1-5 美女からの宿題
ユカリさんは、女子生徒達の背中が昇降口に消えるのを待つかのように数秒置いてから、後ろを付いて歩く僕に向かってスパッと次の話を切り出した。
「あなたも事故の件は知っているのでしょ。その階段はどこなのかしら?」
「……ええと」
彼女の言う通り、決してクラスのお喋りに入ったりすることのない僕でも、女子生徒が転落事故を起こした階段の場所くらいは知っていた。何よりそこは、僕自身もよく足を向けていた場所だったから。
僕がユカリさんをその場所に案内すると、実際に彼女はスリッパをペタペタと鳴らしながらその階段を上り、軽く腕組みをして「ふむ」と頷く。
「……ナルホド。これは確かに……出る場所ですわね」
片手の指を口元に当て、階段の上から辺りを見回すユカリさん。さっきの女子達の指摘のように、その仕草はまるで漫画に出てくる
「出る場所、って……?」
僕はそんなユカリさんに見惚れている余裕も持てず、ついつい怖くなって周囲を見回してしまう。「バケモノを見た」と入院した女子が言っており、目の前ではユカリさんまでもが怪異の存在を肯定した発言をしているというのだから、僕だって怖がらずにはいられない。まさか、今もこの場所に、バケモノがいるというのか……!?
「今は居ませんわ。ただ……そうした
刹那、僕の背中にゾクリと悪寒が走った。
放課後の図書室――。それはまさに、今、この場所のことじゃないか。
女子が転落した場所というのは、この、図書室の前に繋がる階段のことだったのだから。
「……本の関わる場所ばかりなんですね」
「ゴミ小説の作者にしては、ちゃんと頭が回るんですのね。そう――わたしが追うのは、書籍が生み出す魔物ですわ」
「書籍が……?」
「まあ、正確には――書籍になれなかったゴミが生み出す、ということなのだけれど」
ユカリさんの透き通った瞳に射すくめられ、僕は思わず彼女の前から後ずさってしまう。
バケモノの存在そのものよりも――僕はこの瞬間、そのバケモノの出自を考えて戦慄していた。そう、僕は気付いてしまったのだ。僕の作品をゴミ小説と呼ぶユカリさんが、その僕との接触を求めてわざわざ学校に潜入してきた理由。「書籍になれなかったゴミが魔物を生み出す」という言葉。それらのピースを突きつけられれば、誰の頭にだってパズルは組み上がってしまう。
「まさか……僕の小説が、バケモノを」
「そうですわ。よくって? 『
――そんな。そんな馬鹿なことが、あるものか。
「……あ、ありえない」
僕にはとてもそんな話は信じられなかった。足元がおぼつかず、ふわふわと身体が浮いているような感覚がする。だって、いくらなんでも、そんな話があるわけが……?
「何が有り得なくて? 今さら、この世に魔物が存在することが信じられないなんてタマではないでしょ。自分の作品がそこまでのゴミであるという現実が認められないのかしら」
ユカリさんは声の勢いひとつ変えないまま、フルスロットルで僕を責め立ててくる。僕はなぜか、彼女に反論する言葉を持てなかった。他のヤツに自分の小説を
「――さて。学校の中はこれで十分ですわね」
「え……?」
未だ困惑と憤慨で一歩も動けない僕の前で、ユカリさんは悠々と左手の腕時計を確認している。
「十八時……。わたしはこれから、入院した女の子の病院へ行ってみますわ。お見舞いにはお行儀の悪い時間でしょうけど、まあ、なんとか入れてもらえるでしょ」
マイペースにそう言って、ユカリさんは階段をすたすたと下り始める。僕はハッとなってその後を追った。なんというか、小説への痛烈な批判もさることながら、この後も校内の調査だの妖怪退治だのに付き合わされるのかなと思っていた僕としては、彼女があっさりと次の目的地に向かおうとしていることが拍子抜けだった。
「あの、僕も一緒に行くわけには――」
「来てどうするというの? その女の子があなたとお話してくれるとでも思って?」
ぴしゃりと言い返され、うぐ、と僕は押し黙ってしまう。
階段を降りきったところで、ユカリさんは周りに人がいないことをチラリと確認してから、僕に再び顔を向けてくれた。
「それよりも、あなたには宿題があってよ」
「宿題?」
「そう。あなたは自分の創作と向き合うべきですわ、『
そう言って――彼女が書類カバンから取り出し、僕の前に差し出してきたのは、文庫サイズの数冊の本だった。ぱっと見た感じ、どれも萌え系の表紙のライトノベルのようだ。
「紙の本は読めないなんて言いませんわよね」
「それは、大丈夫ですけど……」
ユカリさんに差し出されるがまま、僕が本を受け取ると、彼女はすらすらと説明を続けてくる。
「そこにあるのは全部、異世界モノのライトノベルですわ。どれもWEB小説からの書籍化作品ですけれど、あなたのゴミとは似ても似つかない、斬新な着想、楽しいキャラクター、読みやすい文章、メリハリのある物語を備えた、粒揃いの名作でしてよ」
「……はぁ」
どうあっても僕の作品はゴミだという前提で繰り広げられるユカリさんの説明に、なんだかなあ、と思いながらも僕は言い返せない。
「明日までにそれらの本を読んでいらっしゃい。一晩あれば全部読めますわよね?」
言葉の上では質問の形をとっていても、それはもはや立派な命令だった。
僕はユカリさんに押し付けられた本を握りしめ、「ごきげんよう」と上品に挨拶する彼女の背中を見送って、小さく溜息をつく。
「先生」は仮の姿だと言っていたのに、ちゃっかり宿題を出してくるなんて――。
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