1-4 タブーの話題

「この学校に巣食う、魔物……?」


 ユカリさんの口から発せられたファンタジーな一言に、僕は思わず身構えてしまう。

 彼女はその透き通るように美しい瞳を僕に向けたまま、「ええ」と一言頷いてみせた。そんなことは当たり前でしょう、と言わんばかりに。


 いよいよもって彼女の真意がわからず、僕は口ごもってしまう。

 堂に入ったお嬢様口調といい、謎の言動といい、そもそも僕なんかと会話していることといい……随分と浮世うきよ離れした人なんだなという感想は既に抱いていたが、まさか、彼女は僕の想像を超えて人だったのだろうか。


「そんなに怯えた目をしなくても大丈夫ですわ。別に、あなたをどうこうしようというのではなくてよ」

「いや……その。ちょっと意外で。ユカリさん、そういう現実離れした話をする人だったんですか」

「どの口がおっしゃいますの?」


 ユカリさんにそう言われると、僕としても返す言葉はない。

 でも、それにしたって……僕に話しかけてきた時点で、ユカリさんも十分「普通の人」ではないのはわかっていたが、だったとは。


 これから彼女にどう振り回されることになるのだろう、と僕が戦慄しながら彼女の足元あたりに目を泳がせていると、ふと、僕の後ろの方から、「ユカリ先生」と彼女を呼ぶ女の子の声がした。

 見れば、僕と同じ上履きの色の――つまり二年生の女子生徒二人が、ユカリさんの姿を認めて廊下をパタパタと近付いてくるところだった。

 僕が反射的に壁際に寄るのと同時に、ユカリさんは彼女らに会釈を返し、既に記憶に刻み込んでいたらしい彼女らの名字を呼んでいる。


「わ、すごい、もう覚えてくれたんだっ」

「ユカリ先生、お散歩ですかー?」

「ええ。校舎内を見て回っていましたの」


 ユカリさんは微塵の狂いもない笑顔で女子達に対応していた。きっと同性でも一度笑いかけられればコロッと惚れてしまうのであろう、悪魔の誘惑のような笑みで。


「先生の話し方って、漫画のお嬢様みたいですよね」

「思うー。ひょっとしてホントに深窓の令嬢なんですか?」


 女子達は、ユカリさんには楽しそうに笑顔を向けて話しているが、僕の方には全く見向きもしない。

 そんな立場には慣れっこだけど、そうは言っても、自分の目の前で他の人同士が仲良さげに談笑しているのを見るのはこたえるものだ。僕は少し寂しい気持ちになりながら、ユカリさんと二人の様子をぼんやりした目で見守っている。


 せめて僕に、自分から皆にちょっかいを出して絡んでいけるような甲斐性の一つもあればいいのだけど、そんなことをして皆を気持ち悪がらせても何も得るものはない。そう思って、最近の僕は、人との絡みに関しては諦めてしまっているのだった。

 話し相手がいなくても、教室の片隅でひとり小説を書いていられれば、それだけで学校という場所は十分楽しいものだ。


 そんなことを考えている僕には目もくれず、ユカリさんは令嬢うんぬんの話題をサラッと流したあと、二人に向かって尋ねていた。


「ちょうどよかったですわ。あなた達、ご存知ないかしら。入院した生徒さんのことについて」

「え……?」


 問われた二人は互いに顔を見合わせ、何かを迷うような顔になっている。

 無理もない、と僕は思う。この学年の女子生徒が先月、校舎内の階段で転落して大怪我をしたという一件は、学校中の誰もが知るニュースとなっていたが――同時に、誰もがそれについて語ることを躊躇する、タブーともいえる話題になっていたのだ。

 入院した女子生徒は、内向的で、友達はおらず、休み時間はずっと図書室で過ごしているような子だったという。僕としては、同じ本好きとして話しかけてみたい気持ちはあったが、もちろん実行には移していない。

 それはともかく、その事故の件が何故タブーになっているかというと――


「……あの子、バケモノを見たって言ってるみたいなんです」


 と、女子生徒の一人がユカリさんの顔を見て、歯切れの悪い口調で言う。


「それに……あたし達はよくわからないですけど、イジメがあったみたいな話もあって」


 もう一人がおずおずとそう付け加えた。

 話し相手のいない僕でも知っていることだった。この二点を理由に、皆はその事故の件に触れたがらないのだ。


 過去、この学校では、現にイジメによる自殺があったので――それを機に学校の体質改善のため送り込まれてきた新しい校長先生は、今回の事故に関してもシビアにイジメの有無の調査を行った。その結果、入院した女子に関してイジメは無いとの結論に至ったらしかったが、厳しい聞き取り調査などに付き合わされた生徒達としては、たまったものではない。

 加えて、バケモノがどうのという、妄言ともいえる本人の主張。これでは皆がこの件をタブー視するのも当たり前だ。


「……わかりましたわ。ありがとう」


 ユカリさんが二人に向かってニコリと微笑むと、二人は頬を赤く染めて照れくさそうにしていた。


「ユカリ先生、なんだか探偵みたい」


 ユカリさんはクスッと笑ってその指摘を受け流し、「ごきげんよう」と手を振って女子達と別れる。僕はやっと存在の権利を取り戻したような気分で、再び彼女の背中を追った。

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