顔で見せつけてくる無様な先輩様のことをな」

「な、な、何を――」


 煽るだけ煽りまくるギャルの言葉に、男性は見るからに爆発寸前。更に何か言葉を続けようとするライバルを、ユカリさんが鋭い目で睨みつける。


「少納言、あなたは黙ってなさいと言ってるでしょう」


 そして、ユカリさんはどこからともなく御札おふだの束を取り出すと、紫色の扇子を手にしていんを切り、御札をばっと宙に舞わせた。何事かと目を見開く男性の前で、無数の御札がひとりでに虚空で渦を巻き、周囲一帯に妖力の結界を作り上げる――!


「あれこれ御託ごたくを並べるよりも、その目で見てもらうのが一番いいですわ」


 男性は恐れをなした表情で周囲をきょろきょろと見回していた。外からどう見えているのかは分からないが――結界の中にいる僕達には、確かに見えている。轟々と渦巻く瘴気しょうきの闇、そしてその中から迫る魔物の気配が。

 僕の時も、ラ・フランス先生の時も、そして今もそうだ。ユカリさんは勿体ぶるということを知らない。作者と初めて顔を合わせたのがほんの数分前だというのに、もう戦いに入ろうとしている。


「……全く、ユカリちゃんは相変わらずせっかちやなあ」

「兵は拙速をたっとぶ――式部しきぶ家の戦訓ですわ」


 さらりと言い放つユカリさんの前で、男性が震える手で闇の中を指差した。顔を恐怖に強張らせ、口を半開きにして。


「な、な、何だよ、あれ――!」

「来ますわ! 身を伏せなさい!」


 ユカリさんが叫ぶとともに、ギャルが男性の首根っこを掴んで地面に引き倒した。僕も慌てて身を引く。男性の背中のすぐ上を、瘴気しょうきの風を纏った真っ白い何かが、撫ぜるように通り過ぎる。


「オン・アラハシャノウ・ソワカ!」


 ユカリさんの声が鋭く響き、結界の中を紫色の閃光が塗り潰した。

 次に目を開けたとき、僕が見たもの。それは、薄い反物たんもののような身体に不気味な双眼が爛々らんらんと光る、長大な魔物の姿だった。


「あ、あれは――」

一反木綿いったんもめんゆうヤツやな。有名やん」


 魔物は虚空でとぐろを巻き、再び男性とギャルに向かって襲いかかろうとする。瞬間、ユカリさんが大筆を振るって描き出した墨文字の渦が、ばちりと火花を散らして魔物の身体を弾き返した。

 紫の和服姿にユカリさんが、男性に、ギャルに、そして僕に鋭い一瞥いちべつをくれる。


「――推敲の時間ですわ」

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