2-3 お二人様
「この
新幹線を降りてから地下鉄を乗り継ぎ、某都市郊外の住宅地を歩くこと十分ばかり。ユカリさんは、メモもスマホの
「彼女は邸宅の前で足を止めた。その邸宅は瀟洒な邸宅だった――とか、一つの言葉を同じ段落内で繰り返すのも、あなたの文章の
「……な、何ですか、急に」
「ふと思い出しただけですわ。――さあ、行きますわよ。覚悟はよくって?」
ユカリさんの流し目に、僕は思わず息を呑み、裏返った声で「はい」と答える。
覚悟といわれても、僕はユカリさんの仕事の邪魔にならないように控えておくだけだが……。それでも、これからいよいよ例の作品の作者と対峙するのだと思うと、もう心臓が動いていない僕でも胸の震えを抑えられない。
ユカリさんが門のチャイムを鳴らすと、ややあって、若い女性の声で「どちら様でしょうか」と応答があった。チャイムにはインターホン用のカメラも付いているので、ブラウスとスキニーパンツに身を包んだユカリさんの姿は向こうにバッチリ見えているはずだった。
「ラ・フランス先生と取材のお約束をさせて頂きました、
ユカリさんはカメラの前でニコリと会釈を作ってみせた。「雲隠出版」というのはユカリさんの本家筋が実際に所有している出版社で、こうした仕事で作家と接触する際の隠れ蓑の一つなのだそうだ。
中からは「少々お待ちください」と返事があって、ものの十秒ほどで、玄関からワンピース姿の女の子がぱたぱたと出てきて門を開けてくれた。肩に掛かる程度の髪を風に揺らし、ぺこりとお辞儀した彼女の姿は、僕と同じか少し上くらいの年齢に見えた。
「ごめんなさい、お約束は確かに承知しているんですけど、母は今、執筆にかかりきりでして……。どうぞ、中に入ってお待ちください」
まだあどけなさの残る声とは対照的に、やたらと折り目正しい言葉遣いで、少女は僕達を家の中に招き入れてくれた。……ん? 僕達を?
いやいや、彼女に見えているのはユカリさん一人だけのはずだ。僕の方にも会釈を向けてきたように見えたのは、ただの勘違いか、可愛い女の子に笑いかけられてみたいという僕の願望か――。
「お二人とも、アイスコーヒーでいいですか?」
僕達を応接間に案内し、女の子が何気ない調子でそう言ってきたとき、僕は心臓が止まるほど驚いた。いや、だから、もう止まっているのだけど――。
「えっ、あの、もしかして僕のこと――」
「――あっ」
目を見開いて突っ立っている僕の前で、女の子も口元に手を当て、会釈を凍りつかせていた。
時間の流れが止まったような数秒間。ソファの近くに立ったままだったユカリさんが、「彼はこの世のものではありませんわ」とさらりと述べて沈黙を断ち切る。
「あなた――見えるのね。彼のことが」
「……は、はい。あの、あたし……またやっちゃいました。いつもこれで失言して、皆に驚かれちゃうんです……見えちゃいけないものが、見えちゃうから」
先程まで元気で礼儀正しかった女の子は、今やすっかり顔面蒼白といった様子で、ビクビクオドオドしながら僕とユカリさんの顔に交互に目をやっていた。
僕の立場としては、ハァ、と切なく溜息の一つも
「……あ、あの、あなた達は、一体……?」
女の子は恐れをなした目でユカリさんに問うていた。それはそうだろう、と僕も思う。いくら普段から僕のような幽霊が「見えて」いるといっても、通常、彼女の目に見えているそれは、他の誰にも見えていないのだ。生身の人間が幽霊を伴って自分と対峙するなんて事態はきっと初めてに違いない。
つまり、多分、今この状況は、この女の子にとって初めての、自分と同じ「
「怖がることはありませんわ。わたしはちゃんとした現世の人間ですし――この彼は、わたしの目が行き届いている限りは、人様に迷惑をかけるようなことはしないもの」
「……は、はい」
女の子の声は裏返っていた。心の処理能力が現状に追いついていないといった感じだった。
「むしろ、今、人様に迷惑をかけてしまっているのは、あなたのお母様――ラ・フランス先生ですわ」
「えっ?」
しれっと事態の核心に踏み込むユカリさんの一言に、図らずも、僕と女の子は同時に声を上げてしまった。
「彼のことが見えるのなら、ひょっとして、あなたは既に気付いているんじゃなくて? お母様がプロの作家業の片手間にお書きになっているWEB小説……『国民総韓流時代』が生み出してしまった、恐るべき魔物の存在に」
じっと彼女の顔を見据えるユカリさんの言葉に……女の子は、少し間を開けてから、意を決したようにコクリと頷いた。
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