2-2 リアリティの欠如

 ユカリさんが告げた目的地は東海地方の某都市だった。東京からは新幹線で約二時間の距離だ。僕はユカリさんに言われるがまま彼女の隣の席に無賃乗車し、目的地に着くまでの間、テーブルの上に立てかけられたタブレット端末でユカリさん指定のWEB小説を読んでいた。

 昼間のグリーン車はそれなりにいているとはいえ、霊体である僕が紙の本やスマホを手に持っていると色々と不都合がある。テーブルに置きっぱなしのタブレットで小説を読ませるというのは、僕のような幽霊の性質を僕以上に知っているらしいユカリさんが導き出した最善手だった。


「例えば、あなたはどうして自分がそのタブレットを操作できるのか考えたことがあるかしら?」

「へ?」


 他の乗客との距離が十分にあることを見越してか、ユカリさんはごく小さな声で僕に問いかけてきた。僕は小説を読む手を止めて、「いや……」と口ごもる。


「どうしてって言われても、接触したい物体ものには接触できるのが元々ですし……。電子機器だから操作できないってことはないですよ」

「そうかしら。あなたがそれを操作できるのは考えてみれば奇妙な話ですわ。家具を揺らしたり、ピアノの鍵盤を叩いたりする幽霊は昔からいるけれど、スマホやタブレットのタッチパネルは人体の微弱電流を感知して反応しているのよ。実体を失ったあなたの指先にも静電気が流れているのかしら?」

「え……」


 僕はユカリさんの横顔を見た。彼女はあくまで澄ました顔をして、自身の手元の文庫本から顔を上げることすらしないまま、さらりと言葉を続けてくる。


「……と。例えば、こうしたことを、作家は常に考えなければならないのですわ。例えば作中に幽霊という存在を出すのなら、その霊体は現世の物体に触れることができるのか。写真に映ることはできるのか。電話の向こうに声を届けることはできるのか。指紋認証をすることはできるのか。タブレットで小説を読むことはできるのか――とね」

「は……はぁ」


 ユカリさんにそんなことを言われると、なんだか自分で自分が怖くなってくる。なぜ僕はこのタブレットを操作できるのだろう? 僕の霊体からだは一体、生きていた頃の名残をどこまで保っているのだろう?


「……ユカリさんはわかってるんですか。なんで幽霊がタブレットを使えるのか」

「何を言っているの。わかる筈ありませんわ。わかっておく必要もないもの。フィクションと現実は違うのよ」


 呆気にとられる僕の前で、ユカリさんは初めて本から顔を上げ、僕の方を流し目でちらりと見てきた。


「ただ、まあ――仮にこの世界がフィクションで、それを生み出した『作者』のような存在が居たとして……その作者が、わたしが述べたようなことを何も考えずに幽霊にタブレットを操作させていたとしたら、口うるさい読者からは過剰なまでの突っ込みが飛ぶでしょうね。リアリティを作り込めというのは、つまり、そういうことをちゃんと考えろという意味なのよ」


 わかるような、わからないような……。

 と、そこで、ユカリさんは僕の前のタブレットに一瞬目をやったかと思うと、「流石に読むのが早いですわね」と言ってきた。


「そろそろ勘付いているでしょう。あなたに読ませているその小説が、わたしが家を出る前から言っている『リアリティの欠如』をことごとく体現したゴミであることに」

「……そうなんですか? 僕はこれ、面白いと思いましたけど……」


 僕がユカリさんに言われて読んでいた小説。それは、僕が生前に利用していたのと同じ小説サイトに投稿されたSF長編だった。それなりに名の知られたプロのラノベ作家が同じペンネームで投稿しており、そのためか、投稿開始から半年足らずで既にかなりの星が付いている。

 異世界物をはじめとする軽めの文章に慣れた僕には、文体が重たくてちょっと読みづらかったが、内容は決してつまらないとは感じなかった。なんといってもプロが書いているのだし、少なくとも、ゴミと呼ばれるほどの作品ではないと僕は思うが……。


「僕には、どこがどうゴミなのか、全然……」

「……まあ、あなたはそもそも自分の作品がゴミだと気付けないレベルですものね。言ってごらんなさいな、Killerキラー-Kケイ先生。ディストピアSFの皮を被ったそのゴミファンタジーのどこが面白いと思ったのか」

「ファンタジー?」


 ユカリさんの言葉に僕は首をかしげた。ゴミはまだいいとして、? 近未来の管理社会を描いたこの硬質なSFが……?

 ユカリさんは僕の疑問に何も答えることなく、じっと僕の目を見ている。問題を出しているのはわたしよ、と言わんばかりに。


「……この、日本が数百年前に隣国に占領されて、韓流スターが社会を支配しているって設定……。僕は面白いと思いましたし、実際、レビューを見てもそのアイデアが受けてるみたいですよね。なんかこう、一歩間違えば一発ネタで終わりそうな発想を、ちゃんと一つの作品に仕上げてるところが……さすがプロっていうか……」

「他には?」

「んー……冒頭でいきなり主人公が韓流スターの座を追われて、社会を支配する側から逃げ回る側に転落してしまうってところとか……。つかみが凄いっていうか、続きを読みたくなる導入っていうか……」

「それだけ?」

「あとは、なんていうか……ずっと主人公のファンだったヒロインが、主人公を助けてくれるってところも、ベタだけどグッときますし……。あと、ヒロインのお姉さんの有能ぶりも、なんかカッコいいなって」

「……ハァ。書くものも小学生並みなら、感想も小学生並みなのね、あなた」


 そこで車両のドアが開き、車内販売のワゴンが入ってきたので、ユカリさんはぴたりと言葉を止めた。しばらく僕には息苦しい時間が流れ、そもそもこの霊体からだは息をしているのだろうか……などとぼんやり考えながらワゴンをやり過ごすと、ユカリさんはタブレットを取り上げて「ふう」と小さく息を吐いた。


「まあ、いいですわ。ここから先は実地学習よ。教えてあげますわ――この小説、『国民総韓流時代』とやらがどれほどのゴミなのか。少しばかりおだてられて調子に乗ったプロ作家先生が生み出してしまった、醜いバケモノとの戦いを通じてね」


 その時、ゆったりしたメロディに続いて流れる車内アナウンスが、目的地への到着が目前であることを告げた。

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