3-4 魔窟

弁護士せんせいよぉ。ここまで付き合って貰って悪いが、これ以上あんたを巻き込む訳には行かねえ。俺は一人で逃げるぜ。孤島でも外国でも構わねえ、とにかく時効が来るまで身を隠してりゃあ……」

 霧野きりのは血の滲む足を引きずり、そう言った。

 だが、黒島くろしまはそれが不可能であることを知っていた。殺人罪の時効は既に撤廃されている。そして日本の警察は優秀だ。重傷ふかでを追った彼が警察の包囲網から逃げおおせられる可能性など皆無に等しい。

「よく聞け、霧野六郎ろくろう

 黒島は脱獄者の両肩に手を添え、真剣な眼差しでその目を覗き込んだ。

「今の日本には時効なんて無えんだ。仮にあったとして、警察サツに指紋もDNAも取られてるお前が、その怪我でどうやって何年も逃げ隠れするつもりだ? お前が生きて彼女に会うには、法廷に出て無実を証明するしか無えんだよ」

「……ざけんな。今更になって裁判にかかれだと!? わかってんのか、なんだぞ。んなモン、どうやって証明すんだよ。真犯人ヤツの超能力を裁判官に認めさせねえと、俺の無実は――」

「心配すんな。俺が何て呼ばれてるか知ってんだろ? やみ弁護士、ブラックレオン様に不可能は無えよ」

 黒島の言葉に気圧けおされ、霧野が黙ったところで、水路の入り口の方から犬の鳴き声と数人分の足音が聴こえてきた。警察の追っ手が遂に二人を追い詰めてきたのだ。

警察サツの皆さん、霧野六郎はここに居るぜ!」

「おい、てめぇ――」

「いいから、お前は黙ってブタ箱に入ってろ。俺が必ず無実を証明してやるからよ」

 警官達のライトに照らされた闇弁護士は、弾切れのベレッタをがしゃっと足元に放り出し、両手を挙げて不敵に笑ってみせた。




 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「ええぇ……何だこれ……」


 僕がタブレットから顔を上げると、別のソファに腰掛けて文庫本を読んでいたユカリさんも視線を上げ、「負けず劣らずのゴミでしょう?」とさらりと言ってきた。


「そうですね。酷さが別ベクトルですけど……」


 さっきの作品を先に読んでしまったからこそ、この小説の荒唐無稽さがよくわかる。

 の無実を信じる弁護士が(僕はもう知っているぞ、刑事事件の当事者は「被告人」であって「被告」じゃないことを)、彼を留置場から脱獄させて、一緒に逃避行を繰り広げるとか。かつて弁護したヤクザが都合よく現れて拳銃をくれるとか。

 しかも、ネタバレぎみのレビューの一つを見ると、主人公はこの後、超能力による殺人を立証するために別の超能力犯罪の死刑囚に会いに行き、自ら超能力を身に付けて、法廷で実演してみせるらしい。

 いくらなんでもメチャクチャ。しかも、敢えて狙ってやっているのならともかく、どうも作者自身はリアルなハードボイルドだと思って書いているっぽいから始末が悪い。だって、サイトでの宣伝文句キャッチコピー、「リアル志向の貴方に贈る硬派な法廷ハードボイルド」とか書いてあるんだから……。


「なんていうか……一位のやつ以上に救いようがないっていうか」

「少しずつが養われてきたじゃないの。作者達のツイートによると、コンテストではこの二作が熾烈しれつに順位を競っていて、毎日のように一位と二位が入れ替わっているらしいですわ。……わたしが心配することではないけれど、コンテスト自体が失敗ですわね、これ」


 わざとらしく溜息ためいきいてから、ユカリさんは文庫本をぱたんと閉じ、テーブルの上のバッグに手を伸ばしたかと思うと、また別の文庫本を無造作に取り出してページをめくり始めた。

 あのバッグに何冊入っているのか知らないが、彼女は今日だけでもう四冊くらい別の本を読んでいるような気がする……。


「ユカリさんって、やっぱり読書家なんですね」

「仕事柄、駄作ばかり目にする毎日だもの。ちゃんとした小説を読んで中和しなければ生きていられませんわ」

「そういうものですか……」


 ひょっとしたら僕の死因は、良作に触れずに駄作ばかり見続けたことなのかもしれない。

 僕は、コンテストの作品をこれ以上読み進める気にもなれず、仕方がないからユカリさんの言った作者達のツイートとやらを見てみることにした。小説サイトのプロフィールにTwitterアカウントへのリンクがあるため、一位や二位の作者のツイートに辿り着くことは全く難しくはなかった。


「『街弁・昼田マコト』の作者……法学部卒のアマチュア作家……。法学豆知識botを運営……。『闇弁護士ブラックレオン』の作者……雷撃らいげき文庫大賞三次通過経験者……N大学文芸研究会出身……」


 なんだか二人とも濃そうだなあ、と僕は思った。自慢したがりな性格がプロフィールからにじみ出ている、とまで言うと言い過ぎだろうか?

 二人の作品はどちらもまだ完結しておらず、Twitterでは毎日のように、投票を呼びかける更新宣伝ツイートが連打されていた。作者仲間と思しき人達の感想ツイートも頻繁にリツイートされている。

 僕はそれを見てひたすらに首を傾げるばかりだった。僕が少しも面白いと思えなかった『街弁・昼田マコト』には、更新のたびに「深い人情ドラマですね!」といった感想が寄せられているし、荒唐無稽な『闇弁護士ブラックレオン』には、「今回も燃える展開でした!」などと賛辞の声が上がっている……。

 これがユカリさんの言う、「馴れ合いとお返し票の魔窟」というやつなのだろうか?


「一体どんな作者なんでしょうね……」


 僕がユカリさんに向かって呟くと、彼女は文庫本から顔を上げることもなく、「二人とも無能な見栄っ張りよ」と言い放った。


「しかも、恐らくその二人はリアルの知り合い同士ですわ」

「えっ? なんでそんなこと――」

「まだ確信ではないけどね。明日はその調査で忙しくなりますわよ」


 ユカリさんはさっき手にしたばかりの本をもう閉じると、すっとソファから立ち上がり、「休みましょう」と言った。


「えっ、もう読んだんですか!?」

「この本はハズレでしたわ。プロが書いたものだからって全てに読む価値があるとは限らないのよ。……まあ、それでも、玉石混淆のWEB小説よりは遥かにマシなのだけれど」


 彼女は何一つ勿体ぶることなくベッドに滑り込むと、室内のライトを消灯させる。


「あなたも眠りたいところで眠るといいですわ」


 なんだか、もう、あらがう気力も失せてしまって――


「……失礼して。おやすみなさい」

「おやすみなさい」


 結局、僕はユカリさんの隣のベッドに実体のない身体を横たえ、あるはずのない心臓の鼓動を抑えながら眠りに落ちる羽目になったのだった。

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