3-5 ライバル

 浮遊霊このからだに疲労や休息の概念があるのかどうかは分からないが、生きた人間の感覚にたとえて言うなら、僕は心身ともに相当疲れていたらしい。

 すぐ隣のベッドで美女が寝ているという極限状況にも関わらず、幸か不幸か、僕は泥のように眠っていたらしかった。自然に目を覚ました時には、既に部屋の大窓のカーテンは開け放たれ、朝の日差しが室内に差し込んでいた。


「遅いお目覚めですわね、Killerキラー-Kケイ先生」


 ユカリさんは鏡のついたテーブルの前に座り、身だしなみを整えているところだった。時計を見ると、朝七時半。早くもなく遅くもないといった時間だろうか……?


「……おはようございます」


 学校の制服姿のまま寝ていた僕がベッドから降りるのと時を同じくして、ユカリさんのスマホが震え始めた。

 彼女が化粧の手を止めてスマホに指を走らせると、ハンズフリーモードに切り替えられたスマホからは、僕にも聴こえる音量で相手の声が流れ始めた。僕の知らない男性の声だった。


「お嬢。大体の調べが付いたぞ」

「ええ」


 ユカリさんはファンデーション(と言うのだろうか、顔にパタパタするアレである)をパタパタやりながら、相手の話に耳を傾けていた。


「バケモンの被害はN大学の学内に集中してるな。その中でも文芸サークルの部員が最も多く被害に遭ってる」

「そう……。妙ですわね。確か『やみ弁護士』の作者がそこの出身だそうだけど、もう卒業して数年は経ってるでしょう」

「それだけ因縁が深いんじゃないのか。あるいは……」

「――もう一人のほうも出自が同じ?」

「ああ。そのほうが納得できると思わないか」

「……そうですわね。まあ、調べればわかることですわ」


 何食わぬ顔で通話を続けながら、ユカリさんが化粧の次の工程に進んでいくのを、僕はふんふんと頷きながら見ていることしかできない。


「それと、お嬢。今回は場所が場所だけに、出張でばってくるかもな」


 男性がそう言った瞬間、ユカリさんの眉がぴくりと動いたのを僕は見逃さなかった。

 僕にもその言葉の意味は気にかかる。「あちらさん」……?


「……あんな子に後れを取るわたしじゃありませんわ」

「そうだよな。頼むぜ、式部しきぶ家の名誉の為に」


 通話はそれきり終わった。ユカリさんは化粧の続きを手短に済ませてしまうと、「朝食に行くわよ」と言って立ち上がった。


「え、あの――」


 すたすたと部屋を出てゆくユカリさん。僕は慌ててその背中を追いかけ、最も気になる疑問をぶつける。


「何なんですか、『あちらさん』って」

「今は知る必要のないことですわ。出てこなければそれでよし。出てきたらその時に説明するわよ」


 エレベーターに乗り込むユカリさんの目は、それ以上は何も語る気がないと告げていた。

 ……だけど、僕に小説の実力がなくたって、流石に先程の通話を聞いていれば大体の想像はつく。男性が「あちらさん」と呼んだのは、恐らく、ユカリさんの家とライバル関係にある他家の能力者……。

 僕は目にすることになるのかもしれない。東京ホームを離れたこの街で、ライバルと激突するユカリさんの姿を。




 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 イングリッシュ・スタイルの美味しそうな朝食を終え、ユカリさんはホテルを出た。服装は昨日とまた違った雰囲気のパンツルック。ちなみに、今回の仕事が何日かかるか分からないので、念のため一週間分の連泊予約を入れてあるというから、なんともお金持ちの発想である。

 黄色い線の地下鉄から紫色の線の地下鉄に乗り換え、ユカリさんが向かったのは、この地域を代表する名門校であるN大学だった。

 僕はその後ろをただ付いていくだけ。大学は夏休みらしかったが、広い敷地内には多くの学生や先生らしき人達が行き交っていた。


「これだけたくさん人が居たら、一人くらい僕のこと見える人、居ないですかねー」

「仮に居たとしても気付きませんわよ。あなた、普通にしてれば生身の人間と見分けがつかないもの」


 せみの声が八月蝉うるさく響く並木道を、ユカリさんは迷いのない足取りで歩いていく。スタバのある大学図書館の横を通り抜け、すたすたと目的の場所を目指す彼女の背中は、とても初めてこの大学に足を踏み入れたという風情ふぜいではなかった。


「ユカリさん、前にも来たことあるんですか?」

「いいえ? 地図を頭に入れてきただけですわ」


 何でもないことのように言ってのけるユカリさんに、僕が目を丸くしていると――

 サークルとうと思しき、二階建てのアパートのような建物の前で、何人かの若い人達が何やら騒々しく騒いでいるのが目に入った。ユカリさんがその手前で立ち止まったのに合わせて僕も足を止める。同時に、ユカリさんが「まずいわね」と小さく呟いた。


「先を越されたようですわ」

「えっ?」


 彼女の言葉にびくりとして、僕が若者達の集団に再び目をやると。


「せやから、こんな展開じゃ話にならんってうてんの。アンタ、耳付いてる?」


 周囲の空気をまとめて引き裂くように、関西弁らしきイントネーションの女性の声が張り上げられた。

 僕達の位置から見えるのは、周囲を取り囲まれるようにして他の若者達と対峙する、小柄な女性の後ろ姿。

 ふわふわとカールした明るい茶髪に、ショートパンツの私服。清楚系美人のユカリさんとは真反対のギャルっぽい印象。その彼女が、突然、僕達の方へ振り向いて――


「なんや、ユカリちゃんやん。アンタも来たん? 今さら来ても、アンタの出る幕なんか無いで」


 猫のような流し目をきらりと光らせて、ふん、と小さく鼻を鳴らす。

 そう、よりによって――ユカリさんのライバルは、こんなギャルであるらしかった。

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