3-3 二つの駄作

ウチが証人になったら、ホンマに旦那あのひとは刑務所に行かずに済むん?」

「絶対とは言えませんが、そうなる可能性は高いと考えられます。奥さんの証言は、被告人に帰る場所があること、健全な社会復帰を促してくれる身内がいることを裁判官にアピールする大事な情状じょうじょう証拠になるんです」

 昼田ひるたマコトがそう説明すると、被告人の妻は煙草の煙を吐き出し、「それなら、なるわ」と承諾した。

 昼田は彼女が情状証人を引き受けてくれたことに安堵して、礼を述べ、被告人のアパートを出た。

 所詮、かくせいざい使用の初犯である。この程度の事件で執行猶予付きの判決を得るのは流れ作業のようなものだ。相場から行くと、求刑は懲役二年程度、判決は懲役一年六月ろくげつの執行猶予三年程度になるだろう。最悪、情状証人がいなくても執行猶予は取れると思うが、念には念を入れて、しっかりセオリーを踏んでおくのは大事なことだ。

「さて、次の電車まで二十分か……」

 駅のホームに辿り着いた昼田は、自販機で缶コーヒーを買い、ベンチでスマホを眺めた。この後は簡裁かんさいで損害賠償請求の弁論べんろん期日きじつがあるが、今回は尋問は予定されておらず、書面を供述するだけの簡単なお仕事だ。それが終わったら事務所に戻り、来週の離婚事件の起案きあんを進めなければならない。それと、残業代請求の件の内容証明も打たなければ……。

街弁まちべんってのは難儀な商売だよ、全く」

 昼田の小さな呟きを聴いた者は、誰もいなかった。




 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 僕がタブレットの画面から目を離して、しばらくこめかみを押さえていると、こんこんと上品なノックの音に続いて、かちゃりと部屋のドアが開いた。


「待たせましたわ。何か変わったことはあって?」


 ユカリさんの声に僕は振り向き――、わっ、と一瞬で目をそらしてしまった。部屋に戻ってきたユカリさんは、当たり前だけどホテルの浴衣姿で。半乾きの黒髪は、いつもと違った光沢を放っていて。

 健全な男子なら見惚みとれるか目をそらすかの二択しかないと思うが、あいにく僕には前者を選ぶほどの勇気はまだないのだ。


「あの……リンゴちゃんから、電話がありました」


 半分裏返った声で僕が報告すると、ユカリさんは部屋のドライヤーのコンセントを手際よく差し込みながら、「そう」と応えた。


「あなたもお留守番として役に立ったということですわね。あの子、何を言っていたの?」

「お仕事小説コンテストの一位と二位の作品が怪しいって。……ユカリさんの読みも、同じなんですか?」

「ええ。それで、あなたがタブレットを手にしているということは……先回りして予習をしていた、ということかしら?」


 僕が「はい」と頷くと、彼女はただ「感心ですわ」とだけ言って、ベッドのふちに腰を下ろしてドライヤーで髪を乾かし始めてしまった。

 こうなると、互いの声がドライヤーに邪魔されて、会話は会話にならない。……黙って小説の続きを読んでいろ、ということだろうか?

 僕は、長い髪をかき分けてドライヤーを当てるユカリさんの姿を横目にチラ見してから、仕方なく再びタブレットに目を落とした。


 ……目を落としたのは、いいが。

 ぶっちゃけて言うと、面白くない。

 仮にもコンテストの週間ランキング一位になっている、この『必ず訴えてやる! ~街弁・昼田マコトの日常~』という作品。

 なんというか……僕にこんなことを言う資格はまだないのかもしれないけど、とにかく、何が面白いのか分からないのだ。一体どうしてこんな作品が一位なのだろう。

 僕は本文を読み進めることを一旦止め、レビュー欄の紹介文に目を通してみることにした。そこに並んでいるのは、「リアルな法律知識に裏打ちされた珠玉の人間ドラマ」だとか、「法律を通じて浮き彫りにされる人間の真実」だとか、なんだかよくわからない褒め言葉の数々。なんだ、これは……?


「どうかしら?」


 いつの間にかドライヤーを終えていたらしいユカリさんが、ふわりと甘い香りを漂わせて僕の前に立った。僕はそのことにまたドキリとさせられながらも、おずおずと顔を上げる。

 化粧を落としても――いや、素顔すっぴんになったからこそ余計に引き立つ、ユカリさんの顔立ちの美しさ。これに見惚みとれるなと言う方が……いや、今はそういう場合じゃなくて。


「この作品……何が面白いんですか?」


 僕が正直にそう言うと、ユカリさんは「あら」と首を小さく傾げた。


「珍しいこともあるものね」

「え?」

「あなたが初めてゴミをゴミと見抜いた瞬間ですわ。偉大な一歩ですわよ」


 褒められているのか何なのか……。ユカリさんは僕から自然にタブレットを取り上げると、画面を一瞥いちべつして、ふむ、と口元に手を添えた。


「ちなみに、どういうところがゴミだと感じたのかしら?」

「……だって、この小説、なんていうか……。ただ弁護士が淡々と事件を処理していくだけじゃないですか。扱う案件も、離婚の慰謝料をいくら取るかとか、辞めた会社の残業代を請求するとか、しょうもない話ばかりだし……」


 異世界転生やハイファンタジーばかり読んできた僕からすると、どうも、話がショボいというか。これなら、ラ・フランス先生の『国民総韓流時代』の方がずっとマシだったなあ、というのが僕の率直な感想だった。


「途中で申し訳程度にヤクザとか出てきますけど、結局やってることは、かくせいざいの裁判で執行猶予が付くかどうかだけの争いって……。スケールが小さすぎませんか。弁護士が自分で『こんなの流れ作業だ』とか言っちゃってますし」


 法律知識がどうのこうのとレビューにも書かれているだけあって、確かに、書かれていることはリアルなのかもしれない。被告人に接見せっけんして、公判こうはんの打ち合わせをして、情状じょうじょう証人しょうにんを呼んで……とか。

 おかげで「接見」とか「公判」とか「情状」とか、言葉にだけは詳しくなれたけど、だからと言って作品が面白いとは少しも思えなかった。「薬物事件の初犯は執行猶予が付くのがお決まり」とか、そんな豆知識が手に入ったからって、一体何になるというのだろう?


「あなたならどうするかしら?」


 ユカリさんが不意にそう訊いてきたので、僕は少し考えてから、思いつく限りのことを答えた。


「もっとこう、法律モノなんだから、法廷で『異議あり!』とかやって欲しいですよね。主人公が扱う事件も、殺人事件の裁判で逆転無罪を勝ち取るとか、大きな企業から何億円も賠償金を取るとか、せめてそのくらいのスケールにしないと……」

「まあ、あなたのアイデアが良いかどうかは別として、指摘の方向性は間違っていませんわ。この作者は『お仕事小説』というものを根本的に勘違いしてしまっているのよ。どんなに描写がリアルでも、業務のチュートリアルを並べただけでは『物語』にはならない……。そんな基本の基本も分かっていないゴミ作者が、知識をひけらかすためだけに書いたのが、この駄作ということですわ」


 ふう、と息をいて、ユカリさんは続けた。


「でもね。だからといって、破天荒なスケールの作劇をすればそれで良いのかというと、そういうわけでもないのよ。次は二位の作品に目を通してごらんなさいな」


 ユカリさんが突き返してきたタブレットには既に、ランキング二位の作品、『やみ弁護士ブラックレオンの事件簿』が表示されていた。

 彼女に言われるがまま、僕はその作品を読み始める。どんな地獄ゴミが待っているのか、今のユカリさんの発言から大体想像はついていたけど……。

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