1-8 愛される資質

「愚かですわね。こんなありきたりなテンプレチートハーレム小説で読者を楽しませることができると、本気で思っていたのかしら!」


 妖気の風に黒髪をたなびかせ、凍てつくような笑みを投げかけて、ユカリさんは僕に向かって叫ぶ。

 彼女が紫の着物を翻して巨大な筆を振るうたび、首から上だけの怪物は苦しみの声を上げて教室内をブンブンと飛び回った。


「ご覧なさい。この妖怪は飛頭蛮ひとうばん――。わけもなく主人公がチートで無双して、意味もなく女性にモテまくる、かしらだけが立派で中身がカラッポなゴミのような駄文にお似合いですわ!」

「そ、そこまで言いますか……」


 彼女の張った結界に守られ、教室の隅で足を震わせながら、僕は妖怪よりよっぽど恐ろしい彼女の言葉に肩を落とす。

 昨日からの一連のやりとりで、ユカリさんの人柄キャラについてはわかりきってはいたが……それにしたって、当の作者ぼくの前で、そこまで作品をこき下ろすのか!?


 妖怪の飛び回る軌跡から空中に溢れ出すのは、無数の文字の羅列。

 僕にはわかる。あれは、この僕が心血を注いで投稿サイトに書き溜めてきた――ユカリさん言うところの「ゴミ小説」、つまりは僕の輝かしい処女作の本文だ。


「トラック転生、女神のチート、中世風異世界、奴隷少女! よくもまあ、次から次へと、先人の手垢にまみれたクソ設定ばかりを書き連ねられたものね」


 妖怪の攻撃を巧みにかわしながら、ユカリさんの振り抜く大筆おおふでがそれらの文字を塗り潰す。さながら墨塗り教科書のように――僕が青春を懸けて書き上げた魂の一文一文が、無慈悲な美女の手入れによって掻き消されていく!


「推敲の時間ですわ」


 文字を潰されるごとに力を失い、いまや息も絶え絶えとなった妖怪の前で、彼女がきらりと光る瞳を僕に向けた。


「あなたが最も表現したかったものは何ですの?」

「僕が……表現したかったもの」


 大筆を構えた美女の視線に射すくめられ――僕は、答えに詰まる。

 僕が表現したかったもの。最も小説に込めたかった思い。それは一体、何だったのだろう。


「僕は――」


 僕の脳裏を駆け巡るのは、ユカリさんからの「宿題」で読んだ数冊のライトノベル。元は僕と同じ投稿サイトの出自でありながら――悔しいが、僕の作品とは似ても似つかない完成度を誇り、現に書籍化の栄誉を手にした名作たち。

 きっと、あれらの小説の作者は、筆を執るにあたり、を明確に持っていたはずだ。とにかく突き抜けた性格のキャラを生み出したいとか、自分が理想とする恋愛の形を描きたいとか、自分のよく知っている職業の世界を異世界小説に持ち込みたいとか。


 それに比べて、僕は――?

 僕は、一体なぜ、異世界モノの小説なんて書きたいと思ったのだろう?


 WEB小説の世界で喝采を浴びたかったから。書籍化を果たしてプロの作家になりたかったから。もちろん、それもある。

 だけど。本当に僕の心の根底にあった動機は――。


「……僕は、友達が」

「『友達が欲しかった』? ありきたりにも程がありますわ」


 ユカリさんは目に見えない圧力で妖怪の動きを封じ込めたまま、僕のしんみりモードの発言を呆気なくぶった切った。まさかこんな時にまで毒舌で来るとは思わなかったので、僕は思わず目をパチクリさせてしまう。


「せめて最後まで言わせてくださいよ!」

「尺の無駄ですわ。……現実リアルに友達がいなくて、皆に無視されたりイジメられたりする日々を送っていたから、せめて創作の中では違う自分になりたかった。何をしても上手くいき、皆にチヤホヤされるチート主人公の姿に自分を重ねたかった――。ありがちすぎて反吐ヘドが出ますわね。そういう作者を何百人も見ましたわ」


 それからユカリさんは、おもむろに大筆を妖怪に向けて構え、さらに僕に向かって言葉を続ける。


「友達の居なかったあなたに想像するのは難しいかもしれないけれど――多くの仲間に囲まれ、愛される主人公の資質とは何かしら?」

「へ?」


 仲間に囲まれ愛される主人公の資質。そんなことを急に言われても――。


「えっと……戦いに強いこと?」

「強いだけでは人に愛されることはできませんわ。もっと考えなさい」

「えぇ……。せ、正義を貫こうとしていること」

「行き過ぎた正義が孤立を招く筋書きは枚挙にいとまがありませんわ。そんなことも不勉強だからあなたはゴミ小説しか書けないのよ」

「なんですか、もう。じゃあ答えを教えてくださいよ」


 僕は弱り果てて助けを求めるが、ユカリさんは小さく首を振ってそれを否定した。


「あなたが考えなければ意味がなくてよ。これは、あなたの小説なのだから」

「僕の……」


 ユカリさんの真剣な視線が、僕の心をぞくりと震わせる。

 眼前には僕の小説が生み出したバケモノ。僕の作品のあまりのつまらなさから生まれ、無関係の女子生徒に大怪我をさせてしまった魔物。

 こいつを消滅させて責任を取るのは――この僕しか居ないというのか。


 時間を凍らせるようなユカリさんの目に射すくめられたまま、僕は必死に考えた。周りに愛される主人公の資質……僕が是正すべき小説の本質について。

 強いだけではいけない。正義に忠実なだけでもいけない。どんな性格の主人公なら、周りに認められ、多くのヒロインに愛されることにリアリティが持たせられるのだろう?


 僕が頭を悩ませていると、ユカリさんは小さく溜息をつくように息を吐き、「仕方がないから」と切り出してくる。


「ヒントですわ。あなたが考え無しに書きなぐったハーレム展開のヒロイン達は、誰も彼も、主人公の強さと名声に惚れたという単純な設定だったけれど……ただ一人、それ以外の理由で主人公と行動を共にすることにしたヒロインが居たでしょう」


 えっ、と僕は目を見張る。強さと名声以外の理由で主人公に惚れたヒロインというと……。


「そうか。奴隷少女のティナは、主人公のチートを知らない内から……」


 僕が呟くと、ユカリさんの口元が僅かに緩んだ気がした。


「……『優しさ』! ティナを奴隷市場から救い出したときみたいな、『優しさ』を前面に出した主人公にすれば!」

「まあ、とりあえず及第点と言っておきますわ。その着想一つでは全くお話にならないけれどね。それを出発点にして少し考えてみましょうか」


 そしてユカリさんは、僕に向かってふわりと不敵な微笑を向けたかと思うと、両手に抱えた大筆で宙を一閃した。

 魔物にかぶさるように宙に溢れるのは、怜悧なユカリさんの横顔そのもののような、流麗な文字の並び。

 それは僕の小説の新たな本文だった。僕の元々の文体をなぞり、それでいて新たな着想で書き直された、新たな冒頭部。


「『人助けが好きすぎる主人公』――というのはどうかしら。呆れるほど安直で直截ちょくさいな設定だけれど、あなたのレベルにはこのくらい単純なのがお似合いでしょう」

「はぁ。いいんじゃないですか」

「他人事ではありませんわ。あなたの作品だと言ってるでしょう、『Killerキラー-Kケイ』先生」


 そんなことを言いながら、ユカリさんはサラサラと書き進めていく。

 三度の飯より人助けが好きで、周囲が呆れるほどお節介焼き。優しすぎて空回りする主人公の異世界転生物語を――。

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