第3話 ダメダメお仕事小説を斬る×2

3-1 緊張のツインルーム

 ラ・フランス先生のお宅を出たユカリさんは、そのまま地下鉄で街の中心部まで戻り、駅ビルの飲食店街に足を向けた。気付けば時刻はすっかり夕食時で、夏の日もようやくビル街の向こうに沈もうとしていた。

 ユカリさんが入ったのは味噌煮込みうどんの店だった。食事の要らない僕は手持ち無沙汰なので、ユカリさんの隣に座り、さりげなく卓上に置いてもらったタブレットで小説サイトの作品を漁っていた。

 なんというか、今に始まったことではないけど、人が美味しそうなものを食べている横で自分はそれを口に出来ないというのは、なかなかに寂しいものがある。


「そういえば、あなた、何で命を落としたのだったかしら?」


 ブラウスを汚さないように器用に箸を運びながら、ユカリさんが小さな声で問うてくる。生きた人間が羨ましいと少し思ってしまった、僕の心を読んだかのように。


「……さあ? たぶん、自殺か何かじゃないんですか」

「何よそれ。ちゃんと覚えていませんの?」


 ユカリさんは呆れたように言い、熱い味噌煮込みうどんをちゅるりとすすった。

 彼女が呆れるのも無理はないが、そもそも浮遊霊の記憶なんて曖昧で適当なものなのだ。生きている人間だって、日々のどうでもいい会話や出来事の全てを覚えてはいないように、死んだ人間だって生前の何もかもを覚えているわけではない。小説への執着が強かった僕が思い出せるのは、ほとんど自分の小説に関することばかりだ。


「まあ、なんでもいいですわ。それより、それらしい駄作は見つかったかしら?」

「んー……難しいですよ。そもそも、このサイトに『それ』があるのかどうかも……」


 僕はユカリさんに言われ、ラ・フランス先生の『国民総韓流時代』以上のバケモノを生み出してしまいそうな作品を小説サイトから探そうとしていたが、僕のような素人がそんなに容易く出来るような仕事ではなかった。まあ、ユカリさんもそれはわかった上で、あくまで食事中の時間を少しでもムダにしないように僕に手伝わせているのだとは思うが……。


「強いて言うなら……この『お仕事小説コンテスト』が怪しいかなあと」


 僕が素人なりに目をつけたのは、このサイトで今まさに開催されているコンテストだった。


「どうしてそう思うのかしら」

「だって、より沢山の人に注目された駄作からバケモノが生まれるんですよね。今、このサイトでは、このコンテストが一番注目されてそうっていうか……。なんか、テーマ的にも、人の欲が渦巻いてそうですし」

「……ちゃんと作外の事情にまで頭が回るようになってきたじゃないの。読者の多い異世界ファンタジーなどのジャンルならばまだしも、現代ドラマのお仲間クラスタ勢がお得意そうな職業小説限定のコンテスト……。おそらく、各作品のレビュー欄は、馴れ合いとお返し票が跋扈ばっこする魔窟と化していますわね」


 ユカリさんは食事を終えて箸を置くと、すっと僕の前からタブレットを取り上げ、すいすいと画面に指を走らせていった。

 店員さんが出してくれた湯呑みのお茶をゆっくりと飲み、ユカリさんは画面を眺めて少しの間、黙考する。


「……そういうことだったのね」

「え?」

「本来、ここに並んでいる程度の駄作はどれも小粒すぎて、ラ・フランス先生のあのゴミに匹敵するほどのインパクトはありませんわ。だからわたしも最初は見逃していたのよ。……だけど、一作でなく二作となれば、事情は変わってきますわ」

「……二作……?」


 意味がわからず僕が首をひねっていると、ユカリさんはそれ以上の説明をしてくれることもないまま、タブレットをしまい込んで席を立った。


「ユカリさんにはもう分かったんですか? 新しいバケモノの正体が」

「まあね。ホテルに着いたら話してあげますわよ」


 手短に会計を終え、店を出ていく彼女の背中を僕は追いかける。


 ……ん、ホテル?




 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



 案の定というか、お決まりというか。

 ユカリさんがいつの間にか押さえていたホテルの予約は、一部屋だけだった。

 駅からすぐの、それなりに値段が張りそうなホテル。……現実には宿泊者はユカリさん一人なのだから、二部屋取るのもおかしな話なのだけど、僕の主観では僕は確かに存在しているわけで……。

 だからつまり、僕はどうしろと言うのだ?


「ユカリさん、ちょっと――」

「何かしら」


 人目のあるフロントを離れ、エレベーターに乗り込んだところで、僕はユカリさんに向かって口を尖らせた。


「いや、その、流石に同じ部屋っていうのは」

「誰にも見えないあなたの為に、もう一つ部屋を取れというのかしら。それはちょっと虫が良すぎるのではなくて?」


 澄ました顔でさらりと言われると、僕はそれ以上声を上げられない。

 僕はひとまずユカリさんについて部屋に入った。さすがに高級ホテルだけあって、ツインルームと言うのだったか、とにかく一人分の宿泊なのに大きなベッドが二つ並んで配置された部屋だった。


「床で寝る羽目にならないだけ有難く思いなさいな」


 ユカリさんは何食わぬ顔で部屋のテレビをつけ、テーブルの上にバッグをぽんと置いて、その中身を漁っていた。場合によっては泊まりがけの仕事になることを最初から予期していたのか、ユカリさんの荷物からは携帯用のシャンプーのボトルやら何やら、女性のお泊まりセットと思われるものが次々と出てきた。

 その様子を見て、いやいやいやいや、と僕は改めて思い直す。


「ダメですって。一つ屋根の下に二人きりとか、安直なラブコメじゃあるまいし」


 僕が言うと、ユカリさんは「は?」という目で僕を見てきた。


「わたしの家に一週間も寝泊まりしておいて今さら何を言っているのかしら……」

「いやいや、お屋敷にはお手伝いさんも居るじゃないですか! 部屋もたくさんあるし!」


 屋敷の一室に居候させてもらうのと、ホテルの同じ部屋で一晩を明かすのとでは、意味合いも物理的な距離も全く違う。いくら僕が生身の人間じゃないからって、ユカリさんは何も感じないのだろうか?

 僕のことなんて微塵ほどにも男子と思っていないというのなら、それはそれで傷つく話だけど……。


「まあ、相部屋では居心地が悪いというなら、どこでも好きな空室に忍び込んで眠ればよいですわ。好きなようになさい。……ただ、今はこの部屋でお留守番よ」


 白皙はくせきの美女は、部屋に備え付けのタオルや浴衣に加え、僕には用途もわからない小さなボトルをいくつも袋にまとめて、「わたしは大浴場に行ってきますわ」と宣言した。

 はあ、と生返事しか返せない僕の前で、彼女はテーブルの上のスマホを指差す。


「よくって? 指紋ロックは解除してあるから、もしあの子から着信があったら出てあげるのよ」

「え? あ、はい……」


 結局、終始ユカリさんのペースに引っ張り回されたまま。

 部屋を出ていくユカリさんの背中を見送ったあと、僕がテーブルの前のソファに身を沈め、テレビのニュースをぼんやりと眺めていると――

 ユカリさんの勘がずばり的中したのか、スマホのバイブレーションが電話の着信を告げた。

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