2-6 ただひとつの美点

「駄作バスター・式部しきぶ紫莉ユカリ。文芸の番人ですわ」


 ユカリさんの水晶の瞳が紫の輝きにきらめく。粉々になった窓の外には、ばちばちと爆ぜる文字の結界に動きを封じられた巨大な影法師。

 僕が図らずも女の子と同時に息を呑んだとき、ラ・フランス先生が、声を裏返らせて言った。


「……聞かせてくれるかしら。あたくしの作品のどこがダメだっていうのか」


 僕はちらりとラ・フランス先生の顔を見た。先生は、苦虫を噛み潰したような表情を厚化粧の顔に貼り付け、ユカリさんの姿を直視していた。


「どこが、と言われると、何もかもがダメなのだけれど……」


 ユカリさんは窓の外にそびえる魔物に一瞥いちべつをくれると、さらりと大筆を振るって墨文字を描き出した。ユカリさんの紡ぎ出した文字列がたちまち魔物の足元あたりを覆い、結界と相俟って火花を散らす。


「ラ・フランス先生。あなたはこのゴミをディストピアSFだと思っているようだけれど――そもそもどうして、そういうジャンルの作品を書こうとお思いになったのかしら」


 ラ・フランス先生は、ユカリさんの容赦ない毒舌に眉毛をぴくりと揺らしたが、それでもギリギリ冷静を保った声で答えた。


「それは……このサイトではそういう作品が受けると思ったからよ。ホラ、前にここのコンテストで大賞を取った、ディストピアSFの作品があったじゃない。入国管理イミグレーションのAIが暴走して、誰も空港から出られなくなって、全人類が空港で暮らす羽目になるって話」

「ええ。ありましたわね」

「あれの韓流版をやれば受けると思ったのよ。韓流に支配されたいびつな世界の悲哀と、そんな中でも輝きを失わない真の韓流スター達の生き様! どう、いい発想だと思わない!?」

「発想はいいかもしれませんわ。でも――」


 言いながら、ユカリさんは大筆でさらさらと虚空に文字を書いた。「Realityリアリティ」と。あ、あの筆、そういう使い方もできるのか――。


「問題は、その発想があなたの手には余るものだったということですわ、ラ・フランス先生。直截ちょくさいに言って――あなたには本格的なSFを書きこなすだけの実力がないのよ」


 ユカリさんの一言に、ラ・フランス先生の眉毛の角度が先程よりもつり上がった。


「あたくしに……実力がないですって……?」

「ええ。ファンタジーであれSFであれ何であれ――現実とかけ離れた世界を創造しようというのなら、作者は考えなければなりませんわ。その世界の成り立ちと有様を、隅々まで。あなたの作品の世界って、日本がお隣の国に敗れて属国にされていて、配給制や徴兵制はあるわ、自由恋愛は禁止されてるわ、とにかく現代日本とは相当違った世界になっている設定でしょう。その上、数百年も先の未来なのだから、科学技術や倫理観も大きく変わっていて然るべきですわ」

「そ、そうよ。だからそういうふうに書いてるじゃない!」

「そんな世界の話でありながら、登場人物がそれらしくないのよ。元韓流スターの主人公から、その仲間、ライバル、ファンの女の子やその家族に至るまで――誰も彼も価値観が現代人と同じ。現代人と同じように芸能人に憧れ、現代人と同じように恋心を肯定し、現代人と同じように自由を求める……。こんなの全くディストピアSFじゃありませんわ」

「――」


 矢継ぎ早に並べ立てられるユカリさんの言葉を受けて、ラ・フランス先生は今や口を半開きにしたまま絶句してしまっていた。あまりに予想外の角度からぶっ叩かれて、反論の言葉の一つも思いつかない、といった風情だった。


「そもそも、これ、未来にする必要自体がないんじゃありませんの? 無実の罪で失脚した韓流スターの再起を描くなら、別に現代の話でもいいじゃないの。韓流が社会を支配している設定、本当に要る? 見た目のインパクトのために意味なくそんな設定にしただけにしか思えませんわ」

「そ、それは――」

「おまけに何ですの、未来の話なのに連絡手段はスマホのままだし、電気のコンセントはあるし、テレビもネットも全然進歩してないし、そうかと思えば車は意味なく空を飛んでるし、電車は透明なチューブの中を走ってるし、市民の服装は銀色タイツだし。あなた、未来の想像図が昭和で止まってるんじゃなくて? 今日日きょうび、小学生だってこんな未来は描きませんわよ」

「……だって、そんな、知らないわよ! 未来がどうなるかなんて!」

「『知らない』じゃなくて、あなたが考えて作るのですわ、ラ・フランス先生。それが出来ないなら、未来モノなんて最初から手を出さないことよ」


 ユカリさんのお説教は、ひとまずそこで一段落したようだった。

 コテンパンにされたラ・フランス先生は力なく項垂うなだれ、とうとう泣き出してしまった。さっきも韓流ドラマを観ながら泣いていたが……若作りのおばさんが肩を震わせて嗚咽を上げる姿は、なかなか心にグサリと来るものがある。


「――だけど」


 そんな先生に救いの手を差し伸べるように、ユカリさんは穏やかに声を掛けるのだった。


「この作品には一つだけ、白眉はくびと言うべき部分がありますわ。それは――作品全体から溢れる、異様なまでの『韓流』への愛」


 ユカリさんのその言葉を聞いて、ラ・フランス先生はハンカチで涙を拭いながら顔を上げた。


「あたくしは……韓流の魅力を皆に伝えたかった。それだけなのよ」

「ええ、わかっていますわ、ラ・フランス先生。だから推敲をいたしましょう。ディストピアだとか近未来だとか、派手なガジェットに頼らなくても、あなたの韓流愛はそれだけで立派な武器になりますわ」


 そしてユカリさんは、大筆をぶんと構え直し、颯爽と魔物の方へ向き直る。

 彼女を見やるラ・フランス先生の目に、希望の色が差し込んだように見えた。

 ここからが、推敲の時間の本番だ――。

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