1-7 そして、推敲の時間

 ユカリさんの「宿題」の数冊を徹夜で読破してしまった僕は、その代償として、翌日の授業中をほとんど教室の最後尾で居眠りして過ごすことになった。

 なんだか本末転倒な気もするが、各教科の先生達だって僕を気にかけるようなことはないし、クラスの皆に至っては言わずもがなだ。誰にも話しかけられない立場というのは、寂しささえ我慢すればそれなりに自由で気楽でもある。


「ちゃんと全部読んできたようですわね」


 放課後、無人となった教室に、示し合わせたようにユカリさんはやって来た。勿論、昨日と同じく、教育実習生として一日を過ごした後のレディススーツ姿で。

 室内にはユカリさんと僕だけ。彼女は、昨日よりも念入りに廊下の人通りを警戒するそぶりを見せてから、なぜか教室の扉を施錠する。


「……ユカリさん? どうして鍵を」

「決まっているでしょ。万が一にも外野が入って来ないためですわ。もちろん、結界もちゃんと張るのだけど」


 ユカリさんは書類カバンから何かの御札おふだのような束を取り出し、教室の扉の内側にぺたぺたと貼り付けていく。まるで、コテコテの異能・怪異バトルモノに登場する霊能力者か何かのように。

 僕が呆気にとられながら彼女の様子を見ていると、彼女は僕の方を振り返りもしないまま、御札貼りを続けながら言った。


「昨日、入院中の女子生徒から色々とお話を聞いてきましたわ。彼女が熱心な読書家だったこと……あの日も図書室に本を返しに行くところだったこと……そして、彼女を襲った魔物のことも」


 僕はユカリさんの言葉に思わず息を呑む。魔物――そう、それは、ユカリさんいわく、僕が投稿サイトに掲載していた小説が生み出した存在。僕の小説のあまりのが生み出してしまった妖怪ようかい変化へんげのことなのだ。


「で、でも、なんでバケモノはその女子を襲ったんですか。僕はその子のことなんて知らないのに」

「無差別だから余計にタチが悪いのですわ」


 そう言って、御札を貼り終えたらしいユカリさんは、くるりと僕に振り向いてきた。彼女の美しい瞳が、鋭い眼光で僕の身体をその場に縫い付ける。


「昨日も言ったように――こうした魔物は、あなたのゴミ小説のような、にもつかない駄作から生み出されるの。だけれど、作者がただゴミ小説を書いて手元に置いておくだけなら、そんなものが生まれる余地はありませんわ。――どんな条件が揃ったときに魔物が生まれるか、わかるかしら」


 ユカリさんは軽く腕を組み、僕を試すように尋ねてくる。僕は素直に思いついたことを言ってみた。


「作者がそれを公開したとき……。ええと、つまり、誰かにその小説が読まれたとき、ですか」

「ゴミ小説の作者にしては上出来ですわね。その通りですわ」


 立ち尽くしたままの僕に一歩近付き、僕の目をまっすぐ見ながらユカリさんは続ける。


「より正確に言うなら――作者の墓場まで持っていくべきゴミ小説が何かの間違いで人目に触れてしまって、誰にも『面白い』と思ってもらえないまま、『つまらない』という皆の思いだけが積み重なっていったとき……そこに魔物が生じるのですわ。今風に表現するなら……ネガティブな感情の蓄積が具現化されたもの、とでも言えるかしら」


 なるほど、と僕は合点していた。著名な商業作品にだってアンチは付き物だが、それを上回るだけのポジティブな感想が世の中に渦巻いていれば、バケモノが生まれたりすることはない……ということなのだろう。

 でも、そうなると、現に魔物を生んでしまった僕の作品は……ポジティブな評価を全く得られないまま、ネガティブな感想だけが蓄積してしまった、正真正銘のゴミということになるじゃないか。


「だ、だけど、僕の作品だって、それなりに見る所は――」

「寝言はさて置くとして、始めますわよ。隅にお寄りなさい」


 ユカリさんは僕の反論をぴしゃりと遮ったかと思うと、教室の隅に行くように僕に指で指図してきた。全く取り合ってすらもらえなかったことに僕が口を尖らせていると、彼女は犬でも追い払うかのように、しっしっと僕を隅に追いやるジェスチャーをしてくる。


「始めるって……何を」

「ここまでの流れでわかりませんの? 妖怪退治に決まっていますわ」

「えっ、今この場でですか!?」


 面食らって僕は叫ぶ。ユカリさんがいずれ妖怪退治に臨むのであろうことはわかっていたが、まさか、こんなに早く、この場でコトを始めるだなんて。まだ彼女がこの学校に来てから二日目だというのに?


「ふ……普通はもうちょっと、色んな証言を集めたり、時間をかけてバケモノを追い込んだりするんじゃないんですか。この場で解決しちゃったら、たった二日で――」

「解決を一日遅らせれば、それだけ次の犠牲者が出る危険が高まりますわ。『兵は拙速せっそくたっとぶ』――プロの仕事の鉄則でしてよ」


 ユカリさんは一体何のプロなのだろう、と聞き返す余裕なんて、もう今の僕にはなかった。僕が教室の隅に寄るやいなや、ユカリさんが両手で何かの印を組み、僕の周りに霊気の結界のようなものを展開してしまったからだ。

 それは物理的に人間の網膜に映るようなものではなさそうだったが、僕にははっきりと感じられた。彼女の張った、目には見えない壁が、これから起こる怪異から僕の身を守ってくれることが。


「これがもし現実ではなくて、あなたのような未熟で稚拙な作者が書くゴミ小説だったら――。だらだらと潜入捜査の過程を何日も引き伸ばしたり、無駄に同じ敵と何度も戦っては取り逃がしを繰り返していたかもしれませんわね。けれど、あいにく、わたしの行動は、そんな間延びだらけのゴミプロットに基づいてはいませんの」

「あ、あの、ユカリさん――」


 僕の目は彼女の肩越しに捉えている。教室内に渦巻き始めた暗黒の瘴気しょうきの渦、そしてその闇の中から現世へ顕現けんげんしようとうごめく魔物の姿を。


「始めますわ。そこで見ていなさい」


 ユカリさんは僕の眼前できびすを返す。闇の渦の中からいよいよ魔物が姿を現すのと、ユカリさんがどこからともなく取り出した扇をばさりと優雅に広げてみせるのは同時だった。

 魔物が――仁王像を思わせる恐ろしい形相の首が、ぶん、と音を立てて一直線にユカリさんへと迫る。


「オン・アラハシャノウ・ソワカ!」


 気勢激しく何かを叫び――ユカリさんは、。紫の扇を持つレディススーツ姿から、身の丈ほどもある巨大な大筆を携えた紫の着物姿に。瞬間、ほとばしる紫色の光が彼女を包む壁となり、魔物の突進を容易く跳ね返した。

 艶やかな黒髪をふわりと妖気の風に揺らし、大筆をヒュンと一振りして、ユカリさんは僕に一瞬振り向く。片時も見逃すな、とその鋭い視線が語っていた。

 そして、話は冒頭へと繋がる――。

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