1-3 潜入調査

「あなたにだけは、お話しておくけれど……」


 ビニールのスリッパの音をペタペタと響かせ、ユカリさんは放課後の廊下を歩いてゆく。

 彼女の颯爽たるレディススーツ姿には、パンプスでコツコツと音を立てて歩く方がずっと似合うのだろうと思ったが、校舎内では仕方ないかと諦めて僕は彼女の一歩後ろを付いていった。


「教育実習生という立場は作り物ですわ。大学に在籍しているのは本当だけどもね」

「はぁ。世を忍ぶ仮の姿、ってやつですか」


 ユカリさんの背中を見ながら僕は言う。だけど、正直、彼女の意図は全くわからなかった。

 僕の小説を追ってこの学校に来たとは、一体どういう意味なんだろう?


式部しきぶ先生、あの――」

「『先生』は仮の姿だと言ったばかりですわ。わたしのことは、シンプルにユカリさんとでもお呼びなさい」


 彼女がくるりと僕の方を振り返り、そう言ってくるので、僕はついドキリとしてしまう。なんといっても彼女の顔は美人すぎるのだ。まっすぐ見つめられて、目をそらさずにいられない中学生男子なんてそうそういないだろう。

 再び歩みを始めるユカリさんの背中を、僕はまた追いかける。


「でも、皆の前では『先生』で通すんですよね? 『ユカリさん』なんて呼んじゃうと、うっかり皆の前でもそう言っちゃいそうで」

「そういうのを杞憂と言うのではなくて? クラスの誰もあなたの言葉なんて聞いてませんわよ」


 ユカリさんが振り向くことすらなく告げた辛辣な一言に、僕は「まあ……」と口ごもるしかなかった。

 この人、ただの不思議系美人じゃなくて毒舌属性もあるのか。なんというか、現代ファンタジーのヒロインのテンプレートって気がするなあ、と僕は密かに思う。


「……じゃあ、ユカリさん。ユカリさんの正体は何なんですか」


 結局観念した僕が、彼女の指定通りの呼び方で問いかけると、彼女は背中を向けたまま「何であってほしいのかしら?」と聞き返してきた。質問に質問で返すにしても、今の言い方は捻りがあって面白いな、と僕の物書きの部分が言っている。


「僕の小説を拾い上げに来た編集者……とかじゃないですよね」


 僕はちょっとした冗談のつもりでそう言ってみたが――彼女の反応は、予想を遥かに超えて冷たかった。


「冗談ですわよね。あんなゴミ」

「はい?」


 聞き間違いでなければ――ユカリさんの綺麗な声が、ただ一言、僕の小説のことをゴミと形容したような気がするが。


「わたしは編集者ではないけれど、それと同等の審美眼は鍛えてきたつもりですわ。『Killerキラー-Kケイ』先生――あなたの今の筆力では、商業出版なんて夢のまた夢。無料のWEBサイトでもせいぜい三ページ目でブラウザバックが関の山でしてよ」

「な、な――」

「現に、あのサイトでも星10程度、フォロワー数人しか稼げていなかったのが証拠ではなくて? 叶わぬ夢になど囚われるのはやめて、早々に成仏じょうぶつするのが身のためですわ」

「そ……そこまで言うんですか」

「そこまで言いに来たのだもの」


 僕は唖然として立ち尽くすしかなかった。ユカリさんは後ろにも目があるかのように、僕が立ち止まったのをちゃんと察して、自分も足を止めてくるりと振り向いてくる。

 ユカリさんの美しい顔には――「で、それがどうしたの?」とでも言いたげな、飄々ひょうひょうとした微笑が浮かんでいた。

 いかな美人で綺麗なユカリさんといえど、いきなり作品を馬鹿にされては、僕だって黙って俯いているわけにはいかなかった。僕の口は意図せずとも言葉を紡いでいた――「僕の小説のどこがダメなんですか」と。


「まあ、あなたに文芸創作の何たるかを教えて差し上げるのも一興ですけれど――今はそれより先に知りたいことがあるのではなくて?」


 ユカリさんの、どこか悪戯っぽい笑みには――唐突な作品批判に僕が覚えた憤りを一旦引っ込ませ、僕の意識を本来の疑問点へと立ち戻らせる力があった。

 そう。ユカリさんはただ僕の作品をディスっただけで、僕の質問には結局答えてくれていない。

 彼女は、一体何のためにこの学校に来たのだろう?


 そんな疑問が僕の顔に書いてあったのを見て取ったのか、彼女はレディススーツの腰に手を当て、信じられない言葉を口にしたのだった。


「潜入捜査ですわ。この学校に巣食う魔物をはらうためのね」

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