第5話 モカとアル中女③
と、考えてみたもののカフェで出来ることなど、たかがしれている。
ココアのような例は稀なのだ。
それに、あくまでウチはただの喫茶店。来店するお客が特別なだけ。
お客の抱えている闇を解決するのは、ただのご愛嬌といったところだ。そこがメインではない。
ただ、放置する気もないのだが。
「そーいえば、ずっと保険の営業されてるんですか?」
目の前でコーヒーを啜るナツミに尋ねると、彼女は大袈裟にリアクションした。
「そーなの!もう大変でさー!だからモカくん癒してよ」
「ウチ、そーいう店じゃないんで」
なかなか酔いは覚めていないようだ。てか、どんだけ飲んでんだよこの人。
「学校出た後ずっとですか?」
「そーそー。かれこれ7年も。アタシ凄くない?て、ヤバいヤバい。歳バレるとこだったわ」
「言わなくても大体分かりますよ」
29歳か。見た目通りの年齢だ。
「えー顔に出てる?やだなー、まだお姉さんのつもりだったんだけど」
「まだまだお綺麗ですよ。女の人は年齢と共に奥ゆかしさが増していきますしね」
「うわ、若者の癖に分かったようなこと言ってるー。ちなみにモカくんはいくつなわけ?」
「25です」
「若いねー、いいなー」
「そこまで歳離れてないでしょ。僕もアラサーですよ」
「いやいや、25と29は違うから。もう三十路まで一年切ってるんだよアタシは?ちなみに、そっちのお姉さんはいくつ?」
「クレヨンしんちゃんの5.6倍ですね」
「何で28ってスッと言わないんですか」
マメ先の微妙なボケにモカは呆れた。ちなみにマメ先は先ほど自分で濡らした床をモップで拭いている。一人で何してんだこの人。
「えー、じゃあ一個下かな?何年生まれ?」
ナツミに聞かれ、マメ先が答える。
「志田未来と同級生の華の93年生まれですよ」
華の?
「あら奇遇。アタシは吉岡里帆とタメの月の94年生まれなの」
月とは?
理解できないが何故か睨み合う2人。
いやアラサー女が良い歳こいて何してんだか。一応平成生まれだよね2人とも?昭和混ざってないか?令和だけど今?
モカは大きくため息を吐いた。
「てか有名人と同い年とかどうでも良いでしょ」
「いや大事だから。小松菜奈と同い年だからって調子に乗らないでくれる?」
マメ先が何故か噛みついてくる。
ホントこの人こーゆう話好きだな。
「好きな女優と同い年なこと自慢してて悲しくなってこないんですか?」
「なる。だからアタシたちには酒という名の夢への切符が必要なの」
「そんな切符買ってないで現実で頑張って生きたらどうですか?」
「モカくん、男の子はやさぐれてる女の子も慰めなきゃダメだよ」
「そんな義務はありません。バカ言ってる暇あるなら、早く掃除終わらせて下さい。まだ明日の仕込みも残ってますよ」
「うわー、話逸らしてる。逃げモカだ、逃げモカ」
「面白くないですからね、ソレ」
相変わらず会話にならない店長である。これでアルコールが入っていないというのだから不思議な人だ。
いや自分に酔えるから不要なだけかもしれないが。
モカとマメ先の会話を聞いていたナツミが口をへの字に曲げる。
「ちょっとー、お姉さん。アタシのモカくん取らないでくれる?アタシが先に唾つけてんだからね」
「いや誰のもんでもないんですけど」
一応訂正しておく。
「そーいえば、今日はお時間は大丈夫ですか?もうかなり遅い時間だと思いますが」
時刻は午後21時半を迎えている。
しかし、モカの言葉を聞いたナツミは大笑いし出した。文字通り腹を抱えて笑っている。
「えー、それ本気で言ってるモカくん?全然笑えないよー」
「いやメッチャ笑ってますよね?」
「独身アラサーの1日は、夜の10時から始まるんだよ?」
「聞いたことないんですけど」
モカが引いていると、モップを持ったマメ先が、ずかずかとナツミに近づいてきて、彼女の目の前で止まる。
「めっさ分かります!」
「だよねー!」
「何で意気投合できるんですか」
キャッキャしているアラサー女2人を見ながら、モカは呆れた。
「よーし!今日は朝まで帰さないからねー!」
「いぇーい!!」
盛り上がるアホ2人。
その2人に冷徹に伝える。
「いや帰りますよ俺は」
そう言うモカに対して、アラサー女2人は揃って、口をへの字に曲げて、モカの方を見た。
「いやいや、ちょっと何言ってんのモカくん!アタシの唇奪っといて、1人で帰る気?責任持って身体も持ち帰りなさいよ!」
「絶対嫌ですよ。家が酒臭くなる」
「うわっ!ひどっ!今の聞いた?」
「聞いた聞いた。酷いよモカくん。ひどモカだよ」
「それマジで面白くないですからね」
よく使ってるけども。
「てか、掃除して下さいよ早く。仕込みもまだなんですから」
客と遊んでいるマメ先に言い放つ。
すると、だるそうな表情とだるそうな返事が返ってきた。
「分かってるからー。そんな怒んないでくれるー?減給するよキミー?」
「何で仕事してるのに給料下げられなきゃいけないんですか」
どんなブラック企業だよ。
「はいはい、やれば良いんでしょやれば。うるさい店員だよ」
「仕事しない店長が悪いんですよ」
「経営者は楽して良いのー。それが資本主義社会なんですー。文句あるなら、日本の政治変えるか自分の店出して従業員に働かせなよ」
「うわ、一見真っ当そうだけど、鬼畜なこと言ってるよ」
「鬼畜でもなんでもないですからー。リスク取んなきゃ現実は変わりませんのよ。おほほほほ」
「酔ってんですか」
「主に自分にね」
「自分で言うんかい」
マメ先とのやり取りを見ていたナツミが、ふいにポツリと呟く。
「いいなー、マメコちゃんは。モカくんみたいな可愛い部下がいて」
それは、今までの冗談ぽい軽口ではなく、でも深刻な物言いでもなく、ついポロッと口からこぼれ落ちたような、そんな言葉だった。
俗に言う"本心"のような。
ナツミの変化に気付いているのか気付いていないのか、マメ先は先程と変わらないダルそうな口調で返答する。
「えー、別に可愛くもないですよー。この子女好きですし」
「女好きではないですけど」
一応、否定しておく。
「モテたいって、いつも言ってるじゃん」
「それは男の夢ですから。仕方ないです」
「いや何ソレ」
マメ先の冷たい視線を感じたが、スルーした。
ナツミが口元に小さく笑みを浮かべる。
「いやいや、正直羨ましいよ。こんだけワイワイやれる仲間がいてくれるって。キスしても許してくれるし」
「いや許してはないですよ、断じて」
アンタが勝手にやっただけだからな。
「いいなぁ、ホントに.....アタシもココで働こうかな」
ナツミは顔を横に向けた状態で机に突っ伏し、うっとりした表情で目線だけ店内を見渡している。
「俺は嫌ですよ。毎日キスされたら身が持たないんで」
「お、身が持たなくなるくらいには、意識してくれてるんだ?」
ナツミがニヤリと笑う。
その視線がコーヒーカップを磨くモカに向く。
視線には気付いたが、手元から視線は逸らさずに答える。
「そりゃ男ですから。それに今はフリーですし」
「へー。アタシもだよ」
「あ、男だったんですか?」
「いやフリーの方に決まってんでしょ。何そのいらんボケ」
「可哀想ですね。今のボケの秀逸さが分からないとは」
「いや分からないよ。てかモカくんって、意外といらないボケ多いよね」
ナツミが笑う。
その顔に向かって、ポツリと呟く。
「いらないボケはお嫌いですか?」
「.....え、何その質問?」
拍子抜けした様子でナツミが聞き返してくる。
「そのまんまの意味ですよ。生きる上では不要な、つまらない会話、いらないボケ、上司からの執拗なパワハラ、ナツミさんはお嫌いですか?」
「いや、最後のおかしくない?」
マメ先のボヤキはスルーして、モカは言葉は続けた。
「生きていく上で必要なことって、色々あるじゃないですか。住む家や、毎日の食事、生活用品、仕事、資格、学歴、煩わしくない人間関係、言い出したらキリがない。大人になると、それこそ時間がなくて、本当に必要なことにしか目を向けなくなる。でも、本当にそれが全てなんですかね?」
「.....もしかして、モカくんさ、アタシに人生論説こうとか考えてる?そーいうのは流行んないし、全然可愛くないよ」
ナツミの表情がスッと真顔に戻ったのが分かる。きっと、コレが普段見せているナツミの顔なのだろう。
恐らく、この話題は本人の触られたくない部分の筈だ。
今、話題を切り替えれば、まだ先ほどのように楽しく話せる。
でも、ココで引く気はなかった。
モカは改まった口調で話を進めることにした。
「もし、お気持ちを悪くされたのであれば、申し訳ありません。ただ、お客様からおかわりの申し出があったもので」
「胡散臭い人生論なんて頼んでないけど」
「キスのおかわりされたじゃないですか」
「キスはキスだから。何で人生論とか、退屈なもんにすり替わってるわけ?」
「キスはメニューにないんで。ただ、注文された、そのスペシャリティコーヒーには、その名に相応しいサービスがあるんです」
「どんな?」
「バリスタからのささやかな、酔いも醒める、いらないボケですよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます